Parental love

小学生の悠歌とその親たち


聖プレジデント学園初等部では、夏休み明けの子供たちが、それぞれの思い出を語り合っていた。
裕福な家庭の彼らは、一般人が羨むほど豪華な夏休みを過ごしている。
ハワイ、フランス、シンガポール、モルディブなど。
中にはまるで南国の民のように日焼けしている子達も居た。

もちろん剣菱家の令嬢、悠歌も母親の影響で色んな国を遊び回っていたが、今はその話題ではない。
夏休み終盤に催された剣菱邸でのお泊まり会、それこそが議題だった。
まずはちょっと’おしゃま’な彼女達の他愛ない会話から・・・・。


「悠歌ちゃんのママって、ほんと美人だよね。」

「ねー!」

「うん!でもパパも格好いいよ!」

「良いなぁ。うちのパパとか、もうカンペキおじさんだよ?すぐに親父ギャグ飛ばしてくるし!」

「親父ギャグ?」

「そう。‘早くトイレに 行っトイレ’………とかね。ほんとウザい!」

「それは確かにウザいね。」

「その点、悠歌ちゃんのパパ、真面目そうだし下品な事も言わなさそう。」

「俳優さんみたいにハンサムだしねー!」

「そういえば・・・あんまりジョークは言わないなぁ。」

「すっごく優しそうだよね。」

「勉強しなかったら鬼みたいだけど、普段は優しいよ。」

「それでもいい!取り替えっこしてほしい!」

「え~?(笑)」

「だって悠歌ちゃんのママともラブラブなんでしょ?」

「まあ、ね。」

麻雪まゆきちゃんと彩佳あやかちゃんは知らないからなぁ。
うちのパパ、ママの前だとメロメロで、そのくせ′とんち′みたいな下らない質問して、答えられなかったらいっつもバカにして苛めてるんだよ?
そんなパパにママはすぐ怒って拗ねちゃう━━━。

だから焦ったパパはいっぱいキスして、ハグして、必死でご機嫌取りするんだ。
ちょっと馬鹿だよね。
そういう時のパパは情けなく見えちゃうよ。

でも朝には何にもなかったみたいに、仲直りしてるし・・・・。
まあ、二人がラブラブなのは分かってるんだけどさ。

「そういえばうちのせんせ、悠歌ちゃんのママが好きだよね?参観日の時もずーーっと見とれてたし、なんか気持ち悪い。あんなだから恋人も出来ないんだよ。」

「そうだったね。吉乃蔵(よしのくら)センセ、もう38歳だし結婚しないのかな?」

「髪の毛もボサボサで変な眼鏡かけてるからじゃない?白衣もボロボロだし、モテるわけないよ!」

「う~ん。見た目はそうかもしれないけど性格は優しいよ?」

「そりゃあ、悠歌ちゃんはお気に入りだもん。」

「え、お気に入り?」

「悠歌ちゃんの出席を確認するときだけ、先生、ちょっと笑ってるんだよ。」

「うそーー、きもーーい!」

子供達の大人への評価は辛辣だ。
噂されている張本人が教室の外で落ち込んでいることも知らず、姦しい彼女達は授業が始まるまで詰り続けた。



「━━━ママぁ。」

「ん?」

「悠歌、吉乃蔵センセに‘えこひいき’されてるのかな?」

「えこひいき?」

「麻雪ちゃんたちがそう言うんだもん。」

「別に良いじゃん?嫌われてるよりマシだろ?」

「でも、先生がママの事好きで、ママの‘気をひきたい’から悠歌に優しくしてるんだって言うんだよ?」

「ぶっ!ごほっ!…………おまえら~!まだ二年生のくせに、ませた話すんなよ!」

「‘もう’二年生だもん!麻雪ちゃんも彩佳ちゃんも、‘レンアイ’の話したりするし!」

「れ、レンアイぃ!?」

清四郎が耳にしたら、確実に不機嫌になるだろうその台詞を、娘は大声で言い切った。
悠理は慌てて悠歌の口を塞ぐ。

「ふごっ!」

「おまえなぁ、マジでそんなこと言っちゃ駄目だぞ。清四郎……パパを怒らせたら怖いって知ってるだろ?」

「ふぐぅ……」

「いいか?絶対に言うなよ?」

こくこくと頷く愛娘から手を離し、よしよしと髪を撫でる。
天使の輪をつけたストレートの黒髪はやがて腰にまで到達していた。

━━━・・・ったく、一体誰に似たんだ?このおませっぷりは。

耳年増な娘が恐ろしくなってきた悠理は、学校でどんなあけすけな会話がされているのか、少々気になってしまう。
隠れて覗くわけにはいかないが・・・。

「先生、ママのこと好きなのに、なんで何にも言わないのかな?ママ、告白されてないよね?」

まだまだ幼さを感じさせるその質問を、悠理は苦笑しながら受け止めた。

「ママはパパのもんだから、先生は横取り出来ないんだ。悠歌だってパパが他の友達に取られたらヤだろ?」

「うん!パパは悠歌だけのパパだもん!」

━━━はは、子供だよなぁ、こんなとこは。

そんな年相応の返事にホッとさせられた後、娘の手を引き、寝室へと連れていく。
約束した就寝時間には少し早いが、子供には少しでも長く夢を見る時間が必要だから・・・・・。



「吉乃蔵先生ねぇ………根暗そうな奴だったからから、生徒にからかわれてるんだろうなぁ。」

悠歌の担任になってから、彼とは二度ほど顔を合わせている。
真面目そうな教師だが、いかんせん見た目が悪い。
きっと昔はいじめられっ子だったのだろう。
人の目を真っ直ぐに見ることが苦手な様子だった。

悠理は最近、自分がモテ期の真っ只中であると気付いていた。
パーティでも、PTAの寄り合いでも、はたまた街中でも。
必ず異性から声をかけられる。
それもかなり本気な口説き文句で。
人妻だと伝えても、‘諦められない’と粘られ困惑することも多かった。
そんな悠理を夫である清四郎が心配しないはずはない。

━━━出掛ける時は必ず御伴をつけなさい。

そう言って、魅録をドーベルマンのようにあてがうことも多々あるのだ。

「モテたってうれしかないんだけどな。」

彼女にとって清四郎以上の男など存在しない。
どれほど名声があろうとも、権力があろうとも、夫以上に興味を持てる相手は今のところ見当たらなかった。
もちろん「吉乃蔵」の想いを知ったとて、心がざわつくこともないし、むしろ迷惑な話だと一蹴する。
悠歌を’えこひいき’をするのも、理由が理由だけに喜べない。
クラスメイト達にそんな指摘をされるほどあからさまなのかと思い当たれば、さすがに気分が悪くなった。

「うーーん。ま、もう少し様子をみるか・・・」

悠理は呑気にそう結論付けたが、事件はやはり起こってしまう。

それは新学期が始まって一ヶ月ほど経ったある日。
悠歌が泥だらけで帰宅する。
編み込んだ髪は乱れ、制服も至る所がほつれていた。
それはここ最近、見ることが少なくなっていたワイルドな姿。
しかし悠理が何よりも気にしたのは、大きな両目からこぼれ落ちる涙だった。

「おい!どうしたんだ?」

「・・・・・・・・・。」

悠歌は鼻を啜りながらも何も言わない。

「悠歌?」

「何でもないよ・・・」

「何でもないわけ・・・・・・・」

’ないだろう?’
そう続けようとした途端、悠歌はギュッと目を閉じ、叫んだ。

「もう、ガッコ行かない!!」

「は??」

「勉強なんてパパに教えてもらうもん!!」

「お、おい、ちょっと待てってば・・・」

駆け足で自室に飛び込み、中から鍵をかけてしまった悠歌。
初めて見る娘の反抗的な態度に、悠理の頭の中は一瞬で真っ白になった。
メイド達が何事かとそわそわし始める。
「何でもない」と誤魔化してみても、いつもと違う雰囲気は拭えないものだ。

結局、娘の部屋が開く事はなく・・・・
夕飯の時間になっても彼女がダイニングルームへ顔を見せることはなかった。



「喧嘩ですかな?」

「誰とだよ。」

いつもより2時間ほど早い夫の帰宅。
悠理は縋るように昼間の出来事を伝えた。

「さぁ?けれど小学生ともなれば色々あるでしょう?」

「でも・・・・あんな風に泣いて帰ってくるなんて初めてだし・・・すごくびっくりしたよ。」

「ふむ・・・・。学校に行きたくない、ですか。」

スーツから解放された清四郎は着慣れた浴衣を身に着ける。
その立ち姿は、一日中仕事をしてきた男とは思えないほど清々しく、凜としていた。
悠理は見惚れながらも、浴衣の袂をくいくいと引っ張る。
妻の心配がそこから伝わってきたのか、彼は優しく微笑んで見せた。

「僕が話を聞いてきます。悠理は悠歌の夜食を用意してあげてください。」

「あ、うん!頼むな。」

清四郎の瞳には絶対的な自信が漲っている為、悠理が抱えていた今までの不安はウソの様に消えていった。

夫はやはり頼りになる。
心がほっこりと温まった悠理は嬉しそうに内線電話を取った。

「あ、サンドウィッチと蜂蜜入りのホットミルク、大至急ね!」

清四郎はそんな妻を確認した後、愛娘の寝室へと足を向けた。



トントン

「悠歌。ここを開けて下さい。」

暫くの沈黙が流れ、清四郎がもう一度声をかけようとしたところ、カチャリと施錠が外れる。
ゆっくりと扉が開き、中から真っ赤に目を腫らした娘が、以前買い与えたうさぎの着ぐるみ姿で現れた。

「パパ・・・・・」

娘にとことん甘い清四郎は、悠歌を直ぐ様抱きかかえ、後ろ手で扉を閉める。
そしてハート型の二人掛けソファ(百合子チョイス)に座ると、痛々しい涙の痕を拭うように指を這わせた。

「どうしたんだ?こんなにも泣いて・・・」

膝の上に抱いたまま、清四郎は優しく尋ねる。
確かにこんなにも弱々しい娘は初めてだった。
先ほどまでの余裕が吹き飛び、不安がこみ上げる。

「パパ・・・・・あのね・・・・」

たどたどしいながらも話そうと覚悟したのか、悠歌は震える唇を開いた。

「ママは・・・・ママが、先生を’たぶらかしてるの’?」

「・・・・・・・・・・・え?」

「ママが先生に’いろめ’使ってるから、先生は悠歌のこと特別扱いするの?」

聞き捨てならない台詞は、清四郎の腕を無意識で強張らせた。

「だ・・・誰がそんな事を言ったんだ?」

「クラスの男の子・・・・たち・・・・」

たかだか小学二年生の子供が使う言葉ではない。
きっと親が何かしら伝えたのだろう。
口真似するように囃し立てたに違いない。

「どういう流れでそんなことになったんです?」

努めて冷静に問えば、悠歌は少しだけ緊張を解いた様子で父親の胸に寄り添った。

「今日ね、テストで・・・・悠歌100点だったの。クラスでは悠歌と太一だけだったから先生は褒めてくれたんだけど・・・・・悠歌にだけ頭をよしよしってしたのね。」

「それで?」

「そうしたら・・・誰かが’ヒイキだ!’って叫んで、それからみんなが騒ぎだしちゃって。麻雪ちゃんも彩佳ちゃんも庇ってくれたんだけど・・・蒼太そうたが’おまえのママが先生にイロメ使ってるからえこひいきされるんだ!’って言ったの。」

「蒼太?ちなみに名字は・・・・・」

「峰松(みねまつ)蒼太、だよ。」

「峰松・・・・なるほど。」

優秀な記憶媒体を持つ清四郎は、その名前に聞き覚えがあった。

━━━うちの子会社に入札で負けた建設組か・・・。

親の顔を全て把握しているわけではないが、きっと繋がりはあるのだろう。
勝手な恨みを抱いているのかもしれない。

’大人げない事をする’と思いつつも、清四郎は担任の態度に意識を向ける。

「先生はその時、どうしたんです?」

「騒がないようにって一生懸命注意してたけど・・・誰も先生の言うこと聞かないもん。」

「ふむ・・・・。」

「ねぇ、パパ。ママが悪いんじゃないよね?それに’イロメ’って何?」

言葉を理解しないまま囃し立てられて、さぞかし傷ついたことだろう。
思わず手が出るほどの怒りを与えた子供達、そして事態の収拾をつけられなかった教師に、清四郎の憤りが徐々に膨らみ始める。

「ママは悪くありませんよ。悠歌が泣く必要は少しもない。」

「ほんと?」

「本当です。’色目’というのは’異性’・・・ここでは先生のことですが、彼の気を引くよう、好きになって貰えるように媚びを売ることです。ようするに気持ちをこちらに向けようとする行為の事を言うんですよ。」

「ママが先生のコト、好きなわけない!」

「そう。ママは僕のことだけが好きですからね。」

照れもせず断言した父親を、悠歌は眩しそうに見上げた。

「そうだよ・・・・ママはパパだけを愛してるんだもん。ママはパパのものだってこの間、ママが言ってたもん!」

「悠理が・・・・?」

そこで初めて頬を染めた清四郎に、悠歌はようやく笑顔を見せる。
それは悠理と同じ、向日葵のような笑顔。

「良かった・・・・・ママが悪くなくて・・・。」

「当然です。だから悠歌は堂々と学校へ行きなさい。分かりましたね?」

「うん!悠歌、ママのとこ行ってくる。」

膝の上からぴょんと飛び下り、弾けるように飛び出していく愛娘。
しかし彼女を見送った後の清四郎は、まるで苦虫を100個ほど噛み潰したほどの厳しい表情であった。



’吉乃蔵 恭介’は大殺界が10回やって来たような顔で、その男を出迎えた。
案内した応接室では、革張りのソファで長い脚を組み、指をきっちりと組み合わせた黒髪の男が、殺気を隠そうともしない。
顔を合わせるのは初めてだったが、もちろんあらゆるメディアで見知っている。
これからの剣菱財閥を牽引する男。
次期会長との噂も高い。
一分の隙も感じられないスーツ姿は、たとえ同性でも思わず見惚れてしまうほどの凜々しさだった。

「うちの娘が大層お世話になっているようで・・・・」

「あ・・・はぁ・・いえ、そんな・・・・」

うだつの上がらぬ容貌通りの答え方。
清四郎のこめかみがひくりと痙攣する。

「単刀直入に言いましょう。」

「はい。」

「どんな下心があるのかは知らないが、娘を特別扱いするのは止めてもらいたい。」

「・・・・・・・・・・・・。」

「もし、もう一度こういった騒ぎが起きたら、貴方にはこの学園を去ってもらう事になりますよ?」

「え・・・・・・・・・・?」

「ご存知でしょう?うちが此処にどれほどの寄付をさせてもらっているか・・・。」

「・・・・・・・・・・・・。」

吉乃蔵は眼鏡を押し上げ、まじまじと清四郎を見つめる。
ガラス越しとはいえ、その瞳に何か複雑な意味を感じ取った清四郎は、ゆっくりと彼の答えを待つことにした。

「・・・・・・・・・僕は奥さんが好きなんです。」

「・・・・・・・・・・それで?」

眉間に皺を寄せたまま、彼を促す。

「あんな素敵な女性・・・・見たことがない。」

「僕もそう思いますよ。」

「奥さんを初めて拝見したのは、このクラスになって最初の参観日でした。」

記憶を手繰り寄せるように遠い目をした吉乃蔵は、まるで初恋を知った少年の如く頬を染めた。

「親を意識した子供達が何故か騒ぎ始め、僕の注意を少しも聞かなくなってしまった時、奥さんが一喝でその場を鎮めてくれたんです。授業が終わった後も、叱咤激励してくれて・・・他の親御さんたちが僕の陰口を叩く中、彼女だけは優しく微笑みかけてくれた。心底救われた思いだったんです。」

悠理らしい・・・と清四郎は思った。
もちろん、彼女の幼少期は彼らと比べものにならないほどの問題児であったが・・・。

「女性にここまで心を動かされたことは初めてで、だからといって何かを期待してではない。ただ・・・・・悠歌ちゃんを見ていると奥さんを思い出すんです。つい、優しくしてしまう。」

「申し訳ありません」と彼は続けた。

明らかな横恋慕であったが、清四郎は彼の切ない気持ちを汲んでその場を立ち去った。
吉乃蔵のあまり逞しいとは言えない肩を強く掴み、
「二度目はない」
そう言い含めた後に・・・・。



時間を確認した清四郎は久々にゆっくりとした足取りで聖プレジデント学園を見て回る。
色んな場所に思い出が残る敷地内。
ここで自分たちは出会い、成長し、そして絆を深めた。

娘にもきっと数多くの出会いが待っているだろう。
悔しい思いは今回だけに留まらないはずだ。
でも彼女は悠理の血を、そして性格を濃く受け継いでいる。
深い情と繊細な感受性。
それを持ち続けたまま、美しく成長していって欲しい、と清四郎は願っていた。
剣菱家に生まれたことを後悔せぬよう、汚い大人から与えられる憂いは出来るだけ取り除いてやりたい。

「峰松建設にはそれ相応の制裁を覚悟してもらいましょうか。」

清々しい青空が広がる下、
学園の伝説となった男は鋭い眼光を放ち、口端を皮肉に歪めた。

彼もまた大人げない人間の一人である。