Sweet Memory(本編)

その日から悠理と僕の距離は徐々に近くなり、二ヶ月が過ぎた頃、ようやくデートらしきものに出かけた。
世間はバレンタインデー一色。
もちろん悠理のファン達(女)は、気が狂ったように大量のチョコレートを差し出す。
一体どんな見返りを期待しているのやら。

僕自身もそれなりに貰ってはいたが、甘いモノは基本苦手なため、彼女の底なしの胃袋へと寄付してやった。
それなのに……………

「あたいって恋人が居るくせに、ウハウハ貰ってんじゃねぇ!」

「その“恋人とやら”からは、ヒトカケラのチョコすら頂いていませんが?」

「!!!」

心底バツの悪そうな顔をした悠理に、思わず笑いがこぼれる。
まあ、このくらいのイヤミは許されるだろう。
何せ僕は“恋人”なのだから。

「気にしてませんよ。」

そう言って頭を撫でようとしたところ、しかし悠理は突然決意したように僕を見上げ、キュッと口を結んだ。

一瞬の出来事。
ドンとぶつかる胸と胸。
お詫びのつもりなんだろうか?
香り高いチョコ風味の唇で僕のものを塞いだ後、「好きだよ」と小さな声で告白した。

二人にとって、これこそが初めてのキス。
ちなみにまともな告白もこれが初めてだった。

いじらしい行動に突如として愛しさが膨れ上がる。
この男か女か分からなかった生き物が、とびきり甘い存在へと変わる。
誰にも譲れない。
譲りたくない。
自分でも驚くほど心の展開は速く、男としての我欲がムクムクと湧き上がって来た。

「……足りませんよ。」

そう言って赤面する悠理の頬を掴み、ここぞとばかりに唇を貪る。
ほんのり怯えた甘い舌を舐め尽くす勢いで、絡め取る。
優しさを与えるより、奪いたかった。
そして男であることを意識させたかった。
僕以外の全てを消し去りたい!
そんな野蛮な思いが膨らんでしまう中で。

「ぷはっ……ぁ……!」

呼吸困難寸前。
かろうじて逃してやる。
真っ赤な顔と涙目と、ほんの少しの恍惚。
心臓が飛び出てきそうなくらい、激しい鼓動が伝わってくる。

「な、なっ……!」

初心者には荷が勝ちすぎたかもしれない。
僕は、テンパっている彼女に悪態を吐く暇を与えず、そっと告げた。

「こんなチョコなら………どれだけ甘くてもいけそうです。」

そして今度はゆっくりと重ね合う。

二人がほんの少しだけ、“恋人らしい”雰囲気になったその日。
互いの気持ちがより明らかになった事で、僕は密かな満足感を感じていた。



そして春。
多くの新入生を受け入れた大学部は、サークルの勧誘で賑わっていた。
美童と可憐は新入生の世話役を買って出、時折めぼしい新芽にちょっかいを出す。
華やかな二人に外部から来た学生たちは皆色めき立ち、内部からエスカレーター式に上がってきた奴らは当然のようにファン倶楽部に入会した。

あれから悠理の表情に“憂鬱さ”は見あたらず─────
元通り、活き活きとした笑顔が周りを明るく照らし、むしろ恋を知ったが故の魅力が増大していた。
元々性格も考え方も違う二人なので、時折ぶつかりはしたものの、互いの気持ちがはっきりしている以上、仲直りも早く……僕自身、その変化しきった関係性に驚くほかなかった。
賭事を楽しむ閑人たちの望むような結果にはしたくない。
そんな思いもあったのだろうが。

春が過ぎ、汗ばむ夏が顔を覗かせた頃、悠理は1人の男と接近した。
というか向こうが意図的にやってきたのだ。

相手は少々野心が強めな30歳の青年実業家。
剣菱の事業とも僅かながら関わり合いのある男だった。
大利根 貢(おおとねみつぐ)は精力的な感じの二枚目で、親から受け継いだ莫大な遺産を五倍にまで膨らませた経歴の持ち主だ。
当然、経済誌からも引っ張りだこ。
女に不自由したことはなさそうだが、どことなく毒のある雰囲気が、華やかな蝶達を集める結果となるのだろう。
とにかく、剣菱主催の慈善パーティで、奴は悠理を見つけるなり気安く声をかけてきた。
いつも通り、大きな肉にかぶりつく彼女の姿を見ても動じぬままに。

僕はその時、とある親日家のイギリス人画家と話し込んでいて全く気付かなかった。
知ったのはパーティが終わってから。
可憐がコソッと教えてくれたのだ。

「あの女たらし、今回は悠理がターゲットみたいよ。もちろん”家ごと全部“って感じだけど。あんたも少しは気をつけなさい。あの手の男はほんと手段なんて選ばないんだから。」

その忠告を聞き流すことは流石に出来ない。
悠理への注意を促すと共に、僕自身も神経を張りつめることとなった。

しかし夏休みが始まって直ぐの頃。
ゼミの教授のお伴としてアメリカに同行せざるを得なくなり、結局、仲間たちに頼み込んだ上で悠理から離れてしまう。
期間は3週間。
今思えば連れて行けばよかったのだ。
たったそれだけのことを、僕はその時怠った。

奴は積極的に悠理を誘い、あの手この手で興味を惹こうとしたらしい。
最初は断っていたものの、暇を持て余していた悠理はつい、彼の大型クルーザーでシャチを観に行く誘惑に負け、参加してしまった。
おじさんや有閑倶楽部の面々も居たため、特に危機感も抱かなかったのだろう。
雄大な知床の海で純粋に大自然を楽しんでいたに違いない。
シャチの迫力ある姿に興奮していたに違いないのだ。

その日の夜は当然の如くどんちゃん騒ぎ。
剣菱親子を招くということはそういうこと。
酒を飲み、飯を食らい、何の障害物もない夜空を見上げ、星々の輝きを楽しむ。
そんなロマンチックなシチュエーションに、奴は悠理を上手く連れ出し、歯の浮くような甘い言葉を散々吐いたのだろう。
腰に腕を絡ませ「君が欲しい」とでも言ったはず。
下心を隠し、愛を告げる事など、彼にとっては朝飯前だろうから。

もがく悠理を奴の腕は離さなかった。
しこたま飲んだ酒が一瞬の動作を緩慢にする。
逃げようとする悠理の頬を引き寄せ、唇を奪うなど…………あまりにも容易いミッションだ。
酒に酔った彼女は隙だらけ。
想像するだけで頭痛を覚える。

その現場を偶然目撃してしまったのは、魅録と可憐だった。

「ちょっと!あんたたち何してんのよ!?」

金切り声をあげる可憐に気付き、男はスマートに悠理を解放する。
その次に送り込まれた鉄拳も難なくかわし、「ごちそうさま」と満足そうな笑みを湛えながら。

慌てて魅録の背後に逃げ込んだ悠理を見て、奴もその場を引き上げるしかなかった。
それ以上の執着はトラブルに発展すると踏んだのだろう。
「あほっ!」と魅録の拳骨を食らい、涙目になった悠理を、可憐もまた小突く。

「何考えてんの?バカ!」

「だ、だってぇ………」

すっかり酔いの醒めた泣き顔は、罪悪感に青くなっていたと思う。
悠理が悪いわけではない。
だが………己の強さを過信し油断したことは、もちろん反省してもらわねば困る。

帰国した僕を、まるでミノムシのような小ささで出迎えた悠理。
可憐からあらかたの話を聞いていたため、怒りは新鮮ではなかったものの、それでも懇々と説教せざるを得なかった。

「少しは危機意識を持ちなさい。何故、その余りある野生の本能を使わないんです?」

「…………わ、悪かったよ。」

悠理自身、ショックに加え、強い不快感を抱く出来事だったらしい。
いつになく素直に謝り、僕へと擦りついてきた。
飼い猫を見習ってか、その姿は男心を擽るに十分なもので、つい余計な“出来心”とやらも刺激してくれる。

「なら、おまえから口づけを………」

「………え?」

「いつもしていたように……」

指でトントンと唇をさせば、悠理は真っ赤になりながら、他に誰もいないはずの自室を見回した。

「あ、あたいから?」

「そう。出来るでしょう?」

あれほど教え込んだのだから、出来て当然。
そっと近付いてくる彼女の目をじっくり見つめていると、「恥ずかしいから閉じて?」と可愛いおねだり。
まったく…………
男を煽る天然技には心がグラグラさせられる。
言うことを聞きそっと閉じれば、悠理のしっとりした唇が震えながらも強く密着してきた。

甘いフェロモンのような香りが広がり、目が眩む。
そろっと出した舌先が僕の唇を割り込んでくる感触は、下半身に直結するほど心地好い。
思わず彼女の腰を引き寄せ、背骨から尾てい骨をなぞると、「ぁ…んん」と切なげな声を出し、口を開けた。
すかさずその中へ忍び込む。
馴染んだ舌がやらしくもつれ合うのに時間はかからなかった。
深まるキスに欲望は燃え上がり、その先へと進みたくなる。
尾てい骨に触れていた指が部屋着の中へと侵入し、下着の柔らかな布をあっさり捉えた。

ビクッ

笑えるほど反応する躰。
きつく拘束し、更に舌の付け根を攻め立てる。
卑猥な動きで悠理の思考をあやふやなものにし、更なる欲望を引き出せば、彼女の腰は呆気なく簡単にくったりと脱力する。
問題はこの先へ進むかどうか、僕の意志次第だった。

「悠理…………どうする?」

それでも一応、相手の心づもりを知ろうと尋ねる。
悠理の潤んだ目が「なんのこと?」と語っていたが、さすがにこの状況である。
頬を一気に紅潮させ、目をあちらこちらへ泳がせてしまった。

「あ、あ、あたい………その……」

「まだ気持ちがついてきませんか?」

不安そうな表情に心が透けて見える。

「…………せぇしろは?」

愚問だ。
したいに決まっている。
半年もの間、数え切れぬほど眠れない夜を過ごし、1人悶絶していた。
強引に事を押し進めても楽しめるはずがない。(僕はそれなりに楽しいけれど)
こういうことはある程度、本人の覚悟がなければ意味がないのだ。

そう思い、我慢してきた僕へなんという質問。

「今すぐにでも……無茶苦茶にしてやりたいと思ってますよ。」

抱き寄せた腰をさらに密着させ、触れたままの下着の内側へそっと指を差し入れる。

「!!」

「おまえの全てを感じてみたい。」

男の欲望を露骨に見せつけることは躊躇われたが、それでも彼女に本心を知って欲しかった。
どんなに強く先へと進みたいかを。

「あ、あたい………清四郎が好きだ。」

「ええ。」

「でも………え、エッチするのは………その…………」

”怖い“とでも言いたいのだろうか?
彼女は割と古風な部分があるし、何よりもこんな誘いは初めてのことだろう。
周りの環境から耳年増であることは確かだが、経験はゼロ。
そう簡単に身体を開けないのも理解出来る。

その時の僕はそんな風に誤解していた。

「エッチは怖い?」

「違う。怖いんじゃなくて………」

躊躇う言葉。
視線を彷徨わせながら、それでも何かを覚悟したように、悠理は僕の頬を両手で包み込んだ。

「結婚。」

「………え?」

「あたいと結婚するつもりなら……何してもいいよ。」

「…………!!」

照れながらも、それは真剣な面持ちだった。
驚くべき事態。
まさかのプロポーズ。

もちろん遊びのつもりで交際しているわけではなかったし、いつかは互いの将来を語り合おうと思っていた。
大学生の身で悠理を養うには力量不足な為、卒業するまでに形になる何かを手に入れたかったのは確かだ。
結婚を申し込むにしても手順を踏んだ後、皆の祝福を受け────そう思っていたのに。
まさか彼女からプロポーズされるとは思いもしない。

「………僕と、結婚してもいいんですか?」

「い、いいに決まってんだろ?」

“じゃなきゃ………キスだってしない”

そう囁いて、悠理は僕の唇を塞いだ。

究極に甘いキス。

幸福に満たされた最高の記憶。