本編

広大な自然。
どこまでも突き抜けたような空。
大地を彩る豊かな緑と、雄大な時を魅せる数多くのフィヨルド。
観光客を喜ばせる最大の見せ場は、地熱発電所の排水を活かした露天温泉、“ブルーラグーン”である。
神秘的な色合いの其処は水着着用がルール。
六人は湯煙漂う中、それぞれの寛ぎ方で楽しんでいた。
「おい、悠理。中から足引っ張んの止めろよ。」
防水カメラ片手に、魅録がぼやく。
濁ったお湯に潜り、友人達に悪戯するのは悠理にとって至極当然の話だ。
「へへ。こんなに広いと泳げて楽しいじょ!野梨子、今度こそみっちり、教えてやろーか?」
「遠慮しますわ。私たち、そろそろエステへ異動しますの。」

「そうそう。剣菱のおばさまが紹介してくれたのよねぇ!あんたたちもほどほどにしないと、いくらなんでも風邪ひくわよ!」

可憐の進言に答えたのは清四郎だ。

「僕たちもあと一時間ほどしたら出ますよ。どうせ悠理が腹を空かせるでしょうし。」
その一言で一瞬にして目を輝かせる悠理。
彼女が持つ食へのベクトルは限りなく大きい。
そこへガールハントに精を出していた美童が戻ってきて、「あーあ、おばさんばっか。僕もエステ行こうかな。」とぼやいた。
どうやらこのシーズン、ヨーロッパ旅行に繰り出すのは老夫婦が多いらしく、若者はほんの僅か。
もちろん美童の下心を満たしてくれるような若い美女は少ない。
ゼロで無いにせよ、相手が彼氏持ちだったり、既に結婚していたりと、悉く残念な結果に終わっていた。
「ここに沈んだ泥はシリカ成分が濃くて、美肌効果に充分役立ちますけどね。ほら、こいつの肌もツルツルでしょう?」
そう言って清四郎が悠理の肩をこれ見よがしに撫でる。
「な、なにすんだ!?馬鹿!」
「…………何って、触っちゃダメなんですか?恋人なのに?」
言いながらも手を引っ込めようとせず、大きな掌はとうとう悠理の腕を滑り出した。
「あらあら。熱烈ねぇ?」
「止めて下さいな!公共の場所ですわよ?」
女性達の非難を一身に受けつつも、清四郎は止めようとしない。
悠理だけが猿の尻のように赤くなりながら、目を泳がせジタバタと逃げ惑っていた。
「もー!知らない!清四郎の馬鹿たれ!」
ちょっとした隙を見つけ、ビーバーのようにスイスイと泳ぎ去る悠理。
そんな清四郎のからかいぶりを魅録が小突いて戒める。
「ま、観てる方は面白いけどよ。程々にしてやんな。」
「そうそう。悠理は初心者なんだしさ。あんまり苛めてると本気で逃げられちゃうよ?」
「ふ…………逃げたりしませんよ。今度は、ね。」
そう断言する清四郎には自信があった。
あの狸寝入りを切っ掛けに始まった新たな関係。
小さな悪戯心が男女の意識に変わり、今はもうすっかり甘い恋心が育ちつつある。
そんなものとは全くの無縁であった二人なのに………
悠理もまた清四郎に心揺らされ、気付けばその懐に身を納めていた。
触れ合うことで知り得た“想い”。
それは女としての成長を踏み出した瞬間だった。
あの夜───
“僕の恋人になりませんか?”
と問われた悠理は、ぼんやりとした頭で喜びを感じていた。
清四郎の告白は自分を女と認めたということ。
もちろん彼女が、周りの女性よりも女らしいと思ったことなど一度もない。
友人達は超が付くほど女子力の高い二人。
はなから比べるのもおこがましいくらいだ。
だが“性別”を捨てたわけでもなし、それなりに“女”として扱って欲しい承認欲求。
特に清四郎には暴言を吐かれた過去がある。
それを覆せたことは最大の成果だ。
“恋人?友達じゃなくなんの?”
悠理が戸惑い尋ねると、
“こんなことをしておいて、友人に留まる理由は一つもないでしょう?”
清四郎は呆れたように笑った。
“べ、別にあたいはどっちでも…………”
“なら、恋人に。おまえにはこれ以上のことを、事細かに教えてやりますからね……”
布団の中で交わされた密約。

何度も繰り返される口付け。

全ては秘密裏な話になると思っていた悠理だったが、そうは問屋が卸さない。
寝たふりをしながら聞き耳を立てていた男二人にバラされ、翌日には公式に恋人関係を結ぶ羽目となった。
無論、清四郎としては良い方に転がったわけで──
しかし悠理にとっては、あまりにも急展開な話。
小さな脳味噌は既にパンク状態だった。
ともあれ、それからの二人は微妙な変化を生みつつも、仲良く過ごしている。
高校最後の試験もまずまずの結果だったし、後は存分に遊べば良いだけ。
悠理は清々しい気持ちでアイスランドの地を踏んだのだった。
可憐たち三人が温泉から立ち去った後、魅録はカメラ片手に他の旅人と語り始めた。
相手は紳士。
どうやら元F1でメカニックを担当していたらしい。
見た目よりもずっと社交的な彼の人脈はこうして増えていくのか、と清四郎は一頻り感心した。
その後、ついつい怒らせてしまった恋人を探すため、青白く濁った湯の中をゆっくりと進み始めるも、どうやら遠くへ移動したらしく、なかなか見つからない。
空気は思ったほど冷たくはなく、例えるなら適温のプールに浸かっている感じだ。
しばらく温水を掻き分けていると、入り江のように奥まった岩場でようやく探し人を見つけた。
ただし、一人ではない。
浅黒い………恐らくはアラブ系の男と一緒。
「悠理?」
「あ、清四郎。」
相手と会話が出来るほどの英語力はもちろん無く、困り果てた様子で清四郎に向かってくる。
「こいつ、さっきからずっとついてくるんだ。何言ってんのかさっぱりわかんないし。」
男の目がキラリと光り、清四郎を値踏みするよう見つめる。
しかし清四郎には見事な肉体と、それ以上の威圧感が備わっていて、例え相手が随分年上であろうが負けるような男ではない。
悠理の背中に腕を回し、所有権をアピールすれば、相手は口惜しそうに苦笑いしながら、その場から立ち去っていった。
「あいつ、何だったんだ?」
「はぁ。………おまえには教えるべきことが多そうですな。」
「どういう意味だよ?」
途方もない馬鹿だが、それでも好きになってしまったのだから仕方ない。
最後まで責任を取るのが飼い主……もとい恋人の役目。
「悠理。」
「ん?」
「おまえは美人です。」
「へ??」
「最近はわりと色気も出てきましたね。」
「いっ???」
「この僕が惑わされているくらいなんですから…………分かるでしょう?」
顎を持ち上げ、目と目で会話する。
それはいつもの合図。
口づけを交わす前の儀式だ。
「せ………」
「こういう関係になった以上、他の男に指一本触れられて欲しくない。おまえは………僕だけのものですから。」
いつもより強く押しつけられた唇は、冷えた空気の中でも熱く感じた。
密着する肌と肌。
見事な筋肉を持つ身体に包まれる高揚感は、悠理を女だと知らしめる。
「………んっ………ぁ………んなとこ……で…んんんっ!」
反論を塞ぎ、呼吸すら奪う。
清四郎と重ねてきた今までのキスが追いつかないほど、それは激しいものだった。
唇の隙間から忍び込む舌が、口の中を問答無用に舐め回す。
抗うことすら見いだせない、エロティックな口付け。
永遠に続くような艶めかしいキスに、悠理の意識が朦朧とし始める。
いくら人が来ない場所でも流石に恥ずかしさを感じる。
しかしそれこそが身体の奥深くを熱くしているのだと、無知な悠理は判っていなかった。
歯茎をなぞられると尾てい骨から鳥肌が立つ。
小さかったはずの快感はどんどん膨れ上がり、バクバクと躍る心臓を直撃する。
いつのまにか腰に回った手が、水着の中へと忍び込み、尻の割れ目をそっとなぞり始める。
「んっっ!ぁっ………やっ!」
必死の抵抗で首を振ると、清四郎はほんのりと赤らんだ頬で口を開いた。
「………………欲しい。」
「………ふぇ?」
「この旅で………僕のものになってくれませんか?」
ぐるぐると回る頭。
思考能力はいつもの半分以下。
ただでさえ小さな脳味噌が、まともな答えを弾き出せるはずもない。
「………それって…………おいしい?」
ふにゃふにゃの身体でとんちんかんな答えを出す悠理。
それに苦笑する清四郎は、茹だった頬に優しくキスを落とし、「もちろんです。」と断言してみせた。
旅は始まったばかり。
まるで地球の息遣いを感じるほどの大自然は、二人にとって恵みの大地となるだろう。
一歩踏み出すだけで見たことのない景色が広がっている。
それはこれからの二人も同じ。
「部屋は───同じでいいですね?」
「!!?」
ようやく言葉の意味が到達した頭で、置かれている状況を悟った悠理は、逞しい恋人に捕獲されながらブルーラグーン…………まさに楽園のような其処で小さく呻いた。
───これからどーなるんだ?あたい。
その疑問に答えられるのは、目の前の男だけ。
だが意味深に微笑む彼に、深く尋ねることは出来なかった。