次の日────
わずかだったはずの身体の痛みが如実に感じられるようになり、私は昼過ぎまで横たわることにした。
食欲も半減していて、想像以上に大変な行為だったと分かる。
喉の渇きをサイドテーブルに置かれたスポーツドリンクで潤すも、起きあがる気力は湧かない。
体力はある方なのに────不思議だ。
そんな中、心配顔を覗かせたのは悠理おばさまだった。
「んーー。熱、ないよなぁ?」
山盛り刻まれた南国フルーツをヨーグルトと蜂蜜で混ぜ、ボウルで差し出してくれる。
料理は不得手だと聞いていたが、それなりに美味しかった。
「ありがとうございます。」
「どーいたしまして。」
いつ見ても若々しく、化粧を乗せなくても潤いある肌を保っている。
秘訣は、恐らく食生活と適度な運動。
清四郎おじさまの愛を加味したとしても、本当に見事な保持力で、心底素敵な女性だと思う。
「あのさ…………」
「はい?」
いつになく緊張した面持ちで話しかけられ、私はスプーンを持つ手を止めた。
「んと……………うちのバカ息子、夕べなんかした?」
「ぇえ!?」
素っ頓狂な声が出てしまい、思わず自分の頭を殴りたくなった。
おばさま相手ならどうとでも誤魔化せたはずなのに、こんな動揺を見せたら水の泡だ。
「………清四郎が様子見て来いって言うからさ。椿が具合悪いの、珍しいだろ?だから……もしかして何かあったのかなって………」
さすがと言うか、何というか。
おじさまの洞察力は桁外れ。
こういう分野は可憐さんや美童さんの十八番だと思っていたけれど、自分の息子のこととなるとやはり注視してしまうものなのね。
私は真っ赤になって俯くしかなかった。
「あーーーー・・・やっぱそういうこと?」
普段鈍感だと詰られているおばさまも、流石に気付いたらしい。
頭を掻き毟りながら、ばつが悪そうに横を向いた。
「そーいや、あたいも初めてん時は具合悪くなったんだよなぁ。あいつ無茶するからさ。丸一日、トイレ行くのも辛かったよ。」
赤裸々に暴露されても相槌すら打てない。
ただ一つ、誤解を解いておかなくては、悠丞君の立場が危うい。
私は慌てて口を挟んだ。
「あの………おばさま。」
「ん?」
「ちゃんとお互い同意の上で………決めた事なんです。決して無理強いされたわけじゃありませんから。」
するとキョトンとしていた彼女が、ゆっくり破顔する。
「ははははは!!」
「おばさま?」
「あいつに………悠丞に、んな度胸ないことくらいわあってるよ。清四郎じゃあるまいし!だいたい椿が拒否したら、あいつは落ち込んで逃げ出すしかないだろ?」
親から見て、そんなにも悠丞君は頼りない存在なのだろうか。
確かにこのご両親に比べれば、彼はまだ幼く、弱い。
だけど夕べの悠丞君は、おばさま達も知らないだろう顔をしていた。
男っぽくて、色っぽくて………ちょっとやらしくて。
どんどん赤面する私を労るように、おばさまは背中を撫でてくれる。
そういう彼女の首筋には赤い痕跡が三つもあって、何とも言えぬ気持ちになった。
相変わらず仲良しな夫婦。
私たちもそれを目指したい。
「デリカシーなくてゴメンな。でも痛みが続くようなら薬持ってくるよ。清四郎のは即効性だから。」
「いいんです。この痛みは………ずっと覚えておきたいんです。」
本心だった。
痛みから伝わる現実が喜びに変わり、私を包み込む。
それは離れていてもまるで彼に抱かれているような錯覚を与えてくれるのだ。
「ん。わあった。でも悠丞にはしばらく距離を置かせるから。」
「え、どうして?」
悪戯っ子のように微笑むおばさまが顔を近づけ告げた言葉。
「男は覚えたての頃が一番ヤバいんだぜ?椿の為に言ってんだ。」
それはそうかもしれないが………今時の女子だってわりと肉食なんだけどな。
ただここは親の立場というものを理解し、大人しく頷くことにした。
「あの………父には………」
「魅録?言わない言わない。もちろん野梨子にもな。だけどあいつ勘が良いから、帰ったらバレちゃうかもよー。」
「………その時は覚悟します。」
「うん!それでいい。」
んじゃ!と背中を向けたおばさまへ、思いきって言葉を投げる。
「あの!…………悠丞君はとっても紳士的でした。本当に!」
「へぇ? そりゃ父親の教育の賜物だな。」
「だから…………叱ったりしないでくださいね?」
「んなことしないよ。めんどくさい。」
いかにもおばさまらしい答えにホッと胸を撫で下ろすと、不意に食欲がよみがえってきた。
「ゆっくり休めよ。夕方からバーベキューするんだし。」
「はい。」
扉が閉まると同時に脱力感に見舞われる。
悠丞君が顔を見せない理由が解ったからかもしれない。
「……………はぁ。……………彼の母親がおばさまで本当によかった。」
緊張していた反動からか、私はボウルの中身を勢い良く平らげた。
・
・
・
結局夕方まで熟睡した私は、ぬるめのシャワーを長めに浴びた。
悠丞君の感触が消えてしまうのは残念な気がしたけれど、汗臭い体で人前には出たくない。
バスローブに身を包み、風の通るベランダから浜辺を眺めると、悠丞君と二人の妹たちが楽しそうに散歩している姿が目に飛び込んできた。
ブラコン気味の可愛い姉妹。屈託のない笑顔とはしゃぐ声は、彼を独占出来る喜びに満ちている。
どんな話をしているのか気になったが、悠丞君の表情は普段と変わらず穏やかで、おばさまの言ったとおり、叱られるようなことは無かったと確信した。
私たちは深い関係に進んだけれど、現実はただの子供。
今すぐ大人になりたくてもそれは叶わないと知っている。
望む未来を出来るだけ早く手に入れる為には、自分たちだけで生きていける力を身に着けなくてはならない。
だからこそ、交換留学を希望したのだ。
うまくいけば推薦で海外の大学へ進める。
私が目指す職業は国際弁護士で、早々に独立するためにはどんな努力も惜しまないつもりだった。
一日でも早く悠丞君と誓い合い、二人で暮らしたい。
彼の将来は、もっと色んな女性に言い寄られるに決まっていて、私の中に確実な焦りがあった。
「…………みっともないかしら。」
下級生にも彼のファン倶楽部が生まれつつある。
私たちの関係が周知されていても、人の心が揺れ動くのを止めることは出来ない。
熱っぽい視線に晒される恋人を、何食わぬ顔で見過ごすのはわりときついものだ。
「椿ちゃん!」
気付けば、彼らはベランダの下に並び、こちらを見上げていた。
夕べの悠丞君とは違い、優しいお兄さんの表情。
でもほんの少し、心配そうに見つめてくる。
「具合、どう?」
「あ、うん。すっかり元気。」
「椿ちゃん!そろそろバーベキューの準備するんだから、着替えておいでよ!」
二人の妹が手招きし、私はようやくバスローブ姿を恥ずかしく思った。
「今、行くわ。」
どんな顔をすれば自然なのだろう。
おじさまにも知られている状況下で、さすがに平然とは居られない。
そんな不安を汲み取ってか、悠丞君が私の名をそっと呼ぶ。
「椿ちゃん───」
「え?」
『だ・い・じ・ょ・う・ぶ』
音もなく象られた彼の唇。
その確信めいた表情に胸がときめいた。
絶対的な安心を与えてくれる愛しい人。
これまでも、
これからも、
私にとって彼以上に大切な人は現れないと信じてる。
南の島の夕暮れは美しい。
遠くの空は既に小さな星たちが瞬いていて、夜を感じさせた。
こんなにも美しい空の下───果たしておばさまの思惑通り、我慢なんて出来るのかしら。
穏やかな笑顔に隠された獣のような彼の欲望を、私の目はしっかり捉えてしまったのだけど。