春の風が、校庭の桜の花びらを舞い上げている。
「おつかれ、清四郎!」
ジャージ姿の悠理が、運動部の練習を終えて駆け寄ってきた。今日は陸上競技の助っ人に呼ばれていたらしい。額にはうっすら汗がにじみ、髪が乱れている。

清四郎は苦笑しながら、手元にあったハンカチを無意識に差し出した。
「おつかれ。……髪、ぐちゃぐちゃですよ。」
「え?あ、あぁ……しょ〜がないだろ。」
清四郎の長い指が、はにかむ悠理の頭に無造作に触れる。
ほんの数秒、軽く撫でるだけのつもりが、いつもの友情以上の「何か」が心に波紋を広げた。
悠理が少しだけ顔を赤らめて目を細め、いたずらっぽく笑う。
まるで猫の毛を整えるように、清四郎の指は悠理の頭を梳いた。
「へへ、あんがと。」
その無邪気な笑顔を見ていると、胸の奥がくすぐったくなる。甘酸っぱさとともに。
襟元を正す清四郎は、視線をわざとらしく逸らした。友達のままでいたいような、けれど、それだけでは足りないような。
春の陽気と、すぐそばにある彼女の体温。
心は風に吹かれる桜の花びらのように揺れ続けている。
清四郎の手が離れても、悠理の髪にはまだ彼が触れた時の熱が残っているような気がした。
「……なぁ、清四郎。」
「はい?」
体操着の裾を少しだけ握りしめ、悠理は思い切って顔を上げる。
いつもなら気さくに笑い飛ばす仲なのに、今日に限っては、清四郎の深い瞳に見つめられると呼吸が止まりそうになる。
───部活、張り切りすぎたか?
そんないつもの自分に切り替えたかったが、飛び出した言葉は想定外のものだった。
「今日さ……駅前の新しいカフェに行かないか?」
ダメ?と上目遣いをする悠理は、もう見慣れたものだ。清四郎は少し意外そうに目を丸くしてから、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「悠理がずっと気にしてた店ですね?」
「それそれ。……で、二人で行かない?」
最後の言葉は、自分でも驚くほど小さく消え入りそうだった。
清四郎は一瞬だけ黙り込んだが、すぐに「行きましょう。」と短く、けれど力強く答えてくれた。悠理は破顔し、指を鳴らす。
彼が歩き出すと制服の紺色の背中がいつもより大きく見える。悠理は慌ててその背中を追いかけた。
横に並んで歩く距離。
肩と肩が触れそうな、けれど決して触れない、絶妙な隙間。
沈黙さえも心地よいその時間は、二人にとって、友達という境界線を少しだけ踏み越えた、特別な春の始まりだった。