「んまい!」
「確かに……旨いな。」
「これは酒が進みますね。」
ロブスターの尾を持ち上げ、干し鱈のペーストをたっぷり塗りつけながら、悠理は大口を開ける。
テカったピンク色の唇は、白ワインに合わせ、サーモンマリネをしこたま頬張った証拠。
つい一時間ほど前、その唇に貪りついていた清四郎が、思わず眉を顰めてしまうほどの豪快な食べっぷりだった。
魅録も腹が減っていたのか、はたまた好みの味なのか、悠理を追随するように手を延ばす。
大皿に山盛りあったロブスターも、瞬く間にその山を小さくしていった。
「悠理、追加しますか?…………と、愚問だったな。」
目を輝かせコクコク頷く恋人に苦笑しながらも、清四郎はスタッフを呼び、同じ量のロブスターを注文した。
目を丸くするスタッフの気持ちも分からなくはない。
「しゃーわせ!ここ毎日通いたい!」
「…………止してください。」
辟易しながら答えれば、悠理は清四郎の皿にロックオン。
「なんだ、もう飽きたの?あたいが食ってやろうか?」
親切心とは別次元の提案に、清四郎はいつもの調子で彼女を小突いた。
「意地汚い。」
「………残したら勿体ないじゃん。」
「心配せずとも頂きますよ。」
掴まれたままのロブスターを手ごと引き寄せガブリと噛みつく清四郎。
────おまえもこんな風に食べてやる。
そんな隠れた意志を悠理が分かろうはずもないが、彼は強く決心していた。
先ほどの一件から、おちおちしていれば悠理に悪い虫が付く──と理解した清四郎は、少々焦っていたのかもしれない。
せっかく捕獲した可愛い獣。
誰にも譲る気にはなれないし、これから先、悠理以外の女に感情を動かされるとは思えない。
何度口付けを交わしても、新鮮な喜びに満たされる心。
何もかもを教え込み、自分以外見えなくしてやりたいと彼は企んでいる。
いつぞやも“調教”を意識したことはあるが、なるほどこういう感情だったのか。
清四郎はあの時の支配欲の根底に、恋心が潜んでいたことをようやく知った。
独占したいという想いは、一歩間違えれば歪んだものとなる。
理性と知性の男が恋に目覚めてからというもの、その境界線を危うく行き来していた。
日に日に女を開花させていく悠理に、心の全てをぶつけたい。
身体で知らしめたい。
若き欲望は、荒ぶる波のように激しさを増しているのだ。
もはや踏みとどまることは難しい。
艶めいた唇を横目で見つめながら、彼のその爛れた妄想は悠理へと真っ直ぐに伸びていった。
「はぁーー食った食った!」
「悠理、ほら、胃薬。」
「え?別に痛くないし、要らないじょ?」
「後から呻く前に、飲んでおけ。」
空になった皿の横へ、ペットボトルの水と共に差し出された薬を悠理は渋々口にした。
彼の甲斐甲斐しさはいつものことなのに、何故だろう、今日は違う意味が含まれているようで落ち着かない。
気のせいだろうか。
清四郎の目がギラついている。
背中に嫌な予感を感じつつも、薬を飲み終えた悠理は「サンキュ」と小さく呟いた。
この時の彼女が知る由もない。
彼の企みが、思いの外、歪んだものであることを───
・
・
・
再び可憐達と合流し、宿泊するホテルのロビーで歓談していると、時差ボケを感じ始めた四人がそろそろ寝ようと提案してきた。
その味気ない提案を聞き、一人元気な悠理はもちろんふてくされる。
まだ日は高く、遊ぶ時間はたんまりある。
酒だって飲み足りない。
それなのに皆一様に欠伸をしていて、彼女の旅モードに付き合ってくれそうもないのだ。
「明日遊べばいいじゃない。あんたの好きなゲイシール(間欠泉)も見に行く予定なんだし。」
「そうですわ。少しは休まないと───旅は始まったばかりですのよ?」
二人にそう指摘されれば、反論の余地もなく───
仕方なく引き下がった悠理を、清四郎がいつものようにヨシヨシと宥めた。
そこへフロントから戻った魅録が、それぞれの部屋の鍵を差し出す。
「部屋は3つ確保してるからよ。清四郎、あんたはちょい狭いが角部屋を使ってくれ。まあ、わりと見晴らしは良いみたいだ。」
「了解。」
「可憐と野梨子は15号室、美童と俺はその隣だ。」
「あ、あたいは!?」
「おまえは清四郎と一緒で構わねぇだろ?」
「か、構うわい!!」
悠理の反論をさらりと無視し、それぞれが割り当てられた部屋へと消えてゆく。
地団駄を踏む彼女に一瞥もくれない。
「悠理。行きますよ。」
腰に手を添えてくる清四郎はどことなく嬉しそうで────端から見れば、頭の中で繰り広げられている妄想が完全にダダ漏れだった。
「あ、あたい………別の部屋が………」
小さな声でそう懇願しようとしたその時、
ドクン!!
胸に強烈な衝撃が走る。
それは過去に感じたことのない脈動で、一瞬心臓発作かと思うほどの激しいレベルだった。
額に汗が滲み、背中を駆け上がる何とも言えぬ感覚。
目頭が熱くなり、呼吸が乱れる。
「悠理?」
不思議そうに覗きこんでくる清四郎のその探るような目には、色めく何かがチラついているのだが、悠理は自分に起きた変化で手一杯だ。
支えられる腰から、どんどん熱が放射され、腰から下が砕け落ちるように溶けてしまいそうだった。
ドクドクドク
鼓動の速さが増す中、清四郎の腕にしがみつく悠理。
「な、なんか体………熱い………」
「…………おや、風邪でもひきましたか?」
「わ、わかんないよぉ………」
「とにかく部屋へ。」
体全体を支えられる格好で、魅録に指定された部屋へと運ばれる。
長い廊下の先の角部屋は22号室。
そこが、恋人の手によって張り巡らされた蜘蛛の巣であっても、悠理が気付くことはない。
身体中を駆けめぐる熱と、肌が粟立つような悪寒。
どんどん思考がまどろんでゆく。
確かに手狭ながらも、上品なインテリアで揃えられていて、二人でも充分な広さのベッドが鎮座していた。
そこへ優しく横たえられ、口移しで水を与えられる。
そんなイレギュラーな事態にも、悠理は朦朧とした頭で必死に水を求めた。
「せ……しろ………熱い………」
「では今から、その熱を冷ましてやりましょう。」
「……………ん………」
次々に流し込まれる水と、優しい口づけは悠理を陶酔させる。
清四郎の唇に酔いながら、わけのわからぬ状況に身を任せる。
相手が清四郎だからこその薄れた危機感。
他の誰であろうと、ここまで気を許せない。
ぐったりとした悠理を眺める清四郎は、恋人の服を一枚ずつ剥ぎ取り、当初の目的を遂行していった。
白いブラジャーとレギンス姿になっても、彼の手は止まらない。
適温に保たれた寝室は寒さなど感じないし、オリーブ色のシーツは肌触りが最高だった。
「せ………しろ?」
いつの間にか、清四郎も見事な上半身を晒している。
張りのある肌の下には逞しい筋肉があり、それは見慣れた躰であったが今は何故かドキドキさせられてしまう。
────きっと体調不良の所為だろう。
悠理はそう思いこんだ挙げ句、清四郎の動きを止めたりはしなかった。
「随分熱が上がってきましたね。………肌も紅潮して………色っぽいですよ。」
───色っぽい?
初めて聞かされる言葉に彼女の思考は停止した。
あたいが色っぽいだって?
どこをどう見たら───そんな台詞が飛び出すんだ?
胸もないし、セクシーな腰つきでもない。
可憐のような柔らかさも、ふくよかなお尻も持っていない。
それなのに──
清四郎は優しげに見つめながら、今度は耳元で「先に進みますよ?」と囁く。
気のせいだろうか。
吐息が熱い。
薄い布の上からそっと指を這わされただけで、電撃を受けたように体が跳ね、その反応が彼女自身を一瞬、正気に戻した。
「な、なにっ………?」
「言ったでしょう?“僕のものになってほしい”………と。」
「…………え、でも………それは………」
濃厚なキスで思考能力があやふやだった自分を、清四郎が言いくるめただけに過ぎず──
「本気………?」
「本気です。」
「あ、あたいとエッチ………したいの?」
「愚問だ。したくてしたくてたまりませんよ。早く僕のものにしたくて………苦しいくらいだ………」
清四郎の眉根が顰められ、焦がれるような溜息を落とす。
「おまえ相手にここまで自制心が働かないとは………恋とは、厄介なものですね。」
頬を撫でる指に愛しさが込められていて、悠理は思わず擦りよってしまった。
まるで猫のように。
「………いいよ…………するならしろ。」
「………引き返せなくてもいいんですね?」
「ん、いい。どうせあたいは………」
────おまえから逃げられない。
・
・
・
承諾を得た清四郎の行動は早かった。
自らのスラックスを脱ぎ捨て、悠理のレギンスもはぎ取る。
お互い下着一枚だけの姿で抱き合いながら、何度も交わされる情熱的なキス。
「悠理………舌を出して………」
すっかり熱を帯びたそれが、清四郎の口の中に吸い込まれ執拗に舐めしゃぶられる様は、現実からほど遠い光景だった。
粘膜の絡み合いがこれほど刺激的でエロティックなものとは───
映画で見慣れているとはいえ、体感してみるとそれは想像を遙かに超える経験。
「ん……っ………ふぅ………」
鼻から抜ける甘い音が、清四郎の耳にどう伝わっているのだろう。
悠理は涙流れる目をうっすらと開けた。
すると整った鼻筋が、凛々しい眉が視界いっぱいに飛び込んでくる。
男のくせになんて綺麗な肌してるんだ!
悠理は改めて知る彼の情報におののいた。
同じように瞼を閉じていた清四郎だったが、悠理の気配を察したのか、ゆっくりと目を開く。
ジュル………
啜られた唾液の音が途轍もなく恥ずかしい。
お互いベタベタの状況下で、どうしても唇を離せないでいる。
体も心も、粘着テープでぐるぐる巻きにされたような感覚。
密着する全てが心地よく、たとえ息苦しさによる発熱がひどくなったとしても、今は清四郎の口づけに溺れていたい。
少しも離れたくない。
口の中を這い回る舌に頭の芯がどんどん溶けていく。
互いの視線を纏わせながら………加速してゆく欲情に逆らえない。
「…………食べてしまいたいくらい甘いな。」
ほんの少しの隙間でそう呟かれ、悠理の目は潤んだ。
あの清四郎がこんな台詞を投げかけてくるだなんて、少し前までは想像も出来なかったのに───!
恋が生まれ、今はより密接な関係へと歩んでいる不思議。
悠理の胸がざわめきに覆われた。
急に腰へと回された腕に力が入る。
清四郎の腹筋に押しつけられるような形で抱き留められ、不意に違和感を感じ取る。
堅い────何か。
それが太股の際どい場所に当たっていて、思わず現実に戻る。
────何だろう?
疑問をぶつけたくとも、再び始まった清四郎のキスはより激しいものとなり、呼吸もままならない。
さっきよりもずっと体を襲う熱は高く、堅いものに触れた太股が小刻みに震えている。
そして清四郎自身もまた、解らない程度にほんの少しの揺れをそこへ与えてくるのだ。
なんとなくやらしい。
なんとなく────
ピチュ………ピチャ………
言葉がなくとも、ここまで想いが伝わるものなのか、と悠理は感動していた。
口づけから染み出る、清四郎の深い愛情と
強烈な欲望。
その渦に巻き込まれるように悠理も発情していた。
清四郎の昇りを肌に感じながら。
次に待ち受ける愛撫を期待しながら………
彼女は先へと進みたくなる情動を初めて感じていたのだ。
「悠理……………逃げないで欲しい。」
清四郎の懇願めいた言葉が愛しかった。
「…………逃げないよ。」
アイスランドの旅は始まったばかり。
彼らは極寒の地で、更なる愛を確かめ合う。