白波が寄せては引いてを繰り返す。
流れる音楽のように。
空は突き抜けて青く、
太陽は燦々と輝いて、
その光を浴びた彼女はやはり美しかった。
「はぁ〜、今日も良い一日だったわ。思い切ってここに永住しちゃおうかしら♡ほら、肌もつるっつる!」
エステで磨きをかけた美肌。
それに見合った青いワンピース。
可憐はどーだ!と言わんばかりに、白く滑らかな背中を見せつけた。
もちろん褒めてもらいたい相手は芝田で、美童の社交辞令には興味がない。豊満な胸を強調するホルタータイプ。普通の男なら目のやり場に戸惑う姿だろう。
しかし芝田はにっこり微笑むと、「若いお嬢さんは何を着ても似合いますね。」そんな褒め言葉で、さらりと躱した。
「相変わらずだな……くっくっ」
笑いを噛み殺す魅録に野梨子は溜息を吐く。
「馬鹿馬鹿しいですわ。あんなにも年の離れた殿方に……相手にされるはずございませんでしょ。」
「まあ、遊びならともかく、本気にはならねぇだろーな。」
可憐の健気なアプローチはいつものこと。芝田が持つ大人の色気に必死で食らいつこうとしている彼女は、確かに普段より美しく、パワーがあった。
とはいえその想いが実る確率は低い。むしろ皆無だ。
芝田の年齢と経験を考えると当然ともいえるが………。
「悠理、怪我はまだ痛みますの?」
野梨子の気遣いは無用のものだろう。テーブルに並べられた芝田手製のフルーツケーキはそのほとんどが悠理の胃袋に吸い込まれているのだから。
ろくに動けぬ鬱屈を晴らすような食欲を見せている。
「ん〜、薬が切れたらちょっと痛むけど、そんなにひどくはない。」
「ここは暖かい土地だから、化膿しないように気をつけろよ。」
「わあってるって。……あ!おっちゃん、おかわりしていい?」
芝田も悠理の化け物じみた胃袋に慣れてきたようで、「はいはい。」と素直に次のおやつを用意した。
そんな彼らの様子を横目に、清四郎は読書している振りをする。目が文字をなぞっているだけで、内容は頭に入っていない。
自分は何故あんな宣言をしてしまったのか──
後悔にも似たもどかしさが襲い、可能であるならば時間を巻き戻して欲しいとすら願う。
あんなこと……言うつもりはなかった。
清四郎の発言を聞いた芝田の顔は、驚きと苦笑と少しの憐れみ。青二才に対する愛おしさも含まれていたのだろうが、それはむしろ清四郎の高いプライドを刺激した。
(くそ……僕は一体どうしてしまったんだ)
悠理に対する想いは決して間違ってはいない。
芝田に懐く姿は腹立たしく、むくむくと芽を出す独占欲に名前を付けるとしたら……それは醜さを孕む執着と言えよう。
清四郎にとって“恋”は不可解なもので、自分の身に起こることだとは到底思えなかった。
悠理に恋をする愚かしさは、深く考えずとも解る。
彼女のベクトルは常に刺激ある世界と食べ物に向いていて、決して男女間の恋愛に興味があるわけではない。
いつまでも自由に我儘に──
“剣菱悠理”として生きていくという強い意志と覚悟が、そういったものを遠ざけているのだ。
だが……彼女の頭はごくごくシンプルに出来ていて──
万が一恋に落ちてしまったら、文字通り猪突猛進、獅子奮迅の様相で相手を捕獲することだろう。
それこそが剣菱悠理のプライド。
貪欲に大胆に、自分の番(つがい)を手に入れるはずだ。
(そう……悠理はそんな女だ。手綱を握っているつもりでも、いつかあっさり離れていく)
その時の己を想像すれば、清四郎の背中は寒々しく感じた。
いつまでも今のままではいられない。そう分かっているのに、悠理を諦められない自分がいるのだ。
「あ〜、ちょっと包帯の下、痒くなってきたかも。」
そんな声に清四郎はハッと我に返った。
芝田が「巻き直そうか」と声をかけ、悠理は「うん!」と元気よく答える。
二人が仲良く……否、親密に触れ合う姿など見たくはない。
それでも視線は無意識に追ってしまう。ただの手当てだと分かっていても、悠理に触れる男の手が許せない。
「僕がしますよ。」
清四郎は椅子から立ち上がると、まるで荷物を抱えるように悠理を抱き上げ、寝室へと連れて行く。あまりにも唐突な行動に仲間たちはポカンと見送ったが、そこに意味を見出だせる人間は一人も居なかった。
芝田だけはフッと口元を緩め、頭の後ろを掻きながら「やれやれ」と呟いていたが───
優しく下ろされた場所は、清四郎と魅録が寝泊まりする部屋だった。
荷物から救急道具一式を出す男の背中を見つめ、悠理はいつもの安心感に包まれる自分に気付く。
怪我をした時、手当てをするのは清四郎の役目で、小言を言われつつも、彼は痛みや加減を窺いながら、優しく処置してくれた。
その大きな手から繰り出される迷いのない手順。
怪我の程度はどうであれ、この男に任せておけば何の心配もいらない……それほどまでの信頼を持てる相手は清四郎だけだった。
「外しますよ。」
「あ、うん。」
太もも、それも比較的きわどい場所。出血を抑えるため、心持ちきつめに巻かれていた包帯が解かれ、彼の手に巻きつけられる。変色した血のガーゼを捲れば、痛々しい縫い目が見え、悠理は思わず目を逸らした。
「いい感じに塞がりつつありますよ。少し時間はかかるでしょうが、痕は残らないはずです。」
「そっか……別に残ってもいいけどさ。」
「いや、おまえも一応女なんだから。」
「そんなこと……ちっとも思ってないだろ?」
「………………。」
清四郎の沈黙は、彼女の心に少なからず傷をつける。
今も昔も……彼は女扱いしてくれないから。
それがほんの少し寂しい。
「………こんなにも細くて綺麗な脚をしてるのに、女じゃないなんて、さすがに思いませんよ。」
「…………え?」
消毒的を浸したガーゼが傷に染みたが、それ以上に清四郎の言葉が気にかかった。
そっと上目遣いする男と目がかち合う。
美しく整った黒い瞳。普段は何を考えているのか解らないポーカーフェイスが、今は何故か感情を押し殺すように苦しげだ。
そんな友人の表情に悠理の鼓動が跳ねるも、理由までもは思いつかない。
二人を取り巻く妖しげな雰囲気もまた、彼女の居心地を悪くさせた。
「悠理…………」
「な、なに?」
ガーゼの上で彼の指がほんの少し強張った気がする。些細な変化を感じ取りながらも、清四郎から目が離せない。
「僕はおまえが………」
ゴクン……
喉が鳴る。
「おまえが………」
吸い込まれたのか
はたまた、吸い込んだのか
言葉よりも先に近付いてきたその瞳がゆらり、欲に彩られた瞬間。
悠理の唇は彼のものと重なり
……そして静かな時間が流れていった。
続く