忘れられない女(5)

忘れられない女(4)

 

 

 

夢を見た───

まだあどけなさを残す女は、白い制服をゆっくりと脱ぎながら少年を見つめる。

艷やかな唇は無色のリップしか塗っていないにもかかわらず、熟れた桃のような瑞々しい色をしていた。

近づく唇。

ほんの少し甘い香りが漂い、次の瞬間には果実に触れたかのような弾力が感じられた。

数秒の接触の後、絡み合う視線。再び触れる前、彼女は少しはにかんだように告げた。

「………嬉しい。」と。

手慣れた様子のくせに、そんな純粋な台詞を吐く冴子を清四郎は驚きとともに見つめる。

キスは濃厚さを増し、彼女の細い手はブラウスのボタンを次々と外していった。

清四郎は初めてだったが、妙に落ち着いている自分が不思議で仕方なかった。冴子は美しく聡明で、色っぽさと幼さを同居させたような申し分のない相手だ。

色白で、胸も豊か。細い腰は柔らかな曲線を描き、モデルのように長い脚は傷一つシミ一つ見当たらなかった。

「………あんまり興奮しない?」

苦笑しながらも、冴子は清四郎へ触れる手を止めない。息遣いは確かに乱れている、互いに。

「………してますよ。」

ただ、主導権を握られたままというのが気に食わない。焦りを隠すよう濡れた唇を拭うと、清四郎は冴子の体をシーツの上で押し倒した。

「あっ……っ!」

「僕の好きにして……いいんですよね?」

そんな言葉を聞き、女は薄く笑う。

「うん、清四郎君になら……何されてもいいよ。」

男を誘う術を知っているのか、小指をそっと齧りながら、冴子は潤んだ目で見上げる。

そうして……清四郎は大人の階段を上った。

愛情など抱いていない女を貪るだけ貪り、興味ある体位すべてを試し、好きなタイミングで自分勝手に果てた。

啜り泣く声が、

甘く響く嬌声が、

揺れる胸が、

やらしく震える腰が……

まぶたにしっかりと焼き付く。

女とはこういうものなのか。新鮮な発見。

それでも、心が情熱に燃えることはなかった。年頃の体だけが、目の前の女を支配しようと躍起になっていた。

細く白い脚を極限まで広げ、その中心に濡れた欲望を突き立てる。途中から泣き顔すら見ていなかったかもしれない。

生身の女を知るために。どこを触れば歓ぶのか探るために、清四郎の全神経は注がれた。

 

 

 

目が覚めた時、まだ辺りは暗く……

清四郎は腕の中で寝息を立てる悠理を見てハッとした。ベッドの端には鮮やかなブルーのワンピースが無造作に広がっていて、そういえば昨日、悠理が、らしからぬ格好をしていたことで異様に興奮し、デートもそこそこにホテルへ連れ込んだ記憶が甦る。

部屋に入るやいなや、壁に押し付け、華奢な下着を剥ぎ取り、彼女の秘部に顔を埋めた。口全体を使いながら、慌てふためく悠理をとことん味わい、絶頂まで何度も導いた。

砕けた腰を抱きかかえ、ワンピースを捲りあげる。

「あ……やっ…!こ、こんなとこで……!」

普段は選ばないだろう衣装は、彼女の美しさを改めて感じさせるものだった。

そう……清四郎は焦ったのだ。

こんな姿で街を歩かせたくないと思ったのだ。道行く男たちが、チラチラと悠理を見つめていた。彼女の顔を、肩を、腰を、脚を……すべてを。

溌剌とした美しさ、生命の爆発的な輝き。

剣菱悠理は一般的な女性らしさよりも、個性的かつ魅力溢れる女だ。そしてそれを知る男は自分一人で良いとすら思っていた。

 

それなのに………

誰に導かれたのやら……

彼女を迎えに行ったとき、清四郎は頭を鈍器で殴られたような気がした。

こんな悠理を……当然のように作り上げたのは誰だ?

腹立たしさが増す。苛立ちと掻きむしりたくなる胸。

だから強引にホテルへ向かった。彼女は不安そうに見つめてきたけれど……関係なかった。

ベッドに押し倒した後も、我を忘れて貪った。理由のわからぬ男の欲望に、悠理は途中から乱れに乱れ、何度か気絶した。

清四郎の体力を見くびっていたわけではないだろうが、念入りに溶かされた身体が無抵抗で男を受け入れる。

「せぇ……しろっ………!」

最後の方は請うような目でキスを求めてくる。可愛くて、胸が高鳴りすぎて、清四郎は命を奪う勢いでそれに応えた。

眠りについたのは日付が変わってから。その時、彼女の上半身は紅色の痕跡で彩られていた。

(どうかしてるな……)

軽くため息を吐き、清四郎はサイドテーブルに置かれたグラスを手にした。セックスの最中に口にした水は、すっかり温くなっている。それでも乾いた口と喉が潤い、一息つくことが出来た。腕の中から恋人をそっと解放し、気怠い体を起こす。

下半身には甘い痺れ。悠理の中に何度も吐き出した名残だ。

「今更、あんな夢を……」

冴子との関係は悪くなかったが、だからといって続けたいものでもなかった。

うるさい姉の目も気になる。

性的知識は将来必要となるだろうが、男女の関係にはリスクもあるため、ある程度のところで終わらせたいと思っていた。まあ、それは期待通りになったわけだが。

よほど疲れたのだろう。悠理の寝息が更に大きくなっている。鼻を摘んで目を覚まさせ、再び求めるのも悪くないと思ったが、さすがに無理をさせた自覚があり、清四郎はしっかりとシーツを被せてやった。

そして自分は冷蔵庫の中から冷えたビールを取り出す。

「………目の前をチョロチョロされると厄介ですな。」

温度を下げた冷徹な目は、先程まで悠理へ注がれていたものとあまりにも違っている。ビールを飲み干し、窓の外を眺めながら、清四郎は考えあぐねるように腕を組んだ。

 

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その日の夜───

都内の医療関係者が集まるパーティーに冴子の姿はあった。清四郎は父親のお供で訪れていたが、1時間ほどすれば帰宅する予定だった。自慢の息子を紹介したい父親の気持ちは痛いほどわかるが、清四郎は今のところ医者になるつもりなど毛頭なかった。

悠理との未来を考えれば自ずと選択肢は決まる。大学はもちろん経営学部一択だ。

 

人々の喧騒から逃れるようにバルコニーへと出た清四郎は深くため息を吐く。

このような場は慣れているはずなのに、何故か肩が凝る……。

───悠理に触れていたい。暖かな彼女の隣で眠りたい。

恋に嵌った男は無意識に眉間を揉み込んだ。

そんな清四郎を見つけ、冴子は迷わず彼の後を追う。高校生とは思えない色気あるタキシード姿。知らない一面を初めて見た気分だった。

なんて男に育ったのかしら……。

会場の参加者が男女関係なく意味深な視線を送っていたこと、冴子は見逃さなかった。

自分は菊正宗清四郎を知る女───

傲慢とも言える特権意識が、彼女の足を突き動かす。心よりも早く、体は動いていた。

​闇夜に煌めく街の灯りが、彼女の黒いドレスと、清四郎の仕立ての良いタキシードを浮かび上がらせる。かつての少年の面影は、今の清四郎には欠片も残っていない。

背筋は真っ直ぐに伸び、その横顔は夜の静寂よりも冷ややかで、同時に抗いがたいほど凛々しく、成熟していた。

魅力ある男……年頃の女が簡単に欲情するほどに。

​「来てたのね。」

​冴子は、自らの声に潜む熱を必死に抑えながら話しかけた。清四郎はゆっくりと振り返り、その黒曜石の瞳で冴子を捉えた。

しかし、そこには何の感情の波も立っていない。かつて、彼女を抱いた時と同じ。熱量のない眼差しだ。

​その冷たさに、冴子の胸の奥で黒い炎が弾けた。

​(ああ……何一つ変わっていない)

​あの時、中学生の清四郎は彼女を「抱いた」のではない。単に、男としての最初の儀式を、目の前にいた彼女という「物体」を使って済ませたに過ぎなかった。

それを一番知っているのは冴子自身だ。

なのに今の彼の、その洗練された男らしさが、当時の彼女の記憶さえも塗り替え、歪んだ執着へと変えていく。

​「お疲れ様です。」

形式的な​清四郎の声は心地よい。しかしその凛とした声さえ、今は彼女を突き放すための道具のように感じられた。

​冴子は一歩、そしてまた一歩、彼に近づいた。足は震えていたかもしれない、興奮で……。

二人の距離が危険なほど縮まる。そして、彼女の完璧に手入れされた清潔な指先が、躊躇なく清四郎のタキシードの胸元に触れた。

​「……貴方が欲しいわ。」

​冴子は上目遣いで彼を見つめ、声のトーンをわずかに落とす。この声と視線に元夫は一発でノックアウトした。

​「こんなにも悪い男に育つなんて……私がこうなったのは貴方のせいね。」

言いがかりにもほどがある。

​清四郎は、彼女の指が触れた場所を無関心に見つめ、そして静かに、しかし明確にその手を振り払った。

​「以前も言いましたが、もう僕に関わらないでください。貴女は僕にとって、過去の記憶の一部でしかない。」

だが​その拒絶が、冴子の心をさらに煽った。

​(恋人がいるから……? だから何?)

​冴子は知っている。彼が愛しているというその恋人は、彼にとっての「最初」ではない。

稚拙な行動と言動。

美人ながらも頭の悪そうな少女。

彼に生々しい快楽と女の良さを教えたのは、間違いなく自分であり、彼女ではない。

その事実だけは、誰にも奪えないはずだ。

二人きりの甘く、艶めかしい思い出を汚す者は許さない。

​「……そんな言葉で終わらせてほしくないわ!」

​冴子は振り払われた手を再び、今度は清四郎の首筋へと伸ばした。

彼の首の後ろに手を回し、自分の体すべてを彼に押し付ける。

​「記憶の一部……そう、私もそうだった。でも忘れられない……忘れるわけがないわ。だって……私も清四郎君が初めてだったから。忘れられるはずがないじゃない!」

押し殺した叫びに、清四郎の瞳が揺れ動く。それは想定外の発言。

あの慣れた雰囲気の女子高生が……まさか!?

清四郎はにわかに信じられない現実に顔を歪めた。奥歯に力をこめて……。

冴子は更に清四郎の冷徹な仮面を剥がそうと躍起になる。

「年上ぶってたけど……貴方が初めての男なのよ。」

​鍛えられた胸板へ縋り付くように体を押し付ける冴子。清四郎は苦々しい目で彼女を見下ろした。

​(この女は、何を求めている?)

​目の前の冴子の熱情は、彼にとって虚しいものでしかない。過去の関係が今更なんだというのだろう。それぞれの道を歩む二人が、この先、交じり合うことはない。

「冴子さん……。」

​清四郎は冴子の細い腕を今度ははっきりと、掴んで外した。そして彼らしい主張を口にする。

​「あの時のことはただの『経験』だ。貴女が誰であろうと関係なかった。そして、今の僕にとって、貴女はただの『過去』だ。それ以上でも、それ以下でもない。今、僕が心底欲しいと思う女は……悠理だけなんですよ。」

​その言葉は、冴子のプライドを完膚なきまでに打ち砕いた。

しかし、彼女の瞳から執着の炎は消えない。ゆらゆらと薪の残り火のように燃え続ける。

​「だから何だって言うの?私はあの子より劣っているとは思わないわ。自分の力で今の地位も得たし、これからも貴方の支えになれる!何故!?何故あの子を選ぼうとするの?」

​冴子は、彼が離した手で再びドレスの裾を整えた。

眼光が鋭さを増す。

冴子の美しさが拍車をかけ、その表情はもはや拒絶された哀しみなどではなく、獲物を狙うハンターのそれへと変わっていた。

​「貴方が言うその『過去』を、もう一度『現在』に書き換えてあげる。……どんな手を使ってでもね。」

「これ以上、過去に囚われないでください……。軽蔑しますよ。」

​清四郎は彼女の宣言に、ただ一瞥をくれると、そのまま迷いなくバルコニーから室内へと戻っていった。

一人残された冴子は、彼が去ったドアを見つめながら、その凛々しい背中を自らの手で再び汚し、自分のものにする瞬間を夢想する。

「大丈夫。まだ……始まったばかりだから。」

彼女の呟きを聞いた者はいない。

たった一人を除いて………