飢えはそう頻繁にはやって来ない。
特にユーリの血を啜るようになってから、どちらかといえば遠退いたようにも感じる。
吸血一族の中にはあまりの飢餓感に絶望し、手当たり次第人間を襲う’ならず者’も少なからず存在した。
一滴残らず吸い取り、死に至らしめる残虐な同胞。
同胞・・・などと思いたくはないが、人間からしてみればいずれにせよ同じ生き物だ。
千年も生きる我々は’化け物’と一括りされても文句は言えない。
浅ましく血を啜り、生き延びる。
捕食対象となった人間の恐怖は、我々の想像を遥かに超えたものなのだろう。
「な~に考えてんの?」
吸血行為の後、喉が渇いたと訴える彼女は、ミルクがたっぷり入った「ウバ茶」をゴクゴクと音をたてながら飲み干した。
その勢いは、僕の食事などより余程激しく感じたが、彼女らしいといえばそれまでだ。
「随分元気だな……と思いまして。普通、吸血された人間は脱力したまま朝を迎えるものなんですがね。」
「あ~・・あたいも最初の内はそうだったけど、最近へっちゃらだよ。そろそろ3週間になるんだっけ?」
「ええ・・・正確には20日間、ですね。」
首に残る噛み痕は、相変わらず濃い赤色をしているけれど、彼女にはもう媚薬効果が働いているとは到底思えない。
確かに毎夜、啜る量には気を付けて居るが、もしかすると妙な耐性でもついたのだろうか?
見た感じ、顔色も悪くない。
僕の唾液に惑わされている感じも見受けられない。
普通、こんなにも多くの媚薬を身体に取り入れたなら、いくら幼い精神とはいえ発情していてもおかしくはないだろうに。
驚くべきかな、彼女は平然としている。
「ユーリ、貴女は不思議な存在だ。」
「あたいにとっちゃおまえのほうがよっぽど不思議だけど?」
女らしさも色気もない、ただただあどけない少女の顔。
彼女の言う通り、本来ならいっぱしの男に見初められ、結婚する年齢だ。
一国の姫たるもの、親の決めた許嫁の元へ嫁いだとしても珍しくはない。
「そう言えば、あの王子とは結婚したくないんですか?それとも結婚自体が嫌なのか?」
「ん?ああ・・・ビドウ王子の事か。うーん、あいつへなちょこなんだもん。もし腕っぷしが強くて、あたいに惚れてたら結婚したかもしんないな。だけどあいつ、色気のある女にしか興味ないみたいだけど?」
「なるほど………」
彼女の価値観は至ってシンプルだ。
男に強さを求める理由は憧れもあるが、きっと確かな包容力を求めているのだろう。
国王のように手放しで可愛がってくれる男ならば、いつまでも自分らしく居られる。
馬に乗り、草原を駆け抜け、川辺で肌着のまま無邪気に泳ぎ、森の洞窟で探検ごっこだって出来る。
そんないつまでも無垢な子供のように生きたいと願うユーリ姫。
今までどれほど大きな愛で包み込まれて来たかが窺える。
「そーだな。結婚するんなら、おまえみたいな男がいい。」
何の気なしに吐かれた台詞は、言葉を失わせるに充分な役目を果たす。
「・・・・・・・。」
嗚呼、やはり彼女は愚かな子供だ。
無知で無神経、そうであるが故に純粋さが際立つ。
三週間もの間、何も求めず、文句一つ言わず、ただただ血を啜られているのだから’子供’であるに違いない。
そして…………僕はそんな彼女につけ入る魔物だ。
だがこのまま一ヶ月が過ぎた時、果たして彼女から離れる事が出来るだろうか?
確かにユーリの血は極上だ。
喉をしっとりと流れ胃の中に落ち着けば、即座に熱を持ったエネルギーが身体中を駆け巡る。
それは圧倒的なパワー。
闇に生きる我々にはむしろ必要としない’陽の力’だ。
永い時を生きる者にとって、生殖行為はさほど重要ではない。
限られた寿命を持つ者だけが必死に子孫を残そうとするのだから。
だから行為そのものは、ただ快楽に耽るため。
もしくは、人間と似た感覚で疑似恋愛を楽しむためのプロセス。
しかし・・・・
ユーリの血を体内に取り込んでからというもの、下腹部を襲う欲求は日に日に高まっていた。
甘い血の芳香を嗅いでいる時、気付けば彼女の胸を優しく揉んでいる。
喉の渇きを潤した後、その細い腰を抱き寄せ、柔らかい髪に口付けながら、薄いドレスの中身を想像する。
白く未成熟な身体。
小さく揺れる乳房を弄び、紅い果実に牙を立てる。
柔らかなカーブを描き、薄らと流れ落ちる鮮血。
その甘い果汁を飽きることなく啜りながら、持て余した欲望を彼女に突き立てる。
何度も何度も、それこそ気がおかしくなるほど擦り立て、ようやく吐き出す命の源。
人間との間に子を成せない我々にとって、これは無意味な行為でしかない。
だが、これこそが性の有るべき姿なのだ。
僕はもう、彼女の血だけでは満足出来ないと自覚していた。
たとえ相手から求めて来なくとも、無理矢理手籠めてしまえば良いだけの話。
伊達に長くは生きていない。
女の扱いには慣れている。
直ぐにでも快楽の世界へと誘いざなう自信があった。
ならば、彼女に一歩踏み込む事を躊躇う本当の理由は何だ?
まだまだ幼いから?
━━━違う。
一国の姫であるから?
━━━それも違う。
そんな事は取るに足らない。
だが、闇の世界に光を纏う少女を引きずり込むことは、もしかすると大罪ではないのだろうか?
神にも裁かれぬ身とはいえ、さすがに恐怖が走る。
しかし本当の恐れは、そんな甘い苦痛を進んで味わいたいと思っている自分にこそ存在した。
欲望のまま抱いてしまえば、二度と離すことは出来ない。
愚かしい独占欲は同族だけに留まらず、彼女を手に入れようとする人間の男全てを、きっと残酷に殺してしまうだろう。
そしてユーリを拐(かどわ)かし、追っ手の来ない場所へと逃げ込み、千年の時を共に生きるのだ。
たとえ一族にどれほどの迷惑がかかろうとも、僕はその道を選んでしまう。
光ある者を闇へと堕とす行為。
その途轍もないエクスタシーに抗えるほどの理性は持ち合わせていない。
そして今、僕は彼女を前にして、そのボーダーラインに立っている。
「こんな得体の知れない男と共に生きてもいいなどと・・・本気で思っているんですか?」
わざと否定的な意味を込めて口にした。
「うん!だって城の中で窮屈に暮らすより楽しそうじゃん?おまえとなら世界中を自由に回れるんだろう?色んな物を見て、食べて、食べて・・・・・・」
夢見るかのようにうっとりと目を細めるユーリ。
僕はその肩を掴み、激しく揺さぶる。
「本当に?貴女は本当に僕と生きる千年を想像出来るのか!家族にも会えない。太陽の下で遊ぶことも出来ない。何を食べても支障は無いが、基本的な食事は人間の血だ。それでも僕と生きると?貴女がそんな覚悟を持っているとは到底考えられない!単なる気紛れで僕を振り回すのはやめてくれ!」
「!!!」
「胸が抉られるようだ・・・・・」
苦しさを吐露すれば彼女はそっと首を傾げた。
「それって、あたいが嘘吐いてると思ってるから?」
「・・・・・・‘嘘’というよりは、何も考えていないんでしょう?」
「考えてるよ?城を捨てて、家族を捨てて、姫って立場を捨てて、おまえの側に居ること、ちゃんと考えてるよ?」
「何を………僕に一体何の価値を見出だしたというんです?このまま城に居れば不自由のない生活が約束されているというのに。」
そうだ。
この城は彼女にとって何処よりも安全な籠。
食うに困らず、飢えを知らず、光の下で笑い転げて居られる安息の場所。
「あたい………おまえの目が好き。おまえの話し方も、黒い髪も、逞しい体も、物憂げな表情も、すごく好き。それじゃダメなのか?一緒に居たいって理由にはなんない?そりゃ……あたいは子供っぽくて色気もないけど、あと一年、いや三年もすればそこそこ美人になるかもよ?勿体ないと思わない?」
目が眩んだ。
ギリギリと奥歯が鳴って、凶暴な獣が内に秘めた更なる牙を剥き出しにする。
気付けば、貪っていた。
首を………ではない。
淡いピンク色をした唇を己のそれで塞ぎ、強引に舌を捩じ入れる。
逃げ惑う彼女のものを絡め取り、乱暴に啜りながら、強制的に唾液を飲み込ませた。
渾身の想いは暴力的な行為へと変化する。
無惨なほど引き千切られたドレスがベッドの下にふわりと広がり、彼女はとうとう目を瞠った。
純真無垢な輝きを持つ水晶の瞳。
そこに涙はまだ無い。
マントの上で身動ぐ裸体は想像よりも数倍美しく、僕は未だ覚えのない飢えを満たそうと自らを解放する。
それは本物の獣よりもよほど狂暴なものだったのかもしれない。
体を真っ直ぐに貫く本能。
それに逆らわず、ひたすら欲望を曝け出す。
━━━━これが本来のおまえなのだ。
そう誰かが囁いた。
細く華奢な腰を抱え、花の香り漂うそこに突き入れた時、全身を襲ったものは言葉に言い表せないほどの歓喜。
労ることも気遣うことも出来ず、ただ彼女を味わい、喰らい尽くす稚拙な衝動。
ユーリの瞳にようやく涙が浮かんだ。
痛み?
苦しみ?
はたまた失望か。
二人の間に緋色のボーダーラインはもう見当たらない。
後に自らの愚かな言動を悔いるだろうか?
しかし全てがもう遅いのだ。
僕は孤独から解放された喜びにうち震えながら、彼女を闇の住人へと引き摺り込む為の悪しき算段を思い描いた。