本編

春、弥生の頃―――
菊正宗総合病院産婦人科のナースステーションは朝からにわかに騒がしかった。
その理由はただ一つ。
目にも眩い金髪の貴公子が、大きな薔薇の花束を抱え、更に天使の様な二人の娘を引き連れ登場をしたことにある。

「こんにちは、白衣の天使さんたち。いつも妻がお世話になってます。」

皆を虜にする王子様スマイル。
それは、日頃ストレスを抱え忙しく働くナースたちの心を確実に潤した。
たとえ他人のモノであろうと、ここまで目の肥やしとなる男はそうそう居ない。
薔薇の花束同様、ピンク色に頬を染め、浮き足立つ彼女たち。
それを叱責する立場の婦長ですら、いつになく優しかった。

臨月を迎えた可憐は、病棟の最上階にある特別室で過ごしている。
仲間達が頻繁に見舞う為、部屋は花の香りが充満し、サロンのようなエレガントさが漂っていた。

「可憐、どう?調子は。」

「「ママ――!」」

ピンクと白。
色違いのワンピース姿で競うように駆け出す娘たち。
見慣れぬその愛らしい洋服に、ベッドの上の可憐は目を瞠り、静かに夫を問いただした。

「良く似合ってるわね。でもこれ、どうしたの?」

「パパが買ってくれたんだ。」

「また?この間、靴を頂いたばかりよ?」

「ほら、彼は日頃から、‘二人同時に目に入れてもきっと痛くないはずだ’……と豪語しているだろ?このくらいの孫孝行は許してあげてよ。」

茶目っ気たっぷりにウインクされれば、それ以上の追及は出来ない。
美童の言う通り、義父の溺愛ぶりはそら恐ろしいもので、美しい義母と義弟は日々呆れ顔を見せていた。

双子の姉妹は当然、そんな甘い祖父が大好きで、歯軋りしながら見つめる美童の心境は穏やかでない。
娘とはいえ、女は女。
男の魅力に関しては、父親に負けたくなかった。

慣れた手付きで花瓶の中の花を差し替える美童は、鼻唄を奏でながら薔薇の芳香にうっとりと目を瞑る。
そんな夫の優雅な振る舞いは昔からちっとも変わっていない。
誰よりも気品高く生きようとする男。
妻はそんな夫を眩しそうに見つめた。

天から授かった彼の美貌は見事娘に引き継がれ、彼女達は万人が認めるほど愛らしい容姿をしている。
天使と称されるベビーローズ。
二人は何処へ行っても持て囃(はや)され、笑顔一つ見せるだけで、どんな望みでも叶いそうな勢いだった。

陶器のような肌質とゴールデンベージュの髪色、瞳は透明感のあるアイスブルーだ。
背中にまで伸びた髪を、きっちりおさげに仕上げたのは父親である美童。
彼の器用さは今に始まったことではない。
趣味の女装が高じて、今ではどんな髪型でもあっという間に完成させてしまうのだから、女手要らずだ。

「ああ、ママからも‘可憐へ’って預かってるよ。」

「あら。なにかしら?」

手渡されたそれは、手編みのブランケット。
パステルカラーの優しい色味で、カシミアの糸が織り混ぜられていた。
膝掛けよりも少し大きいくらいのサイズでふわりと軽い。

「お義母さまの作品?」

「みたいだね。まだ冷える日もあるから使ってやってよ。」

「ありがとう、美童。後で御礼の電話をするわ。」

二人が見つめ合い微笑んでいるところへ双子が割り込んでくる。

「ママ!ベビーはまだ?」

「まだよ。もう少し。」

「いくつ寝たら会えるの?」

「そうねぇ、両手の指を数えるくらいかしら?」

「「やった!もう少しね!」」

誰もが羨む幸せな家族像。
美童は妻の肩を抱き寄せ、その幸福をしみじみ味わう。

「一人寝はやっぱり寂しいね。早く帰ってきて欲しいよ。」

「ふふ。えらく弱気なのね。何かあった?」

「この間、うちに清四郎と悠理が来たんだ。あいつら、鬱陶しいくらいベタベタしててさ。僕のことなんかお構い無し。あれだけラブラブなのに、何で子供が出来ないんだろう。」

「そうね………こればかりは授かりものだもの。」

夫の腕に頬を擦り付け、可憐は微笑む。
それは仲の良さだけではどうしようもない問題。
運を天に任せ、強く願うほかない。

「大丈夫よ。悠理は健康そのものだし、たとえ出来なくてもあの子達は何も変わらないわ。」

「うん、そうだよね。」

━━━━悠理が母親になる想像は、いまだ出来ないけれど。

美童は妻の言葉に納得し、静かに頷いた。



時を同じくして━━━

その日の悠理は二日酔いに呻いていた。
彼女にしては珍しいこと。

「ほら、これを飲みなさい。」

夫の手に握られた薬の効果は実証済みで、悠理は素直に起き上がると、差し出された水と一緒にそれを飲み干した。

「あまり無茶な飲み方はするな。心配するでしょう?」

「ん………ごめん。」

いつになく気落ちした妻の表情には理由がある。
しかし清四郎は、それ以上責める事も問いただす事もなく、ジャケットに袖を通すと、腰を柔らかく折り曲げ顔を近づけた。

「今日一日、大人しくしてるんですよ。寝ていれば夕方にはすっきり回復するはずです。」

「わぁった。」

「そうしたら、夜、鮟鱇鍋でも食いに行きましょう。」

「え?早く帰ってこれんの?」

「今のところ、特に予定は入っていませんね。」

途端にほころぶ妻の顔。
清四郎はその脱力した頬にチュッと口付け、優しく髪を撫でた。

「話はその時に聞かせてください。では、行ってきます。」

「・・・行ってらっしゃい。」

洞察眼に長けた夫は身を起こすと、夫婦の寝室から爽やかな足取りで立ち去っていく。
残された悠理は弾力あるクッションに背を沈ませ、深く息を吐き出した。

━━━相変わらず、何でもお見通しだよな。

夕べの飲み会は、ここ数年で一番酷い酔い方をした。
いつもなら、どれほど飲んでも楽しいだけの酒。
基本、とぐろを巻くような飲み方はしないはずなのに。

珍しく自己反省する彼女の目が、静かに閉じられる。

『あからさまな悪意』って……ああいう事をいうんだな。

瞼というスクリーンに、夕べの様子が思い出された。
¤
¤
¤
何年ぶりかに参加した大学の同窓会。
幹事の一人だった悠理は、数ヵ月前から大忙しだった。
当然コネの利く剣菱系列のホテルに会場を定め、料理や案内状の手配を滞りなく進めていく。
もちろん複数の幹事で分担するからこそ出来る仕事で、雑な性格の悠理は御飾りと言っても過言ではなかった。

それはさておき。
集まった100名近くの同窓生の中には、悠理への嫉妬心を剥き出しにする輩も少なからず存在した。
特に清四郎のファンだった女達は、ここぞとばかり、イヤミを並べ始める。
卒業して何年経とうと、女の本質というものそう変わりはしないのだ。

その内の一人。
名前も思い出せない女が側に立つ。
豊かな黒髪をアップにし、紫色のワンピースに身を包んでいた。

「剣菱さん、今日は一人?たしかご結婚されて随分経つわよね?」

「あ、うん。清四郎は忙しいから。」

「お子さんは?」

「…………まだだけど?」

「あら。お仲間はすっかり落ち着いてらっしゃるのに?まだまだ遊び足りないのかしら?」

「へ?」

口元に手をやり、クスクスと声を上げるものの、女の目は決して笑ってはいない。
むしろ蔑んだような光を宿している。

「ふふ。ぼーっとしていたら、いつの間にか愛人に隠し子がいた、なんて騒ぎになるかもしれないわよ?旦那様、おモテになるでしょ?こういうのって、よくある話なんだから。」

それは一般的な忠告ではなく、明らかに悪意性のある言葉だった。
憎悪すら交じった、醜悪な妬み。

悠理とて、夫の身辺について不安に思うことは数限りなくあった。
それでも、自分だけを見つめ、愛してくれている清四郎がこっそり裏切るなんて可能性は少ないと思う。
むしろ、考えたくもない。

仲間達の家庭を垣間見ていたら、子供という存在は男に責任感を与え、夫婦の絆をより強固なものにすることが解る。
あれほど浮わついていた美童が、今や完全なるマイホームパパ。
魅録だって同じだ。
残業を惜しんで、一刻も早く帰宅していると聞く。

自分達もいつか彼らのようになりたい。

そんな風に願ってはいても、未だ二人の元へ天使は降り立たず、遠い未来に描かれた、手の届かぬ餅のようにすら感じる。

女の言葉を鵜呑みにしたわけではないが、そこからの悠理は目につく酒をひたすら飲み始めた。
自分でも気付かなかった小さなささくれを強引にむしり取られたような痛みが走り、その痛みを和らげるために酒をあおって陽気を装う。

側に居た女は流石にまずいと感じたのだろう。
いつの間にか、立ち去っていた。

シャンパンを五本空けたところで、

バタン

会場に面した絨毯敷きの廊下で倒れた悠理。
直ぐ様やって来た支配人の機転で最上階の部屋を用意され、そこへと静かに運び込まれる。

真っ赤な顔で呻く令嬢。

支配人は当然のように夫へと連絡を入れ、到着までの間、ホテルお抱えの医者を呼び診察を願う。
急性アルコール中毒が心配されたからだ。
悠理の記憶があるのはそこまでだった。

夜中、嗅ぎ慣れた香りに包まれ、いつものベッドで一度だけ目を覚ましたものの、再び眠りへと落ちてゆく。
背中に感じる優しいぬくもり。
間違いなく夫のものだった。

そうして、夢も見ないまま迎えた朝。
頭を殴打されたような痛みが襲う中、清四郎はすっかり仕事支度を始めていた。

「おはよう、悠理。」

「…………はよ。」

そんないつもと変わらぬ景色がそこに━━━。

¤
¤
¤

「あ、ちょっとマシになってきたかも。さすがに良く効くなぁ。」

こめかみを揉みこんだ悠理は布団を被り、もう一眠りしようと身を縮めた。
むしり取られたささくれはまだ痛むけれど、こうして一晩経てば気に病む必要が無いと解る。

━━━━清四郎の興味がこっちに向いてる限り、何にも心配することなんてないんだ。

それでも………

二人の間に揺るがぬ絆が欲しい。
些細な嫌がらせを受け流す度量が欲しい。

悠理は、心の片隅で焦っていた事に気付いた。
可憐も野梨子も母となり、夫婦として家族として、見事大輪の薔薇を咲き誇らせている。

二人きりで良い━━━

そんな台詞は強がりの一端。
静かな焦りを悟られるのは嫌だった。

こんなに愛しているのに。
あいつの赤ちゃんが欲しいと願っているのに。

愛らしい双子達と遊んでいても、妬む気持ちはどこかに隠れていた。
彼らを眩しそうに見つめる清四郎の横顔に、紛れもない本音が映っていたから。

「…………やっぱあいつも、本当は欲しいんだろうな。」

これからの生活を慮りながら、悠理はサイドテーブルから‘棒状の物’を取り出す。
それは、半年も前に野梨子がくれた基礎体温計と付録の手帳だった。

「………やってみるか。」

めんどくさがりやの悠理が、初めて手にした代物。
そんな妻の本気を目にした清四郎が、より一層、夫婦の営みに発奮し始めたのは言うまでもない。

そして約一年後。
二人は無事、初めての子を授かることとなる。



それから
十年余りの年月が経ち━━━━

「真悠(まゆ)、おじさん達は?」

「もう皆、庭に集まってるよ。愛乃ちゃんと麻綾ちゃんはおばあさまの着せ替え人形だし、宗ちゃんはまだプールじゃないかな?」

「そうか。」

「櫂(カイ)は泳がないの?」

「宗(そう)君とやりあったら、体力もたない!死んじゃうよ。」

「もう!頼りないなぁ。そんなんじゃパパに認めてもらえないんだから。」

「まだまだこれからさ。いつか必ず、真悠との結婚を許してもらうから安心して。」

「パパよりも強くなる?」

「・・・・う、うーん、難しいけど頑張るよ。」

「せめてママには勝てなきゃね。」

幼いカップルが将来の約束を確かめあっている頃、大人達は剣菱家ご自慢の庭に用意されたアフタヌーンティで近況を語り合っていた。

「今度、美童んとこのカフェ、ヨーロッパ進出するんだって?」

「そうなんだ。立地にこだわっちゃったから、思ったよりも狭い店舗になりそう。でもその分の売り上げは見込めるよ。」

「へぇ、いっぱしの実業家だな。剣菱と提携して、世界規模の展開を目指すんだろ?」

「そうなの!あたしもパリに渡ってしばらくは働かなきゃ。語学の堪能な櫂を連れていきたいんだけど、真悠ちゃんと引き離したら、すごく恨まれそうね。」

「どうぞ連れていってください。彼にとっても良い勉強になるでしょうし。」

「おい、清四郎………顔が怖いぞ?」

「美童の親馬鹿ぶりも大概だけど、清四郎には敵わんなぁ。」

「清四郎、人の恋路を邪魔すれば、馬に蹴られますわよ?」

「宗佳(むねよし)と双子もどうなるかねぇ。」

「魅録!僕、先に言っておくけど、おまえん家にはぜーーったい嫁がせないからね!」

「そんな心配、無駄じゃねぇか?あいつにその気はないみたいだぞ?」

「あいつぅ!!うちの可愛い姫たちのどこが不満なんだ!!!」

「宗は奥手だからな。双子の噛みつかんばかりの勢いが怖いんだろ?」

「やれやれ。いつの世も女性は逞しいですな。」

笑い合う六人の穏やかな雰囲気は、過去も現在も変わらない。
そしてもちろん未来も。

「悠理、そろそろ母乳の時間ですよ。」

「あ、やべ。忘れてた。」

「僕も行きましょう。悠丞(ゆうすけ)をあやすのは至難の技ですからね。」

仲良く手を繋ぐ二人の背中を見送った可憐は、深い感嘆の溜め息を溢す。

「悠理ってば、この年になってよく産んだわよね。ほんとすごいわー。」

「体力は昔よりもパワーアップしていますわよ?」

「そういうことなら清四郎も、だよな?」

「あいつら仲良いもんね。社交界でもすごい噂だよ。あと二人くらいなら産めそうじゃない?昔ならともかく、今の悠理の腰つきなら………」

「美童!清四郎に殺されるわよ!」

「最低ですわね。」

「べ、別に僕はあいつをそんな目で見たわけじゃないぞ!?」

「どうかしらねぇ。四十を過ぎた辺りから、また女の子たちに騒がれるようになって、最近浮かれてるんじゃないの?」

「そりゃあ、僕にだって『大人の魅力』ってやつが備わってきたんだと思うよ。」

「万が一でも浮気したら、ご自慢のソレ、ちょんぎるわよ!」

「可憐、その時は私も手伝いますわ。」

「くわばらくわばら。」

変わらぬ光景。
繋がる縁。

六人が育て上げた多くの子供達もまた、どんな形であっても、その絆を紡いでゆくことだろう。
それは大昔に定められた運命であるかのように。

永遠の物語はこの先もずっと━━━


 

※とうとう完結させました。
私の理想とする六人を詰め込んだつもりです。

後日談として、
悠理と清四郎の娘(真悠)は美童の息子(櫂)と結ばれ、剣菱家を盛り立てていきます。
そして息子(悠丞)は年頃になると、悠理と一緒に世界を旅します。
恐らく、冒険家の道へ進むのではないかと。
美童の愛する双子、愛乃と麻綾は宗佳をしつこく追っかけるんですが、宗佳がアメリカでガールフレンドを作ってしまい、涙ながらに諦めます。
魅録と野梨子の子は結局、宗佳だけなんですよね。
警備会社の社長である魅録はアメリカの大手と組んで、大統領やVIPの警護に当たります。
彼は生涯現役。
可憐はパリに渡り、ジュエリーの鑑定人としても働きます。
とまあ、細々とした設定はあるんですが、「eternally」はここまで。

ありがとうございました。