the snowy night

I love you best when you are sad.

清四郎が日本を離れた後の5人は、わさび抜きの寿司のように、
いや・・・マスタード抜きのホットドッグのように、
どちらにせよ、締まりのない集まりだった。

可憐と美童は基本、自分たちの生活スタイルを崩すこともなく、意気揚々とハンティングに勤しんでいたが、大学内に確保した部屋で腰を下ろす度、深い溜息を吐く。
「面白くない」が日々の口癖となりつつあり、かといってどうすることも出来ない俺は、それを聞こえない振りでやり過ごしていた。
見かねた野梨子が窘めはするものの、結局は彼女も溜息で締めくくり、陰鬱とした空気が流れる。
ようするに、完全なる刺激不足なのだ。
あの男が・・・’菊正宗清四郎’が居ないと、俺らは退屈な日常を持て余してしまう。

確かに・・・・清四郎が渡米してからも小さなトラブルはそこそこ起こっていた。
野梨子が狂信的なストーカーに追いかけ回され、親父の部下にボディガードを依頼したり(後、無事逮捕した)、
可憐のどっぷり入れ込んだ相手が、とんでもないスケコマシだったり・・・・(これはさほど珍しくはない)。
’案の定’美童が、これまた厄介な女に付き纏われ、傷害事件へと発展したり・・・・。
高校時代と何ら変わらぬトラブルはそこかしこで起きていたのだが・・・・

「スマートじゃないんだよな・・・ったく。」

国家権力を借り、俺の調査能力をもってしても、ヤツほどスマートには解決出来ない。
あの底意地の悪い男は、相手に「一泡も二泡も」吹かせることで、巻き込まれた俺たちの溜飲を下げてくれるのだから、やっぱりヤツの性格と頭脳は並外れたものなんだ、と思う。

そんな変わり映えのしない日常だったが、それでも目に見えて変化したことが一つ。
清四郎が留学して三ヶ月ほど経った頃から、悠理の雰囲気が変わった。
もちろん、見た目には普段通りの奔放な暮らしぶりだったが、時折心ここにあらずといった感じで、高い空をぼーっと見上げていたりする。

時は七月、夏の盛りだ。
夏と言えば悠理の季節。
頻繁に海へと誘い、族の集会に呼び出し、一晩中クラブではしゃいだりもしたが、その表情からは本当に楽しんでいる様子が見受けられなかった。

俺は・・・といえば、清四郎との約束を忠実に守っていた。
まあ、相手はどう転んでも野生児悠理だ。
長い付き合いから考えて、清四郎が心配するような可能性は消費税率並みに低い。
万が一、寄ってきたとしても・・・簡単に靡(なび)くような女じゃねぇ。

夏休みが明け、いつもの部屋でまったり寛いでいた時のこと。
クーラーを入れ替えてからというもの、快適さは格段アップした。そんな中へ

「最近、魅録は悠理とばかり遊んでいますわね。」

竜胆(りんどう)を手にし、やって来た野梨子がぽそりと呟いた。

「ん?そうか?」

「ええ。わたくし達とは五回に一度ほどがせいぜいでしょう?確かにそれぞれが忙しくなって、集まる頻度は減りましたけど・・・少し寂しいですわね。」

「そりゃ・・・可憐たちはともかく、おまえさんみたいな箱入り娘を夜中に誘い出すのは気が引けるぜ?」

清四郎が居れば保護者代わりになってくれるが、さすがに・・な。
そんな考えを読み取ってか、野梨子は不機嫌な様子で俺に反論した。

「わたくしももう、とうに二十歳を超えていますの。魅録や悠理と同じですわ。余計な気を回さないで下さいな。」

大きな瞳が憤りに揺れている。
ヤツの不在で、彼女こそ不安定になっているのだ・・とそこで初めて理解した。
━━━そりゃそうだよな。
誰よりも近い場所にいたのだから当然のことだろう。

「悪かったよ・・・。だけど俺は悠理から目が離せねーんだ。ちょっと事情があってな。」

「事情というのは、清四郎・・・でしょう?」

思いも寄らぬ返答に、言葉が詰まる。

「清四郎が魅録に、悠理のお守りをしろと頼んだのでしょう?」

「あ、ああ・・。知ってたのか。」

果たして、どこまで知っているのか?
清四郎がそう簡単に、彼女に弱みを握られるようなことはしないだろうが・・・。
ここは流れを読んだ方が賢明だな、と慎重に口を噤んだ。

「そのくらい、いくら鈍感なわたくしでも解りますわ。確かに二人は元々仲が良かったですけれど、ここ最近、あまりにもべったりでしたから、きっと何かしら理由があるのだろうと予想はしてましたの。少し八つ当たりしてしまいましたわ。ごめんなさい。」

「八つ当たり?」

「だって・・・・・・・・わたくし、寂しいんですもの。」

竜胆は見事に活けられ、テーブルの真ん中に置かれた。
俺は野梨子の言葉の意味を深く考えず、ただその見事な青紫色の立ち姿を見て、‘まるで野梨子みたいだな’と見惚れていた。

「竜胆の花言葉、ご存知?」

「・・・・いいや。」

男の俺が知るわけない。
いや……清四郎なら、このくらい朝飯前だろうな。

「『悲しんでいるあなたを愛する』。」

「『悲しんでいるあなたを愛する』?」

「この花は群れて咲かず、一本一本が独立していますの。その姿があまりにも寂しげでこんな花言葉が生まれたらしいですわ。」

そう言って、薄らと微笑む野梨子。
果たしてこの花は誰に対し、活けた物だったのか。
俺?
悠理?
それとも野梨子自身?

後から調べた花の性質に「太陽を浴びている間だけ花開き、天候が悪いと閉じる」と書いてあった。
それを読んだ俺は「これじゃまるで悠理だな。」と一つの答えに辿り着いたこと、いまだ覚えている。
それと同時に、あいつを心から笑顔にさせることが出来る男はたった一人なんだという現実を、深く思い知らされたような気がしたのだ。

清四郎が不在の一年は重く、憂鬱で、だけどあっという間に過ぎていった。
悠理は相変わらず空元気を見せながら、学業よりも遊び中心に生きている。
そんな中、その男が現れたのは一つの転機だったのかもしれない。

5人が集まった新しいカジュアルバーでは、オープンを記念して身内をかき集め、華やかなパーティが開かれていた。
可憐が嬉しそうに連れてきた二人組の男。
一人は紛れもなく彼女の「ターゲット」で、もう一人はターゲットの親友だという。
男の俺から見ても相当な二枚目。
涼しげな顔立ちと、撫でつけられた黒髪は、どことなく清四郎に通じるものがあった。

つい最近、道ならぬ恋に破れた美童。
ヤツの機嫌がどんどんと悪くなるほど、男は目立っていた。
いつにも増して上機嫌な可憐は、意気揚々と二人を紹介する。
俺はもちろん興味を示さない。
たとえ二人がIT企業のトップであろうとも、俺が今、ここに居て欲しい男はこの世でたった一人しかいないのだから。

だがまさか、その親友たる男が悠理に興味を持つなんて、想像もしていなかった。
野梨子ならまだしも、色気もくそもない野生児に・・・・!

ヤツは女慣れしていたのだろう。
直ぐ様、悠理をカウンターへと誘い、口説き始めた。
俺は少し離れた席からそれを監視する。
予定外の事態に、気分はまさに最悪だった。

「みーろく!何、険しい顔してるのさ!」

お目当ての女が居なかったのだろう。
手持ち無沙汰の美童がやって来て、カウンターの一番端っこに座る。

「オールド・ファッションドを一つ。」

琥珀色の酒をオーダーした美童は、ふふんと鼻を鳴らし、そのアイスブルーの瞳を瞬かせた。
視線の先はやはりあの二人だ。

「悠理もすっかり女っぽくなったねぇ。清四郎が居た頃はまるで小猿みたいだったのに。」

「はぁ?女っぽい?あいつが?」

「え?魅録、気付いてなかったの?」

俺は目を凝らしながら、絶賛口説かれ中の悠理をまじまじと見つめる。
だが・・・・やはりいつもと変わらない気がして、結局美童を振り返った。

「どこが?なんも変わんねーぞ?」

「ああ・・・・おまえはいつも一緒に居るから変化に気付かないんだね。あんなにも判りやすく‘恋やつれ’してるってのに・・・。」

「恋、やつれ?」

’悠理’と’恋やつれ’・・・あまりにもそぐわない言葉だ。

「その相手は・・・ま、ヤツしかいないよね。離れてからようやく自覚するなんてすごく悠理らしいけど、もうそろそろ限界かな?」

━━━━限界?

言葉の意味を図りかねていると、ヤツは目配せで二人を指し示した。
そこには、珍しく酒に呑まれた様子で撓垂(しなだ)れ掛かる悠理。
そして、その腰を抱き寄せて耳元に何か囁く男の姿。

━━━おいおい、マジかよ。

俺は直ぐ様立ち上がろうとしたが、それを美童が制止する。

「魅録じゃ力不足だ。僕が行くよ。」

「え、おい!」

━━━力不足だと?

そんな言葉には流石にカチンと来たが、その意味は時を待たずして理解出来た。
悠理の背後に、極めて自然な様子で立った美童。
タイミングを見計らい、二人の間を裂くように半身を差し入れる。長い金髪がまるでカーテンのように揺れた。

「ん~?なんだ?美童。」

「悠理、一人にしてゴメンよ。僕が悪かった、仲直りしよう?」

「は?」

驚いたのは男も同じ。
二人して目を瞬かせているが、金髪の貴公子は動じなかった。

「この子、僕のなんだ。他を当たってくれる?」

光輝くオーラを振り撒いて、にっこりと微笑む迫力には、さすがの二枚目も敵わない。
結局、男は反論することもなく、渋々といった表情でカウンターから立ち上がると、肩を落とし、友人の元へと帰って行った。━━━なるほど、美童だからこその解決方法だ。俺なら、きっと喧嘩になっちまってただろう。
案の定、酔いどれたままの悠理には何が起きたか判っていない。

「あたいが~、いつおまえのもんになったんだ~?この女たらしめぇ~。」

怪しい呂律で詰られた美童は苦笑する。
俺は足早に駆け寄ると、悠理のおでこを強めに小突き、一杯の氷水を差し出した。

「いでっ!なにすんだ、魅録ぅ!」

「馬鹿野郎!俺はもうおまえの面倒なんか見ねぇ!とっとと清四郎のトコにいっちまえよ!鬱陶しい。」

「・・・・せぇしろ?」

一瞬、その大きな瞳は期待に見開かれ、まるで迷い子が親を見つけたように輝いた。

「せぇしろ、どこ?どこ?」

━━━おいおい、一体どんな強い酒飲まされたんだよ。

悠理が幻を追っている最中、美童がグラスを指差す。

「‘ブラック・ルシアン’かぁ。これ飲みやすいけどアルコール強いんだよね。彼もセコい真似するなぁ。」

不機嫌そうな美童がため息を吐いた。
そして、視線を彷徨わせる悠理の手をギュッと握りしめ、諭すように語りかける。

「悠理、清四郎に会いに行きなよ。もう我慢出来ないだろう?」

女を口説く時はこんな優しい声を出すのか。
甘く蕩けるような響きが、悠理を素直にさせる。

「・・・ん。うん、会いたい。ね、皆でいこ?」

「お前一人で行くんだよ。」

「一人?だって………あたい、‘二度と帰ってくんな’って言っちゃった。だから………」

左右に首を振り、情けなく眉を下げる悠理に思わず吹き出してしまう。

「ばーか!おまえの意地っ張りな性格くらい、あいつが知らねーわけねぇだろ?きっと心待ちにしてるぜ?とっとと行ってこいよ。」

「みろくぅ……」

だがこれはあくまでも酒の勢いを借りた反応で・・・
次の日にはすっかりと忘れてしまった悠理。俺が清四郎の事を口に出せば、案の定プイと顔を背けた。

━━━ほんと、意地っ張りだぜ。

俺はとうとう、美童に暴露する。
清四郎には悪いが、ぶっちゃけ三年間もお守り役を勤められそうになかったからだ。
事の子細を聞いた美童は。眉を顰めて憤った。

「ほんっと清四郎って狡いよね!魅録が断れないのを知ってて頼むんだから!タチ悪いよ!」

「まあ・・・なぁ。」

「いいよ。そんな約束守らなくても。悠理をあっちに放り込めば良いだけの話じゃないか。」

「だけど、あいつも意地張っちまってるからなぁ。」

「なんだ。そんなの簡単さ。」

「え?」

美童は直ぐに悠理の兄貴と連絡を取り、海外出張を組んで貰うよう願い出た。
もちろん行き先はアメリカ。
それもロス経由で。

「あとは悠理だね。」

豊作さんからは良い返事を貰えたらしく、ほくほく顔で悠理を呼び出す。
いつも思うが、美童は恋愛沙汰に関する事だと、普段の10倍は積極的で役に立つ。その他についてはてんでダメだが。
訝しげに現れた悠理へ、ヤツはさぞ残念そうに切り出した。

「悠理。ロスに渡って清四郎の様子を見てきてくれる?」

「は?なんで、あたいが・・・。」

「ほんとは皆で行きたかったんだけどさ。僕、今ちょっとトラブル抱えてて無理だし、可憐は意中の相手と仲良くしてるだろ?
野梨子だっておばさまの手伝いで忙しいから・・・」

「な、なら、魅録は!?」

「俺、おまえの面倒みるの、飽きた。」

言わんとしている台詞を先読みして答えると、美童が慌ててフォローに入る。

「魅録だって色々付き合いがあるんだ。だから頼むよ。」

唇を噛み締め、何かを耐えようとしている悠理は見ていて辛かった。
こいつは基本、寂しさに弱い。
俺にここまで突き放されたことは、今まで一度もなかったはずだ。
心が痛む。
だが、これも二人の為。強いては俺の為だ。
そっと握り拳を作り、歯を食いしばる。

「…………よ、様子見てくるだけだぞ?おまえらに頼まれて仕方なく、だかんな。」

「オーケー!僕たちが会いたがってたって伝えて?」

「…………うん。」

しかし、ようやくアメリカに向けて出発出来たのは約二ヶ月後のこと。
理由は実に馬鹿馬鹿しいが、ある程度は想定内の事だった。
悠理の提出したレポートが‘不可’となって返却され、再度書き直しを命じられたからだ。
それも相手は気難しい教授の苦手な英語。(日本語でも充分怪しいが)
悠理にとっては地獄である。
丸々二ヶ月間、レポートに費やされ、クリスマス直前になってようやく、不承不承ながらも‘可’を貰うことが出来た。清四郎ならきっと、根気強く付き合ったんだろうな。
唖然とするほど馬鹿な悠理を、かろうじて交代で手伝った俺たちは、まさしく疲労困憊だった。

ともあれ、悠理はロサンゼルスに向かう。
クリスマス真っ只中、無理矢理出張を組まされた豊作さんには気の毒だったが、英語圏で清四郎のアパートを探すことは悠理にゃ無理だ。
心配こそしていなかったが、案の定うまくいったらしい。
その証拠に冬休みの間、とうとう日本に帰ってこなかった。
俺の手元に届いたメールは一通のみ。

‘清四郎がやらしい!!’の一言。

━━━おいおい、清四郎さんよ。らしくねぇぜ?

俺は苦笑しながら、それを静かに消去した。

約一ヶ月後。
晴れ晴れとした表情で帰国した悠理はすっかり元通り、太陽の笑顔を取り戻していた。
どことなく女っぽくなった気もしたが、やっぱり俺にはよく分からねぇ。
美童は口笛で迎え、野梨子は優しく微笑んでいた。
自分の事で手一杯だった可憐は、恋に破れた直後だった為、悠理に激しく詰め寄る。

「あんた!いつの間に!?このあたしを差し置いて!!」

━━━━そこかよ!?

……と突っ込みたくなったが、気持ちはわかる。
恋愛とは縁遠かった二人が、奇跡的に結ばれたのだ。そう、これはまさしく奇跡だ。

二日後、清四郎から珍しく電話がかかってきた。

「なんだ?礼なら美童に言えよ。」

「もう言いましたよ。けれど魅録には本当に迷惑をかけましたね。美童に随分と叱られました。」

「ま、そうだろうな。」

「では、これからもよろしく。」

「は??」

「悠理を見たでしょう?すごく可愛くなっていませんでしたか?これでまた悪い虫が付く可能性が高まりましたね。ですから、今まで以上に気を付けてください。あ、それと一ヶ月に一度はこちらに来るよう、さりげなく促してくださいね。
多分悠理から言い出すと思いますけど念の為。皆さんはお忙しいでしょうから、別に付いて来なくても結構ですが、どうしてもというのなら別行動で……………」

浮かれた口調で捲し立てる男の話を途中でブツッと切り、俺は深い溜め息を吐いた。

「くそっ!!もう知るか!!俺だって年頃の男なんだ!」

次の日。
大学部の部屋に飾られていた花は季節外れではないだろうか。
真っ赤なゼラニウムの鉢植えだった。

━━━━調べた花言葉は・・・‘憂鬱’。

それは間違いなく俺に対しての労り。