到着したその日は贅を尽くした晩餐を楽しみ、二人は促されるまま、早々に休むこととなった。
ハナサルの唯一の肉親である父は、現在シチリアの別荘で療養中とのこと。
年齢もあるのだろう。糖尿を患っていた。
この豪邸にはサイードとたった四人の使用人が住むだけ。
プライバシー保護の観点から、多くの他人と接触することを好まないハナサルの、譲れない生活スタイルだった。
宗教的な戒律はさておき、ハナサルは体質からか、あまり酒を飲まない。
代わってサイードは、悠理たちが目を疑うほどアルコールに強く、度数の高い酒‘アラック‘を平気な顔で飲み続けていた。
薄めずに飲めば確実に火が吹ける。
負けず嫌いの悠理は女だてらに勝負を挑むが、当然撃沈。
結局は清四郎の介抱を必要とした。
「お二人の部屋は同じでいいんですね?」
「ええ、お願いします。」
事前にメールのやり取りで、悠理との関係を伝えていた清四郎。
当然ラシードの耳にも届いている為、二人はカップルとしてもてなされる。
どこからやって来たのか、一人の召し使いが恭しくお辞儀をし、彼らの部屋へと案内してくれた。
長い廊下をひたすら歩くこと五分。
シックで大人っぽい設えの寝室もさることながら、清四郎が目を奪われたのはその外側にこそあった。
「これは…………これは……」
泥酔した悠理を抱きかかえながらも、彼は寝室から続くテラスへと踏み出す。
そこに存在したは、七色に光る大きなプール。
周りをウッドデッキに囲まれ、パラソル代わりの薄い帆が幾重にも広げられている。
オレンジ色のオイルランプが等間隔で灯り、夜でも十分な明るさが確保されていた。
楕円形に作られたプールは、清四郎の目測でおおよそ100メートルはあるだろう大きさ。
贅を極めた光景に、普段滅多なことでは動じない男も唖然としてしまう。
「悠理………起きろ。おまえの好きなプールだぞ?」
「んふ?」
ほわん、と瞼を開けた悠理が喜ぶのは必然。
しかし酒に酔った彼女が飛び出さないよう、しっかりと胸に抱く。
「うわぁー!すげぇ!」
「ええ、すごいです。」
「泳ぎたい~~。」
「酒が抜けるまで我慢しなさい。」
「ぶぅ。」
子供のような膨れっ面をする恋人があまりにも可愛いのと、この非日常な景色が五感をビンビン刺激するのとで、清四郎の身体は俄に興奮し始めていた。
「その代わり、きちんとお手伝いしますよ。」
「んん?」
「次は僕に酩酊してくれると嬉しいんですがね。」
悠理が望むプールは確実に離れて行く。
清四郎は再び寝室に入ると、皺一つ見当たらないキングサイズのベッドに彼女を放り投げた。
「ふにゃん!」
酒に酔った身体が見事バウンドする。
当然、ベッドは最高級品だ。
舌なめずりしながら近づく男は、自らの衣服を全て脱ぎ捨てると、猛々しく反り返ったソレを軽くしごいて見せた。
興奮度合いを伝えるかのように。
「………ドスケベ。」
「否定はしませんよ。」
悠理もまた、覚束ない指先でブラウスのボタンを外し、焦らすよう時間をかけてそれを脱ぐ。
ナイトスタンドの淡い光の中現れた、透明感のある白肌は、強い酒の所為か、ほんのり薔薇色に染まっていた。
下着すら足から抜き去り、一糸纏わぬ姿で横たわる悠理。
彼女もまた、清四郎から伝わる興奮にいつしか身体を熱くしていたのだ。
もちろん過剰なアルコールが沁みたせいでもあるが。
浮かび上がる形良い鎖骨。
片手に収まるほどの幼き胸。
しかし薄紅色の果実だけは、男を誘うかのような膨らみを見せつけている。
肌触りの良い白いシーツ。
そこに広がる、羽のような軽さのブラウンヘア。
パーツの全てが男の欲情をそそるよう作られていた。
「悠理、綺麗ですよ。」
清四郎はゆっくり覆い被さると、まずはその髪へとキスを落とす。
武者震いにも似た興奮。
それを必死に抑え込みながら、汗に湿った彼女の肌を昂らせてゆく。
丁寧に、時間をかけて、じっくりと。
「せぇ……しろ………声、出ちゃうよ………」
日頃、無神経、無頓着な悠理といえども、さすがに他人の家でのこの行為は恥ずかしいと見える。
「この広さだ。聞こえることはないと思いますが………念のため………」
そう言って清四郎は自らの指を悠理の口に差し込んだ。
「舐めても、噛んでもいい。好きにしなさい。」
「ん。」
二本の指へ丹念に舌を絡ませる悠理は、官能的で刺激ある愛撫に身を任せ、何度もそれを噛む。
その痛みに興奮を覚える男は、唇と舌を余すことなく使い、ありとあらゆる快感を与えるべく、奮起した。
「あ…………せぇしろ…………!!!ああ!!」
結局のところ甘ったるい矯声は洩れ出てしまったが、清四郎がそれを制することはなく……
一日目の夜はこうして更けていく。
暗い夜空にぽっかりと浮かぶオレンジ色の月は、甘い恋人たちの大胆な痴態に顔を背けたかったことだろう。
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体力ある二人は、朝からプールでひと泳ぎした後、運ばれてきた朝食を平らげ、ナディヤの散歩に出掛ける。
散歩といっても敷地内だけ。
充分過ぎるほどの広さを誇る庭を、彼女は優雅に、そして静かに歩き続ける。
とても利口な獣だった。
「見事に懐きましたね。」
「可愛いよなぁ。ね、あたいも飼っちゃダメ?」
「おじさんの可愛がっているアケミとサユリが補食されてもいいのなら………」
「あーーそっかぁーー。そりゃダメだよなぁ。」
しょぼんしたのも一瞬のこと。
悠理はナディヤの身体を何度も撫でながら、その肌触りを自らの手に記憶させる。
「いつか、動物園作るんだ。猫科の動物を集めて芸を仕込んで。」
「はぁ。」
猫カフェを作るような気軽さで言われ、清四郎は苦笑する。
だが彼女の望みはきっと叶えられるだろう。
もちろんこの僕の手によって━━━━
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ナディヤとの散歩を終え、屋敷に戻った二人は、ハナサルの強引とも言える誘導でヘリに乗せられた。
敷地にはヘリポートとセスナ機専用の滑走路まであるらしい。
未だ邸宅の全体像が掴めぬ二人は、目を瞬かせながら見送るサイードに手を振った。
彼は尻拭いという名の仕事があるため、屋敷に残るらしい。
ハサナルを挟んで座る清四郎と悠理。
高い場所から眺める砂漠の国は、おおよそ霞んで見える。
高層ビルが建つ都会部分はほんの僅か。
後は砂、砂、砂。
全てが赤く染まった砂に覆い尽くされていた。
その中に唯一、緑に囲まれた広大な建物が見える。
ハサナルはそこを指差すと、事も無げに告げた。
「君たちには今夜、あのホテルに滞在してもらうつもりだ。最近では砂漠のリゾートも人気でね。去年、うちの資本で建てたんだ。星空は例えようもないほど美しいし、昇る朝日はもちろん格別だ。気に入ってもらえるといいが。」
「やった!あたい、ラクダにも乗りたい!」
手を叩いて喜ぶ悠理にハサナルは微笑む。
彼女への認識は以前とそう大きくは変わっていない。
が、子供のような無邪気さを見せつける悠理にほんのりと心が温まる、そんな手応えを感じていた。
それはドライアイスに温風を当てるような感覚で…………思春期に生まれた頑なな何かがゆっくりと溶け始めていく。
━━━━‘妹’という存在に、彼女は近いのかもしれないな。
ハサナルは自分の感情を一旦そう納得させた。
それが明らかなる間違いであった、と気付くのはもう少し後のこと。
胸の塊が大きく砕け散るには、何かしらの’きっかけ’が必要だった。
「手を上げろ!」
穏やかな空気が突然切り裂かれる。
ヘリを運転していた男が振り返り、ハサナルに向かって拳銃を突きつけていた。
「どういうことだ?」
よく見れば、いつものパイロットと顔が違う。
サングラスと通信用ヘルメットのせいでそのほとんどは見えていなかったが━━━
ハナサルはチッと舌打ちしながらも、素直に両手を上げた。
「おまえらも手をあげるんだ!」
言葉が解らぬ悠理でさえ勢いにのまれ、反射的に手を挙げる。
清四郎もまた『やれやれ』と呆れたように指示に従った。
(相変わらずですな)
(あたいのせいじゃないわい!!)
ハナサルを挟み、目と目で会話する二人。
(で?どうする?)
(ふむ。さっさと片付けましょうか。おまえを駱駝に乗せてやりたいですしね。)
(さっすが、清四郎ちゃん。愛してる)
(ふ。そういった愛情は態度で示してもらわないと。)
(もう……………ほんとスケベ!)
ハナサルの周りに目に見えないハートが飛び交い始めた頃、パイロットは苛々した口調で彼に要求した。
「いいか?この無線機はおまえの相棒に繋がっている!米ドル紙幣で10億、今すぐ用意させろ。」
「サイードに?」
「そうだ。ジュラルミンケース四つに入れさせろ!分かったな!」
そう怒号したパイロットが、もう片方の手で無線機のマイクを渡そうとした、その瞬間。
清四郎は銃を握った手を手刀で叩き、すかさずシートベルトを外した悠理は、パイロットの助手席へと飛び込んだ。
まさに瞬発力の成せる技。
ハナサルが目を丸くする。
「食らえ!」
狭い空間でも、彼女が繰り出す蹴りの威力は相当なもので……………
確実に顎の骨が折れたであろう鈍い音が男達の耳に届く。
一瞬で気絶したパイロット。
そこで初めてやり過ぎたと反省する悠理。
全ては遅いのだが……。
オートパイロット機能のお陰で高度は保たれているが、この先の着陸は人間の技術が求められていた。
「あちゃあ………清四郎、運転出来る?」
「魅録じゃないんだ。流石に出来ませんよ。」
「それなら私に任せろ。」
ハサナルは悠理を助手席から掬い上げ、そこへ気絶したパイロットを突っ込むと、操縦桿を躊躇いなく握った。
「へぇ、ハサナルって運転出来るんだ?」
「砂漠での移動は空を飛ぶものに限る。16の頃から父に仕込まれてるんだから当然だ。」
余裕の表情を見せるハサナルは、無線機を使いサイードとコンタクトを取り始めた。
一方で、取り上げた銃から抜け目なく弾を抜き取った清四郎。
悠理に甘い目配せをする。
「なんとか駱駝に乗れそうですな。」
「うん!!」
修羅場慣れした二人の笑顔を、ハサナルはバックミラー越しにじっと見つめていた。
これが二つ目の大きなきっかけとなる。