まだまだ青春

ようやく熱愛?

「は?見合い?」

「そう。悪くないお話なのよ。別に今すぐ結婚ってわけじゃなくて、大学をきちんと卒業してからでも…………」

「ヤ、ヤだかんな!あたい見合いなんて………結婚なんて………しないぞ!?」

「あら、困った子ねぇ。本当に良いお話なのに。」

大学入学までの数週間。
長めの春休みは始まり、お決まりの六人旅への準備も着々と進んでいた。

あの宴の後、互いへの特別な意識を自覚させられた清四郎と悠理。
特に悠理は戸惑っていた。
煮え切らない野梨子の態度も含めて。
心は定まらない。
どれだけ可憐に指摘されても、まだわからないのだ。
幼さと愚かさを共存させる悠理は、既に悩むことを諦めていた。

そんな中、寝耳に水のように降ってきた見合い話。
‎懲りない母親の笑顔が怖い。

「マギタ王国の三番目の王子様がお年頃でね。確か貴女の五つ上かしら。そろそろお嫁さんを迎えたいらしいのよ。結婚が決まれば日本で暮らしても良いと仰ってて。とってもいい条件だと思わなくて?」

母の煌めく瞳に、見え隠れする打算。
恐らくはとてつもなくイケメンか、もしくは剣菱にとって利益をもたらしてくれる相手か。そのどちらかであろう。

当然悠理は憤った。
あの時(剣菱家の事情)の二の舞ではないか、と。
自分の意志を無視されることが一番許せない彼女にとって、これは由々しき事態である。

───そだ!清四郎に言って・・・

この世で一番頼りになる男を思い浮かべた時、悠理はハタとその思考を止めた。

───いくらなんでもおかしくないか?

あの時は結婚がイヤで、渾身の力を振り絞り逃げ切った。
満身創痍になりながらも和尚に頼みこみ、多額の小遣いを失い、頭を下げ───今から考えても、何故あそこまで?と思うほど拒否し続けた。

あまりの不条理さは怒りを呼ぶ。

友人である清四郎を巻き込んでまで結婚させられそうになったことは不愉快で仕方なかったし、彼もまた悠理の心を無視し、自分の野心を叶えるため行動を無理強いした。
当然、腹立たしさは倍増する。

───あたいの人生…………結婚相手すら自分で選べないのか?

母の言うとおり、あの時、好きな相手などいなかった。
恋愛よりもヒーローに憧れる方が楽しかったし、それを凌駕する魅力を他の誰にも感じなかった。

一生誰にも縛られないで自由に生きる。
それは悠理の願い。
剣菱という家に生まれたからこそ、そんな理想に取り付かれたのかも知れない。

気の合う友人達と刺激ある毎日。
それこそが望むべき青春の在り方。
恋に振り回されていては、せっかくの時間が勿体ないじゃないか。

敢えて、異性を異性と認識してこなかった悠理にとって、“あの時”の清四郎はそれを無理矢理自覚させられる存在だったのだ。

清四郎は嫌いじゃない。
昔よりもずっと───好きだ。
だがこれが恋かどうかは───解らない。

可憐に言われるまで、ちっとも気付かなかった。
自分が清四郎を意識し始めていることに。
誰かのモノになってしまう日が近づいていることに。

あの茶番劇のような婚約が、何の意味も持たないのは分かっている。
けれどもし、これが本当に恋だとしたら?
あたいは一体、どうしたらいいんだろう。

母に背中を向け、自室に帰った悠理は、シーツの中で呻き声をあげた。

清四郎なんて………野梨子が一番“似合い”に決まってる。
もし野梨子がヤツの事を好きなら、友達として応援するしかないじゃないか!

その他のことでは負けん気を発揮する悠理も、色恋沙汰には消極的だ。
恐らくは自己評価の低さが一端を担っている。
女らしさも、知性も、色気ある身体も何も持たない。
あるのはちょっとした金だけ。

「野梨子と清四郎、元々二人で一つみたいなもんじゃん。」

痛む心は明らかに切ない。
平らな胸の前で握り拳を作り、悠理は清四郎の顔を思い浮かべた。

「……………どこがいいんだよ、あんなやつ。」

もちろん嫌いなところも多い。
相反する価値観や趣味。
彼のイヤミ臭い意地悪に何度泣かされてきたことか。

けれどどこか一方で、清四郎の手のひらで転がされる心地良さも感じていた。
彼の優しさは時として極上。
手の温もりは胸に沁みる。

「…………だいたい………あいつがあたいを好きになる可能性なんてゼロ………いや、小数点以下だぞ?」

失恋は決定事項。
悠理はそう思いこんでいた。
もし野梨子の想いが恋だとしたら、なおのこと勝ち目はない。
誰が見ても彼女は最高のお姫様。
どちらに軍配が上がるかなど、火を見るより明らかだ。

「…………あれが悪かったんだよなぁ……恐らく。」

それは高校最後の登校日。
悠理は担任に押しつけられた配り物を一人で運んでいた。

貴重な昼休みだってのに────

不満を感じたものの、これも最後か、と思い引き受けたのだ。
するとふと階段の踊り場に人影を見つける。
二つの影。
一瞬ののち、その内の一つが見慣れた男だと気付いた。

「先輩…………これ………受け取って下さい。」

咄嗟に壁際へと身を寄せ、成り行きを見守る。
下級生らしき美少女は頬を染め、上目遣いで清四郎を見ていた。

────そういえば新しい生徒会のメンバーだっけ。

悠理は記憶から探り当てた。

「これは?」

「…………ハンカチです。先輩のお名前を刺繍した…………」

今時珍しくも古風な贈り物。
深い想いのこもったそれは、薄いブルーの包装紙に包まれていた。

「ありがとうございます。」

「あの………!」

受け取って貰えたことに背中を押されたのか、女生徒は身を乗り出す勢いで言葉を続けた。

「卒業されてからも………私と会って頂けませんか?」

明らかに男女交際を示唆している。
彼女の勇気は見ているこちらが熱くなるほど真摯なもので、悠理は思わずゴクッと唾を飲み込んだ。
しかし・・・・・

「気持ちはありがたいのですが、今のところ女性と付き合うつもりはありません。」

「親しい友人としてもダメですか?」

「友人は…………もう既に、うんざりするほど居ますから。」

清四郎もまた丁重な態度で断りを述べる。

女生徒の勇気は儚くも散ってしまったが、最後に握手を求められ、それに応える清四郎の優しい微笑みを見た時、悠理は胸がかきむしられるような気がした。

その正体ははっきりとは分からない。
今も、胸の奥底でくすぶったまま。

「ヤキモチ───かな。」

そんな笑顔を見せないでほしい、他の女に。
気がないのなら。
きっと彼女は諦められなくなる。
心を鷲掴みにされたまま、未練を引きずってしまう。

 

野梨子はあれから答えを出しただろうか。

明後日から始まる卒業旅行。
南ヨーロッパに十日間も滞在するのだ。
何かしらの進展があってもおかしくはない。

もし、彼女が清四郎を欲しいと願ったら。
悠理は芽生えた気持ちを封印し、一生友人としての立ち位置を変えるつもりはなかった。

哀しいけれど。
寂しいけれど。
野梨子は大切な友達だ。

高い確率で選ばれるだろう彼女の、その恋路を邪魔するほど無粋ではない。

「イタタタ…………」

胸が痛い。

我慢というものに慣れない悠理は、胃を軽く撫でながら天蓋を見つめた。

でももし───野梨子がヤツに恋してなかったら?
その時、自分はいったいどうしたらいいんだろう?

───女と付き合うつもりの無い男相手に、空回りする恋心。

恋………
これは恋なのか、ほんとに?

自信をもって断言出来ないのも、初恋すら経験してこなかったがゆえ。

掻き乱される心は、もはや不快ですらあって…………
悠理は布団を被るとわざとらしく羊を数え始めた。

───見合い話なんかよりも、こっちのがよっぽど大問題だ。

果たしてそうであろうか?

“あの”百合子が「はい、そうですか」と諦めるはずがない。
マギタ王国は奇しくも地中海に浮かぶ小国。
近くヨーロッパへと渡る娘に、これはまたとないチャンスなのだ。
実のところ、百合子は水面下で『運命的な出会い』を作り上げようと画策していた。
それは決して娘を思う親心などではない。

無論、羊を数える悠理はそんな企みに気付くわけもなく・・・・・

揺れる心と困惑の夜────

迫り来る運命の足音は、いまだ彼女の耳に届いてはいなかった。


ヨーロッパ十日間の卒業旅行。
剣菱専用ジェット機でまず降りたったのは、スペイン屈指のリゾート地、“コスタ・デ・ソル”だった。

地中海に面した美しい町並みに、剣菱百合子の所有する別荘がある。
ハリウッド俳優達がこぞって買い付ける屋敷にまじり、それはひときわ大きくエレガントで───
まるで王宮のような風格を見せつける建物に観光客達が訳も分からず記念撮影をしていくほど。
自他共認める派手好きな彼女は、いつも満足そうにその様子を眺めていた。

六人揃っての卒業旅行。
高校最後の思い出作りを、誰もが楽しみにしていた。
しかし何故か、悠理の母は同伴すると言って聞かない。
普段は決して過保護でない母にイヤな予感はしたものの、もちろん下手な反論も出来ず、悠理は機嫌の良い百合子の裏に隠された真実を見出すことが出来ぬまま、渋々同行を許したのだった。

「わぁ~!すっごくゴージャス!さすが、おばさまだわ!」

「ホホホ。そうでしょう?全て、古いお城にあった調度品を買い受けたのよ。」

「え、じゃあこれってみんな、本物の王妃様やお姫様が使っていた家具たち?」

「もちろん。素敵なアンティークですもの。大切に使わないとね。」

可憐と野梨子が目を輝かせる中、悠理は一人、清四郎に意識を向けていた。
まるで見つからない答えを請い求めるかのように。

彼はいつも通り、感心した様子で屋敷内を物色している。
隣にはおかっぱの幼なじみ。
二人のアンティークに関する蘊蓄合戦はいつにも増して激しかった。

 

────変わんないよな。

今のところ、彼女に目立った変化は見られず、悠理は無意識に安堵していた。
聡明な彼女のこと。
きっとあれから色々考えたに違いない。
もちろん、いまだ戸惑っているという可能性も否定出来ないが、少なくとも恋心を自覚したようには見えなかった。

悠理は視線を再び清四郎に戻した。

彼の顔を見てホッとするようになったのは、いつからだろうか?
視線の先に捉えることで、親を見つけた子供のように安心してしまう。

どれだけ暴れてもいい。
清四郎さえいれば、何とでもなる。
そんな身勝手でご都合主義的な考えを、悠理は知らぬ間に抱くようになっていた。

最初はもちろん、“恋心”ではなかったと思う。
誰よりも頼りになる仲間。

あの現場を目撃するまで………そんな可能性を露ほども考えたことはなかったのだ。

なのに───

清四郎が離れていくと考えれば焦燥に駆られ、胸が張り裂けそうなほどの孤独を感じる。
よく知らぬ誰かに奪われるのは果てしなく辛い。
本音では、野梨子にだって譲りたくないのだ。
もし…………たとえ恋人になれなくても、この先、彼の一番側にいるのは自分でありたい───そんな風に思う。

 

「はぁ………あたいって、ワガママ………」

「おや、今更気付いたんですか?」

背後からニュッと差し出された大きな掌には、小さなトリュフチョコレートが二つ。
どうやらこの別荘の管理人が用意してくれていたらしい。
ほんの少しスパイシーで、けれど直ぐにクリームのような舌触りを感じさせてくれるそれは、極上の旨さだった。

「わっ!うまい!」

「ですよね。」

にっこりと微笑む清四郎は、もう一つのチョコを口へと放り込んでくれた。
手懐けられた飼い犬のように、尻尾をブンブン振ってしまう習性はなかなか治らない。

かといってこのような扱いを不快だと思ったことはなく、悠理はいつも以上に優しく感じるその行為を不思議に受け止めていた。

甘い視線で見つめてくる清四郎。
けっして美味しいチョコの所為だけではないはずだ。
悠理は思わず頬を染めたが、彼は少しも気付かない。

「そうそう。お店を教えてもらいましたから、後で皆を誘って行きましょう。」

「あ、うん!」

本当は二人きりがいい───なんて事は言えないけれど、悠理はその誘いに二つ返事で賛同した。

“謀られた出会い”が待ち伏せしているとも知らず─────



「モダンな外観ですわねぇ。」

「スペイン王家御用達らしいよ。僕の彼女もお気に入りなんだ。カタリーナっていうんだけど………」

「ねぇ、見て!宝石みたいなチョコレート!あぁ、全部買い占めたい!」

「おいおい。ダイエットは返上したのかよ、可憐。」

アーティスティックな街並みの一角に、そのショコラティエは存在した。
一見、客を選ぶような外観ながらも、人々の興味を強く惹き寄せる建造物。
扉を開ければ甘い香りが充満する店内に、ゴージャスなシャンデリア。
ガラスケースに並んだチョコレートは宝石さながらの美しさで、此処がショコラティエであることを思わず忘れさせた。

「うわぁ、いい香り!」

「なんてセンスが良いのかしら。」

「いらっしゃいませ。どうぞゆっくりとお選びになってください。テイスティングなどもご用意しておりますので何なりと。」

目鼻立ちのはっきりとした美しい女性スタッフは、騒ぐ彼らに対してもにこやかに対応してくれる。
プロ意識の高そうな女性だが、決してイヤミ臭くはない。さすが一流店である。

「テイスティング?なぁ、今、テイスティングって言ったよな?」

英語のヒアリング能力はほぼゼロなはず。
スペイン語なら尚更のこと。
しかし悠理は野生の勘でそれを聞き分けた。

「ほどほどにするんですよ。旅先でみっともない真似はよしてくださいね。」

「わあってるって!」

食べ物を前にすれば、恋する乙女はすっかり元通り。
清四郎の忠告をよそに、美人店員へと「テイスティング!」を連呼する。

「かしこまりました。ではそちらのソファにおかけになってお待ちください。」

乱暴な申し出もなんのその。
優秀なスタッフはそつのない微笑みを浮かべ、座席を案内した。

「あんたねぇ……少しは場の雰囲気をよみなさいよ。ここ、高級ショコラティエよ?」

「可憐の言うとおりですわ。ほんと、恥ずかしいったら………」

女性二人に責められてもどこ吹く風の悠理。
男達は「いつものことだろ」と呆れ顔すら見せない。

「悠理。この店はホットチョコレートも美味しいらしいですよ。頼みますか?」

「もっちろん!せぇしろちゃん、オーダーよろしくね!」

清四郎が手を挙げると同時、別のスタッフがすかさず腰を低くして現れる。

タイトな黒い制服にシナモン色をしたネクタイ。
それらをすらりと着こなし、優雅な足取りでやってくる男。
美しい金髪碧眼に見慣れている彼らでも、思わずポカンと口を開けてしまうほど、そのスタッフは抜群にハンサムだった。

「ねぇ、野梨子………ここのスタッフって顔面偏差値高くない?」

「え、ええ。とてもシビアな基準を設けているんですわ。きっと………」

二人がぼそぼそと囁く中、プライドを刺激された美童は長い髪をかきあげ、勝負モードに切り替わる。
この世で自分より美しい男は居ないと豪語するほどの美童。
だがそんな彼ですら、思わず眉をしかめるほどの甘いマスクで、その男は微笑んでいた。

「いらっしゃいませ。」

「彼女にホットチョコレートを一つお願いします。」

「かしこまりました。ではカフェの方へご案内致しましょう。」

流暢な英語はとても耳障りがよい。
清四郎は彼の美貌よりもそちらに意識を移行させた。

────スペイン人ではないな。生粋のラテン系といった感じにも見受けられないし。

得意の洞察力でそう判断するも、それ以上に気になったのは彼が悠理を見つめるその視線。
二人は初対面のはず。
それなのに何故、そんな親密な目で彼女を見るのか?

「へぇ、カフェがあるんだ?」

上手く単語を拾い上げた悠理は輝く瞳で清四郎を見上げた。

「そのようですね。この甘い香りはそのせいかな?」

六人が案内されたのは、店の奥にあるこれまた洒落たカフェスペースだった。
高い天井と多くのスリット窓。
自然光が見事なまでに神々しく差し込む中、高級フレンチさながらの雰囲気を醸し出す白い空間。
チラホラと客はいるものの、皆こちらを振り向くこともなく歓談を楽しんでいる。

光沢のあるクリーム色のテーブルクロス。
飾られた花はオレンジ色のカーネーション。
六人は四人席と二人席に分かれ、椅子に座った。
すると席に着くやいなや、見計らったかのように先ほどの女性スタッフが試食のチョコレートを運んでくる。
金髪の彼は風のように姿を消した。
ふわり、甘い残り香を漂わせて。

細長い皿に小さなショコラが六つ。
それらはきちんと六人分揃えられていて、皆は目を輝かせる。

「すごく可愛いですわ。」

「ほんと!食べるのが勿体ないくらいよ。」

様々なフレーバーのチョコを、売り物とはまた違った形で登場させてくる心憎さ。
悠理はワクワクしながら一つ一つを手に取り、味わった。

「僕の分もどうぞ。」

「え、いいの??サンキュ!」

「俺も一個だけでいいぜ。ほらよ。」

甘いモノが苦手な二人の男。
そんな彼らから譲られた皿もあっという間にぺろり。
結局、「全種類買って帰る!」と宣言した悠理に、皆は「あ、そ。」といつもの溜息を吐いた。想定内である。

「さっきの彼、かっこよかったわねぇ。もう一度顔が見たいわ。」

二枚目にはとことん弱い可憐の言葉にムッとする美童。
またしてもプライドが刺激されているのか、麗しき美貌がひきつる。

「よく見れば大したことないよ!」

「あら、あんただって見惚れてたじゃない?」

「み、見惚れてなんていないっ!」

「まあまあ。下らんことで言い争うなよ、お二人さん。」

魅録の仲裁に一旦口を閉ざした二人は、同時に「コーヒーください。」と手を挙げた。
彼らの会話を聞き取ったとは思えないが、登場したのはまたしても“彼”。

「ほら、やっぱり飛び抜けてハンサムじゃない?」

「大したことないってば!」

お互い、譲ろうとしない二人だったが、可憐はコーヒーの種類が多く書かれたメニューを差し出された時、その指に光る物を見て、思わず目を剥いた。
彼の右手中指にはアレキサンドライトの指輪が燦然と輝いている。
白い光の下で赤っぽく見えるそれはあまりにも大きくて、可憐自身お目にかかったことがないほどのボリュームだった。

────え、この人、何者?

台座は恐らく純金。
美術館に飾られていても何らおかしくはない代物に、可憐の胸はざわついた。

玉の輿アンテナが光る。
どう考えても一般人が持つアクセサリーではない。

無事オーダーを済ませた後、腑に落ちない様子を見せる美童の袖を引っ張り、可憐は尋ねた。

「ねぇ、美童。さっきの見た?」

「何?」

「指輪よ、指輪。あんなでっかい石、普通の店員が手に入れられるわけないわよね?」

そこへ野梨子も口を挟む。

「いったい、どのような石でしたの?」

「アレキサンドライトよ。あの大きさになれば………外車一台、いや二台ほど買えるかしら?」

「へぇ。偽物じゃないのか?」

横槍を入れた魅録をキッと睨む可憐。

「あんた、私を誰だと思ってんの?」

ごもっとも、である。
魅録は両手を挙げ、首を振った。

「確かに優雅な身のこなしでしたね。風格もありましたし。」

彼らのやり取りに参戦する清四郎を見て、美童もまた記憶を探るよう両目を閉じる。
社交界に精通する彼。
皆の視線は自然と集まった。

「僕、男に興味ないから、あんまり詳しくないんだよね。」

生粋の女ったらしだけあって、台詞も立派。
しかし美童は暫く考え込んだ挙げ句、一つの可能性を口にした。

「アレキサンドライト………ねぇ。確か、その鉱石をたくさん産出する国があったな。小さいけれど名の通った………えーとなんだっけ。マギ………」

「それって【マギタ王国】でしょ?あたしも聞いたことあるわ。今の国王が私財を投じて質の良い鉱山を掘り当てたのよね。世界中のジュエリー業界から絶賛されたみたいよ。」

悠理は聞き覚えのあるその国の名に、ぴくっと耳をそばだてた。
イヤな予感が背中を伝う。

────マギタ王国、まさか、な。

まさか………そんな偶然があるはずもない。
そう、これは全て百合子の企て。
店員に扮した彼こそ、彼女が持ち出した見合い相手、マギタ王国第三王子───ジョゼ・エンリケ・デュカリス………その人だったのだ。


散々試食した後、極上のチョコレートをたんまりと買い込んだ六人。

そんな中、曇った顔をしているのは悠理たった一人だ。
先ほどの可憐達の話から察するに、あの金髪の青年、恐らくは自分の見合い相手であろう。
諦めの悪い母が策略を企て、手を回したに違いなかった。

────くそ!母ちゃんめ!

別荘に戻った後、ドカドカと廊下を駆け抜ける令嬢の姿。
屋敷で働くメイド達(現地調達)は何事かと目を瞠る。
百合子の趣味で雇われた彼女たちは、ひらひらのレースエプロンを着込み、人形さながらの出で立ちで、そんな悠理を見送った。

「母ちゃん!」

ノックもせず開け放ったアーチ型の扉は重厚な造りだ。
どこよりも豪華絢爛なその部屋で、百合子はサーモンピンクのカウチソファに座り、ゆったりとくつろいでいる。
側には可愛らしいメイドが二人。
一人は紅茶を、もう一人は小さなマカロンに彩られた皿を差し出していた。

「なぁに?騒々しい子ね。」

「あたいは、“見合いしない”って言ったはずだぞ!?」

「もちろん、知ってるわよ。」

「え!?じゃ、何で………!?」

息巻く娘を一瞥しながら、百合子は涼しげに紅茶を啜る。

「だから、見合いなんてさせてないでしょ?」

「…………で、でも、あの男………」

「ふふ、彼に会ったのね。さすがの美童ちゃんも焦っていたんじゃなあい?女なら皆虜になる美貌だわ。悠理も心惹かれたりしなかった?」

そう言いのける母の思惑を今更読み取ったとて、何が変わるわけでもない。
彼女の思いはただ一つ。
見目麗しい男を婿にとり、自分の言うことを聞く生身の人形を手に入れたいだけだ。
それを改めて痛感した悠理は、肩を落とし、深くため息を吐いた。

こうなれば今の気持ちを伝えるしかない。
少し前に気付いた、清四郎へと揺れ動く心を。

「母ちゃん。」

「そうそう。さっき彼からメールが届いてたわ。先方は貴女のこと気に入ったみたいよ。老舗のショコラティエで出会うなんて、ロマンチックよねぇ。」

「母ちゃんってば!!」

「あぁ五月蝿い。いい加減、淑やかになさい。ここに滞在してる間、彼も遊びに来る予定なんですからね。もちろん、私の友人として。」

母の勝手気ままな行動に振り回される日常は特に珍しくもない。
反発したが最後どんな目に遭うかも、痛いほど身にしみて解っていた。

だがこの時ばかりは悠理も面と向かって憤る。このままだと、とんとん拍子に話が進みそうで恐ろしい。

「聞いてよ!あたい、す、す、好きな奴がいるんだ!」

「………………………。」

百合子の手元から転がり落ちたマカロンを、人形のようなメイドが慌てて拾い上げる。
ポカンと開けられた口。
見開かれた目。
迫力ある美貌がしかし、徐々に訝しげな表情へと変わってゆく。

「…………冗談でしょう?私を騙そうなんて百年早くてよ。」

「ほ、ほんとだもん!」

「じゃあ今すぐ、相手の名をおっしゃい。」

大蛇の眼光そのもので、娘を睨みつける母。
全身が恐怖に硬直する中、悠理は蚊の鳴くような声でそっと呟いた。

「………しろ。」

「なんですって?聞こえません。」

“地獄耳のくせに”、と胸の中だけで毒づきながらも、再度答える。

「せ………しろ。」

「…………“せしろ”?!!せ……………あらまあ、貴女、清四郎ちゃんが好きなの??」

地面を掘って隠れたくなるほどの羞恥が襲うも、タイル張りの床ではそれも不可能。
真っ赤な顔で小さく頷く悠理は、母の歓喜の声に、「やっぱ言わなきゃ良かったか」と今更の後悔を抱いた。

「で?清四郎ちゃんは悠理のことを好きなのかしら?」

「………………え?」

それは思いも寄らぬ反撃。
悠理は途端に目を泳がせる。

「だってそうでしょ?片想いならその辺の猫でも出来ます。ちゃんと相手と両思いになってこそ、王子様とのお話を拒否出来るんじゃなくて?」

母の言う通りだった。
今、悠理は仄かな想いを自覚したばかりで、その先にある告白や、はたまた野梨子の存在や、清四郎の気持ちなど、問題は山積みである。
それに────
もし野梨子が清四郎を好きならば、自分は身を引くと決意している為、両想いになる確率は更に低くなるのだ。

「その調子だと、告白もしてなさそうね。」

「だ、だって………あたいなんか………あいつが選ぶわけない。」

思わず本音が洩れ、ハッとする。
目の前に母が居ることを失念していた。
自信の塊のような百合子にとって、『でも』『だって』は禁句であるからして。

「莫迦おっしゃい!そんなにも美人に産んであげたのに、何です?その自信のなさは!だいたい、清四郎ちゃん一人落とせないようで剣菱の女が務まりますか!良いこと?体当たりでも色仕掛けでも手段は問いません。今から清四郎ちゃんに告白してらっしゃい!」

「げぇ!!そんなん無理だよぉ!!」

「反論は受け付けません。もし出来ないのなら……………貴女がどれだけぐずろうと、王子との結婚話を進めます!」

ギラッと光るその目から逃れられるはずもない。

まさしく『前門の虎、後門の狼』。
珍しく的を射た慣用句を思い浮かべる悠理は、こうして清四郎に告白するチャンス?を得たのだ。
やはり百合子はこの世で一番強い。
そう思わせる瞬間だった。

 

 

 

その夜────
別荘に住むお抱えのシェフ(当然三つ星シェフ)の晩餐を堪能した六人。
百合子だけは貴族の友人に呼ばれ、不在だったが。

極上のワインを浴びるほど飲む彼らを横目に、悠理は弱々しく肩を落とし、小さな溜息を繰り返す。
いつになく元気がないのも当然と言えよう。

「悠理、どうかしましたの?」

ムードメーカーの不調に野梨子が気遣いを見せるも、彼女は薄く笑うだけ。
その理由までもは解らない。

可憐と美童は昼間会った、金髪の美青年の正体を解き明かそうと、あれこれ話し合っている。
美童としても、自分よりも美しい男と評されれば気になるのは当たり前。
可憐とはまた違った理由で頭を捻っていた。

魅録と清四郎は明日の予定を相談していて、どうやら剣菱所有のクルーザーで離島を目指すことになりそうだ。
コバルトブルーの海に浮かぶ、多くの島は、リゾートにもってこいの場所である。

そんな中、野梨子だけが悠理の様子を気にしていたのだ。

「………何か心配事でも?」

心配事───問題はそんな生易しいものじゃない。
悠理は意気消沈したまま、首を横に振った。

「では、私と清四郎のこと?」

「………へ?あ…………え?」

「ふふ。図星ですのね。」

野梨子はバルコニーへと悠理を促し、途中トレーにあったオレンジジュースを二つ手に取った。

石造りのバルコニーは三畳ほどの広さ。
ひんやり、といっても温暖な気候故、寒くはない。
月の夜空は明るく、広がる白い街にはオレンジ色のあかりが灯っている。
ポスターにうってつけの景色は、悠理の目を優し く癒した。

白く塗られたデッキチェアに腰掛け、野梨子は空を見上げる。
その白い横顔はまるで天女のように美しく、悠理はまたしても小さな劣等感を抱く。

清四郎が野梨子を特別視しているのは周知の事実。
それが幼なじみとしてかどうかはともかく、野梨子ほど大事にされている女はこの世に居ないと確信していた。
もし清四郎がその気になれば、恋に発展しないとも言い切れない。
野梨子がほんの少し意識を変えるだけで、可能性はグンと高まるはずだ。
彼らほど互いのことを解り合っている男女はいないだろう。

「悠理。」

「ん?」

「本当のところ、清四郎をどう思っていますの?」

「あ、あたいは………」

好きだと言っていいのか?
もし野梨子も同じ想いなら、あたいに勝ち目なんてないんだし、ただ恥をかいて、その上、野梨子に気を遣わせるだけなんじゃないか?

「正直におっしゃって?私に遠慮などせず。」

まあるい月を映しこんだ野梨子の瞳は、けして逃げることの出来ぬ、真摯な光を宿している。
悠理は渇いた口をオレンジジュースで潤し、深く深呼吸を繰り返した。

もう、どうとでもなれ!

「好きだ────と思う。」

「………………やっぱり、そうでしたのね。」

ギュッと力一杯握りしめた拳が、血の流れを止める。
野梨子はそんな悠理にしばらく考えた様子を見せたが、不意にプッと吹き出し、とうとう笑い出してしまった。
それは心底楽しそうな笑い声で、悠理はほんの少し力を抜く。

クスクス

「悠理、緊張なさらないで。わたくし、清四郎をそんな風に思ってはいませんのよ?」

人間観察に長けた彼女は、悠理の気持ちをしっかりと汲み取り、そう続けた。

「え………ほんとに?」

「ええ。可憐に言われて、色々考えさせられましたけど、やはり清四郎を“異性”と捉えることは出来ませんわ。きっとこの先も…………。大切な存在であることは間違いありませんけど。」

それは悠理にとって何よりの免罪符。
何よりも欲しかった言葉だ。

野梨子の一言一言を噛みしめるように脳内で繰り返していると、緊張が解け、思わず脱力してしまった。

「そ、そっかぁ………」

「一つお聞きしたいのですけど、もしわたくしが清四郎を好きだと言ったら、悠理は諦めましたの?」

「え、だって………あたいなんておまえに敵わないだろ………」

「清四郎の気持ちを知りもしないで、勝手に終止符をつけようとしましたのね?」

言葉に詰まった悠理だったが、“野梨子の言う通りだ”と俯く。

「あたい、自信ないんだ。だってあいつ、超可愛い下級生に言い寄られてもあっさり断ってたんだぜ?女の理想、むちゃくちゃ高いんじゃないかな?それこそ野梨子とか、可憐じゃないと太刀打ち出来ないっつーか………」

「ま!馬鹿馬鹿しい。」

言葉の途中で遮られ、悠理はびくっと身を固くした。
野梨子の刺々しい声に毒が含まれていたからだ。

「恋は、容姿でするもの?そんな風に思ってるんですの?」

「い、いや………でもほら、あたいは特に………野生猿扱いされてるし………」

「清四郎のこと、内面を無視するような人だと?」

「べ、別に…………んなことない、けど。」

立て続けに責められ、泣きそうになる悠理。

「そんなウジウジした貴女じゃ、どんな殿方も落とせませんわ!」

冴えわたる月よりも冷たく言い放たれ、堪えていた涙が一筋流れ落ちた。
全部、野梨子が正しい。
次いで、母の言った言葉もよみがえってくる。

「そうかも………しんない。あたいは泣けるほど馬鹿だし、恋なんてしたこともないし、相手は“あの”清四郎だし……。こっちがどれだけ好きでも…………あいつがあたいに恋してくれるなんて………想像出来ないんだよ。」

自分の言葉に傷つきながら、悠理は涙をホロホロと零した。
野梨子はそんな痛々しい姿に、ふっと頬を緩める。

純情、素直、一直線。
悠理のこんなところが可愛らしい。

「………ですってよ、清四郎。こんなにも想われて幸せですこと。」

──────え??

恐る恐る背後を振り返れば、ベランダの扉にもたれかかる清四郎と美童の姿が。

「ひぃっ!!い、い、いつから居たんだ!?」

「“野生猿”………あたりですかね。」

「まさかこんな美味しい話が聞けるとは。良かったねぇ、清四郎。」

目配せする美童に微笑む野梨子。
ワンピースの裾を整えた彼女は、静かにダイニングルームへと戻ってゆく。

残されたのは渦中の二人。
月が明るすぎて、誤魔化しようのない互いの表情。

何も言えない。

息が詰まる時間。

そんな長すぎる沈黙を打ち破ったのは清四郎だった。

「…………僕も………色々考えていたんです。」

「え?」

「以前、おまえの家で美童たちに問いつめられましてね。それからずっと考えてました。」

バルコニーから空を見上げる姿は、先ほどの野梨子とよく似ている。
そんな些細なことに傷つくも、次に飛び出した言葉は悠理の思考を完全に止めた。

「僕は………おまえがこの手に、この腕に収まっていることで、何よりの充実感を得ているとわかったんです。他の男にはやれない。他の男に靡く姿も見たくない。僕だけが…………悠理の男でありたい。それは明らかに独占欲であると…………解ったんです。」

「………………。」

清四郎の言葉は悠理にとって難解だった。
しかし遠い月を見つめていた彼がこちらを振り向いた時、その美しい目に愛しさが溢れていて、悠理は思わず息をのんだ。

「どうやら………僕にとっておまえは、誰よりも大切な存在になっていたらしい。…………こんな事、言ったことありませんけどね。…………好き、なんですよ。おそらく。」

「……………好、き?」

「…………ええ。」

パチン
シャボン玉が弾けたように、悠理は目を見開く。
それはあまりにも現実味のない言葉だったし、清四郎の台詞とは到底思えなかった。

だけど────
頬を撫でる夜風が、
眩しいほどの月明かりが、
そして彼の黒い瞳が、
全て本当であると訴えてくる。

胸がざわめく。

想いが熱を持って出口を探し求めている。

「………………あたい、あたいも……………あ、あたい…………」

「好き、なんですよね?僕を。」

照れ過ぎて、なかなか出ようとしないその告白を、清四郎は代弁する。

「………………好き……………好きだ……………!!」

飛び込んだ先は彼の逞しい胸だった。
微動だにすることなく包み込まれ、悠理は涙に溢れた顔を擦り付けた。

「まさか…………両想いとは、ね。奇跡だ。」

「うん…………うん。」

言葉は少なくてもいい。
全身に伝わる互いへの想いが、強い熱となって放射する。

そっと覗く四人の視線に気付いていたけれど、清四郎は敢えて咎める事もせず、悠理の温もりをその腕に抱き続けた。
そうすることによって想いが倍速に膨らんでいく。そんな手応えを確実に感じる。

異国の地で浴びる月光は祝福そのもの。

だがもちろん、マギタ王国第三王子───ジョゼ・エンリケ・デュカリスが大人しく黙っているはずもない。彼には彼の思惑というものもあるのだ。王族に生まれついた者として、彼なりの責務があった。

しかし取り敢えずはハッピーエンド。
二人はようやく、落ち着く場所に落ち着いた。