夢を見た───
まだあどけなさを残す女は、白い制服をゆっくりと脱ぎながら少年を見つめる。
艷やかな唇は無色のリップしか塗っていないにもかかわらず、熟れた桃のような瑞々しい色をしていた。
近づく唇。
ほんの少し甘い香りが漂い、次の瞬間には果実に触れたかのような弾力が感じられた。
数秒の接触の後、絡み合う視線。再び触れる前、彼女は少しはにかんだように告げた。
「………嬉しい。」と。
手慣れた様子のくせに、そんな純粋な台詞を吐く冴子を清四郎は驚きとともに見つめる。
キスは濃厚さを増し、彼女の細い手はブラウスのボタンを次々と外していった。
清四郎は初めてだったが、妙に落ち着いている自分が不思議で仕方なかった。冴子は美しく聡明で、色っぽさと幼さを同居させたような申し分のない相手だ。
色白で、胸も豊か。細い腰は柔らかな曲線を描き、モデルのように長い脚は傷一つシミ一つ見当たらなかった。
「………あんまり興奮しない?」
苦笑しながらも、冴子は清四郎へ触れる手を止めない。息遣いは確かに乱れている、互いに。
「………してますよ。」
ただ、主導権を握られたままというのが気に食わない。焦りを隠すよう濡れた唇を拭うと、清四郎は冴子の体をシーツの上で押し倒した。
「あっ……っ!」
「僕の好きにして……いいんですよね?」
そんな言葉を聞き、女は薄く笑う。
「うん、清四郎君になら……何されてもいいよ。」
男を誘う術を知っているのか、小指をそっと齧りながら、冴子は潤んだ目で見上げる。
そうして……清四郎は大人の階段を上った。
愛情など抱いていない女を貪るだけ貪り、興味ある体位すべてを試し、好きなタイミングで自分勝手に果てた。
啜り泣く声が、
甘く響く嬌声が、
揺れる胸が、
やらしく震える腰が……
まぶたにしっかりと焼き付く。
女とはこういうものなのか。新鮮な発見。
それでも、心が情熱に燃えることはなかった。年頃の体だけが、目の前の女を支配しようと躍起になっていた。
細く白い脚を極限まで広げ、その中心に濡れた欲望を突き立てる。途中から泣き顔すら見ていなかったかもしれない。
生身の女を知るために。どこを触れば歓ぶのか探るために、清四郎の全神経は注がれた。
目が覚めた時、まだ辺りは暗く……
清四郎は腕の中で寝息を立てる悠理を見てハッとした。ベッドの端には鮮やかなブルーのワンピースが無造作に広がっていて、そういえば昨日、悠理が、らしからぬ格好をしていたことで異様に興奮し、デートもそこそこにホテルへ連れ込んだ記憶が甦る。
部屋に入るやいなや、壁に押し付け、華奢な下着を剥ぎ取り、彼女の秘部に顔を埋めた。口全体を使いながら、慌てふためく悠理をとことん味わい、絶頂まで何度も導いた。
砕けた腰を抱きかかえ、ワンピースを捲りあげる。
「あ……やっ…!こ、こんなとこで……!」
普段は選ばないだろう衣装は、彼女の美しさを改めて感じさせるものだった。
そう……清四郎は焦ったのだ。
こんな姿で街を歩かせたくないと思ったのだ。道行く男たちが、チラチラと悠理を見つめていた。彼女の顔を、肩を、腰を、脚を……すべてを。
溌剌とした美しさ、生命の爆発的な輝き。
剣菱悠理は一般的な女性らしさよりも、個性的かつ魅力溢れる女だ。そしてそれを知る男は自分一人で良いとすら思っていた。
それなのに………
誰に導かれたのやら……
彼女を迎えに行ったとき、清四郎は頭を鈍器で殴られたような気がした。
こんな悠理を……当然のように作り上げたのは誰だ?
腹立たしさが増す。苛立ちと掻きむしりたくなる胸。
だから強引にホテルへ向かった。彼女は不安そうに見つめてきたけれど……関係なかった。
ベッドに押し倒した後も、我を忘れて貪った。理由のわからぬ男の欲望に、悠理は途中から乱れに乱れ、何度か気絶した。
清四郎の体力を見くびっていたわけではないだろうが、念入りに溶かされた身体が無抵抗で男を受け入れる。
「せぇ……しろっ………!」
最後の方は請うような目でキスを求めてくる。可愛くて、胸が高鳴りすぎて、清四郎は命を奪う勢いでそれに応えた。
眠りについたのは日付が変わってから。その時、彼女の上半身は紅色の痕跡で彩られていた。
(どうかしてるな……)
軽くため息を吐き、清四郎はサイドテーブルに置かれたグラスを手にした。セックスの最中に口にした水は、すっかり温くなっている。それでも乾いた口と喉が潤い、一息つくことが出来た。腕の中から恋人をそっと解放し、気怠い体を起こす。
下半身には甘い痺れ。悠理の中に何度も吐き出した名残だ。
「今更、あんな夢を……」
冴子との関係は悪くなかったが、だからといって続けたいものでもなかった。
うるさい姉の目も気になる。
性的知識は将来必要となるだろうが、男女の関係にはリスクもあるため、ある程度のところで終わらせたいと思っていた。まあ、それは期待通りになったわけだが。
よほど疲れたのだろう。悠理の寝息が更に大きくなっている。鼻を摘んで目を覚まさせ、再び求めるのも悪くないと思ったが、さすがに無理をさせた自覚があり、清四郎はしっかりとシーツを被せてやった。
そして自分は冷蔵庫の中から冷えたビールを取り出す。
「………目の前をチョロチョロされると厄介ですな。」
温度を下げた冷徹な目は、先程まで悠理へ注がれていたものとあまりにも違っている。ビールを飲み干し、窓の外を眺めながら、清四郎は考えあぐねるように腕を組んだ。
───────────────
その日の夜───
都内の医療関係者が集まるパーティーに冴子の姿はあった。清四郎は父親のお供で訪れていたが、1時間ほどすれば帰宅する予定だった。自慢の息子を紹介したい父親の気持ちは痛いほどわかるが、清四郎は今のところ医者になるつもりなど毛頭なかった。
悠理との未来を考えれば自ずと選択肢は決まる。大学はもちろん経営学部一択だ。
人々の喧騒から逃れるようにバルコニーへと出た清四郎は深くため息を吐く。
このような場は慣れているはずなのに、何故か肩が凝る……。
───悠理に触れていたい。暖かな彼女の隣で眠りたい。
恋に嵌った男は無意識に眉間を揉み込んだ。
そんな清四郎を見つけ、冴子は迷わず彼の後を追う。高校生とは思えない色気あるタキシード姿。知らない一面を初めて見た気分だった。
なんて男に育ったのかしら……。
会場の参加者が男女関係なく意味深な視線を送っていたこと、冴子は見逃さなかった。
自分は菊正宗清四郎を知る女───
傲慢とも言える特権意識が、彼女の足を突き動かす。心よりも早く、体は動いていた。
闇夜に煌めく街の灯りが、彼女の黒いドレスと、清四郎の仕立ての良いタキシードを浮かび上がらせる。かつての少年の面影は、今の清四郎には欠片も残っていない。
背筋は真っ直ぐに伸び、その横顔は夜の静寂よりも冷ややかで、同時に抗いがたいほど凛々しく、成熟していた。
魅力ある男……年頃の女が簡単に欲情するほどに。
「来てたのね。」
冴子は、自らの声に潜む熱を必死に抑えながら話しかけた。清四郎はゆっくりと振り返り、その黒曜石の瞳で冴子を捉えた。
しかし、そこには何の感情の波も立っていない。かつて、彼女を抱いた時と同じ。熱量のない眼差しだ。
その冷たさに、冴子の胸の奥で黒い炎が弾けた。
(ああ……何一つ変わっていない)
あの時、中学生の清四郎は彼女を「抱いた」のではない。単に、男としての最初の儀式を、目の前にいた彼女という「物体」を使って済ませたに過ぎなかった。
それを一番知っているのは冴子自身だ。
なのに今の彼の、その洗練された男らしさが、当時の彼女の記憶さえも塗り替え、歪んだ執着へと変えていく。
「お疲れ様です。」
形式的な清四郎の声は心地よい。しかしその凛とした声さえ、今は彼女を突き放すための道具のように感じられた。
冴子は一歩、そしてまた一歩、彼に近づいた。足は震えていたかもしれない、興奮で……。
二人の距離が危険なほど縮まる。そして、彼女の完璧に手入れされた清潔な指先が、躊躇なく清四郎のタキシードの胸元に触れた。
「……貴方が欲しいわ。」
冴子は上目遣いで彼を見つめ、声のトーンをわずかに落とす。この声と視線に元夫は一発でノックアウトした。
「こんなにも悪い男に育つなんて……私がこうなったのは貴方のせいね。」
言いがかりにもほどがある。
清四郎は、彼女の指が触れた場所を無関心に見つめ、そして静かに、しかし明確にその手を振り払った。
「以前も言いましたが、もう僕に関わらないでください。貴女は僕にとって、過去の記憶の一部でしかない。」
だがその拒絶が、冴子の心をさらに煽った。
(恋人がいるから……? だから何?)
冴子は知っている。彼が愛しているというその恋人は、彼にとっての「最初」ではない。
稚拙な行動と言動。
美人ながらも頭の悪そうな少女。
彼に生々しい快楽と女の良さを教えたのは、間違いなく自分であり、彼女ではない。
その事実だけは、誰にも奪えないはずだ。
二人きりの甘く、艶めかしい思い出を汚す者は許さない。
「……そんな言葉で終わらせてほしくないわ!」
冴子は振り払われた手を再び、今度は清四郎の首筋へと伸ばした。
彼の首の後ろに手を回し、自分の体すべてを彼に押し付ける。

「記憶の一部……そう、私もそうだった。でも忘れられない……忘れるわけがないわ。だって……私も清四郎君が初めてだったから。忘れられるはずがないじゃない!」
押し殺した叫びに、清四郎の瞳が揺れ動く。それは想定外の発言。
あの慣れた雰囲気の女子高生が……まさか!?
清四郎はにわかに信じられない現実に顔を歪めた。奥歯に力をこめて……。
冴子は更に清四郎の冷徹な仮面を剥がそうと躍起になる。
「年上ぶってたけど……貴方が初めての男なのよ。」
鍛えられた胸板へ縋り付くように体を押し付ける冴子。清四郎は苦々しい目で彼女を見下ろした。
(この女は、何を求めている?)
目の前の冴子の熱情は、彼にとって虚しいものでしかない。過去の関係が今更なんだというのだろう。それぞれの道を歩む二人が、この先、交じり合うことはない。
「冴子さん……。」
清四郎は冴子の細い腕を今度ははっきりと、掴んで外した。そして彼らしい主張を口にする。
「あの時のことはただの『経験』だ。貴女が誰であろうと関係なかった。そして、今の僕にとって、貴女はただの『過去』だ。それ以上でも、それ以下でもない。今、僕が心底欲しいと思う女は……悠理だけなんですよ。」
その言葉は、冴子のプライドを完膚なきまでに打ち砕いた。
しかし、彼女の瞳から執着の炎は消えない。ゆらゆらと薪の残り火のように燃え続ける。
「だから何だって言うの?私はあの子より劣っているとは思わないわ。自分の力で今の地位も得たし、これからも貴方の支えになれる!何故!?何故あの子を選ぼうとするの?」
冴子は、彼が離した手で再びドレスの裾を整えた。
眼光が鋭さを増す。
冴子の美しさが拍車をかけ、その表情はもはや拒絶された哀しみなどではなく、獲物を狙うハンターのそれへと変わっていた。
「貴方が言うその『過去』を、もう一度『現在』に書き換えてあげる。……どんな手を使ってでもね。」
「これ以上、過去に囚われないでください……。軽蔑しますよ。」
清四郎は彼女の宣言に、ただ一瞥をくれると、そのまま迷いなくバルコニーから室内へと戻っていった。
一人残された冴子は、彼が去ったドアを見つめながら、その凛々しい背中を自らの手で再び汚し、自分のものにする瞬間を夢想する。
「大丈夫。まだ……始まったばかりだから。」
彼女の呟きを聞いた者はいない。
たった一人を除いて………