薄暗い自室で、盤上の黒白に目を落とす。
碁を打つと、頭がクリアになってくる。
隣家の幼なじみはメキメキとその腕を上げているが、まだ負けるわけにはいかない。
意地になっている自分は、大人になりきれていないのだろうか。
まあ、まだ19歳だからして、未熟な部分も否めない。
冷静さを取り戻そうとしたはずの石の配置は、どこか攻撃的で、今の自分の昂ぶった心境をそのまま映し出しているようだった。

「……何を、焦っているんだか。」
溜息をつき、手元の扇子をぱちりと閉じる。
窓の外に広がる中庭の静寂が、さっきまで響いていたディスコの喧騒を遠い世界の出来事のように思わせる。
それにしても今日の悠理はひどかった。
テスト期間中だというのに、憂さ晴らしにディスコへ行きたがり、それに付き合わされた補僕たちは、良からぬ集団に喧嘩を売られ(逆かもしれない)、可憐と野梨子が標的となった挙句、当然のように大乱闘。
魅録が頃合いを見計らって警察に電話してくれたお陰で、混乱に乗じてその場から消えることが出来たが……危うく、明日の試験を受けられない羽目になるところだった。
ったく……あのトラブルメーカーはなんとかならないものか……。
とはいえ、わくわくする気分を否定することは出来ない。
あの野生児と過ごす刺激ある毎日。
時として命がけの事態に陥るが、有閑倶楽部として解決すると自信に繋がってゆく。
「ま……平和とは無縁ですな。」
持って生まれたトラブルメーカーの星のもと、よくぞ生き残ってきたと感心せざるを得ない。
彼女自身の性格もあるだろうが、それでも降り掛かる災は人より多い。
「目が離せない……」
ふと零れ出た自分の呟きに驚かされる。
たまに本気で憎たらしいと思えど、彼女から離れようと思ったことはない。
見て、守って、縋らせたい。
頼りある男と認識させたい。
馬鹿馬鹿しい意地ともいえるが……それが本音だ。
耳の奥にはまだ、悠理の甲高い笑い声や、窮地に立たされてもなお瞳を爛々と輝かせているあの表情が焼き付いて離れない。
無鉄砲な喧嘩好き。
自分の身に降りかかる火の粉を、楽しむかのように跳ね除けていく強さ。
その強さに惹かれているのか、それとも、自分が傍にいなければいつか本当に取り返しのつかない深みに嵌ってしまうのではないかという、身勝手な危惧か。
もしかすると、そのどちらもが自分という人間を構成する一部なのだと自覚する。
「守る、か」
その言葉を口の中で転がしてみる。
それは、かつて自分が理想としていた『余裕のある大人』の振る舞いとは、随分と趣の異なるものだ。
もっと泥臭く、もっと執着に近い。
欲望に塗れた何か──
そう、それは独占欲という言葉がしっくりきた。
盤上の碁石を拾い上げ、器に落とす。
乾いた音が室内に響く。
悠理という存在は、僕にとっての計算外だ。
どれほど論理的に思考を積み上げようとしても、彼女の言動、行動はその盤面をあっけなくひっくり返す。
でも、それでいいのかもしれない。
予定調和の人生なんて、退屈なだけだ。
有閑倶楽部として駆け抜ける日々は、予測不能なノイズに満ちている。
だが、そのノイズの渦中にいる悠理の背中を、誰よりも近くで見守る権利だけは、誰にも渡したくない。
「……まったく、世話の焼ける女です。」
苦笑しながら立ち上がり、夜空を見上げる。
月明かりが、少しだけ自分の迷いを照らしてくれたような気がした。
大人になるまでには、まだ長い時間がかかるだろう。
けれど、その過程で彼女の隣に立ち続けるという目標は、揺るぎないものだ。
さあ、次はどんな騒動が舞い込んでくるのか。
それを楽しみに待っている自分が可笑しく感じる。
期待半分、恐れ半分。
悠理の行く先へ、己の道が繋がっていると確信出来たなら、あとはもう迷っている暇はない。
「………覚悟してもらうとしますか。」
浮き立つ心を抑えながら、僕は碁盤の上の間違いないポジションに、白い石を置いた。