時計の針は夜7時を回ろうとしていた。
静まり返った聖プレジデント学園校舎。
唯一明かりが灯っているのは、皆が憧れる生徒会室だけだった。
「ふぅ……来月の球技大会の予算案は通ったな。」
生徒会長である清四郎は、眉間を押し上げながらため息をついた。完璧な計画。非の打ち所のない書類。彼にとって、それは息をするのと同じくらい簡単なことだ。
だが、その完璧な空間には、不釣り合いな存在が一人。
「ふぁ~あ、まだ終わんないの? あたい、もう限界なんだけど……」
お気に入りソファの上で、悠理がだらしなくあくびをした。
運動部長を務める溌剌とした彼女だが、今はただトドの様に転がっている。
「もう少しですよ。夜飯はお付き合いしますから、我慢してください。」
「じゃ、うまいイタリアンな!新しくできたとこ!」
眠気を他所へ追いやり、屈託ない笑顔を見せる悠理。
清四郎の心臓はドクリと跳ねる。
恋を自覚してからというもの、悠理の一挙手一投足に胸ときめく自分が、煩わしくもあり、新鮮でもあった。
(やれやれ……こいつのこんな顔は独り占めにしたいな……。)
清四郎は心の中でごちる。
かつては野梨子を含め、「犬猿の仲」のようにやり合っていた。
だが、中等部の終わりの、あの事件をきっかけに、二人の関係は劇的に変わった。
仲間になり、いろんな経験を共に楽しんできた。
留年させられるという由々しき事態も、今となれば良い思い出である。
まさか……この野生児と恋仲になるとは、さすがの清四郎も予想できなかったが……。
互いがその想いに気付いたのは夏休みの終わりだった。美童が提案した旅先(南国の高級リゾート)で、酒の勢いもあったのだろう。
思わず本音が零れ出た。
あたりは暗く、二人きりでカクテルを傾けた。
自然と漏れ出す己の心。
悠理を独り占めしたいと……。
この先もずっとおまえの側にいたい、と。
彼女は驚いた顔で、それでも照れまくりながら、清四郎のシャツの端を摘み、
「それって……あたいが好き?ってことだよな?」
──と可愛く潤んだ目で清四郎を見上げる。
理性という名のストッパーなど、一瞬で弾け飛ぶ威力。なにせ、悠理はとても美人であるからして。
それでもギリギリのところで踏みとどまり、「そういうことです……。おまえが好きだ。」と至極王道の告白をした。
二人はこうして、友人から恋人という関係に変化し、卒業までの数カ月間を新鮮な気分で過ごしている。
そしてその関係は「甘酸っぱい」という言葉では片付けられないほど、複雑になりつつあった。
「なぁ……清四郎♥」
悠理が強請るような声で突然、清四郎の顔を覗き込んだ。
「何です?」
「なんで、あたいたちのこと、みんなには内緒なの?」
予想していなかった質問に、清四郎は動揺を隠す為、書類に目を戻した。
「………それは、学園の秩序を守るためです。生徒会長と運動部長がデキてるなんて知れたら、示しがつかないでしょう?あと少ししたら引退するわけだから、その頃には……」
「ふーん、でもみんな、なんとなく気づいてると思うけどなぁ。」
清四郎の膝上に軽やかに跨った悠理は、自然な動きで首に腕を回し、顔を近づける。

「だってあたいたち、こんなにいつも一緒にいるんだじょ?」
「ふ……。その調子だとまた、キスしたいんですか?」
心見透かされた発言に、悠理は頬を赤くし、コクンと頷いた。

(やれやれ………覚えたての猿じゃあるまいに…)
清四郎は、仕方がないというように書類を机の端に追いやった。
自分もすっかりその気である。
彼女のスッキリとした美しい顎に見惚れながら、その上にある淡いピンク色の唇を視線に捉える。自他とも認める大食い娘。しかしパーツは本当に整っていて、
「可愛いですね……おまえは。………僕が惚れただけある……。」
そんな歯の浮くような告白とともに、清四郎はゆっくりと悠理の唇を塞いだ。
それはとても甘いキスだった。
舐めながら、優しく食むように、最後は唇を舌先で開かせ、奥へと侵入する。
当初恥ずかしがっていた悠理も今は夢中で、舌を絡ませる濃厚なキスも積極的に受け入れるようになった。
深夜の生徒会室に、二人の吐息だけが響く。
「…ん……んぅ………」
切なげな声を漏らす悠理を腕にして、清四郎の理性はもう限界だった。
静かに離れた唇。
悠理は『もう、終わり?』といった視線を投げかけてくる。
「この先へ、進んでももいいですか?」
「え…?」
清四郎は、悠理を膝から降ろすと、猛然とパソコンに向かい、キーボードを叩き始めた。
完璧な処理能力で、残りの仕事を一気に片付けていく。
「清四郎?」
悠理が、ポカンと見守る。
そして、きっかり5分後。
「……よし、終わった!」
立ち上がった清四郎は、呆然としている悠理の手を引き、ドアへと向かう。
「え、どこ行くんだ?」
「どこでも。朝まで二人きりになれる場所なら……どこでも……。」
悠理はようやく理解したのか、顔を赤面させる。
「そ、それって……つまり……あれだよな?」
途切れ途切れのセリフを投げかける悠理は、清四郎の腕に抱きつき、顔を見上げた。
期待満面といった様子である。
(本当にこいつは……怖いもの知らずだな。)
苦笑しながらも、悠理の柔らかい体を抱き寄せ、頭にキスをする。
昔も今も、二人の関係全てが彼にとって、かけがえのない宝物だ。
運命といえば運命。
桜の木の下で出会い、今に至る。
深夜の校舎を二人は手を繋ぎ急ぎ足で駆け抜ける。
青春はまだ始まったばかり。
誰よりも刺激的な恋をする二人の足音は、音楽を奏でるように軽やかだった。