まだまだ青春

そろそろ純愛?

 

その日────

卒業式を終えた六人は、剣菱家ご自慢の大広間にて宴会を繰り広げていた。
問題児どもがようやく高等部から巣立ったのだ。
それぞれの親も集まり、胸を撫で下ろしながら、杯を酌み交わしている。
普段多忙な父兄もこの日ばかりは仕事を放り投げ、ご機嫌な様子。
誰よりもホッとしているのは、無論、悠理の両親に違いないが。

 

「あら、もうこんな時間。そろそろ行かなきゃ。時宗ちゃん、空港まで送っていってくれる?」

夜の便で向かう先は、南の島の新たなリゾート候補地。
いつまでも年齢を感じさせない千秋は、愛妻家の夫へ流し目で媚びた。

「千秋ちゃん、もう?あと二時間ほどもあるではないか。」

「馬鹿ね………だからじゃないの。」

どうやら二人きりになる時間までをも計算していたらしい。
相変わらずラブラブな夫婦を、ピンク髪の一人息子はげんなりとしながら見つめた。

まさかとは思うが、この年で兄弟が出来たりしないよな?

彼の不安はいつもそこにある。

二人が消えた後、次に菊正宗修平が腕時計を見る。
妻もまた同じタイミングで腰を上げ、百合子と万作へ挨拶すると、これまた見計らったかのように有能な執事がハイヤーを呼んだ。
多忙な心臓外科医のタイムリミット。
娘、和子から喚かれる前に戻らなくてはならない。

「剣菱さん。随分と楽しませてもらった。感謝しますよ。」

「気にすることねぇだが。」

「これからも、うちの馬鹿娘をどうぞ宜しくお願いしますわ。」

事件を起こし、何かにつけ怪我で放り込まれる悠理を、菊正宗病院はいつも寛大に受け入れてくれる。
百合子と万作にとって、どこよりも信頼の置ける場所だ。

「では私たちもそろそろ。あなた………飲み過ぎですわよ。」

いつまで経っても清楚さを失わぬ白鹿流家元は、クダを巻き始めた夫に声をかける。
ロマンスグレーまっしぐらの日本画の大家は、頬を赤くしながらウンウンとご機嫌良く頷いた。
女心を擽る可愛い笑顔。 他人のモノでなければ、可憐のドストライク間違いなしなのだが。

「よし。そろそろお暇するか。」

簡単な挨拶の後、腰を上げた清州は妻の肩を借り、ゆっくりと歩き始めた。
玄関ホールでは、専属の運転手が首を長くし、待ち構えていることだろう。
常人には理解し難いインテリアの数々を眺めながら。

残るは可憐の母、燁子とメンバーだけ。
彼女はソファに腰掛ける豊作の隣で、ワイングラスを傾けていた。

「良いお話があれば、是非うちで指輪を用意させて下さいませね。」

「ええ、もちろんです。……ただ不甲斐ない話、今のところそういったご縁はありませんが。」

「剣菱家の後継者ともなると、引く手数多でしょうに。」

「…………あの母の眼鏡に適う女性はなかなか。かといって、容姿だけで選ばれても困りますがね。」

過去の経緯を知っている者として、そこは曖昧に濁すしかない。
燁子は上品な笑い声で話題を変えた。

「そういえば………風の噂で聞いたのですけど、悠理ちゃんにお見合いの話が浮上しているとか?高等部を卒業したら、本格的に社交界へ顔を出さなくてはなりませんものねぇ。あの世界はほら、色々とお付き合いがございますでしょ?」

燁子の指摘は尤もで、豊作は苦笑いする。

「ここだけの話、’とある国’の王族からそう言った提案も───。しかしまだ母のところで留まっているようです。」

「あら。」

目を輝かせる燁子の商売魂が刺激される。
ロイヤルファミリーと万が一結婚、などという話になれば、それはそれは贅を尽くした挙式となり、もちろん宝飾類も相当な物が用意されるだろう。
こんなチャンスはなかなかやって来ない。当然、心が浮き立つ。

ふと、そういえば我が娘も王族の夫人になり損ねた過去があるな、と燁子は思い出した。
一夫多妻など………恋を夢見る彼女のプライドが許さないのは当然のこと。
自分が一番でないと我慢出来ない性質なのだから。
おかげで今現在もこれと言った相手は見つかっておらず、日々ダイエットに勤しんでいる。
いつものことだが、難儀な性格の娘に、母は苦労の溜息を静かにこぼした。

「………どちらにせよ、うちの娘を含め、皆さんまだまだ子供ですわね。結婚など、早すぎるお話でしたわ。」

「確かに。だいたい僕よりも先に纏まられてはこちらの立つ瀬もありませんし……。その辺り気を遣って欲しいものです。」

自虐的に微笑む豊作は決して悪くない顔立ちで、欲を言えばもう少し覇気のあるしゃべり方をするべきだろう、と燁子は思った。

────可憐もこういう旦那様を選べは楽出来るのに。馬鹿な子。

玉の輿なら此処にも転がってるわよ、とまで思い、ふとその視線の先に万作と百合子を見つめる。
全勇気をかき集めても真似出来そうにない、ド派手な衣装。
彼らの破天荒な性格もよく知っているが故、どうしてもリスクとメリットを天秤にかけてしまう。

────やっぱり、平凡な結婚が一番よねぇ。

燁子は結局、自分をそう納得させるほかなかった。


「ママ、そろそろお開きだって。」

「あら、可憐ちゃんは残るんでしょ?」

「うん、そのつもり。お泊まりの準備もしてきてるから。今夜はガールズトークで盛り上がるのよ!」

「はいはい。楽しんでね。じゃ、ママはそろそろ。」

こうしてゲストたちは帰り、主催者である万作と百合子も、ご機嫌な様子で自室へと戻っていった。
豊作はやり残した仕事の処理で、書斎にこもる。
酒に弱い彼も珍しくグラスを重ねていた為、良い感じにほろ酔い状態だった。
凡人ながらも責任感だけは人一倍。
決して万作の様に投げ出したりは出来ない。
五代が後片付けに奔走している最中、お騒がせ六人は未だ酒瓶片手に円座を組む。
どうやら話は尽きないようで…………



それから二時間。
皆は騒ぎ疲れ、ウトウトと船を漕ぎ出す美童。
魅録も空欠伸を繰り返す。
旨い酒に酔い、贅沢な山海珍味を食べ、明日からは長い春休みときた。
ご機嫌なテンションはまだまだ続くかと思われたのだが───さすがに朝からの疲れが出た模様で、特に男たちは目をシパシパさせていた。

一人元気なのは、言わずと知れた悠理だけ。
ビール瓶片手にはしゃいでいる。

「可憐、野梨子!温泉入るだろ?父ちゃんご自慢の露天風呂がとうとう出来たんだ。いこーぜ。」と、停滞した空気をぶち破るように提案。

美と健康に目が無い可憐は表情を輝かせた。

「あら、いいわね。今夜は確か月が綺麗だったはずだわ。」

「でも、少し酔いを冷ましませんと………」

「大丈夫よぉ。夜風がいい酔い冷ましになるから。」

二人の友人は、悠理の部屋で泊まり込むことになっている。
広すぎるベッドでのごろ寝。 いつかの夜を思い出す。

男たちは、メイドに客室を案内されていた。
こちらは二十畳ほどの本格的な和室。
旅館顔負けの設えだ。

「では僕たちはこれで。」

「はぁ~、飲み過ぎちゃったよ。」

「夜はまだこれからだろ?ほら、親父から銘酒の差し入れだ。」

悠理の騒ぐ声にすっかり目の覚めた魅録が一升瓶を掲げるも、美童は及び腰だ。
ともあれ、彼らは彼らで、夜通しボーイズトークに耽るらしい。
魅録に背中を押されながら、男二人は廊下へと消えていった。



自慢と言うだけあって、夜空の下に広がる岩風呂は目を瞠るほどの豪華絢爛さ。
おおよそ50畳はあろうか。
外国からの客人をもてなすよう、作られた。
狸かと思いきや万作の姿を模した金の銅像や、本格的な龍の彫刻から流れ出る温泉。
もちろん長野の山奥から運んで来る由緒正しき泉質だ。
至る所に怪しげな仏像まであり、一般人ならば正直落ち着いて入浴することは出来ない。

だがそれも10分もすれば慣れてくるのが不思議。
美肌に効くと紹介されたそのお湯に、可憐は一時間でも二時間でも浸かる勢いだった。

「はぁ~良い気持ち。」

「竹林を移植しただなんて………さすがおじさまですわ。」

目隠しの竹林はまっすぐと天へ伸び、ここが東京だと感じさせない造りになっている。
野梨子は、悪趣味ながらもそういった万作の豪胆さに度肝を抜かれ、可憐同様、素直に温泉を楽しんでいた。

「何でも一番じゃないと気が済まないかんな。うちの父ちゃんは。」

「………ふふ。どこか清四郎に似てますわね。」

「あら、そう言えばそうよね。タイプは違えど、プライドの高さは似てるわ。」

「そ、そうかぁ?あいつはただの”ひねくれもん“だろ。」

ブクブクと湯に顔を浸け否定するも、確かにそうかもしれないな、と悠理は思い直した。

「おじさまの足下にも及びませんけど?」

「そうかしら?これから先、どうなるかなんて分かんないわよ?野梨子、しっかり掴まえときなさい。あんな出来た男、大学部じゃ良い鴨よ?」

「な、なんですの!?どうしてわたくしが………!」

焦る野梨子の顔は赤い。 本当に否定したいのか、それともただ単に照れ隠しなのか。
ブラコンのレッテルを貼られた彼女は未だ、清四郎への感情に名前を付ける事が出来ないでいた。

「だってあんた、清四郎なら………男として納得できるんでしょ?」

「そ、それは………」

即座に『違う』とも断言できない。
ただ、誰よりも側にいて慈しんでくれた存在を、恋する対象として見てこなかっただけ。
昔、悠理との婚約話が持ち上がったときの焦りは、自分でも驚くほど大きく、心を揺らした。

「野梨子は…………清四郎が好き、なのか?」

湯に潜水していた悠理が浮上する。
前髪は濡れ落ち、立ち上る湯煙に紛れている為、その表情までもははっきりと見えなかったが、どことなく不安げな声に可憐のアンテナがピンと反応した。

「…………あら、悠理。気になるの?」

「ち、ちがわい!…………気になるっていうか………あんな意地の悪いヤツともし付き合ったら、野梨子が苦労するんじゃないかと思って………。」

「ふふん。やっぱ気になるんじゃない。素直になりなさいよ、馬鹿ね。」

「違うってば!!」

バシャバシャと水面を叩き否定するも、可憐の追及からは逃れられない。
運の悪いことに、湯煙は一陣の風に流され、悠理の火照った顔が露わとなってしまった。

「ふ~ん…………じゃ、あんた、何で泣きそうな顔してんのよ?」

野梨子はその言葉に目を瞠る。
慌てて悠理を見返るも、確かに眉は下がり、勢いの削がれた顔はまるで幼い子供のよう。

「悠理………まさか、貴女…………」

「ち、ちがうって!何とも思ってないもん!あんなイケズなヤツ!嫌いだ!」

どれだけ喚いても、その表情は明らかに清四郎を意識している。
嘘の吐けない性質なのだから、足掻いても無駄というもの。
野梨子と可憐は顔を見合わせ、複雑な心境を互いに伝え合った。

────これって、マジよね?

────え、ええ。知りませんでしたわ。

────どうすんの?あんた。

────ど、どうとは?わたくしは何も………

────悠理の応援、出来るの?ってことよ。

────わ、わかりませんわ!

流れる湯の音に三者三様の戸惑いが浮かぶ。
空のまあるい月はもちろん何も答えてくれない。

────これぞ、純愛?

本人すら認めようとしない小さな恋心は、こんな些細なきっかけから発掘された。

そしてもう一方。
男たちの寝室でも同じ様な遣り取りが成され、清四郎は酒の勢いを借りた二人に吊し上げられていた。
苦笑いを浮かべ、酒を啜る。
恋愛トークなど振られるとは思っていなかった所為で、どうも居心地が悪い。

「なら、清四郎は大学に行っても、誰とも付き合わないつもりか?」

「…………何度も言っているでしょう?僕にはまだ恋なんて分かりませんよ。」

「いい年して解らないって何だよ。おまえは解んない振りしてるだけだろ?」

「…………どういう意味です?」

珍しく強気の美童は、汗ばんだ髪を一つに纏めると、いつまでもとぼける男へ人差し指を向けた。

「悠理と結婚までしようとしたくせに!!」

「あのねぇ。今更そんなイレギュラーなことを持ち出されても………困りますよ。」

どうやら美童には何かしらの確信があるらしい。
深く酔いながらも、鋭い眼光で清四郎を射抜いていた。

「なら、あれが野梨子だったら?婚約したの?結婚出来たの?」

「それは……………」

観察眼に自信ある魅録も、興味津々で清四郎を窺う。
いつだったか、同じ疑問を抱いた日があったな、と思い出したからだ。
あの時は笑い話で終わり、『悠理』を意識する可能性の低さにお互い納得した。
いつか───とまでは分からなくとも、『今ではない』との認識を持っていたのだが。

「美童の言うとおり、悠理、だからかもな。」

「………魅録?」

清四郎は耳を傾ける。

「“悠理なら御しやすい。悠理なら付き合ってもいい。悠理となら人生が楽しそうだ。”…………そう考えたからだろ?」

確信的に告げられ、清四郎は虚を突かれた表情で魅録を見た。

「あんたはずっと昔から悠理を意識していた。そんでもって長年、“あんな”悠理を受け入れてきた。恋が解らないんじゃない。もう、ずっぷりとあいつにハマっちまってるんだよ。」

「一体何を、言ってるんです?」

「だからあんたは、悠理にしか興味が持てないってこった。」

それはあまりにも不意打ちな意見。
驚きに目を見開いた彼は、強張ったままゆっくりと美童へ視線を移す。
彼もまた魅録の台詞に納得したのか微笑を浮かべ、更なる追随を見せた。

「そうそう。おまえは悠理をペットや玩具にしたいんじゃない。自分だけのものにしたいんだ。そうだろ?清四郎。」

ボン!!
二人の耳に弾けるような音が聞こえた気がした。
滅多に見ることの出来ない清四郎の赤面。
口元を覆い、目を泳がせる、間抜けな姿。

「おいおい、全くの図星かよ。」

「思ってたより純情、なんだねぇ?」

面白がる友人たちに何も答えることが出来ない清四郎は、混乱する頭のまま酒をあおった。

────僕が悠理を独占したい、だって? どこからそんな発想が───

しかし………即座に否定できない何かが胸を過ぎる。
難解な出題は彼の優秀な脳をフル回転させた。
だが明確な答えが浮かばない。

夜はしみじみと更けてゆく。

二人の純愛はまだ始まったばかり。
果たして、遅すぎる初恋の行方は────?