第一話

贅沢に慣れきった彼らでも、大海に沈み行く美しい夕日は何度見ても飽きない。
基本食べ物にしか興味を示さない悠理ですら、その大きさと見事なグラデーションにはポカンと口を開けていた。

「素敵ねぇ。」

「ほんと、贅沢な景色ですわ。」

想像していたよりも穏やかな波は、光を受け黄金色に輝いている。
誰しもが憧れるロマンティックなシチュエーション。
可憐の気分がいやが上にも高まる。

━━━━やっぱり男は財力よね。こんな贅沢させてくれる人を早くゲットしなきゃ。

百合子への称賛と憧れは常日頃から抱いているが、ここに来て、より一層感じ入った可憐であった。
「おい、清四郎。ちょっと来てくれ。」

円形のプールを臨むデッキチェアで、潮風を浴びながら本を読むマイペースな清四郎。
彼は魅録の呼び掛けに、むくりと身を起こす。
そろそろ夕飯の支度が出来たのか?と期待していると、それはどうやら違ったらしい。

「ちょっと気になることがあるんだ。」

「どうかしましたか?………あぁ、悠理がいつものように食料を食べ尽くしてしまったのなら、檻に閉じ込めることもやぶさかではありませんが。」

「いや、それは俺がなんとか防いだ。それより………」

促され、甲板の先端に辿り着くと、魅録は夕日を指差したまま、疑問を口にした。

「俺らが最初に行こうとしてる島は……方角的に考えて太陽を背にするはずだよな?なんでこっち方向に向かってんだ?」

魅録の指摘に清四郎は逡巡する。
確かに、この辺りは各国の大きな貨物船が通る海峡のはずだ。
しかし先ほどから、タンカー一つすれ違わないのは明らかにおかしい。

見渡せば、点在する小さな島々。
目を凝らし、それらとの距離を目測する。

随分と短い。
それに、これから日は沈む。
安全性を考えれば、わざわざこんな狭い海路を選ぶはずがない。

そう感じた瞬間、清四郎の脳は警報を鳴らした。

「船長に問いただしましょう。」

「わぁった。念の為、あいつらにも………」

しかし、彼らの判断は少しばかり遅かったらしい。
いや、たとえそれが早かったとしても、どのような対処が為されたかは分からない。
全ては初めから仕組まれたもの。
強いて言うならば、雇われ船長の素性に誰も疑いを抱かなかったことが敗因なのだ。

クルーザーは静かに停船する。
夕闇に白い母体は良く目立ち、’彼ら’が近づくことも容易であった。

「船が………止まりましたね。」

「ああ……こりゃ、やべぇな。」

「魅録。もちろん知っているとは思いますが、この辺りの海賊は性質たちが悪い。本気でかからなければ、サメの餌になりますよ。」

「おいおい、脅すなよ。とにかく少しでも武器になるもん調達してくる。」

居ても立っても居られないとばかりに立ち去ろうとする魅録。
しかしその足が止まったのは直ぐ後の事だった。
清四郎の目が瞠られる。

「せ、清四郎…………」

青ざめた可憐、そして美童が、迷彩服を着た屈強な男達に両手を縛られ、ゆっくりと甲板を歩いてくる。
こめかみに拳銃を突き付けられたまま。

「可憐………美童!」

「清四郎、魅録!悠理と野梨子が……!!」

それは最悪の事態を告げていた。
魅録が後退り、クルーザーの下をそっと見遣る。
取り囲むように浮かぶ数隻の船。
黒く塗られた船体はどうみても高速船だ。

「清四郎………厄介だぞ。」

「解ってます。」

悔しげに唇を噛み締める男達の手に、何一つとして武器は無い。
次々に乗船してくるであろう招かざる客を、ただまんじりと受け入れるほかなかった。



石油タンカー、資材輸送船。
東南アジア周辺の積み荷を狙った略奪行為は、ここ数年めっきり減ってきたとはいえ、まだまだゼロにはならない。
武装した船に乗り、彼らは少人数で見事な手腕を見せつける。
乗組員を海に放り投げ、船ごと乗っとるという荒々しい手法もあり、海上警備はとても厳しいものとなっていた。
国によっては軍隊を派遣する場合もあるのだ。

そんな中、小さな島に潜伏する、一つの集団が居た。
彼らは決まって金持ちが乗っているクルーザーを狙い、人質にした挙げ句、身代金を要求する。
多くの事件は水面下で解決される為、表立った記事にはならないが、ヨーロッパや中国の富裕層達の間では誰もが知る有名な話だった。
しかし悠理達が通る予定だったM海峡にはそんな危険性も少なく、また多くの警備船も航行するため、何かあったとて直ぐに適切な対処が行えるはずだったのだ。

━━━━まさか船長が買収されていたとは。

意図的に航路が変えられているとはさすがに思わない。
明らかなる油断。
危機管理意識が疎かであったと清四郎は悔やむ。

魅録と共に、銃を突きつけられたまま上半身を縄で縛られ、四人は船から降りるよう告げられた。
言葉から察するに、近隣の島に住む人間なのだろう。
マレー語にも確かな訛りがあった。

清四郎達を拘束した男は二人。
無論、相手は武装している為、無茶は出来ないが、それよりも見当たらない悠理と野梨子が気にかかった。

「こいつらこの後、どうするつもりだ?」

怯えながら歩く美童達の背中を見つめ、魅録はこそっと清四郎に尋ねた。

「恐らくは………身代金目的。あとはこの立派なクルーザーでしょう。」

「チッ!根こそぎやられそうだな。悠理が剣菱の娘だと解っているからこその犯行だろう?」

「そう………ですね。」

━━━━彼女のことだ。安易に『10億!』と言い出さなければ良いのだが。

しかし清四郎の心配はそれに留まらない。
相手は武装した海賊。
ここから先に待ち構えている最悪な事態を、彼の頭は瞬時に弾き出していた。
高低差のある両者の船。
掛けられた縄梯子を下りるとき、四人の拘束は解かれた。
もちろん銃をつきつけたままで。
魅録と清四郎がその隙を見逃すはずがない。
武道に長けた男の容赦ない足払いが男達を転倒させる。
顎を思いきり蹴り上げた魅録はいとも簡単に銃を奪い取った。
形勢逆転。
屈強な男達は想像もつかなかったのだろう。
自分よりも細く、決して強くは見えない二人の青年が、こんなにも武闘派であることを。

「さっすが!清四郎!魅録!」

「呑気に喜んでなど居られませんよ!美童、可憐、この二人をその縄で縛り上げてください。何人の賊が入ったか判らないんだ。油断は出来ない!」

「その通り。」

背後からの冷えた声に、四人は一斉に振り向く。

「‘油断は禁物’。世界共通の認識だと思うが?」

よどみなく日本語を話す長身の男。
彼は引き締まった体躯にマシンガンを肩にかけ、焼けた肌を白いランニングシャツで覆っていた。
迷彩柄のズボンと黒の編み上げブーツ。
褐色の布が巻かれている為、髪色は解らないが、焦げ茶色の瞳は野性的に光っている。
一目でリーダーだと判るその男。
整った顔立ちは純粋なマレー人ではないように感じる。

彼の背後には十人の部下らしき男達が立っていた。
彼らの間に立つ悠理と野梨子も、案の定拘束されている。
悠理には猿轡まで。
理由は自ずと解る。
きっと子犬のようにキャンキャン吠えたのだろう。

「さぁ、銃を離し、手を挙げて貰おうか。」

手から落ちた銃は直ぐ様部下の手で拾い上げられる。
清四郎達に蹴り倒された男達は「船で待機しろ」と命令され、渋々縄梯子を下りていった。

手を挙げたままの状態で清四郎は目を細める。
思い描いていた最悪のシナリオ。
予想通りに事態が進んでいく気がして、焦燥感が増す。
『冷静になれ』
彼はそう自分を叱咤しながら、口を開いた。

「要求はなんだ?」

「米ドル紙幣で五億。明日の正午までに用意させろ。天下の剣菱なら簡単だろう?」

「解った…………それならば船に搭載されているGPS電話を使いたい。」

「よし、許可しよう。」

清四郎達は、彼らへとゆっくり近付く。

「悠理、野梨子、怪我はないか?」

「え、ええ。大丈夫ですわ。」

青い顔色で、それでもホッとした様子を見せる野梨子。
誰よりも頼りになる幼馴染みを涙目で見つめる。

「んががーー!」 (謎)

それに対し真っ赤な顔で憤る悠理。
対照的な二人の姿に、いつものこととはいえ四人は複雑な表情だ。
結局、再び拘束され、豪華なダイニングスペースに集められた六人。
電話のやり取りは魅録が行い、猿轡を外された悠理は電話口の両親に、間違いなく誘拐された事をアピールした。

話し合いの結果、受け渡しはこのクルーザーの上と決まり、リーダーは満足そうに頷く。
これらはもちろん水面下での遣り取り。
警察の介入を察した時点で皆殺しだ、と彼は6人を睨み付けた。

清四郎は辺りを見回し、ふと、船長の姿が無いことに気付く。

「船長はどこへ?」

「あいつは今ごろフカ(鮫)の餌だ。」

残酷な言葉を平然と吐く男。
その名を‘ヨギ’と言った。
本名かどうかは定かでないが、彼は色んな事を話してくれた。
その大半は自慢話。
自分達が如何に優れたチームであり、過去にどれほどの身代金をせしめてきたかを、居丈高に話す。
中には下世話な話もあり、興に乗ってきたのか、置いてある酒にまで手を出す始末。
かといって本気で酔うつもりはないらしい。
口の滑りを良くするだけの為に、ブランデーをあおる。

夕陽はとっくに沈んでしまった。

下らない自慢話にギリギリと歯を食いしばる悠理。
可憐と野梨子はお互いの肩をくっつけて、動向を見守っている。
美童は、こんなことならシンガポールに残れば良かったと後悔しているに違いない。

少しの隙を見つけようとする清四郎と魅録。
しかし、リーダーに忠実な部下達は一滴も酒を飲まないまま、ヨギの武勇伝に相槌を打っている。
烏合の衆と思えば、少しは気も安まるのだが、今のところそんな楽観的観測は出来ないらしい。

焦りは禁物。
清四郎と魅録の緊張は、時を追う毎に高まっていった。