Mojito Night~可憐の一押しから始まる自覚~

~after that~

雨は嫌いだ。
いや───
正しくは、雨に濡れた自分が嫌い。
ふわふわの髪もべったり。
ボリュームある服もじっとり。
貧相な体がより貧しく見える。

昔はそんなことなかったのにな。
濡れても、乾いてても、自分は自分だった。

変わろうと思ったわけじゃない。
いつの間にか、変わってただけ。

きっかけはあいつ。
清四郎に触れられた、たったヒトコト………

────発育途中の少年のようですな。

どこぞの国でテロリストに追いかけられ、あわや30メートルの崖から落ちそうになる惨事。
清四郎の機転で無事救われたけど、その時抱きかかえられたあたいへの一言がそれだったのだ。

解っていたとはいえ、ショックを受けた。

いくらなんでも胸はある。
腰もわりと細い方だ。
いざという時の為、たとえ筋トレをしてても、女であることは捨てちゃいないのに───

そんな無神経な台詞を耳にしながらも、清四郎の腕に縋ってしまう自分が情けなかった。
昔からそう。
危険が差し迫ったとき、清四郎の名前を呼び、姿を探す。
救いの手を得たあたいがどれだけ安心感を得ているか────きっとヤツは知らない。

 

清四郎に恋をしている───

可憐に指摘されるまで、わざと考えないようにしていた。
意地もあったし、無謀な望みだと諦めていた。
友人関係ならきっとうまく続く。
それだけで充分だと思ってた。

でも、そんな張り詰めた心が綻んだのはあの時───
清四郎の隣にスミレ色のワンピースを着たあの女が現れた時だ。

女は隠そうとしない恋心をヤツにぶつけていた。
可憐ほど色気はなく、野梨子ほど知的でもない。
ただ箱入り娘という看板を掲げ、清四郎に近付いただけ。

苦手だった。
あの誘うような眼差しが。
むしゃくしゃした。
細い腕でヤツの背中に触れる瞬間が。

もしあの時、清四郎が恋人として女を紹介したのなら、一体どんな感情に支配されたんだろう。

ドロドロの、まるでコールタールのような劣等感。
胃を切り刻まれるような痛みと、直視できないほどの嫉妬。
それはまるで修羅を燃やしたかのように熱い。

女に厳しい可憐が、こっそり野梨子へと囁く。

「目が怖いわよ。」

誰よりも清四郎の近くに居る野梨子が、複雑な視線を投げ掛けるのも無理はない。
見定めるように、それでいて威圧するかのように、女を見つめていた。

行く先々に現れるようになると、流石に噂は広まる。
当の本人は受け流しているようだが、女はそれを糧に大きな顔を見せびらかし始めた。

人の噂なんていい加減なもんだ。
だからそこに真実がないのなら、いつか風化するだけだろうと思っていた。

「東英さんって、菊正宗君とおつきあいしてらっしゃるの?」

学部内のトイレでたまたま居合わせた井戸端会議は、日常よく目にする光景だ。
東英 静香(とうえい しずか)と席を同じにする女達も、どこか高飛車な印象を与える二人だった。
アイラインを整え、唇に紅をさしながらも、東英 静香ははっきりと答える。

「いずれ、そういう関係になるでしょうね。今は、様子見。」

「へぇ………すごいわねぇ。彼、大学一の有望株よ?そりゃあ、東英さんも相当なお嬢様だけど。」

「有望株だなんて……………でも確かに、彼ならどんな親でも喜んでくれるでしょうね。」

種馬選手権のトップバッターを務める清四郎。
こんな扱い、今に始まった訳じゃない。
昔から、ヤツの高スペックに目を付ける女は多かったし、それは夜の街でも感じ取れた。

彼女たちが尻込む理由。
それは傍らに、完璧な幼なじみが居るから。
逆立ちしても敵いっこない完璧な大和撫子が。

だけど、東英静香はそうじゃなかった。
攻めるタイプの女だった。
野梨子との関係がただの幼なじみだと判ると、遠慮なく自分をアピールし始める。

清四郎は────拒まない。

あたいには解らないメリットやらがあるのだろう。
むしろ清四郎らしい遣り方だと思う。
期待させつつ、一線を引く。
必要以上に付け入らせない為に、太く静かな牽制ラインを引くのだ。

それ以上踏み込めない東英静香は内心、悔しく思っているだろう。
ざまぁみろ。
悪いが、ヤツはそんなに安くない。

相手が野梨子なら、釣り合いがとれると思う。文句なしのお似合いで、あたいの心も荒むことはない。

たぶん─────



「悠理。」

「────え?」

「支払い、済ませましたよ。」

「あ………うん。」

─────“場所を移しましょう”

あたいの告白をそんな台詞で流した清四郎は、ジャケットから携帯電話を取り出すと、何処かへメールを送っていた。
そしてこっちが物思いに耽っている間、会計を済ませ、あたいの鞄を手に外へと促す。

肌を撫でる重苦しい夜の空気に雨が混じる。
熱帯夜は何日目だったろう。となるとこれは恵みの雨か?
暑いのは得意だが、さすがにこう長引くと不快で仕方ない。雨はもっと嫌いだけど。

 

「…………で?どこ行くんだ?」

店の軒下で真っ暗な空を見上げる。いよいよ本降りになってきた。

「二人きりになれるなら、何処でも。」

「………公園、とか?」

「繁華街のど真ん中ですよ?それも雨だ。」

「なら………どーすんだよ!」

告白の返事が気になるのに、焦らされた感じがして無性に苛立つ。短気なあたいの悪いところ。

「…………ホテル、とか。」

「あ、ラウンジ?」

「いや…………冗談です。」

???

気まずさ満点。
一体全体、どーしたらいいんだ?

「あたいは…………おまえの気持ちが聞きたいだけなんだけぞ?」

「僕の気持ち?」

「ん。…………まだ聞いてない、から。」

すると清四郎は苦虫を噛んだような顔を不意に背け、一つ、大きな溜息を吐いた。

「まさか…………気付いてなかったのか。」

「なにが?」

夜はもう遅く、行き交う人々のほとんどは酔っ払いだ。
だからといって、ネオン煌めくテナントビルの下でまさか抱きしめられるなんて………思ってもみない。
清四郎だけは、こんな恥知らずな行動はしないと思ってたのに…………。

いや───こいつは見た目よりずっと大胆な男だったな。

「……………本当に欲しいものは手には入らないと思っていた………」

「え?」

もがく腕をきつく縛られたまま、清四郎の甘い声が耳元を擽る。その表情は全く見えない。

でも───

恥ずかしいのに、心地よくて。
恥ずかしいのに、離れがたくて。

強まる雨から守られているように、ヤツの腕の中は静かだった。

「おまえは………絶対に手の届かない女だと…………諦めていたんだ。」

「せぇ………しろ………」

悔しそうに呟くその告白が、どんな意味を持っているかなんて、鈍感なあたいでも流石に解る。

「あたいを…………好き?まさか…………ほんとに両想い?」

「どうやら………そのようです。」

生温い風が足下をすくう。

雨の冷たさが膝を打った。

清四郎の香りに包まれて。
清四郎の鼓動に励まされて。

幸せな、それでいて信じられない思いが、身体中を駆け巡る。

「………僕はおまえを……………」

続く言葉は夜に溶ける。
男の唇は見た目よりずっと柔らかく、性格よりも遙かに甘かった。
こぼれ落ちる涙を吸い取られ、照れる暇もないまま、瞼へのキス。

「ずっと………愛してきたんですよ…………」

目が眩む。
腰が抜ける。

清四郎の腕に抱き留められた体は………酒に酔うよりずっと心地良く、蕩けるような快感に支配されていた。
今なら…………どんな風に誘われても、きっと頷いてしまうだろう。

ニョキニョキと芽を出し始める女の自分。

もう隠したままで居るなんて────

ゼッタイにデキナイ────