7月もそろそろ終わりを迎えるある日の夜。
美しく整えられた庭園は、菊正宗家所有の別荘地にあった。
微かに聞こえてくる祭り囃子は、地元で行われている夏祭りで、トリを飾る花火が今宵のメインイベントである。おそらくは、多くの人たちがそれぞれのポジションで今か今かと待ち侘びているはずだ。
そんな喧騒とは無縁の庭園で……
二人は先ほど飲んだ甘いお酒の余韻に浸っている。美味しい肴がずらり並んだ座卓に、悠理の心はこの上なく弾み、すべてを平らげる。別荘に呼び出された料理人は、昔日本一と称されたことがある男。和食にかけて、右に出る者はいないと評されていた。
二人が着る浴衣は清四郎の母が仕立て、帯や小物は姉、和子のチョイスだ。新婚夫婦への粋なプレゼントである。
池に浮かぶ蓮の花明かりと、石灯籠がぼんやりと足元を照らす中、悠理が空を見上げ、呟く。
「うちの父ちゃんじゃ、こうはいかないな……」
恐らくぽってり太った狸の置物や、ド派手なイルミネーションが、侘び寂びを排除した庭に変貌させるであろう。
「センスは人それぞれですからね……」
オブラートに包んだ台詞だが、剣菱万作のセンスについて行ける人間は少ない。むしろ皆無であろう。
ドーン、ドーン!
彼らの視線の先には、夜空のキャンバスに、大輪の牡丹が次々と咲き誇っている。
いよいよ始まったメインイベント。
ピンク、グリーン、そして鮮やかなゴールドの花火たち。音と光の共演だ。
「わぁ!ここ……特等席じゃん!」
「でしょう?」
清四郎の返事は、花火の音にかき消されることなく悠理の耳へと届く。
何故ならば、彼は花火など見上げていない。
その凛々しい唇は、新妻の耳元を擽るように近付けられていたからだ。
「おい… !花火、終わっちゃうだろ。」
こそばゆさと照れ隠しの為、突き放すように唇を尖らせる悠理。
その愛くるしい表情が清四郎の心を掻き乱すともしらずに───
「構いませんよ。僕の目にはもっと綺麗なものが映っていますから……」
「え?」
清四郎は悠理の片手で優しく引き寄せると、驚いた悠理の瞳が彼を見上げる。
「花火よりずっと……ね。」
清四郎の低い声は蕩けるように甘かった。
そしてその声はまるで夜の誘いかの如く、艶めいている。
「清四郎………」
赤面しつつも、まんざらでもなさそうな表情を見せる悠理。彼女はとうとう花火を諦め、清四郎の胸元に自分の額を軽く当てた。彼の鼓動は花火に負けず鳴り響き、肌はしっとり熱を帯びている。
そんな妻見下ろす清四郎の目に飛び込む美しいうなじ。
それを見た瞬間、箍が外れたように、彼は悠理の細く形よい顎を持ち上げた。
「我慢……したくありませんね。」
清四郎は呟くと、悠理の唇をまたたく間に奪う。
「……っ!?……っ……」
驚きの声を上げる隙など与えない。
そして……二人の唇が重なり合った瞬間、花火は最高潮に達する。

空を埋め尽くすほどの金色の大輪が、夜の庭を昼間のように明るく照らし出した。
強烈な光の中、二人は互いの唇に酔いしれ、更に強く抱きしめ合う。

花火の音も、
祭りの喧騒も、
全てが彼らから遠ざかってゆく。
やがて静寂が戻る頃……
「ちぇ………終わっちゃったじゃん………バカ。」
言葉とは裏腹にどこか満足げな様子で清四郎の浴衣を握りしめる悠理は、ピンク色の舌で唇の唾液を舐め取った。
「花火など、いつでもお付き合いしますよ。」
清四郎が笑う。
「ふん!………次は絶対二人で観るぞ!」
「もちろん。来年も再来年も……ずっとね。」
空では、最後の花火の余韻が静かに消えようとしていた。
しかし二人の胸には、永遠に終わらない恋の花火が大輪を咲かせている。
夜空を飾る華やかな花火。
彼らにとって、この世で最も眩しく美しい光は、互いを見つめ合うその瞳の中にしか存在しなかったのである。