砂漠のリゾートホテルにて━━━━。
駱駝を散々乗り回し疲れ果てた悠理は、夕食までの短い時間を昼寝に当てる。
全力で遊び回る夏休みの子供のような姿。
清四郎はふわりとシーツを被せると、たった数秒で眠りに落ちた恋人の耳に、小さくキスをした。
━━━━愛してますよ。
そう一言告げて。
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周りを砂漠に囲まれたホテル。
しかし建物自体は豊富な緑に包まれ、どういう仕組みか、至るところに水辺が設けられている。
その上、大きなプールにはなみなみと水が湛えられていて、ここが砂漠のど真ん中であることをつい忘れてしまいそうになる。
清四郎はハサナルと共にオアシスを感じさせるプールを眺めながら、ウッドデッキで語り合っていた。
どこまでも続く地平線。
最高の景色が二人の目の前には広がっている。
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あの後、無事ヘリを着陸させ、サイードの元へと戻った三人。
彼の指示で待機していた警察にパイロットの身柄を引き渡し、特に何の事情聴取もされないまま、準備されていた昼食を平らげた。
たっぷりのフルーツとキノコのオムレツ。
そして悠理がめっぽう気に入った、伝統食でもある肉と野菜の煮込み料理。
彼女が牛の胃袋を持っていると知るハナサルは、当然その食べっぷりを見ても驚かないが、使用人たちは夢を見ているかのように目を瞬かせていた。
大きな寸胴が一食で空になるなんてことは、初めてである。
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「こういうことはよくあるんですよ。」
涼しい顔でサイードは告げた。
「ハサナルは身代金目的の誘拐歴が二桁ありますからね。………………今回は少し油断していました。」
「減棒ものだぞ、サイード。」
「今回の休暇分の働きでお釣りが来るでしょう?」
飄々とした会話に清四郎達は苦笑する。
やはり金持ちと誘拐は切っても切れない関係なのだと改めて思い知らされたからだ。
「ホテルには四駆で向かうことにする。サイード、おまえも来い。パソコンと電話さえあれば仕事は出来るだろ?」
「やれやれ。何を好き好んで砂埃の中を走らなきゃならないんです。」
「車の運転はおまえが一番巧いからだよ。」
従兄と言えども横暴な上司。
深い溜息に込められた彼の苦労を、清四郎は身に染みて感じ取った。
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結局、サイードは三人に同行することとなり、心湧き踊る四輪駆動車での移動と決まった。
「ユウリ様、御召し物を替えてください。ハサナル様からのプレゼントでございます。」
着替えを用意している最中、一人の召し使いが民族衣装を手に二人の寝室へとやってきた。
それはマキシ丈のカフタンドレス。
ゆったりと広がった裾に金糸の刺繍がほどこされた、シンプルながらも目に留まるデザインだ。
「へぇ、これなら動きやすいかも。」
満足した様子で足捌さばきを見せる悠理。
緋色のそれを、キャミソールの上に重ね着した彼女は同系色のヒジャブをおとなしく被って見せた。
清四郎は喉を鳴らす。
まるであつらえたかのように、そのドレスはよく似合っていた。
肌の大部分は隠されているが、柔らかく透けた生地が悠理の滑らかな四肢を感じさせ、妙に艶かしい。
清四郎は思わず欲情してしまいそうな自分を、必死で嗜めた。
と同時に、何かを探るよう細められた目。
もちろん悠理は気付かない。
男の勘…………とでも言うのだろうか。
彼の鋭い勘が的中することは、今さら珍しくも何ともない。
どちらかといえば、今回も悪い類のものであったが…………。
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それからずっと、彼はもやもやとした思いを抱えながら、結局はこうして沈み行く夕日を眺めている。
ハサナルの経営者としての手腕と、一歩先を行く研ぎ澄まされた感覚は、清四郎とて見習うべきところだ。
多少の強引さも悪くはない。
むしろ好ましいと感じる。
世界相手に勝負を仕掛けるには、彼くらい大きな視野で物事を見つめ、感じ取らなくてはならない。
運を天に任せたような万作とはまた違った遣り方であったが、ハサナルとの会話は清四郎に大いなる刺激を与えてくれる。
年が近いこともあるのだろう。
気安く、そして話しやすい。
「結婚は考えていないんですか?」
これほどの大富豪だ。
結婚相手にも苦慮するであろうことが読み取れた。
「結婚………あぁ、そうか。君たちは結婚するんだったな。式はいつ?」
「再来月に予定しています。」
「再来月、ね。」
確かめるよう、もう一度口にしたハサナル。
指を弾いて呼びつけたボーイが、予め用意していたのか、極上のシャンパンを差し出した。
「前祝いといこう。」
「ありがとうございます。」
それはとても口当たりの良い、高価な酒であった。
日本車一台分のヴィンテージもの。
当然流れるように杯は重ねられ、清四郎の身体はすっかりと酔いに満たされ始めていた。
(こんなにも早く回る酒なのか?)
疑問に思ったとてもう遅い。
ひたひたと迫り来る睡魔には逆らえず、清四郎はテーブルに突っ伏してしまった。
「お礼を言うのはこちらだ。」
ハナサルの声が聞こえる。
それは彼が初めて耳にする、独裁者の声。
(ま………さか……………)
意思に反し、瞼が落ちてゆく。
その裏には愛しい恋人の姿だけが浮かんでは消えた。
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その頃の悠理は、宛がわれたスイートルームで相変わらず呑気に微睡んでいた。
未だ夢の中の彼女は清四郎と二人、駱駝の上。
━━━ちょっと臭かったよな。
と思い出に耽りながら、くふふと笑う。
見渡す限り砂漠の中、清四郎は背後から薄い衣装を捲り上げ、秘められた部分に手を伸ばしてくる。
━━━ダメだって!こんなとこで・・・・
━━━ほら、ここにもオアシスがあった。
彼らしい、からかうような口調。
けれどその指は更なる水分を求めてクチュクチュと音を立てる。
━━━や………ぁん!
━━━もっと溢れさせて、悠理。僕はとても喉が乾いているんです。
━━━何………飲む気だよぉ。
━━━おまえの甘い蜜を………。
それは夢だと悠理には分かっていた。
甘い甘い、蕩けるような願望。
現実では駱駝と楽しんだ後、無事ホテルに辿り着いた四人。
その頃にはハサナルからプレゼントされたドレスはすっかり汚れ、見るも無惨な状態だった。
当たり前である。
そこで自前のシャツとジーンズに着替えようと考えていたところ、今度はサイードから白っぽい民族衣装が与えられる。
「このホテルの客には敬虔なイスラム教徒も多くいます。出来れば正装に着替えてください。」
「え、またぁ?」
清四郎をチラリ見遣れば『仕方ありませんよ』と目配せされた為、悠理は渋々その衣装に着替えた。
オフホワイトのそれはシフォン素材。
着心地は抜群で、これまた彼女に良く似合っていた。
暑さ厳しい国では、こういった衣装がとても理にかなっている。
風は通り、強い陽射しから身を守ってくれる。
もちろん宗教的な意味合いも濃いわけだが、それでも何となくこれらの衣装を悠理は気に入り始めていた。
ベッドにごろんと横たわると、あっという間に眠りへと誘われる。
砂漠の太陽は想像以上に強いため、体力自慢の悠理もすっかり疲れ果ててしまった。
深い眠り。
清四郎が耳元で何かを告げたような気もしたが、眠り行く彼女の記憶にはとうとう残らなかった。