遠い島の小さな初恋物語(4)

 

白波が寄せては引いてを繰り返す。

流れる音楽のように。

空は突き抜けて青く、

太陽は燦々と輝いて、

その光を浴びた彼女はやはり美しかった。

 

「はぁ〜、今日も良い一日だったわ。思い切ってここに永住しちゃおうかしら♡ほら、肌もつるっつる!」

エステで磨きをかけた美肌。

それに見合った青いワンピース。

可憐はどーだ!と言わんばかりに、白く滑らかな背中を見せつけた。

もちろん褒めてもらいたい相手は芝田で、美童の社交辞令には興味がない。豊満な胸を強調するホルタータイプ。普通の男なら目のやり場に戸惑う姿だろう。

しかし芝田はにっこり微笑むと、「若いお嬢さんは何を着ても似合いますね。」そんな褒め言葉で、さらりと躱した。

「相変わらずだな……くっくっ」

笑いを噛み殺す魅録に野梨子は溜息を吐く。

「馬鹿馬鹿しいですわ。あんなにも年の離れた殿方に……相手にされるはずございませんでしょ。」

「まあ、遊びならともかく、本気にはならねぇだろーな。」

可憐の健気なアプローチはいつものこと。芝田が持つ大人の色気に必死で食らいつこうとしている彼女は、確かに普段より美しく、パワーがあった。

とはいえその想いが実る確率は低い。むしろ皆無だ。

芝田の年齢と経験を考えると当然ともいえるが………。

「悠理、怪我はまだ痛みますの?」

野梨子の気遣いは無用のものだろう。テーブルに並べられた芝田手製のフルーツケーキはそのほとんどが悠理の胃袋に吸い込まれているのだから。

ろくに動けぬ鬱屈を晴らすような食欲を見せている。

「ん〜、薬が切れたらちょっと痛むけど、そんなにひどくはない。」

「ここは暖かい土地だから、化膿しないように気をつけろよ。」

「わあってるって。……あ!おっちゃん、おかわりしていい?」

芝田も悠理の化け物じみた胃袋に慣れてきたようで、「はいはい。」と素直に次のおやつを用意した。

そんな彼らの様子を横目に、清四郎は読書している振りをする。目が文字をなぞっているだけで、内容は頭に入っていない。

自分は何故あんな宣言をしてしまったのか──

後悔にも似たもどかしさが襲い、可能であるならば時間を巻き戻して欲しいとすら願う。

あんなこと……言うつもりはなかった。

清四郎の発言を聞いた芝田の顔は、驚きと苦笑と少しの憐れみ。青二才に対する愛おしさも含まれていたのだろうが、それはむしろ清四郎の高いプライドを刺激した。

(くそ……僕は一体どうしてしまったんだ)

悠理に対する想いは決して間違ってはいない。

芝田に懐く姿は腹立たしく、むくむくと芽を出す独占欲に名前を付けるとしたら……それは醜さを孕む執着と言えよう。

清四郎にとって“恋”は不可解なもので、自分の身に起こることだとは到底思えなかった。

悠理に恋をする愚かしさは、深く考えずとも解る。

彼女のベクトルは常に刺激ある世界と食べ物に向いていて、決して男女間の恋愛に興味があるわけではない。

いつまでも自由に我儘に──

“剣菱悠理”として生きていくという強い意志と覚悟が、そういったものを遠ざけているのだ。

だが……彼女の頭はごくごくシンプルに出来ていて──

万が一恋に落ちてしまったら、文字通り猪突猛進、獅子奮迅の様相で相手を捕獲することだろう。

それこそが剣菱悠理のプライド。

貪欲に大胆に、自分の番(つがい)を手に入れるはずだ。

(そう……悠理はそんな女だ。手綱を握っているつもりでも、いつかあっさり離れていく)

その時の己を想像すれば、清四郎の背中は寒々しく感じた。

いつまでも今のままではいられない。そう分かっているのに、悠理を諦められない自分がいるのだ。

「あ〜、ちょっと包帯の下、痒くなってきたかも。」

そんな声に清四郎はハッと我に返った。

芝田が「巻き直そうか」と声をかけ、悠理は「うん!」と元気よく答える。

二人が仲良く……否、親密に触れ合う姿など見たくはない。

それでも視線は無意識に追ってしまう。ただの手当てだと分かっていても、悠理に触れる男の手が許せない。

「僕がしますよ。」

清四郎は椅子から立ち上がると、まるで荷物を抱えるように悠理を抱き上げ、寝室へと連れて行く。あまりにも唐突な行動に仲間たちはポカンと見送ったが、そこに意味を見出だせる人間は一人も居なかった。

芝田だけはフッと口元を緩め、頭の後ろを掻きながら「やれやれ」と呟いていたが───

 

 

優しく下ろされた場所は、清四郎と魅録が寝泊まりする部屋だった。

荷物から救急道具一式を出す男の背中を見つめ、悠理はいつもの安心感に包まれる自分に気付く。

怪我をした時、手当てをするのは清四郎の役目で、小言を言われつつも、彼は痛みや加減を窺いながら、優しく処置してくれた。

その大きな手から繰り出される迷いのない手順。

怪我の程度はどうであれ、この男に任せておけば何の心配もいらない……それほどまでの信頼を持てる相手は清四郎だけだった。

「外しますよ。」

「あ、うん。」

太もも、それも比較的きわどい場所。出血を抑えるため、心持ちきつめに巻かれていた包帯が解かれ、彼の手に巻きつけられる。変色した血のガーゼを捲れば、痛々しい縫い目が見え、悠理は思わず目を逸らした。

「いい感じに塞がりつつありますよ。少し時間はかかるでしょうが、痕は残らないはずです。」

「そっか……別に残ってもいいけどさ。」

「いや、おまえも一応女なんだから。」

「そんなこと……ちっとも思ってないだろ?」

「………………。」

清四郎の沈黙は、彼女の心に少なからず傷をつける。

今も昔も……彼は女扱いしてくれないから。

それがほんの少し寂しい。

「………こんなにも細くて綺麗な脚をしてるのに、女じゃないなんて、さすがに思いませんよ。」

「…………え?」

消毒的を浸したガーゼが傷に染みたが、それ以上に清四郎の言葉が気にかかった。

そっと上目遣いする男と目がかち合う。

美しく整った黒い瞳。普段は何を考えているのか解らないポーカーフェイスが、今は何故か感情を押し殺すように苦しげだ。

そんな友人の表情に悠理の鼓動が跳ねるも、理由までもは思いつかない。

二人を取り巻く妖しげな雰囲気もまた、彼女の居心地を悪くさせた。

「悠理…………」

「な、なに?」

ガーゼの上で彼の指がほんの少し強張った気がする。些細な変化を感じ取りながらも、清四郎から目が離せない。

「僕はおまえが………」

ゴクン……

喉が鳴る。

「おまえが………」

吸い込まれたのか

はたまた、吸い込んだのか

言葉よりも先に近付いてきたその瞳がゆらり、欲に彩られた瞬間。

悠理の唇は彼のものと重なり

……そして静かな時間が流れていった。

 

 

続く