━━━━ユーリ姫が悪しき者に拐われた。
そんな噂が国中に広まるまで、さほど大した時間はかからなかった。
マンサーク王は、軍隊を挙げて捜索を命じるも、姫の足取りは杳として見つからない。
唯一残された手紙は、
『父ちゃん、母ちゃん、悪い。あたい、好きな男が出来ちゃった。跡取りの件は兄ちゃんに任せろよな。元気で!』
と非常に軽々しい内容で、両親はあまりのことに絶句し、卒倒しそうになった。
かといって「はいそうですか。」と見逃すわけにはいかない。
隣国の王子、ビドウとの祝言に向け、水面下では大がかりな準備が進められているのだ。
そして何よりも、どこの馬の骨か解らぬ男に連れ去られたとあっては、王家の権威に傷が付いてしまう。
一人娘をこよなく愛する父王は嘆き悲しみながらも、奪い去った男の行方を必死に追った。
どれだけ金を遣っても良い。
情報者には、一生暮らせるだけの謝礼を渡そうではないか。
国民はそんな大盤振る舞いに色めき立ったが、それでも有益な情報は王の耳に届かなかった。
そしてとうとう三ヶ月が過ぎ、季節が変わる頃━━━
ようやく信憑性のある一報がもたらされる。
待ちに待った吉報。
マンサーク王はげっそりとした顔つきで、情報主の男を城へと招き入れた。
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そんな親の心配など露知らず。
ユーリ姫と黒き男は蜜月期を楽しんでいる。
男の棲み家は王国から遠く離れた岩山の中腹にあり、人界との接点は皆無だった。
硬い岩盤をくり貫いたそこには、貴族の屋敷さながらの設えと巨大な食料貯蔵庫(これはユーリ姫の為)が配置されている。
花嫁を迎えるにあたって、寝室には真っ赤なシーツに覆われた大きなベッドを取り入れ、姫は夜な夜なそこで愛されていた。
しかし彼女は未だ吸血一族に迎えられていない。
あれほど覚悟し、家を捨て、ついてきたというのに。
永遠とも云える長き人生を共に歩こうと、人の世を捨ててきたのに。
ユーリの不満は募る。
夜。
男が柔らかい身体をその手に抱き、口づけを落とすことで、甘やかな時間は始まりを告げる。
闇色の髪を乱し、少女といっても過言ではない未成熟な身体に溺れる男は、白い肌の至るところに赤い痕跡を重ね続ける。
散らばる花弁が、自分の物である証。
それらを満足そうに眺めた後、男は渇きを癒すため、ユーリの細い首筋に牙を突き立てるのだ。
そう。
吸血行為はまだ終わってはいない。
本来なら命を奪いかねない行為。
しかし男は、ユーリの血を啜ることを止められなかった。
━━━他の女んとこ、いっちゃヤダ。
この屋敷に拐ってきた夜、マントを翻し食事へ出かけようとした彼に、姫はいじらしくもそう告げた。
しかし、一人の女から吸血を続けていたら、必ず命を奪うことになる。
それらを真剣に説いても、ユーリはイヤだと首を振るばかり。
あまつさえ、『あたいなら大丈夫だから!』と根拠のない自信を見せ、さあ、吸え!とばかりに首を差し出してくる。
確かに。
確かに彼女の血は特別に甘く、口にすれば男の身体に熱いものを滾らせてくれる。
女を求め、血潮が溢れ出すほどのパワー。
そんな本能が掻き立てられる情動はあまりにも官能的で、今まで経験してきた疑似恋愛など稚戯が如し。
遥か彼方へと記憶を押しやってしまう。
『本当に良いのか?』
男の中ではまだ迷いが生じていた。
彼女を一族に迎え入れるか、否かを。
だが三ヶ月もの間、不安に駆られながらも誘惑を撥ね付けることが出来なかった。
甘露のような赤い血に煽られ、ユーリの意識が無くなるまで攻め立てる。
まだそこはかとなく子供の香りを残しているというのに………全身で応えてくれるユーリが愛おしかった。
それに━━━━
彼女もまた、吸血の後、非常に感じやすくなり、たとえ媚薬となる唾液を送り込まずとも、乱れ、喘ぎ、甘い吐息を震わせる。
そんな変化は今まで触れてきた人間の中には見られない。
正気に戻った女が魔物を受け入れるはずはないからだ。
やはりユーリは特別な女。
自分にとって運命の女だ。
男はその理由も深く考えず、ただひたすら禁断の行為を続けた。
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「なぁ?いつになったら仲間にしてくれんの?」解き放った欲望を濡れた布で拭っていると、気怠い快感から身を起こしたユーリは不満げに尋ねてきた。
「………焦らなくてもいいんですよ。いつでも出来ますから。」
「なら、今しろ!今すぐ!」
「ユーリ………」
噛みつく勢いで急かされ、男は困ったように首を振った。
「せめて………二十歳を迎えるまでは。」
「なんで?あたいって、そんなにも子供?」
「………そういう意味じゃない。」
この奇妙な感覚を、何と説明すれば良いのか分からない。
まるで神を恐れながらも剣を突き立てる戦士のよう。
地獄に居る身でありながら、その恐怖は男を苛んだ。
喉から手が出るほど欲しい伴侶。
彼女と生きる千年もの時は魅力的で、きっと幸福に満ちたものだろう。
だが、一国の姫を拐かすよう連れてきたことに全くの罪悪感が無いわけではなかった。
本来、父母に祝福されながら立派な男と結婚するはずの立場。
こんな魔物の手に堕ちて良い女ではない。
それでも彼女を手離せないのは、自らの心に人間への憧れが潜んでいるからだ。
短い寿命を一生懸命生きる彼らに、闇の世界には無い輝きを感じるからだ。
そしてユーリはそちらの世界が良く似合う。
一度は覚悟し納得したものの、やはりこの美しい命を暗黒の世に落とすことは堪えがたい苦痛だった。
「ねぇ……あたい、おまえの名が知りたいんだ。……夫のくせに何て呼べば良いのかわからないって変だろ?」
「僕…いや、私もそうだ。ユーリに早く教えたい。そして呼んで欲しい。何度も、何度も、その愛らしい声で…………」
「だったらさ……もう……あたいを………」
しかし男はその要求を情熱的なキスで封じた。
「っ…ん!!」
舌を捻じ入れ、汗に濡れた彼女の首筋を、目を細くして見つめる。
脈動する青い血管。
流れるは魅力的な赤い液体。
方法は簡単だ。
そこに牙を立て、死を迎えるほどの血を啜り、仮死状態にしてから男の血を流し込むだけのこと。
そうすれば彼女は闇の住人となり、ようやく男の妻となる。
「ユーリ……私だけのものだ……」
切なる願いが口からこぼれ落ちる。
どうしても手放せない。
どうしても彼女の側に居たい。
男は姫の本当の幸せが何かを知りながら、それでも自分の欲望を殺せないことに深い絶望を抱いていた。