番外編6

抜け出そうとする女シリーズ


 

 

ドンドンドン……………ガチャガチャ……

ドカッ!!!

目眩く興奮。

性欲に溺れる身体が最高潮の興奮に包まれていたその時…………

耳障りな音が嵐のようにやってくる。

───疾風怒濤

まさにそんな熟語が当てはまった。

広い部屋のベッドルームをいとも簡単に探り当てたその女は、怒りに髪を逆立てていたように思う。

美しいドレス姿だというのに、この世の全ての憎悪を一身に背負ったような………そんな目でこちらを睨みつける。

「………ゆ……うり?」

先ほどよりもハッキリした声で、彼は呟いた。

荒い息と汗ばむ額。

かなりの苦しさが全身を支配しているのだろう。

唇を噛みながら耐えている姿はイエス・キリストのように尊い。

「………どけよ。」

どす黒い声が私に降りかかる。

”彼の妻“というその恵まれた椅子にどっかり座り、何もかもを手にしている女。

私は思わず笑ってしまった。

夢が打ち砕かれた現実、そしておそらくはこの後訪れる壮絶な制裁を予想し、笑ってしまったのだ。

彼の体に乗り上げたまま、名残惜しさを刻み込む。

その太い首筋に愛撫のような口付けを。

「聞こえなかったのかよ……」

彼女の細くて長い腕は震えている。

だけど、野生の肉食獣を思わせるその瞳には、決して怒りだけではない愛が刻まれていた。

隠しきれない労りと愛情。

目の前に横たわる夫の身体を案じているのだ。

それを悟ってか、屈強な彼は最後の力を振り絞り私を跳ね除け、起き上がり、その直後、妻の手をしっかりと掴んだ。

「悠理………来いっ……!」

引き寄せた雌豹を難なくベッドに押し倒すと、シフォン素材の豪奢なドレスを一気に引き裂く。

そうして始まる濃厚な口付け。

本能のまま貪る夫を、躊躇いながらも受け入れる妻。

まるで映画のように尊く美しい。

「出て……いけ……!」

 

絡み合う吐息の合間にそう告げられ、私はなすすべもなく床に落ちたドレスを拾い上げた。

パンプスをもう片方の手に持ち、瓦礫のような部屋を出る。

負け犬って、こんな気分なんでしょうね。

廊下でぼんやりしていると、視線の先には金髪の男。

ああ、懐かしい顔。

そんな彼が見せる寂しげな微笑みに、私は己の過ちを改めて思い知らされた。

 

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あの日から一年が経つ。

私は警察に突き出されることはなかった。

ただ全てを奪われた。

仕事、住まい、そして”恋人“も。

情け深い彼の父親は、剣菱という巨大な権力の前に崩れ落ち、もちろんそれは私にとってどうでもいい事だったが、当然、恨みの矛先は私だ。

そして息子は息子で激しい怒りをぶつけてきた。

そんな憎しみを私に抱くなんて、本当に愛してくれていたのだと解る。

そんな日本から逃げるように、ここマレーシアにやってきたが、とりあえずは日系企業の派遣社員でなんとか食いつないでいる。

会社の社宅を借り、毎日ジムに通い、週末は喧騒の街で酒を飲む。

これで充分幸せだ。

あの頃の焦燥感は、とうとう綺麗さっぱり消えてなくなった。

歪んだ恋心は春の雪解けのように、どこかへ吸い込まれたのかもしれない。

たまに……彼らの情報が目に飛び込んでくるが、二人は仲良くアメリカで活躍しているようだ。

凛々しくも美しい男と、そんな彼に相応しい女。あの後、薬が切れるまで、彼らはどれほどの愛を交わしたのか。

悔しさも

悲しさも

切なさも

全て日本に置いてきた。

空を見上げれば美しい青。

頬を撫でる風は今日も生ぬるい。

幸せとは何かを気付かせてくれたこの国で、いつか小さな愛を手に入れたいと願う。

その”いつか“はまだ見えないけれど──

それまでに母のような優しい人間になりたい。