その日、珍しく夕方に帰宅した清四郎は、いつもの書斎を素通りし、夫婦の寝室で一汗流そうと考えた。
いくらクールビズの世の中とはいえ、大企業の副社長がノーネクタイでは格好がつかない。
それにワイシャツにスラックスだけといったスタイルは、彼が好むファッションセンスからはほど遠いのだ。
真夏であろうが、空調の温度設定が高かろうが、きっちりとタイを締め、ジャケットを羽織る隙のない上司を、部下達はこっそり‘サイボーグ’とあだ名していた。そんな清四郎が悠理と結婚したのはつい二ヶ月前の事。
大学入学後すぐに交際を申し込んだ彼は、ジタバタと足掻く悠理を上手く言いくるめ、まんまと婚約者の地位を復活させる。
それと共に、剣菱の経営にも口を出すようになり、万作の奇抜な発想を、効率的に具現化する役割を果たしていた。
悠理とはそれから長く婚約関係にあったが、卒業後の彼が役員のポジションに座ると同時、百合子から発せられた鶴の一声で、ようやく本来の目的を果たす事が出来たのである。
彼の目的はただ一つ。
悠理を一生自分のモノにすること。
だが当然、彼女は結婚に積極的ではなかった。
過去のほろ苦さを思い出すのだろう。
なかなか良い返事を男に与えない。
とはいえ清四郎はこの四年間で悠理の扱いを完全にマスターしている。
ベッドの上でいつもよりねちっこく責めながら、完全に思考を蕩けさせ、そこに溺れるほどの愛を囁くことで、意固地になっていた心を見事、陥落させた。
そう。
彼女は快楽にとことん弱い生き物だった。
清四郎との身体の相性が良過ぎることもその理由のひとつ。
普段クールぶった男が、ただひたすら自分を甘やかす姿にも、なんとなく自尊心が擽られる。
結婚に対する抵抗は半ば意地のようなもので、本当は清四郎と結ばれることを頭の片隅で納得していた。
今さら、他の男などとどうこうなれない。
友達以上の楽しさを思う存分味わい、その居心地の良さにどっぷりと浸かってきた悠理が、彼以上の男を見つけられるはずもなかったのだから。
そんなこんなで、二人は新婚生活真っ只中。
悠理は得意の運動神経を活かし、ロッククライミングの特訓に夢中だ。
庭の一角に作られた専用のクライミングウォールには毎日訪れ、何時間も汗を流す。
何を目指しているのかは知らないが、彼女の興味が無くなるまで、その存在感ある壁が剣菱邸から撤去されることはないだろう。
清四郎がタイを外しながら寝室に入った時、ベッドには可愛らしいピンク色のバスローブが投げ捨てられていた。
一度はシャワーを浴びるため戻った妻が、しばらく身に着けていたものだろう……と彼は推測する。
きっと今頃、再び汗だくで壁をよじ登っているはずだ。
何が楽しいのかは分からないが……妻の活き活きとした姿は決して悪くない。
清四郎は脱ぎ捨てられたバスローブを片手に脱衣室へと向かう。
そこにある大きな洗濯籠はメイドが定期的に回収していくのだが、まだその時間ではないらしい。
見渡せば、これまた脱ぎっぱなしのショーツとブラジャーが床に落ちている。
妻が最近お気に入りの、水色と白のボーダーラインだ。
「まったく、だらしない。」
姑のように眉を寄せ、洗濯籠に入れようとした清四郎は、ふわりと漂う汗の匂いに動きを止めた。
その甘酸っぱい香りは、毎夜行われる愛の交歓で散々嗅ぎ慣れたもの。
彼女から迸る汗は清四郎の大好物でもある。
そう………大昔から、ずっと。
脳内に甦る新妻の痴態。
喘ぐ声までが鮮明に鼓膜を震わせる。
激しく責め立てると、涙ながらに大胆な台詞を口にすることも、清四郎の欲情を煽る。
━━━━いや、まてまて。
下着を握りしめながら、彼は冷静になろうと頭を振った。
欲求不満などであるはずがない。 (ほぼ毎日してるから)
確かに今日は早く帰ることが出来た為、あわよくばいつもより長めにイチャイチャしようと思ってはいた。
だがこんな匂い一つで、ここまで性欲が刺激されるなんてこと……………初めての経験である。
脈打つ胸を抑えながら、清四郎はそっと悠理の下着を顔に近付けた。
濃厚な妻の香りが脳幹にまで届く。
「はっ………」
気付けばスラックスを押し上げる雄の象徴が、ヒクヒクと痙攣し始めている。
慌ててシャツと共にそれを脱ぎ去り、どうせシャワーを浴びるのだから、と下着も剥ぎ取った。
自分でも目を瞠るほど勃起した肉茎が、その鈴口から透明の滴を発露させている。
それを指先で掬い取り、悠理の下着で拭うと、思った以上の背徳感が押し寄せ、更に激しい興奮を連れてきてしまった。
チッとらしからぬ舌打ちをする清四郎。
こうなればもう、吐き出すしか方法はない。
本当は今すぐにでも悠理が欲しかったが、彼女の時間を邪魔すると後から不機嫌になってしまう為、そこは当然回避したい。
カチャリ
脱衣室の鍵を閉め、彼は大理石の洗面台に軽く凭れた。
━━━━何をしようとしているのか・・・
正直悍おぞましい感情すらこみ上げてきたが、それでも収まりのつかない状況に追い込まれた清四郎は、薄っぺらい布を自らの昂りに巻き付ける。
もう片方の手には小さな膨らみを覆う、レースに縁取られた下着。
そこから香る匂いは媚薬のように彼を苛むが、動き始めた手が早々に快感を作り出した為、後はそれに向かって突っ走るしかなかった。
「………っふ、っう!」
上がる息。
目を閉じて妻の姿態を思い浮かべれば、汗だけではない汚れた欲望に悠理の下着が濡れていく。
「悠理………ゆうり…………あぁ、良い………」
動かす速度はどんどん速まり、はち切れそうになった亀頭が高熱を帯びる。
ぐんと吸い込んだ香りは、より濃厚な甘さを孕んでいた。
「っ…………はぁ………!もう、ダメだ………イく………出る!!」
堪えきれない射精感に逆らわず、清四郎は布に包まれた性器を更に扱き上げる。
「ゆう………り!!」
視界を覆う真っ白な世界。
解放の時は程なくやって来た。
ドクドクッ
心臓が大きく数回跳ね、ドロリとした精液が断続的に吐き出される。
彼は最後の一滴までも絞るよう、手を小刻みに上下させ、それと同時に呼吸を整え始めた。
たっぷりと重みを増した小さな布。
生ぬるい汗が背中を伝う。
満足感に浸った気怠い腰をそのままに、清四郎は握りしめたショーツを呆然と見つめた。
━━━━倒錯的な行為が呼び覚ます快楽には抗いがたい。
そう理解していても、こんな自分を厭わしく感じる。
セックスとはまた違った高揚感。
何の気遣いもない、ただがむしゃらに上り詰めていく恍惚とした快楽。
清四郎は汚れきったショーツを洗面台に置くと、めいいっぱい蛇口を捻った。
こんな罪悪感を抱くくらいなら、しなければ良かった………と落ち込みながらもそれを丁寧に洗う。
━━━━悠理の匂いだけだ。この僕が惹かれ、惑わされるのは………。
他の誰にも感じたことのない強烈な雌のフェロモンは、彼女の汗にこそ潜んでいた。
恐らくは自分だけが感じる類いのものなのだろう。
そしてそれは二人を恋へと結び付けた。
「どう言い訳しても………虚しいばかりですな。」
しっかりと手洗いしたショーツを、ブラジャーと共に籠へ放り込むと、清四郎はようやくバスルームに足を向かわせた。
しかし次の瞬間、衝撃の事実が彼を打ちのめす。
下半分が磨りガラスの戸を開いたそこには━━━━
湯船に浸かり、肩をすくませた妻の姿。
茹でられた蛸そのものの顔色で、顔半分を湯の中に沈めている。
想定外の事態に清四郎は珍しくパニックに陥った。
「ゆ、ゆ、ゆうり!居たんですか!?」
「・・・・・。」
絶望感がこみ上げ、思わず泣きたくなった。
彼に気配を感じさせなかったのはウトウトと居眠りしていたから、と答えた妻。
そんな中、自分の名を呼ぶ声が聞こえ、そっと立ち上がって覗けば、とんでもない光景に出くわせてしまった、というわけだ。
複雑な心境が手に取るようにわかる。
ようやく恥ずかしそうに見上げた妻へ、清四郎は素直に謝罪した。
「す、済みません。」
「あ、うん。」
「我慢せず…………罵ってくれてもいいですよ?」
その言葉に悠理は首を傾げ、ポソリと尋ねる。
「あれって…………男にとって当たり前なのか?」
「いや…………どうでしょう。」
「…………せぇしろ、もしかして下着フェチ?」
「いえ、違います。どちらかと言えば匂いフェチですね。」
「匂い??」
悠理は確かめるよう頭の中で反復する。
「おまえの汗の匂いが堪らなく好きなんです。あ、だけど、こんなことをしたのは初めてですよ?誤解しないでください。」
誤解も六回もないが、清四郎はとりあえず言い訳をした。
日常的な行為と思われてはさすがに立つ瀬がない。
「おまえもあんなことするんだな。ちょっとびっくりした。」
たしかに、自分でも驚いた。
性欲は強い方だが自慰が好きなわけではないし、どちらかといえば悠理とのセックスが好きだ。
しかしあの高揚感は例えようのないもので、未だ快感の余韻が身体の奥底で燻っている。
「怒ってます?」
「………………ううん。パンツ、手洗いしてくれてたし。」
「それは当然です。」
清四郎はシャワーの取っ手を握ると、ザッと汗を流し、悠理の隣へ身体を沈ませた。
そしてそのまま妻を思いきり抱き寄せ、真っ赤な耳を軽くかじる。
「あ………んっ…………!」
「どうでした?僕のああいった姿は。長い付き合いをしているが初めて見たでしょう?」
「や………!」
「本当は興奮したんじゃないんですか?ほら、ここがこんなにもぬめってる。」
的確に秘所を捉えた指が引っ掻くよう軽く回され、
湯の中に溶け出す愛液が粘り気を帯びていると知った清四郎は、我が意を得たりとほくそ笑む。
「悠理…………欲しくなったんでしょう?素直に言いなさい。」
「…………おまえ、意地悪だ。」
「意地悪?それならずっとこうしたままですよ?いいんですか?」
秘裂を優しく往復する指が、時折軽く花芽に触れる。
悠理はそんな焦れったさに大きく首を振った。
「や、やぁ………!」
「ほら言え。素直に言えたらどんなことでもしてやるから。」
夫の甘言に堕ちる妻。
逞しい肩にかじりつくと、その耳元で濡れた言葉を囁く。
「いっぱい………入れて?」
「入れるだけ?」
「…………ううん。あたいの中いっぱい擦って、せいしろの…………出して?」
「了解。」
快諾した清四郎は湯の中で悠理の足を大きく割り開くと、怒張した男根を躊躇いなく突き刺した。
「ひ………ぅうん!!」
「あぁ、良い感触だ。ぬるぬるじゃないか。」
「気持ち、いい?」
「ええ、すごくね。オナニーなんかとは比べ物にならいな。」
「は、恥ずかしいこと言うな!バカ。」
「悠理はしたことないんですか?」
「ないもん!」
目を潤ませる悠理はとてつもなく可愛いくて、清四郎の嗜虐心が最大限に引き出される。
「なら…………」
奥にまで埋め込んだソレでゆらゆらと左右に揺らしながら、わざと唇を外し、耳ばかりを責める。
クチュクチュと響く淫らな水音。
長くて熱い舌がなめくじのように忍び込み、快感を掘り起こされた悠理は肌を粟立たせながら、身を任せている。
夫の色気ある吐息が堪らない。
彼女はまるで借りてきた猫のように大人しくなってしまった。
「今度やり方を教えてやりましょう。クセになるかもしれませんよ?」
「い、いらない……」
「そう?本当はちょっとくらい興味あるでしょう?」
追い打ちをかけるよう囁いた清四郎を悔しそうに見つめる。
「………………ないもん。あたい、せぇしろがいいもん。」
「悠理………」
「おまえは………あっちの方が好きなの?」
頭を殴られたような衝撃に清四郎は、慌てて首を振る。
「違う。いや、あれはあれで興奮しますが、もちろん悠理とこうしている方が好きですよ。」
「ほんと?すっごく気持ち良さそうだったけど………」
下手な言い訳はかえってマイナスだと気付いた男は、不安げな妻の唇にかぶりついた。
あっさり探り出した舌をきつく吸い上げ、埋め込んだ杭をさらに膨張させながら、悠理を揺さぶる。
「……ん……んんっ……ん……」
生暖かい湯の中でヒートアップしていく身体が、汗に塗れ、一段と熱を帯びる。
清四郎はそのまま勢い良く立ち上がると、ひんやりとしたタイルに悠理を押し付け、両脚を思いきり抱え上げた。
浮力が無くなり、ズンと腹の奥にまで突き刺さる肉棒。
悲鳴のような嬌声をあげたくても、清四郎の唇は離れてはくれない。
「ん、んっ!ん!!!」
夫の律動は激しかった。
呼吸もままならないまま行き来する熱に、悠理は身悶える。
突き上げ、引き抜かれる度、ヌチャヌチャといやらしい音が響き、そこが浴室である事を確認させてくれる。
ようやく解放された口で大きく深呼吸すると、それを窘めるかのように夫は首筋に噛みついてくる。
「…っあ!ゃ、いた…!」
非難めいた叫びは完全に無視され、今度は胸の先端を囓られる。
「ひぁ、あ、あっ……!」
「良い声です。」
満足そうに頷く清四郎のS性は今更のこと。
ささやかな抵抗とばかり、悠理は清四郎の背中に爪を立てた。
「……っつ!……良いですよ、どんどんしなさい。」
ギリギリまで引き抜かれた杭に再び激しく貫かれ、微かな理性をも消滅していく。
突き刺され、引き抜かれ、また突かれる。
「はぅっ、ん……ああ……っ、あっ……!!せぇしろ……も、だめぇ……!!」
「ゆうり!」
零れる涎を吸い取りながら、清四郎も一気に絶頂を目指した。
二人同時に駆け上るその世界には、自慰では与えられない陶酔と充足感が存在する。
清四郎は結合した部分をぴったりと押し付け、精液を吐き出す。
痙攣する濡れた身体が溶け合うよう、彼の胸板を滑った。
・
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「もう、ヘトヘトだぁ……。おまえとのエッチはクライミングより疲れる。」
水を差しだした夫に恨み節の悠理。
濡れた髪を優しく拭われながらも、ブツブツと文句を言う。
「良いじゃないですか。これも夫婦の大切なコミュニケーションですよ。」
「ふん、一人でやってたくせに。」
「おや、随分と根に持ってますね。でももう二度としません。」
「ほんとぉ?」
「本当です。」
そう断言する清四郎に、一転コロリと甘え始める悠理。
湿り気を帯びた胸板にすりすりと頬を寄せる。
「あたいの前でなら……別にしてもいいじょ?」
「は?」
「だって…………おまえ、必死で可愛かったし……」
「え?」
「あんな無防備な清四郎って滅多に見れないからさ。」
「………………。」
こんな夫婦のその後はまたいつか。
年を重ねる毎に濃厚なフェロモンを撒き散らす妻は、理性的なはずの夫をどこまで振り回すのか。
こうご期待。