清四郎が彼らの後ろ姿を見つけた時、タイミング悪く、タクシーの前に酔っ払いのサラリーマンらしき男が飛び出してきた。
急ブレーキをかける運転手。
軽い舌打ちこそ出たが、客の前である。
罵倒は寸でのところで飲み込んだのだろう。
クラクションを軽く二回鳴らすと、その酔っ払いは特に反省する様子もなく千鳥足で去っていった。
しかしロスタイムのおかげで、悠理たちは前にいたタクシーへと乗り込み、ネオンの海の中、静かに流されていく。
「すみません!あの車追ってください。そう、オレンジ色の………」
ちらっと見ただけだが、おぼつかない足取りの悠理を抱えるよう車に乗り込ませた男の姿が目に焼き付いた。
あいつが例の?
一体何を望んでいる?
深く考えずとも答えは明確だった。
そして男の欲望を知らない彼女が、そこから逃げる術は持たないはず。
焦燥とこみ上げる怒り。
自分は彼女にとってまだ何者でもないくせに。
独占欲にまみれた清四郎は、拳を強く握ったまま彼らの乗ったタクシーを睨みつけるしかなかった。
10分ほど走らせただろうか。
テールランプが赤く光り、その車はとある建物の前で停まった。
近代的な外観。
一見、テナントビルにも思える。
しかしそこは紛れもなく、ビジネス街の片隅にオープンしたばかりのシティホテルだった。
清四郎が乗ったタクシーは静かにスピードを落とし、一旦彼らを抜き去った後、20メートルほど前方で停車する。
運転手に万札を渡した清四郎は釣り銭も受け取らず飛び出したが、その建物に駆け寄った時、二人は今まさにエントランスロビーへ入ろうとしているところだった。
清四郎は堪らず声を張り出す。
「悠理っ!!!」
そしてその声は、酔った彼女を覚醒させるほどの怒気に溢れていた。
「せ、せぇしろぅ?なん……で?」
まさかここに居るはずがない。
酒が脳に回りすぎたのか?
でも
でも
あれはどう見ても清四郎の姿だ。
清四郎の声だ!
それは本能的な行動だった。
力任せに早太の腕を振りきった悠理は、今本当に求めている男の胸へ飛び込んだ。
というかタックルした。
こんなことくらいで倒れる奴じゃない。
「清四郎!」
力強い腕に抱きしめられる。
寒気も鳥肌も立たない。
安心できる仲間だから?
心を許している男だから?
違う…………
あたいがこいつを好きだから。
「悠理………」
早太の絶望の声が、背後から呪いのように聞こえてきた。
清四郎の腕の中で怯えながら振り向けば、自分を好きだと言う奇特な男の顔が悔しそうに歪んでいる。
「早太…………ごめん!おまえの気持ちには応えらんないよっ!あたいは……あたいはっ………こいつが……」
「言わなくていい!!」
言葉を激しく遮断され、悠理は肩を震わせた。
初めて聞く怒鳴り声。
歯ぎしりすら届きそうなほどのやるせなさ。
悠理にはいつも優しかった男だ。
魅録とは違い、とことん甘やかしてくれた。
それなのに………
まるで繋がっていた糸が切れたような心許なさが全身を包み込んだ。
清四郎はそんな悠理をよりいっそう強く抱きしめる。
いつぞやの心霊体験の時より強く、固く、心を込めて。
「おまえの気持ちは分かった……いや、分かってたんだ。俺だってそこまでバカじゃねぇよ。」
そう。
こいつが“清四郎”。
あの魅録が、唯一心から認めている男。
ライバルにしちゃパーフェクト過ぎる。
拳でやり合ったとしても、女の気持ちがこっちを向かないんじゃ意味ねぇよな。
やられぞんだぜ。
頭を切り替え、そう自嘲気味に笑った早太は、次にライバルを切り裂くよう睨みつけた。
「悠理は俺がずっと惚れてた女だ。もしちょっとでも泣かせたら、どんな手を使ってもおまえを殺すからな?」
そう宣言された清四郎もバカではない。さすがに置かれた立場が理解できる。
今、何故、自分の腕の中に彼女がいるのかも。
「………肝に銘じますよ。」
そう、覚悟を決めるしかないのだ。
独占欲の理由が明らかになった今、この酒臭い女が誰よりも愛しいと感じる。
他の男にくれてやるわけにはいかない。
早太は名残惜しそうに悠理を見つめた後、流れてきたタクシーに乗り込み、去っていった。
残された二人。
なかなか離れる事が出来ない。
「あ、あのさ………」
「ええ。」
「あたい……その…………酔ってるけど……言っても、いい?」
「………明日、酔いがさめてからでもいいですよ。どうせ今夜はずっと一緒。無かったことになどさせませんし。」
男にとって都合よく出来上がった悠理を抱きしめながら、清四郎は目の前に聳える真新しいシティホテルを見上げた。
そう。
悠理の言葉は明日でもいい。
必要なのは既成事実。
取り消し出来ないほど、深い関係を結べはいいだけの話。
生温かい夜の風が背中を押すように吹き抜ける。
初めての恋人を腕にした男は、おしゃれなエントランスロビーへと足を向け、夢見るような微笑を浮かべた。
※後ほど公開の、熱夜(R)に続きます