第七話

アラフォー可憐シリーズ

 

「よーし、これで一件落着だな!」

そう晴れ晴れと叫ぶことができたのは、テロリストの要求からおよそ三十分後のこと。
活躍した悠理は大きく背伸びをし、仲間たちに最高の笑顔を見せた。

あの時………
野梨子と魅録のラブシーンを中断させた悠理は天井裏から飛び降り、ドレスの裾を乱暴に破った。
もちろんハイヒールなど最初っから履いていない。
何せ久々の戦闘モードなのだ。
彼女は高揚感を隠すことなく、ギラついた目で魅録を誘った。

「派手にやろうぜ!」

「………ほどほどにな。」

言って聞くような相手では無いと分かっていても、念のため警告する。
檻から放たれた野生動物を御すことが出来るのは、この広い世界であの男だけだ。

「魅録、悠理……どうするつもりですの?」

肩の力こそ抜けたものの、野梨子は不安げな表情で二人を見比べる。

「大丈夫だ。おまえはここで待ってろ。」

不敵な笑みを見せる二人の手には、手榴弾より一回り小さい謎の物体があり、それが危ない玩具であることは、妻である野梨子もピンときた。

「すぐに片付けてくる。」

そう言って扉から飛び出していった彼らは宣言通り、あっという間にテロリストたちを制圧してしまった。
あの小さな物体は会場全体に煙幕を張り、狙い通り、混乱するテロリストたちを悠理たちがすかさず一網打尽にする。
タイミング良く開かれた扉からは、清雅と清四郎の率いる特殊部隊がなだれ込み、たちまち事件は解決。
10人の悪人達は呆気なく御用となったのだ。
無論、人質たちは全員無事である。

実業家マーク・ブルームバーグは彼らの活躍を讃えた後、年齢を考慮されたのか、すぐさま病院へと運ばれた。
可憐の夫をはじめ、このパーティの主催者達は事情聴取の為、警察署へ移動することに。
……さぞかし長い夜となるだろう。

その後、ようやく揃った有閑倶楽部6人は清雅と共に宿泊先のホテルへと向かった。
数多あるホテルの中でトップに君臨する其処は、剣菱百合子自ら手がけた最高にラグジュアリーな空間が広がっている。
フロントロビーには数え切れないほどの花々が咲き誇り、ダイヤモンドがふんだんに使われた豪奢なシャンデリアが存在感たっぷりに垂れ下がっていた。

こだわり抜かれたインテリアの数々。
整った容姿のスタッフ達は一流の教育を受けており、全員が5ヵ国語以上話せるのだから驚きである。
世界のVIP達を相手にするのだから当然といえば当然。

「それにしても、清四郎が早めに到着してくれて良かったよ。」

救急車で病院に搬送された恋人から「痕は残らないって!」というメールを受けとった美童はホッと胸を撫で下ろした。相手はトップクラスのモデルであるからして、少しの傷も残ってほしくない。

「剣菱の力を“的確”に使える男だもんな。」

胸ポケットから煙草を取り出した魅録は、彼がイレギュラーな方法でニューヨーク市長を動かしたことを知っている。
親友が持つその権力は巨大で、州警察はおろか、米軍すら言うがままに操れるほど。
無論、剣菱百合子の剣幕をもってすれば、アメリカ大統領だって赤子のようなものだが──

「タイミング良く空港に降り立てて良かったですよ。魅録の連絡は迅速でしたしね。」

「遅刻が功を奏したってことだよな!」

バスローブ姿の悠理がヨシヨシと撫でる夫の頭は、昔と何ら変わらない。風にも崩れぬカチッとした黒髪だ。もちろん、彼をこんな風に扱える人間もまた、世界広しといえど悠理だけである。

「母さん、風邪引くから着替えてきたら?」

息子の進言は決して母の身体を心配してのものではない。
’いい年してみっともないから、そんな恰好は止めろ’
彼の視線はそう物語っていた。

「はいはい。おまえは相変わらず口うるさいなぁ。清四郎以上だぞ。」

口をへの字にした父子を尻目に、悠理は寝室へと姿を消す。
とても四十前とは思えぬ、すっきりとした身体つきだ。

清四郎の深い愛がそうさせるのだろう。高校時代、誰も期待していなかった色気がそこはかとなく立ち上っている。
野梨子と可憐は多少のくすぐったさと共に顔を見合わせた。

「せっかく揃ったとこわりぃんだけど、俺も野梨子も寝不足でよ。先に休ませてもらうぜ。どーせ明日からしばらくどんちゃん騒ぎだろ?」

「あら、詰まんないわね。今からとっておきのワイン開ける予定だったのに。」

可憐の手にはフランスから取り寄せた赤ワインのボトルが握られている。

「おまえらで存分に楽しんでくれ。清四郎、美童、久しぶりに時間が取れたんだ。色んな話が出来そうだな。」

ニヒルな笑顔を残し、妻を促す魅録。
野梨子は戸惑いながらも、軽い会釈と共に「ではお先に。おやすみなさい。」と告げ、夫の背中を追いかけた。

仲間たちは知らない。
2人の過ごす夜が数年ぶりに燃え盛ることを。

 

 

「………大丈夫か?」

汗ばむ肌をそのままに、魅録は野梨子を気遣った。
白く透き通った肌。
残された紅色の痕。
柔らかな胸の膨らみを優しく揺らし、野梨子は気怠げに振り返る。

久々の情事は互いの心を燃え立たせた。
些細な愛撫にすら本気で乱れる妻の姿。
魅録から遠慮という言葉を奪い去り、欲情の炎が瞬く間に背中を駆け上ってゆく。
甘く切ない啼き声と汗に濡れた黒髪は美しく、可憐とはまた違う清楚な花の色気が、魅録の欲望を限りなく煽った。

「ええ……」

桜色の頬は照れている証だろうか?
何度も口付け、貪った唇は苺のように赤い。

シーツを手繰り寄せ、そっと魅録の胸におさまる野梨子は喜びと共に目を瞑った。
身体を繋げるだけでこんなにも満たされるなんて……思いもよらなかった。

なぜ、もっと早く想いを伝えなかったのか?
様々な後悔はあれど、今はこんなにも満たされているのだから、腕の中で大人しく眠るのが正解なのだろう。

「………野梨子。」

「え?」

艷やかな黒髪に口付ける夫は、基本口下手である。
だから次に飛び出した台詞は、野梨子自身、聞いたことのないものだった。

「…………愛してる。ずっと愛してるから、不安なんか感じず、もっと頼ってほしいんだ。」

「魅録………」

硬派で照れ屋な彼の精一杯の想いを受け取り、野梨子は歓喜に涙した。
この先、どんなことがあろうとも、信じて生きていける。
野梨子にとってそれが何より愛しく尊いものなのだ。

「わたくしも………愛していますわ。魅録だけをずっと……」

振り返ってみれば些細なことだった。
言葉とは、本音とはなんと大切なことなのだろう、と改めて思う。
’分かり合えている’
そう信じるには、やはり伝えることが大事。
それを怠ることはあまりにも愚かだ。

魅録の汗ばんだ胸に唇を寄せた野梨子は、朝までその幸せをかみしめた。

 


 

 

「あ~あ、あたしも日本に帰ろうかしら。」

とっておきのワインは呆気なく空瓶となっている。
今は二本目の白ワインをちびりちびり………。
清四郎が前もってオーダーしたもので、一般人にはなかなか手に入らない代物だった。
妻の要求を満たすべく、食事やフルーツがテーブルいっぱい並べられていて、テロ騒ぎの憂さ晴らしとばかりに食いつく悠理は通常運転だ。

「どうしたんです?彼とは上手くいってないんですか?」

4人+息子といったメンバーで酒を酌み交わすのは、ほぼ初めてのこと。
誰に似たのか、未成年ながらも清雅の酒豪っぷりは悠理顔負けだった。

「上手くいってるわ。………いってるつもりよ。でもやっぱりあの女がチラチラ見え隠れするのよね。」

美童は事前に話を聞いている為、静かに頷くに留める。

「夜中………時差を考慮してるんでしょうけど、電話でやり取りしてることも知ってるし、それなりのお金を送金してることも分かってる。」

寸分の隙もなく整えられた爪でナッツを摘まみ、可憐は溜息を吐いた。

「恩人の娘って、そんなに大切なものかしら………」

哀しげな瞳に映る本音。
美童はよしよしと肩を叩く。
切ない女心に寄り添えるのは彼だけかもしれない。

「可憐の好きなようにすればいいじゃん。」

バナナを飲み込んだ悠理がそう切り込んだ。

「尽くすのはいいけどさ、今のおまえ、ちっとも嬉しそうじゃないぞ?」

「悠理…………」

「だいたい向こうから懇願してきたくせになんだよそれ。馬鹿にしてんのか!」

酒の勢いも相まって、ヒートアップする悠理。それを清四郎が宥める。

「ありがと、悠理。それにしても焼きが回ったわね。何かを期待してこんなとこまでついてきちゃったけど、やっぱり一度壊れたものは直せないのかもしれないわ。」

「そう結論を急がずとも。彼には彼の言い分があるのかもしれませんし………」

「言い分………ね。昔はその言い分すら聞かずに別れちゃった。」

「今回はどうです?」

「ふふ、それなりに年を食ったから、少しは聞いてあげれるかもしれないわね。」

グラスに残ったワインを一気にあおった可憐は、「じゃ、そろそろ寝るわ。また明日遊びましょ。」と部屋を後にした。
そんな後ろ姿を見送った美童はやれやれと肩を竦める。

「ずっと好きだったんだと思うよ。」

「でしょうね。意外と一途ですから。」

「けっ、どこがいいんだか。」

「悠理はどっぷり愛されちゃってるからねぇ。不安も何もないだろ?」

友人の指摘に顔を赤らめるも、悠理は「当然だ!」と胸を張った。

「清雅くん、今夜は僕の部屋で寝る?ここにいちゃアテられるよ。」

「お言葉に甘えます。」

「清雅!」

笑いに包まれる部屋で4人は再びグラスを合わせ、ニューヨークの夜に乾杯した。


 

 

酒に酔い、クイーンサイズのベッドに大の字で横たわる妻は、子供を産む前と何ら変わらぬ姿に見える。
清四郎はそれなりに年を重ねた自分に自信を持っていたが、それでも若々しく美しい妻との差を感じずにはおれなかった。

「今日はお手柄でしたね。」
「へへ。当然!」
「怪我がなくて良かった。」
「怪我なんかしたら、おまえ、犯人を地獄に突き落としてただろ?」
「この世から抹消してたでしょうね。」
「こわっ!」

怒らせたら怖い夫の腕を引き寄せ、バスローブの中に誘いこむ。
そこには昔とは違う程よい大きさの胸が待ち構えていた。

「な………いいだろ?」
「久々に暴れて興奮したのか?」
「それもあるけど………排卵日なんだ。清四郎が欲しい。」
「なるほど………」

多くの子を成した後ですら、清四郎は悠理を求め、焦燥に駆られる。若き頃よりはコントロール出来るようになったが、それでも人より多く、夫婦の営みを楽しんでいると思う。
彼女の許可が出たのなら、それはもう遠慮という鍵を取り払うべき事態。
首からネクタイを抜き去った清四郎は、シャツのボタンを素早く外しながら妻に覆いかぶさった。

「美童に感謝ですな。」
「清雅は最初からこの部屋を使うつもりなかっただろ。」
「ふ………出来の良い息子です。」

重ね合わせた唇が情熱に彩られる。
清四郎は悠理の身体からバスローブを剝ぎ取ると、互いの身体を入れ替え、屈強な胸板に妻を乗せた。

「あたいが………上?」
「こっちの方が感じるんでしょう?」
「………ま、ね。」

限界を迎える夫の表情が何よりも好きな悠理にとって、それは有難い申し出。
自由に大胆に、清四郎を弄ぶことが出来れば、悠理の中に燻る淫らな衝動が突き動かされるのだ。

「愛してるよ……」
「愛してます」

重なり合う二人は夜通し愛を交わし、朝日が昇るころ、ようやく眠りについた。