第三話

悠理がわざわざ身代わりを申し出たのは、彼らからヨギを引き離す為でもあったが、一番の目的は拘束を解いてもらい、何かしらの食べ物を胃に収めることだった。
一日六食。
それも毎度恐るべき量を食べる彼女にとって、空腹は耐えがたい拷問。
今もぐぅぐぅと警笛を鳴らしている。

最上階にある部屋は百合子と万作の為に作られたもので、他のゲストルームに比べ、より一層贅沢な設えとなっていた。
キングサイズよりも更に大きなベッド。
海を一望できる腰窓の側にはサーモンピンクのカウチソファ。
部屋の奥にある扉は、突き出たデッキに備わったジャグジーへと直結している。
夜の海で見上げれば満点の星空が臨めることだろう。

ここが船の中であることを忘れさせるかのような贅沢さ。
悠理は今回この部屋を独り占めしているのだ。
大量のお菓子を持ち込んで・・・・。

腹が減っては戦が出来ぬ。
部屋に辿り着き、広いベッドへと乱暴に押し倒された時、彼女が最初に口にした言葉は当然、
「腹減った!何か食わせろ!」
だった。

そんな悠理にヨギは呆れ果てる。
どこまでいっても規格外な女。
自分の置かれている立場が理解出来ないのだろうか?
もしかするとちょっと足りない?
それはそれで好都合ではあるが・・・。

ヨギは何かを諦めるよう溜息を吐いた後、悠理の拘束を解いた。
もちろん銃口は向けたままで。

「好きにしろ。」

「あ、あんがと。」

そんな彼を尻目に、持ち込んだお菓子をベッドの上で次々と平らげる悠理。
その勢いはあまりにも速く、ヨギは「まるで掃除機のようだ。」と瞠目した。
貧困に飢えることもなく、手に入らぬ物は何一つない家柄に生まれながら、餓鬼さながらに食べる姿は、さすがに性欲を減退させる。

━━━━こんな女は初めてだ。

悪行の限りを尽くしてきた男は、ある意味感心したのだろう。
彼女の食べっぷりを食い入るように見つめていた。

見ている方が胸焼けし始めた頃、悠理は、えへへと笑いながら遠慮がちに申し出た。

「喉乾いたから、水飲んで良い?」

銃口を向けられていても彼女に怯えは見当たらない。
鈍感なのか、それともよほど修羅場慣れしているのか?

見た目だけではわかり得ない、悠理の隠された何かを、ヨギはじっと探り続けた。
が、少なくとも今は絶句するほどの食欲を見せつけられているだけ。

テクテクと向かう先には小さな冷蔵庫。
悠理は中から炭酸水を取り出すと、それを一気に飲み干した。

「ぷはぁ!生き返った!」

口元を拭い、爽やかな笑顔を見せる悠理に、ヨギの緊張も解れる。
しかしそれは彼の油断。
悠理にとっては、待ち望んでいた’隙’だった。

ヨギは銃をベッドに置き、初めて銃口を彼女から逸らした。
その瞬間、電光石火の如く駆け出す悠理。
長い脚は彼の上半身に見事ヒットし、不意打ちを食らった男はシーツの上でもんどりを打つ。
これで許すような悠理ではない。
10倍返しが基本の彼女は、拳を作り、ヨギの頬を躊躇うことなくぶん殴った。

「!!!」

「あたいに手ぇ上げたら、こんなことになるんだ!!覚えとけ!」

ヨギに馬乗りになったまま2発、3発と繰り出す。
男の唇が鮮やかな血に染まったが、意に介さない。
まるで親の敵のように殴り続ける悠理は、しかし彼の顔に不敵な笑みが浮かんでいることに気付いた。

瞬間、手が止まる。

「な、なに笑ってんだ?おまえ・・・・・」

クックックッ

「なるほど、これは想像以上に規格外だ。気に入った。」

背筋が凍るほど冷えた声。
慌てて距離を取ろうと、銃に手を伸ばし、男の身体から離れようとしたが、ヨギの太い腕が悠理の身体を拘束する。

「ぐえっ!!」

「活きが良い獲物ほど嬲り甲斐があるというが、俺をここまで興奮させた女はおまえが初めてだぞ。」

赤く濡れた唇とペロリと舐め上げ、男は残酷な笑みを作った。

『あ、やべ・・・・』

それなりに場数を踏んでいる悠理は、その肌で恐怖を感じる。
スイッチが切り替わったような音が聞こえ、鼓動がけたたましい音を立て始めた。

形勢逆転。
当然銃にはあと一歩手が届かず、恐るべき力で押し倒され、仰向けにされた悠理。
びくともしない重さに、早速目が潤み出す。
目の前には頬を腫らした野獣。
先ほどまでの穏やかな空気は一切消え去った。

彼の肉体は鍛えられている。
清四郎のそれとはまた違った感じに。
太い首とはっきりとした喉仏。
焼けた肌にはところどころ傷跡が残っていた。

彼はようやくバンダナを取り去る。
現れた真っ白な髪は、とても染めたようには見えない。
まだ若いはずの男に、一体何があったのか?

そんな疑問にヨギはあっさりと答えた。

「拷問だよ。10日間、飲まず食わずで暴力漬け。その上さらに精神的苦痛まで味あわされたら、誰だってこうなるさ。」

「ご、拷問?」

「俺が生まれた時から海賊だと思ってんのか?」

冷えた目が悠理に近付いてくる。
そしてその赤い唇が白く滑らかな頬を滑り、まるで傷痕のようなラインを残した。

「幸せなお嬢さん。おまえは世の中の地獄ってやつを知らないだろう?大丈夫。俺がきちんと教えてやるから・・・楽しみにしとけ。」

ぞくん

霊障よりも強く、彼女の肌に鳥肌が立つ。
ヨギは悠理の手首をバンダナで縛り上げ、手にした銃を彼女の眉間に突きつけた。

「いいな?暴れんなよ。手元が狂っちまうからな。」

静寂の中、ベルトを外す音が聞こえる。

『・・・・・・・・・・・・げぇ!マジで?』

頼りになる男達の救いはまだ来ない。

『清四郎、魅録!!何してんだよ!!!このままじゃやばいんだってばぁ!!』

自ら招いた事態とはいえ、悠理は己の浅はかさを呪った。
野梨子の身代わりになったことに後悔などしていないが、しかし男の能力を計れなかったのは明らかに自分の落ち度。

どうやらこの男。
残虐な嗜好の持ち主らしい。

「た、助けて?」

小さくか弱く言ったとて、今更取り繕えるはずもない。

「プッ・・・・本当に面白いヤツだ。」

ファスナーから男が取り出したモノをそろりと見下ろしたとき、彼女は脳内で「父ちゃーーん!!」と叫んだ。

無駄だとは解っていた。
だからといってそう簡単に諦められるはずもない。

『あたいの貞操は、花の操は・・・・・・・・・・あいつだけのもんなのにぃ!!!』

しかしそんな心の悲鳴は誰の耳にも届かなかった。
もちろん目の前の男にも。