週明けの通学路は普段通りの混雑を見せていて、悠理は我先に車から飛び出すと、黒髪の仲間達の肩を叩いた。
「おっす!」
「おはよう。」
「おはようございます。今日も元気ですわね。」
背後から可憐と美童もやってくる。一晩中バイク修理していた魅録だけはどうやらサボるらしく、朝方悠理の携帯にメールが届いていた。
今日は、今日こそは自分たちの関係を仲間に伝えなくてはいけない。
80%の照れと20%の不安。緊張に包まれる悠理は、武者震いしていた。
大丈夫、清四郎がいるもん──
朝の部室に集まる仲間たちは、可憐が淹れる極上のコーヒーを味わう習慣が身に付いている。今日はモカマタリ。酸味が少なく薫り高い一杯に、皆は満足そうに頷き、可憐の腕前を褒めた。
「そういえば‥‥」
そんな矢先、口を開いたのは清四郎だ。まるで朝のニュースを伝えるかのような落ち着き払った声で、彼は爆弾発言を投下する。
「先週から悠理と付き合うことになりました。よろしくお願いします。」
「「「‥‥‥‥‥‥‥??」」」
三人の思考が停止する。悠理にもわかるようにはっきりと。
特に可憐と野梨子は完全にフリーズし、ぽかんと口を開けていた。
当然の反応だ、と悠理は思った。なにしろ先週、“達也”という男を恋人として紹介したばかり。彼の幸せそうな笑顔は未だ彼女たちの瞼に焼き付いていることだろう。
そんな中、先陣を切ったのは美童だった。美しい眉を顰め、瞳を曇らせる。
「清四郎………確かにおまえらしいけどね。さすがにちょっと早すぎやしないか?」
唆したのは確かに自分であるからして、美童としても達也に申し訳が立たない。
だが、よくよく考えれば、相手は清四郎である。チェス盤に並ぶ駒をひっくり返すことに何ら苦労しない男だ。勝ち目など無いに等しい。
「大人しく指を咥えているつもりはありませんでしたからね。早速美童のアドバイスを実行したまでです。」
「いや、でも………」
どんなあくどい手を?
彼の目に浮かぶ疑問を払拭するべく、清四郎が悠理を見つめ微笑んだ。
「ちょっとした行き違いはありましたけれど、僕たちはきちんと両想いでした。結果として彼には退場願いましたが、それも穏便に………ね?悠理。」
「あ?ああ………そう、穏便に………」
穏便………あれを穏便というのかは分からないが、悠理は達也の怒りにまかせた口づけについて、報告していない。
あのことだけは胸の内に秘めておく必要があると、恋愛経験皆無の彼女とて理解していたのだ。
もしバレたら………達也は翌日東京湾に浮かぶかもしれない。
「ちょ、ちょっと待ってよ。あんた彼の事、好きだったんじゃないの?」
ようやく覚醒した可憐が金切声をあげる。
「あ………えと、やっぱ勘違いだったみたい。」
己の罪を告白するのはさすがにきつい。悠理はへへっと頭を掻きながら、俯いた。
「………あの方は、悠理に恋してらっしゃったと思うんですけど、本当に納得されましたの?」
美しい眉をへの字に変え、野梨子が窺う。そこへ助太刀を出したのはやはり清四郎だった。
「彼の片想いだったようです。もちろん流された悠理にも非はありますが、その辺はきちんと清算したのでこの話はこれで終いにしましょう。」
さすがにそこまで言われては追及できず、野梨子と可憐は清四郎と悠理の関係性に話題をシフトさせた。
「と、とにかく、あんたはいつから悠理を好きだったのよ!」
「それはもう思い出せないほど昔からですね。僕自身自覚したのは高校に入ってからだと思います。」
「清四郎ったら、わたくしにも隠していましたのね。」
「言えば、気まずさに苦労するのが目に見えてましたし、何よりも悠理に伝わることを恐れていたんです。僕も存外臆病なんですな。」
質疑応答をきちんとこなし、清四郎は美童を見据える。
「ともあれ美童、ありがとうございました。背中を押してくれたのはあの一言です。感謝しています。」
「お、おまえに感謝されたら、空から槍が降ってきそうだよ。」
笑いに包まれる部室。皆の穏やかな雰囲気に一番安堵しているのは悠理だ。
「恥ずかしいけどあたい、清四郎が好きみたいだから、その………ずっと仲良くしていきたいんだ。応援してくれよな。」
顔を真っ赤にした悠理の精一杯の告白は可憐と野梨子の母性をくすぐる。
「悠理ったら、可愛いんだから!何かあったら可憐さんに言いなさい!」
「清四郎にいじめられたら教えてくださいな。わたくしがきちんととっちめてあげますわ!」
「………あんがと。」
三人娘が肩を抱き合う姿に、男達は(女の友情ほど、ないがしろにすべきものはないな)と思い至るのだった。
下校時刻の合図が鳴る。
皆が帰った後の二人きりの部室で、悠理は物足りない表情を見せながら、帰り支度を始めた。
まだまだ照れがあるのだろう。本当はもっと一緒に居たいけれど、なかなか口に出せずにいる。
「ああ、そうだ。悠理、今度デートしませんか?」
清四郎はそんな彼女の心をしっかり見透かしていた。
自分自身、片想い歴が長い分、悠理との距離を少しでも縮めたいと思っている。
告白と同時のキスもそうだった。略奪、という不穏な言葉を告げたのも、危機感と焦りを感じていたから。
正直、悠理を手に入れる為なら、どんな腹黒い計画も実行するつもりだった。それこそが自分らしいと信じて。
しかし邪魔者は去り、彼女の心を手に入れた今、明るい未来へと邁進していく必要がある。過去のあやまちを繰り返さぬよう気を引き締め、己の魅力を磨き続けたい。清四郎はそう思っていた。
恋愛経験一人。
もちろん相手は恋焦がれた悠理である。彼自身、様々な知識はあるものの、’女心’というパワーワードにはさほど詳しくはなく、こればかりは美童や可憐の力を借りなくてはならない。恐らくは馬鹿にされるだろうが、そんな覚悟はとっくに決めていた。
何はともあれ、今は二人きりで過ごしたい。そして、彼女の恋心を自分と同じレベルにまで引き上げたい。そうすれば、消化しきれぬ欲望に付き合ってくれるかもしれない。
………とやはり鬼畜な考えを張り巡らせていた。
「デートかぁ……いいな!どこいく?」
剣菱悠理の脳内を構成している言葉、それは「食欲」と「刺激」である。この二つの興味をしっかり満たしてやることが、恋人としての価値につながると清四郎は信じていた。
「では………横浜で中華でも。」
「いいね!!車出そうか?」
「いえ、そこから船に乗るので、恐らくは公共交通機関を使います。」
「船?」
「そうです。まずは香港、そこからシンガポール、モーリシャス諸島。マダガスカルを経由してアフリカはケープタウンまで。どうです?楽しそうでしょう?」
「あ、それって………もしかして旅行ってこと?」
にっこり肯定する恋人が冗談など言うわけがない。
ドキドキワクワク
悠理の胸がさっそく高鳴り始めた。
「……とはいえ、さすがに今すぐとはいきませんな。船の出発は来週末の夜。まあ、親父の伝手があるのでチケットに関しては問題ないのですが………約二週間、学校を休む必要があります。」
「いいじゃん!いこいこ!」
「いいんですか?二人きりですよ?」
念を押すように尋ねられたとて、悠理の心はすっかり遥か彼方、アフリカの大地へと飛んでいる。
苦笑する清四郎はそれでも単純な恋人が可愛くて仕方ない。彼女はどうせその意味を理解出来ていないだろう。
「悠理………」
興奮に震える体を抱きしめ、清四郎は耳元に囁いた。
「な、なに?」
「二週間、僕と二人きり、同じ部屋で過ごす覚悟があるんですか?と聞いてるんです。」
「!!」
ハッと真顔になる悠理にそれなりの知識があると分かり、胸を撫でおろす。いくら恋愛に疎いとはいえ、A~Zまで教えるのはなかなか骨の折れる作業だ。
まあ、たとえ無知だったとしても、懇切丁寧に教え込むつもりではあったが───
「い、一緒の部屋………なんだ。」
「無理ですか?」
「え……む…無理っていうか………あたい寝相悪いし、あ、でもベッドが二つあるなら………蹴り飛ばしたりしないかな。へへへ。」
「プレミアムスイートなので、ベッドはキングサイズ一つです。」
「ひ、ひとつ!?」
わざと明後日方向の懸念を口にしても彼には通用しない。悠理とて、むっつりスケベな男が何を求めているのか、おぼろげながらも理解している。
清四郎の欲望………あの日のキスが、いやそれ以上の何かが待ち受けていることを──。
柔らかな髪を愛しそうに撫でながら、意地悪な恋人はクスクスと笑い出した。
「いきなり取って食ったりしません。ただ、おまえと一緒に居たいだけですよ。」
「………ほ、ほんとに?」
「無論、覚悟が出来たなら、いつでも教えてくださいね。」
なんの覚悟だ!?とは流石に聞こうとしなかった。
悠理とて、清四郎といつかは結ばれるつもりでいる。あのキスの続きが知りたくてうずうずするのだ。
だが、今のところ不安が勝っている。セックス=子作りだとは思わないが、自分たちはまだ高校生で万が一ってこともあるかもしれない。ぬかりのない男に任せればいいと解ってはいるものの………
「清四郎。」
「なんです?」
「もし………もしもだぞ?その………そういう事しちゃって赤ちゃんとか出来たら、あたいどうしたらいいんだ?」
まさかそんな切り返しが待ってるなんて思わず、清四郎は目を瞠った。ありとあらゆる避妊手段を知り尽くしているが、恐らくはベーシックなそれを利用するだろう。が、万が一何らかの理由でミスを犯し、子供が授かったとしたら………
「結婚しましょう。」
答えは一択だった。
「け、結婚………か。」
「もちろん、そんな可能性は限りなく低いと思いますが、僕はいつでもお前と結婚する心づもりでいますよ。」
過去も未来も、白いドレス姿で横に並ぶ女は彼女しか思い浮かばない。
長いヴェールで赤い絨毯を覆い尽くし、皆の祝福とライスシャワーを浴びれば、二人仲良くその先の人生を歩いていくのだ。
「怖いんですか?僕とそんな関係を築くことが………」
「え?いや………怖くないけど。………もうちょっとだけ待ってくれる?」
「もちろんです。」
そう長くは待てませんがね………と清四郎は胸の中で呟く。
悠理に女の歓びを一歩一歩確実に教え込んでいく、そんな未来が楽しみで仕方ない。
焦らされるのも恋の醍醐味。
彼女の想いが熟したその時こそ、極上の果実を余すことなく頂くとしようではないか。
「き、キスはいいぞ………いつでも。」
「それは嬉しいですね。」
深いキスを知れば知るほど、彼女の中の欲情は燻り、やがて求め始めるだろう。
新しい世界の扉を一枚、また一枚開いていく快感。それをこの手でしっかりと導いてやる。
「旅行が楽しみです。」
「うん!」
二人は互いに見つめ合い、そして優しいキスを交わした。