archrival

その日、剣菱主催の晩餐会には多くのゲストが招待されていた。
世界各国の貴賓に加え、日本の主たる政治家達。
狙うマスコミやパパラッチが屋敷を取り囲む。
ここまでの顔ぶれが揃うことは、滅多にない。
彼らも必死だった。

現在、剣菱財閥は世界でも五指に入るトップ企業だ。
いつか清四郎が狙った通り、この晩餐会に招待されることこそステイタスの証であり、誰もが挙ってその地位を目指す。

剣菱清四郎、37歳。
その落ち着いた面立ちは、昔から年齢よりも上に見られる事が多かったが今はむしろ逆である。
引き締まった体躯と知的な瞳。
皺の見られない張りのある肌。
艶めいた黒髪はいつものように後ろへと撫で付けられ、濃色のタキシードが恐ろしく似合う。
若々しくも見目麗しい男。
そんな誰もが見惚れる彼であったが、今日、その隣には愛らしい少女が控えていた。

剣菱悠歌は十五歳になったばかり。
父譲りの黒髪を肩まで伸ばし、落ち着いたピンク色のワンピースを身に纏っている。
思春期真っ只中の彼女には現在求婚者が後を立たない。
たった十五歳だというのに、だ。

特に鷹取(たかとり)コンツェルンの次男坊と、久我山(くがやま)財閥の跡取り息子は、日頃から必死のアプローチ。
何せ相手は世界に誇る財閥の娘である。
色んな思惑が絡んでくるのも当然だった。

しかし、彼女は恋愛や結婚に興味を示さない。
実のところ、この年になっても、初恋というものを意識した事はなかった。
仲の良い男友達は何人も居るが、異性とは感じていない。
その辺りは母譲りの感性なのだろう。
それは、娘を溺愛する清四郎にとって、非常にありがたい話でもある。
悪い虫も良い虫も、彼の鑑識眼を通らぬ限り、寄り付くことすら叶わないのだから。

「パパ、そんなにそわそわしないで。ママが支度に手間取るのはいつものことでしょ?」

しっかり者の娘は、そう嗜める。

「ええ、解っていますが……少々遅すぎやしませんか?」

反面、清四郎は心もとない表情だ。
そしてその理由を知る彼女は、くすっと笑った。

「悠世がまたごねてるんじゃない?子供はパーティには出られないって知って、朝からおかんむりなの。」

「あぁ、・・・そう、でしたね。」

言いつつも、視線はメインの扉に釘付け。
おいてけぼりの犬のようだ、と娘は思った。

つい先日、世界のイケメンセレブトップ10に選ばれた男は、言わずと知れた愛妻家。
最近では悠理を片時も離さず、どこへ出張するにも必ず伴させるようになっていた。
世界でも彼らほどのおしどり夫婦はそうそう居まい。

「パパ、ほら、あの人アメリカの有名な起業家さんじゃない?新しいソフト開発で巨万の富を築いたっていう。紹介してよ!」

彼女はもっぱらビジネスに興味があるらしい。
知能指数の高さは清四郎譲り。
当然、学園での成績はトップを明け渡したことがない。
直近の全国模試では五位にこぎ着けたほど。
将来が期待される少女だった。
そんな彼女は現在、スタンフォード大学のビジネス学部へ進学しようと本気で考えている。
もちろん娘を可愛がる男が、そう簡単に首を縦に振るはずもないのだが。

「わかりましたよ。これも仕事の内だ。」

清四郎は後ろ髪を引かれつつも、手を引く悠歌に従った。
本来、隣に居るだろうはずの妻を思いながら━━━

その頃。
夫婦の寝室では、母と息子のバトルが繰り広げられていた。
バトルといっても殴る蹴るの暴力沙汰では、決してない。
今年五歳を迎えようとしている剣菱家のプリンス、悠世。
彼は物心がついた頃から、母・悠理にベタ惚れで、百合子や万作が思わず心配してしまうほど、重度のマザコンだった。
無論、清四郎はその比ではない。

基本、悠世は悠理以外になつかず、
父親にはむしろ敵意すら見せていた。
年の離れた姉、悠歌へはまだ柔和な態度を見せるのだが、それでも彼女の言うことを聞くまでには至らない。

出張の付き添いで悠理が日本を離れる時も、形振り構わず泣き喚き、ハンガーストライキまで起こす始末。
もちろん厳しい百合子の一喝で、無理矢理食べさせられるのだが、毎回大騒動だ。

夫婦の寝室にも平気で潜り込んで来るため、清四郎は夜、きちんと鍵をかけるようになった。
忙しい合間の大切な営みを邪魔されることは流石に我慢ならない。
相手が幼い息子とはいえ、容赦するような男ではなかった。

「ぼくも行く!」

「だーめーだ!10年早いんだってば!」

「どーして?ぼく、おとなしくしてるよ?」

「そういう問題じゃないの。これは遊びじゃなく、仕事なんだから。」

選んだ華奢なピアスをなんとか装着した悠理は、足元にしがみつく半泣きの息子に苦笑する。
見た目は幼稚舎時代の清四郎そっくり。
こんな聞き分けの無さは、自分に似ているのかもしれないが。

「やだ!あいつ、こんなきれいな悠理を、独り占めしようとしてる!」

「こら!せめて‘ママ’と呼べ。だいたい‘あいつ’じゃないだろ?‘パパ’だろ?」

「知らない!!」

甘やかし過ぎたのだろうか。
もちろん祖父母が。
生まれてすぐ、剣菱の後継者として扱われてきた彼は、一国の王様よりも遥かに贅沢な暮らしが許されている。
清四郎はもちろんそれを良しとしないが、かといって百合子や万作に何を言っても通用しないのは明らかで。
ちなみに一歳の誕生日では南の島を、三歳の誕生日には彼専用の大型クルーザーを与えられている。
年老いた祖父母は底抜けに甘かった。

「悠世、頼むから大人しくしてろ。早く行かないと清四郎の機嫌が悪くなるんだよ。」

「なら、ここでぼくと遊ぼうよ?ママの好きなゲームして……」

これまた夫にベタ惚れな悠理は、彼にそっくりな息子の懇願に弱かった。
サラサラの黒髪を撫でながら、困ったように笑う。

「戻ってきたら、遊んでやるよ。何時間でも。」

「ほんと!?じゃあ、10時まで起きてていい?」

「いいよ。」

まだまだ幼い彼が、10時まで起きていた試しはない。
しかし夜更かしを許可されることは、悠世にとって何よりのご褒美なのだ。

「ぼく、大人しく待ってる。」

「いい子だ。」

母親らしく褒めた後、忙しなく部屋を出ていこうとしたその後ろ姿に、彼は勢い良く飛び付いた。

「ゆうり、大好き♥」

 

ふっ~と耳元に息を吹き掛けられ、敏感な悠理は思わず立ち止まる。

「こ、こら!!ませたことすんな!」

その意味も分からないくせに、父親が夜のベッドでしていたことを忠実に再現するのだから、これまた厄介極まりない。

「ママはここが‘弱い’んだよね?」

「悠世!!」

真っ赤な顔でおでこを弾くも、原因の半分は夫。

━━━ほんと、先行き不安だよ・・・

どっと脱力した彼女を、しかし冷ややかな声が待ち受けていた。

「遅いと思って迎えに来たら、随分と楽しそうじゃないですか。」

「せ、清四郎!」

寸分の隙もないタキシード姿の夫は、明らかに不機嫌。
取り澄ました表情は暗く、目の奥に沈む怒りがチラチラと見て取れる。

「全く………我が息子ながら、油断も隙もないな。」

いくら我儘王子でも、父親の威厳と不穏な空気には畏れをなすらしい。
悠理の背後に身を隠し、媚びるよう見上げた。

「悠世。ママを困らせてはダメだと何回言えばわかるんです?それに・・・」

清四郎の長い手が、息子から強引に妻を引き剥がす。
それは、あっという間の出来事。
すっぽり逞しい腕に収まった悠理はそんな不機嫌な夫の行動をあらかじめ予測していた。

「彼女は僕のものだ。」

案の定、清四郎はピンク色に濡れた唇を噛みつくように奪った。
幼い息子の前であろうが関係ない。
そして悠理もまた、その情熱的なキスには逆らえなかった。
清四郎の逞しい首に自らの腕を絡め、より深く受け入れようとする。
二人が織り成す官能的な世界。

そこへそっと忍び足でやってきた悠歌は、唖然とする弟を後ろから抱きかかえ、静かに部屋を退出した。
これ以上の刺激は、教育上良くないだろう。
もちろん彼女自身は見慣れているのだが。

「悠世。パパを怒らせたら怖いって言ってるでしょ?あの人は、ママに近づく男は全て排除してきたんだから。寄宿舎に入れられたらどうするの?」

「………おねぇちゃん。」

不安に縁取られた瞳。
落ち込む姿は子供のそれ。
悠歌はヨシヨシと宥めながら、可愛い弟の寝室に向かい、足を踏み出した。



「………もう、子供の前で仕掛けてくんなよ。あいつ覚えが良い所為で、変な真似ばっかしたがるんだから。」

「いくら息子でも、許容できないものは出来ないんです。」

「いや、おまえのせいだってば。」

「あそこまでマザコンに成長したのは悠理が甘やかすからですよ。」

「そうか~?」

「そうです。」

清四郎はすっかり色が落ちてしまった唇に再び口紅を乗せ始めた。

「二歳の時、あいつは僕の目の前でここを奪い、不敵に笑ったんだ。あの時、今の状況を予測して然るべきでした。」

「あぁ………」

「誰に似たのか、姑息な手も使いますしね。」

「そりゃあ、間違いなくおまえに似たんだろ。」

「うっ・・耳が痛いですな。………さ、出来ましたよ、奥さま。」

手を取られ立ち上がった悠理は、清四郎の耳元にそっと告げる。

「ごめん。今日は10時まであいつと遊ぶ約束しちゃった。」

「え?」

「その代わり………おまえには朝まで付き合うから……許して?ね?」

「!!!」

そんな妻の甘い囁きに、全てを投げ出したくなる清四郎であった。