本編

人形奇譚

“人姫様”とやらの隠された謎は、想像を遙かに超えた内容だった。
様々な超常現象を経験してきた僕ですら、その悍ましさに背中が震える。

朱音───

本名を呼ばれることなど滅多に無くなった彼女がポツリポツリと話し始めた己の出自。

生まれると同時に母を亡くし、その母もまた異様な力の持ち主だったらしい。
かれこれ60年ほど前の話だ。
父親の存在は聞かされてはいない。
もちろん一人で産み落としたわけではないのだろうから、居るには居る。
ただ彼女の側にずっと寄り添っていたのは、母の時代からの年老いた世話役だけだった。

父親代わりの彼にこの寺で教育を受け、衣食住の面倒をみてもらっていた朱音。
友人こそ出来なかったが生活に困ることはなく、時折、村の長老が訪ねてきて、他愛もない話をする………といった日常を送っていた。

基本は二人きりの生活。
そこに不信感など抱くはずもない。
世俗とは切り離された環境で、彼女はすくすく成長した。

後見人ともいえる存在の彼が亡くなったのは、彼女が13の年を迎えた頃。
村の長が丁重に彼を弔った後、恭しくこう告げた。

「人姫様───これから貴女様のお役目を伝えます。」

役目───
それは顔も知らぬ母がずっと行ってきた、亡き魂の口寄せを指していた。
幼い頃から浮遊する魂の存在を肌身で感じてきた朱音は、他の人間も当たり前のように見ているのだと信じて疑わなかったのだが、此処にきて初めて自分が異端者であると気付く。

村長は村に根付く『人姫様信仰』について詳しく説明したが、十三になったばかりの娘はその信仰に対し、疑問すら抱くことが出来ないほど幼かった。



そんな彼女の前に最初に差し出されたのは一人の少年だった。
流行病で両親を亡くした、身寄りのない15歳の男の子。
村人であった彼は、詳しいことなど知らされぬまま人姫様の生け贄となり、その若き命を散らした。彼の死を悼むことも無く………

口寄せの遣り方については誰の説明も必要なかった。
若い男を前にすれば自ずと手が伸び、相手の意識を奪うことも容易く、その力を身の内に溜め込むと、どんな魂をも意のままに操ることが出来る。
たとえ天に昇ってしまった魂でも、彼女が望めば下界に降ろすことが出来た。

そして、その魂は────

屍となった少年に寄せることで、望むべき相手と会話させることが可能となる。
そう。
人形とは、その都度生まれる遺体だったのだ。

彼女は若き男の有り余る精力からエネルギーを得、それを能力へと開花させる。
誰に教えられたわけでもないのに、まるで遺伝子がそうさせるかのように、当たり前の事として受け入れてきた。
十三で自らの能力に気付かされた彼女は、何の罪悪感も感じないまま、ただ求められるままにそれを行ってきたのだ。
人の死に対する恐れもなく───
こうして罪悪感とは無縁の無垢なる少女が生まれた。

全てを吸い尽くされた男は無惨な屍となり、村長の手で秘密裏に処分されていたらしい。
当初、村人が口寄せを請う時のみ人を殺めていたが、やがてそれも日常化してゆく。



今の村長との面識は彼女がハタチを迎えた頃と聞いた。
“若林秀一郎”──彼は『人姫様』を誰よりも慈しんでいる。

彼には一人、年の離れた病弱な妹が居たのだが、10歳を目前に他界し、日々後悔の念に苛まれていた。
貧しい生活の中、医者に診せることも出来ず、ろくな薬も与えてやれなかった。
親も見放すほど悪化していく病状。
それでも妹は最期まで健気に生きていた。

彼は当時の村長に頼み込み、人姫様の力を借りることで妹の声を聞くことが出来たと言う。
生の苦しみから解放された妹の言葉は、彼を長年の後悔から救い出した。
それ以来、彼の人姫様信仰は深まっていく。

朱音の力は成長すると共に強くなっていったが、何故“若い男”を必要とするかは謎のままだった。
しかし彼女が二十歳を迎えた頃、魂の依代となる人間は意識さえなければ充分に役立つことを知る。
そして男女としてまぐわう事で、より多くの魂と交信出来ることに気付いたのだ。

問題は相手の男がえらく憔悴してしまうこと。
回を重ねる毎に身体は老化し、徐々に命が削られていく。
今、世話役として側にいる男も実年齢はなんと、35だという。
見た目だけでいえば70ともとれる容姿だ。

三年前、自殺しようとしていた彼を若林秀一郎が拾い、寺に連れてきた。
そして彼はまもなく人姫様の美しさに魅了され、そのままなし崩し的に身を預けた結果、今のような姿となってしまったのだ。
男はあと少しで命絶えるだろうと、彼女は予測している。

ようするに、だ。

彼女は自分の力の源である『餌』を、その都度見繕わなくては生きていけないのだ。
若さを保つ=能力の保持
その為には、定期的に命漲る男を側に置かなくてはならない。
まるで西洋のおとぎ話のような話だが、目の前の老婆を見れば決して嘘ではないと判る。
あの妖しいまでの美しさは仮初めの姿。見るも無惨な状態だ。

 

「それで、僕に白羽の矢を?」

「…………秀一郎の選ぶ男に間違いはないから。」

儚げに微笑むその顔は、確かに美しき彼女の片鱗を感じる。
無垢なままの少女のようにも。

「はぁ。………勘弁してくださいよ。」

深く溜息を吐くと彼女もまた追随した。

「私はこのような生き方しか出来ないの。でないと…………」

どうやら『死』に対する恐怖よりも、『力』を失うことに恐れを感じているようだ。

小さな鳥籠に閉じこめられた哀れな金糸雀。

こんな能力を持たなければ、幸せになれたかもしれないのに。

まだまだ謎は多いが、少なくとも“人姫様”を生かし続ける意味が村人達にはあったのだろう。
数多くの犠牲をはらってまで“人姫信仰”を続ける意味が───

「朱音さん。貴女の全てを否定することなど、僕には出来ません。しかしこんな事を続けたとて、待ち受ける運命は悲劇でしかないんですよ?」

「………言われなくとも解ってるわ。私はただ…………」

母を失い、父を知らず────ただ村人の為にその力を使い続けた彼女。
本来の姿は年齢以上に老けて見え、このままでは確実に死を迎えるだろうことは容易に想像できた。

哀れだ。
しかしこれではいけない。

「村長は納得しないだろうが………貴女はもう、その不思議な力を諦めるべきでしょうね。とてもじゃないが、今の世の中では認められない。犠牲者も増えるだけだ。」

「なら黙って…………老いていけ、と?」

「人は皆、老います。そして魂は天に上る。貴女が今していることは自然の摂理に反する。わかりますよね?」

うなだれる“人姫様”は、小さく肯く。
肩を落とし、涙する華奢な身体。
その姿は、まだ十三の幼い少女のままに見えた。



僕はすぐさま寺を後にし、仲間達の待つ宿へと戻った。村長の存在も気になったが、とにかく寺から離れたかった。

気分が悪い。彼女の啜り泣きが耳に付く。

皆は酒に酔い、早めに休んでいたが、宵っ張りの魅録だけは月を眺めながら軒先で煙草を吹かしていた。

「清四郎?なんだ、帰ってきたのか。にしてもひでぇ顔色だな。何があった?」

あの鋭い目で追及されると全てを吐き出したくなる。が、その場をなんとか誤魔化し、床に入った。
何も言わず───何も言えず───

一体どう話せばいいというのだろう。
彼女から離れた現実世界は、忌むべき信仰の輪郭をまざまざと突きつけてきた。
オカルト同好会にとっては“またとない話”なのだろうが、僕の口は固く閉ざされたまま開こうとしない。
あまりにもグロテスクな話だ。
荷が重すぎる。

なかなか寝付けない中、障子越しの月明かりに影が浮かんだ。
彼女の影なら一目で判る。
そっと開かれた隙間から、「清四郎?居る?」と呼ばれ、僕は布団の中で静かに身を起こした。

「悠理か。」

彼女は爆睡する美童を跨ぎ、僕の側に座ると、「無事だったんだな───」と小声で囁く。

「どういうことです?」

話の流れが掴めず尋ねると、

「あたい………夢を………見たんだ。」

と小さく告げた。

よく見れば、カタカタと震える身体。
「寒いのか?」と尋ねれば、「そうじゃない」と答える。
それでも見るに見かねて薄い布団を羽織らせると、安堵したかのように深く溜息を吐いた。

「…………どんな夢?」

「おまえが……………でっかい闇に喰われちゃう夢。闇っていうか………化け物?」

「ふむ。それは人の形をしていましたか?」

「………解んない。でも……すげぇでかくて、太刀打ちできないんだ。あたいが手を伸ばしても届かなくて………必死に叫んでんのにおまえ、気付きもしない。ヤバいと思って飛び込んだら、その化け物、おまえの身体を………丸ごと飲み込んじゃった。」

「────なるほど。」

「なんかさ、掴み所の無い化け物だったんだ。顔も見えなくて、ただ人の形をした巨大な闇色の何かで────怖かったよぉ。」

ポロポロと涙をこぼす悠理に、僕の身体は直ぐ様反応した。
布団の上から抱きしめ、よしよしと頭を撫でる。

不安と予感。
彼女の人間離れした第六感は、僕に訪れた闇を予知してのことだろう。
布団越しに感じる肌の温もりは、ざわついていた心を鎮めてくれる。

────悠理だけが、僕の光だ。

それに気付かされたのはいつ頃だったろうか。
彼女の天真爛漫な性格と、全ての闇を跳ねつける強さに惹かれている自分を発見した。

どこを探しても、こんな女は存在しない。
馬鹿で単純で、時々愚かで………
でも、囚われた僕の心が彼女の側に居たいと願っているのだ。
こんなにも華奢な身体で、いつも精一杯、真っ直ぐに生きているその目映さ。
愛しくて仕方なかった。欲しくて仕方なかった。

「僕が居なくなると………寂しいか?」

つい口を出た質問に悠理は顔を上げる。
月に照らされ光る、濡れた頬。

「あ、当たり前だろ?なんだよ、その質問!」

小声で詰られる喜びを、こいつは知らないんだろうな。
そっと涙を掬うよう口付けると、悠理は長い睫毛を震わせ、何度も瞬きをした。

「…………好きだ。」

溢れ出る気持ちに歯止めは利かない。
あの異常な現実から逃れたいだけなのかもしれなかったが、僕はその夜、愛を告げた。

寡黙な月に照らされながら───

夜の静けさに惑わされながら───