Get ready!

時計の針は、午前8時を回ろうとしていた。

清四郎との待ち合わせは9時。

普段なら、まだ夢の中か、あるいはタマフクに起こされて不機嫌な時間だ。

しかし今日の悠理は違った。

彼女の胸中は、戦場のような緊張と、甘い期待で渦巻いていた。

​「ええと、まずは……これだな。」

​ドレッサーの前に座り込むと、用意しておいた小さなトレイに目をやった。

そこには、鮮やかなコーラルピンクや、深みのあるボルドーなど、数種類のマニキュアが並んでいる。爪のお手入れは、女の子の基本中の基本、と可憐に嫌というほど聞かされている。

特に初デートとなれば、手元の美しさは重要、らしい。

​彼女は、ピンク色のバスローブの袖をまくり上げると、右手の人差し指にコーラルピンクのポリッシュを丁寧に塗り始めた。

はみ出さないように、慎重に。

ほんの少しのズレも許されない、真剣な表情だ。

メイドの一人に手伝ってもらえばいいと思ったが、なぜかこそばゆい気持ちになったため自分で挑戦することにした。

​「くそ、こんなにも緊張するなんて……あ、はみ出した!」

​鏡に映る自分の顔は、いつもの腑抜けた顔ではなく、驚くほど真剣な面持ちだった。

清四郎の顔を思い出すと、心臓が早鐘を打つ。

彼をがっかりさせたくない。

可愛いって思ってほしい。

今更そんなふうに思ってくれるかわからないが、恋を知ったばかりの悠理に育つ乙女心が、彼女の指先を震わせていた。

​爪を乾かしている間、彼女は心の中で、服装のシミュレーションを繰り返す。

​「オレンジ色のワンピースに……いや、それとも、もう少し落ち着いた色にするか……。」

十畳ほどある​クローゼットには、何百着もの洋服がかかっている。どれもこれも、悠理が気に入って買ったものだ。

新調したばかりのオレンジのワンピースが頭に浮かぶ。鮮やかで、元気な彼女のイメージにぴったりな一枚。

​「でも……派手すぎるかな? 清四郎は、どんなのが好みなんだ?」

長い付き合いだが、彼の好みについては全く知らない。

事実興味すらなかった。

でもこんな関係になってから、彼のすべてが知りたいと思う。

どんな髪型?

化粧は?

服装はどんなかんじが好き?

​彼女はクローゼットの奥にかかっている、淡いピンク色のスカートや、白いフリルのブラウスにも目をやった。

母親の土産だ。

たまには清楚な服装もいいのかもしれない。

しかし、せっかくの初デートだ。

自分らしさをアピールしたい。

そんな思いが、彼女をオレンジのワンピースへと引き戻す。

​「よし、オレンジで行こう! !」

​そう決意を固めると鮮やかなワンピースを手に取り、それに合わせるカーディガンや、アクセサリー、靴を、次々とソファの上に並べていく。

​「そういえばこの前、可憐がくれた指輪があったな。」

​彼女は、ベッドの上に置かれたアクセサリーケースを開けた。

家が二、三軒建つほどのジュエリーも含め、シンプルな真珠のネックレスや、ゴールドのリング、色とりどりのイアリングがぎっしりと詰まっている。

彼女は、その中から、少し小ぶりなピンクゴールドのピンキーリングを選び出し、左手の小指にはめた。

​「うん、割といい感じじゃん!」

​時計を見ると、8時半を回っていた。

急がなければ。

彼女は、オレンジのワンピースに着替え、白のカーディガンを羽織ると、鏡の前で最終チェックを行った。

髪型はいつも以上にふんわりと仕上がり、サイドに小さなピンを留めた。

メイクはナチュラルだけど、目元を強調した「勝負メイク」だ。

​「うん、完璧! これなら、あたいが世界で一番可愛い!」

​鏡の中の自分に自信満々の笑顔を向ける。

そして部屋を出ると、ドアノブに手をかけ、大きく深呼吸をした。

心臓の鼓動は確かに高まっているがしかし、その鼓動は、不安ではなく期待へと変わっている。

​清四郎は、どんな顔して待っているだろう。

少しでも可愛く映るといいな!

​彼女は部屋から最初の一歩を踏み出す。

その足取りは緊張しながらも、力強く、どこか浮足立っていた。

「五代!!車出して!!」

長く甘い午後が、今、始まろうとしている。