こうして始まった二人

 

その瞬間、悠理は息をのんだ。
いつもの生徒会室(溜まり場)にある奥まった部屋。
仮眠室に併設された書斎で、清四郎の鋭い眼差しが、彼女の瞳を射抜いた。
制服の端正な襟が目の前に迫り、壁に押し付けられた背中は、冷たい木の感触を伝えている。

​「……恋人になれ?何言ってんだ……?」

悠理から漏れた声は、いつもの自分のものとは程遠く、微かに震えていた。
清四郎はクールな表情を崩さず、しかしその目の奥に静かな炎を宿し、ゆっくりと首を縦に振った。

​「言葉通りですよ。僕の恋人になってほしい……。」

悠理の​頭の中は真っ白になった。
あり得ない。
あり得ないはずだ。
何かの罰ゲームだ、と脳内で何度もリフレインする。
性格は悪いが、完璧な男。
文武両道、たまに狡く、非道な手を使うことも。その計算高さは誰もが一目を置く。
お馬鹿な自分とは住む世界の違う人間。
常にペット扱いされる女を……恋人に?
ふざけた話だ……と悠理は頭を振った。
だが、混乱によるものか、心臓が早鐘を打つ。
体温は急上昇。
ドキドキするのは清四郎の目が原因かもしれなかった。
いつにない炎を宿した真剣な瞳に、心揺さぶられる。

​「な、なに言ってんだ…?あたいなんか……おまえにとっちゃ……猿みたいなもんだろ?」

​絞り出すように問いかけた。
人生において、男に、それも清四郎に恋されるなんて事は、あまりに遠い現実だったから。
だから彼が答えに窮するのを待っていた。
一体なんの企みがあるんだ?
おふざけならこの辺にしろ。
どう考えても罰ゲームとしか思えないんだから。

​しかし、清四郎は一瞬の沈黙の後、迷うことなく答えた。
その声は静かだがこの上なく真剣で、心を揺さぶる力を持っていた。

​「理由などいくつでも挙げられますが、一番の理由は単純です。ようするに……“おまえ”だからですよ」

​「え……?」

​言葉の意味を理解することができず、再び思考停止に陥った悠理。こんなにもかけ離れた男と、万が一にでも付き合ったとしたら、毎日混乱の連続だろう、と彼女は想定した。

​「不器用なところも、時折見せる頑固さも、優しさも、もちろん馬鹿さ加減も。僕はそのすべてを知っています。長い付き合いですからね。ただ僕はそんな“おまえ”が欲しい。理由など、僕の心がそう言っている……というだけで充分です。」

「???」

​甘いささやきなどとは程遠い断言。
揺るぎない確信の前に、完全に言葉を失った悠理。
しかし度重なる混乱は、別の感情へと姿を変えていく。
彼の気持ちを更に深堀りしたくなる。

「あ、あたいがあたいのままで良いってこと?………おまえ、こんなバカで下品な女、嫌いなんじゃ……」

「そうですね。確かに苦手でしたが、今は不思議と可愛く感じるんですよ。恋は不思議ですねぇ……」

まるで他人事のような答えに、ムッとする。しかし彼は「恋」と言った。
恋をしている清四郎なぞ、天地がひっくり返っても想像できなかったが、今まさに彼は恋しているらしい。
それも自分に………この剣菱悠理に。

胸が締め付けられるような感覚に悠理の顔は紅潮し、無意識でスカートをギュッと握りしめた。
そんな悠理の頬に手を添え、清四郎の長い親指は彼女をそっと優しく撫でた。
まるで、宝物を扱うように。

​「何も不安に思わなくていい。大切にしますよ、おまえだけを。あとは答えが知りたい。これからもずっと……側にいていいですか?」

​男の懇願に、悠理は抗うことができなかった。
生まれて初めての異性からの告白。
女ならともかく、男に恋などされたことはなかった。畏怖か尊敬、そのどっちかである。
こんなストレートな愛の告白を受けたことなど一度もなかったのだ。

それも相手は清四郎。
天下無双の菊正宗清四郎だ。

もしかすると悠理は最初から抗うつもりなんてなかったのかもしれない。

彼の瞳に映る自分は、愛されていると実感し、頬を赤らめ、逃げられないと理解していたから。

​おそらくは心臓の音が彼に聞こえているだろう。どくどくと鳴る興奮のドラム。

じっくり考え、覚悟を決めた悠理は、微かに頷いた。
それは恋人になるという承諾の合図だった。

​「………わ、わぁった。いいよ……。」

その答えが後々後悔に繋がってもいい。今は目の前の男の心を掴み取りたい。

ようやく​清四郎の口元が、微かに緩んだ。
それは、勝利の笑みではなく、安堵の表情に見えた。

「ほ、ほんとに大事にするんだろうな?」

「おや、心配ですか?」

「…………そ、そりゃ……いきなり、こんなの……信じらんないから……」

「ねぇ、悠理。男は惚れた女のためなら、何でもするんですよ。そりゃあ、時々は野獣にもなりますが……。」

「や、野獣!?」

「大丈夫。今はおまえの望み通り、優しくします。」

「ん?今は……?」

そんなやり取りを中断するように、清四郎の唇は彼女のものを塞いだ。
それはもう……優しく、やさしく。

 

 

こうして二人の恋は始まり……

数ヶ月後には、周りが辟易するほど甘いカップルが出来上がるのである。