~序章~
「また一人殺されたんですって!これで5人目よ?ほんと物騒な世の中よねぇ。」
週刊誌を捲りつつ、可憐がぼやく。
美童は放課後のデートの下準備に余念が無く、魅録はメカニカルな雑誌に夢中な様子だ。
野梨子は悠理におやつを与え、悠理はそれを一瞬で食べきる。
それはいつもと何ら変わらぬ、部室でのヒトコマ。
有閑倶楽部の穏やかな日常。
「確か首元に二つの傷が残っているんでしょう?鋭利な何かで刺されたような・・・。死因は失血しですって?現代版吸血鬼と騒がれていますわね。」
「ああ・・・その事件な、ストローが凶器だよ。」
「え?ストロー?」
雑誌から顔を上げた魅録が事も無げに答えると、可憐が驚きで目を見開いた。
「ああ。クスリを嗅がせて意識が朦朧としているところに先端に細工し、尖らせたストローを首にぶっ差す。すると血は止まることなく溢れ続けるって仕組みだ。出血多量で死ぬのも無理ないぜ。」
身振り手振りで説明され、野梨子と二人して顔を青くする可憐。
「当然、マスコミには公表していないさ。野生の獣か何かの仕業だって憶測もあるくらいだからな。ま、それもこれも模倣犯を抑制するためだし、仕方ねーか。」
「一体、何の為にそんなことをするのでしょう・・・怖いですわ。」
震えながら清四郎を窺う野梨子だったが、珍しい事に彼はパソコンを開いたまま、うとうとと居眠りをしている。
どことなく顔色が悪く見えるのは青色のカーテンにつけ変えた所為か?
「清四郎?」
声を掛けても起きる気配はない。
心配になった野梨子が清四郎の肩を揺すろうと手を伸ばした時、
「寝かせといてやったら?」
と悠理が口を挟んだ。
「生徒会引き継ぎの雑務に追われてる、って昨日言ってたじゃん。」
彼女にしては珍しい気遣いだ、と思ったものの、それに納得し頷いた野梨子は気配を殺しながら席に戻ると、自分の湯呑みに新しくお茶を注いだ。
「あと半年もすれば、俺たちも大学生か。何か実感湧かねぇな。」
「皆でサークル作ろうぜ。」
「良いアイデアですわ。どうせなら、オカルト研究会にします?悠理には打って付けですわよ?」
「え!?絶対にヤダ!」
「僕もヤダよ。」
「名目なんて何でもいいのよ。こうして集まれる場所さえあれば・・・ね、清四郎?」
寝ているはずの男を皆で振り向けば、そこにはいつものように澄ました表情で目を細める清四郎。
「あら、お目覚めですのね。」
「少し寝ていましたか・・・・。」
「疲れてんだろ?早めに帰って休めよ。」
「そうですね・・・・・・そうさせて頂きます。あ、悠理、次の試験に向けてそろそろ勉強を始めなくてはいけませんよ?大学に入学するまでに少しでも基礎学力をつけておかないと後々後悔するんですから。」
「うげ・・・。」
「今回は僕も忙しくてお手伝い出来ませんから、一人できちんと勉強しなさいね。」
やはり顔色は冴えない。
清四郎はパソコンを閉じ、立ち上がると、それを鞄にしまい込みながら皆を見渡した。
「ちなみに、大学での部屋は確保済みです。古くなった音楽室を譲り受ける予定ですから。ここよりは少し手狭ですが、日当たりも良いし防音も完璧で、どれだけ騒いでも問題ありませんよ。」
「さっすが清四郎!抜け目ないね。」
「じゃ、ギターも遠慮無く持ち込めるんだな!」
「社交ダンスの練習も出来るかしら。」
「はいはい、お好きなだけどうぞ。それでは僕は帰り・・・・・・・・・・」
「清四郎!!」
真っ先に声を荒げたのは悠理だ。
ぐらり・・・大きな男の身体が傾く。
かろうじて倒れなかったのはさすがと言うべきか。
清四郎は床に片膝をついたまま、視線を彷徨わせている。
「清四郎、どうなさいましたの!?」
悲痛な声で駆け寄る野梨子。
皆もそれに続く。
体力、精神力、自己管理、健康面・・・・
全てにおいてパーフェクトな男がこんな姿を見せるなんてこと、もはや怪奇現象と言えるだろう。
「ああ・・・立ち眩みがしただけです。」
「わたくしも一緒に帰りますわ!」
「あたいの車で送ってってやる。」
「病院に行かなくていいの?顔色悪いわよ・・」
「行っとけよ、清四郎。あんたに倒れられたらこっちが困る。」
「そうだよ!!」
それぞれの思惑はともかくとして・・・心配していることに違いはない。
清四郎は苦笑しながらも「ありがとう、大丈夫です。原因は分かっていますから・・」と病院行きをやんわり断った。
のろり、立ち上がる清四郎に皆、『そこまで雑務が重なっているのか』と申し訳ない気持ちに陥る。
生徒会のおおよその仕事は会長である清四郎がほぼ一人で引き受けてきたのだ。
優秀すぎる男に頼り切ってきた仲間達。
今更、手伝うといってもバツが悪い。
「取り敢えず帰って休みます。一晩ぐっすり眠れば元通りですよ。」
「清四郎・・・」
薄く微笑む清四郎にはいつもの覇気が感じられない。
これはよほどの事態なのでは?・・と5人は悟る。
そんな彼に、慌てて帰り支度をした野梨子が寄り添いながら、扉の向こうへと消えていく。
礼儀正しい彼女が挨拶もなく、心底心配した様子で清四郎を見上げる姿は、見送る仲間に強い不安を与えた。
次の日。
やはり清四郎の顔色が回復する事はなく、それでも色んな仕事をテキパキとこなしている。
それを見てさすがに皆は手伝い始めたものの、役に立てそうもない悠理だけが、部室の片隅で試験に向けて鉛筆を囓っていた。
しかし、勉強は一向に捗らない。
全ての神経が清四郎へと注がれているからだ。
『あいつ・・大丈夫かな?』
他人に対して基本、無神経、無頓着な彼女が何故?
それは発芽したばかりの恋の所為。
齢19歳。
悠理に訪れた初恋は、普段「鬼」「悪魔」と呼んでいるはずの男相手にゆっくりと成長を続けている。
昨日も、本当なら自分が送っていきたかった。
けれど、野梨子からその立場を奪うことは不可能な為、まんじりと見送るしか出来なかったのだ。
『あんなになるほどの雑務って・・・一体、何なんだよ。』
悠理には想像も出来ない。
そして学園の仕事如き些末なものに苦戦している姿が不思議で仕方なかった。
超人的な頭脳。
彼に解決出来ない事など、この学園に有りはしない。
悠理は鉛筆を転がしながら、そっと清四郎を窺う。
まだ芽生えたばかりの小さな恋に、確固たる自信は見当たらない。
『ただ・・・心配なだけだ。』
そう何度言い聞かせても、心は騒ぐ。
喜怒哀楽、それら全てに抗うこと無く生きてきた悠理。
コントロール不可能な感情は、彼女にとって、初めての経験だ。
胸が騒ぐ。
ざわざわと。
それは、彼女の優れた野生の勘が何かを察知していたからかもしれない。
ここから先・・・・
悠理は激しい嫉妬に見舞われ、胸が焦げるほどの恋情に支配されるのだが、今の彼女が知るはずも無く・・・・。
不明瞭な胸騒ぎと心許ない感情に、結局は勉強に身が入らないまま、ただ無意味な時間だけが過ぎていくのであった。