※何気ない朝
「最近、目覚めがいいようですね。」
新婚カップル、といっても長い付き合いである。
お互いの事は充分すぎるほど知り尽くしているわけで………
もちろん、悠理の朝がめっぽう弱いことを清四郎は強く認識していた。
「んー。そーいや、そうかも。勝手に目が覚めるんだ。今日も目覚まし鳴らなかったろ?」
夫婦の寝室には大理石の洗面台がダブルで配置されている。
右が悠理、左が清四郎。
誰が決めたわけでもなく、何となくそれが定位置となっていた。
いくら悠理が決められた時間通りに起きても、清四郎はその一時間前にきっかり目覚めている。
剣菱邸の周りを軽くジョギングし、拳法の呼吸法を30分ほどこなしてからシャワーを浴びるのが彼の日課だった。
髪型を整え、朝食前のラフな格好で新聞五紙に目を通す。
と同時に、アメリカ市場の動きをパソコンでチェックし、早々に持ち株のポジションを決断するのだ。
高校時代からの趣味だった株取引も、今や都内のタワーマンションの一室を即買い出来るほどの結果を弾き出している。
彼から指南を受けていた母親もほくそ笑んでいることだろう。
とはいえ、“万作”から与えられている不動産は桁違いの物件ばかり。
剣菱財閥の婿として、何不自由ない生活を送っている為、あくまでマネーゲームしかない。
「和尚に随分としぼられているようだが、体力的にきついんじゃないか?」
「まあな。でも最近は慣れてきたよ。んなことより師範代の稽古が厳しいのなんのって。」
昔から“強さ”を求める悠理が、本格的に鍛錬を積み始めたのは三年前のこと。
新宿でのさばる中華系マフィアの一味に因縁をつけられ、案の定喧嘩をし、その時対峙した同年代の女に敗北を期したのがきっかけだ。
女に負けるなんて屈辱の極みである。
しかも相手は拳法使いで、途中から参戦した清四郎によって何とか封じられたものの、悠理では全く歯が立たなかったのも悔しさの要因だ。
地道な特訓など性に合わないと言っていた彼女が、今や道場の掃除やメンテナンスを一手に担っている。
和尚のホクホク顔が目に浮かぶ。
「あまり無理しないように………といっても無駄でしょうけどね。ただ、怪我には充分気を付けてくださいよ。夫として頼みます。」
負けん気と食い気は人一倍。
頑固ともとれる妻のモチベーションを、清四郎は敢えて下げたりはしなかった。
「だいじょぶだよ。」
パジャマ姿の悠理を抱き寄せ、頬にキスを。
鏡に映る甘ったるい自分たちの姿に、違和感を覚えなくなったのはいつからだろう。
元来照れ屋なはずの妻も、自然と夫を受け入れ、その身を預ける。
守られるだけの女ではないことは重々承知だ。
トラベルの星の下に生まれついたせいか、厄介事は黙っていても向こうからやってくる。
そのためには『強さ』が必要不可欠。
もちろん自分の次に━━━━
「あと、知らない人間に誘われてもヒョイヒョイついていかないこと。そういえばこの間もフランスで…………」
「わ、わあってるってば!」
甘い空気の代わりにやって来たのはお経よりも長い小言。
爽やかな朝の空気の中、世界一強いカップルの一日はこうして始まりを迎えるのである。