剣菱悠理という存在は、僕の人生設計における最大のイレギュラーだ。

薄暗い映画館の、並んで座るふたつの影。
スクリーンからは、ドンちゃん騒ぎの派手なアクションシーンが映し出され、彼女の好きそうなロック・ミュージックが流れている。
もちろんこれは悠理が選んだ映画だ。
僕なら絶対に選ばないジャンル。
だが、彼女が「どうしてもこれが観たい!」と目を輝かせたからここへ来た。
隣の悠理へ盗み見るように視線を送る。
(やれやれ。………器用なやつだ。)
大きな瞳を爛々と輝かせ、口を半開きにしてスクリーンに見入りながらも、膝にある特大サイズのポップコーンをひたすら頬張っている。
映画が始まってまだ10分だというのに、すでに半分近くがなくなっていることが恐ろしい。
(悪くない映画だが、先程から放送禁止用語連発ですな。下品極まりない。)
そう心の中で毒づくも、どうやら他の観客は楽しんでいるようだ。
自分の価値観としてはこの映画を観る時間は、非生産的なもの。
もっと別のことに時間を使うべきだと考える。例えば、将来の事業計画の見直しや、新たな推理小説の種明かしなど………。
(ま、付き合えといったのは僕ですからね。)
悠理が、ポップコーンに手を伸ばし、口に放り込む。その指が塩に塗れているのが見える。
彼女は俺の視線に気づいたのか、突然バッとこちらを向いた。
「ありゃ?もしかして、ポップコーン食べたい?」
悠理は、屈託のない笑顔で、ポップコーンのボックスを僕の方へと突き出す。
その笑顔はあまりに無防備で、あまりに純粋で、胸の奥をチクリと突かれた。
(違う。求めているのは、ポップコーンじゃない)
一瞬、言葉に詰まったが、彼女の計算のない、ただ「楽しい時間」を共有しようとする姿が、たまらなく……愛おしく感じた。
(そんな感情を持つはずは無いのに……)
自分の感情を必死に否定しようとする。
冷静で理性的。
感情を常にコントロール出来るよう鍛錬しているはず。
だから悠理のようにイレギュラーな存在に、心かき乱されるはずがない。
「…いや、悠理が全部食べればいいですよ。」
できるだけ無表情を装って答えると、悠理は、「ふーん、美味しいのに!」と言いながら、再び映画に視線を戻す。
スクリーンの光が悠理の横顔を照らす。
その光の中で、彼女の前髪がキラキラと輝いている。
(楽しそうだな……。しかしこれはデートという括りになるのだろうか?)
二日前、映画のチケットが当選し、悠理を誘ったのは確かに僕だった。
何故か野梨子を誘う気になれず……
放課後の生徒会室でお菓子を貪っている彼女に声をかけた。
二つ返事でオーケーだった。
(だが今日、こうして並んで座っている。それは事実だ。)
悠理が再びポップコーンを口に運ぶ。今度は、こちらの視線を気にする様子もない。
(結局のところ、自分の気持ちを否定したいだけなのかもしれない……)
ルールも論理も通用しない悠理。
完璧な人生設計を根底から覆した唯一の存在。
だからこそ、ここまでプライドを刺激されるのだろう。
(それでも………こいつの隣にいたい。この映画が、どんなに時間の無駄と感じても……)
スクリーンに映る筋肉隆々の男たち。
興奮気味な悠理はポップコーンを忘れ釘付けだ。
もしかすると……
彼女の笑顔は、完璧な人生設計よりもずっと価値があるような気がして。
(いやいや……結論を急ぐな、清四郎。こいつと付き合えば命がいくつあっても足りない。)
僕は心の奥底にある感情に気づかないふりをして、再び目の前で繰り広げられるアクションシーンへと視線を戻した。
いつか分かるその時まで……このままでいいと念じながら────