甘く支配される━━━━
彼女の声に、
匂いに、
肌に、
そして温もりに。
支配しているのは自分だけのはずだった。
けれど今はその自信が確実に揺らいでいる。
「せぇしろ………気持ちいい?」
柔らかな太ももの内側で擦られるそそり立つ欲望。
細い指で捏ね回される、無意味な尖り。
耳元で囁かれる艶を帯びた声。
「~~!悠理、これを外してください。」
「ダメ。」
あまりにも簡潔な返答に、むしろ拍子抜けしてしまう。
「今日はせぇしろちゃんを焦らしまくるんだい。」
言葉はあくまで幼いのに、何故こうも妖艶な笑みを浮かべられるのか?
「悠理………まだ怒ってるんですね?」
「ん~?どーだろーな。」
惚けたって無駄だ。
綺麗な弧を描く彼女の眉が、数ミリ上がっている。
瞳の中に闇が潜んでいる。
僕はあの日の失態を思い出し、心からそれを悔やんだ。
一週間前のその日。
非常に珍しい事だが、朝から微熱を感じた僕は、計りたての体温計に浮かんだ数字を静かに睨んでいた。
━━━36.8か。気にするほどでもないな。
剣菱家の朝は早い。
働き者の万作夫妻。
それに倣うメイド達。
年老いた執事すら五時半にはキビキビと動き始める。
この家に婿入りして半年。
それ以前から、あらかたの内情について知ってはいるが、こうして家族の一員になってからというもの、未だ驚かされることは多い。
早朝、義父が収穫したばかりの新鮮な野菜で朝食は作られる。
何よりの贅沢だ。
一日の無事を祈願する為、神棚には必ず手を合わせる。
これは剣菱邸に住まう男全員で、だ。
豊作さんが出勤するのは朝八時。
僕はそれより15分遅れて、別の車に乗り込む。
会長職はあと数年で義兄に移るだろう。
義父は既に隠居生活に片足を突っ込んでいて、おそらくはハワイかどこかの別荘でのんびりと余生を過ごすはずだ。
その日もいつも通りの時間に朝食を摂り、妻である悠理の見送りで会社へと向かう。
25を過ぎた彼女はむしろ若返ったかのように溌剌とし、光り輝いて見える。
年を重ねるにつれ柔らかな丸みを帯びた身体を、相変わらずのマニッシュな衣装で包む妻。
さすがに公的なパーティではフォーマルなドレスを着こなす様になっていたが、普段は高校時代と変わらない。
こちらは重苦しい色のスーツが第二の肌になりつつあるというのに。
・
・
・
「室長、先程の書類に目を通していただけましたか?」
発熱のせいか、少し意識が飛んでいた僕は慌てて手元を見ると、分厚いクリアファイルが三束置かれていた。
━━━まずいな、熱が上がってきている。
普段、滅多なことで体調を崩さない為、一旦罹患すればひどくなるのは目に見えていた。
「いや、今から目を通します。もう少し待っていてください。」
「顔色が少し赤いですわね。もしかしてお風邪ですか?」
「少し、ね。でも朝、薬を飲んで来たからじきに効いてくると思います。それより苦い珈琲を一杯頼みますよ。」
「承知致しました。」
入社六年目の優秀な秘書。
彼女は先日、海外事業部のホープと婚約したばかり。
寿退社かと思われたが、暫く辞める気はないと断言してくれた。
それは非常に助かる。
女の園である秘書課のまとめ役として、彼女は欠かせない存在なのだから。
「お待たせいたしました。」
出されたカップには、どう見ても珈琲でない液体が入っている。
「菱友ひしとも君、これは?」
「蜂蜜入りのミルクティですわ。風邪をひいているのに珈琲だなんて、決して体には良くありませんから。」
「あぁ………そうですね。ありがとうございます。」
午後からの商談に向けて頭をクリアにしたかったのだが、人の好意を無下には出来ない。
甘ったるいそれを一口啜れば、不思議と悠理の顔を思い出した。
いつもなら、彼女の唇を味わってから出勤するというのに、今日は風邪をうつさぬ様接触を避けていた為、どうも調子が出ない。
━━━早めに帰りたいな。
不可能であると分かってはいても、そんな微かな希望を抱いてしまう。
それもこれもきっと熱のせいだろう。
彼女の進言通り、全てを飲み干した後、徐々に身体がポカポカとしてきた。
この分なら早々に解熱するかもしれないと感じ、ホッと胸を撫で下ろす。
商談は三時間を要したが、無事、条件面をクリアし、契約書に判子を貰うことが出来た。
今回は香港の企業と食品関係で提携することになったのだ。
試算した利益はおよそ20億。
とても大きなチャンスだった。
熱は、日が暮れた辺りから急激に上がり始める。
頭痛も併発した為、手製の常備薬を服用した。
━━━━帰宅したいが、契約の後処理が残っている。
結局九時過ぎまで会社に居続け、ようやく帰ろうとした時には、状態はすっかり悪化してしまっていた。
熱は37.5℃と大したことはない。
だが、頭痛と悪寒はひどかった。
「室長、今お迎えを呼びますから、仮眠室で少しの間、お休みください。」
「ああ、頼みます。」
重い身体を引き摺りながら、フロアの端に設けられた仮眠室へと向かう。
六畳ほどの小さな部屋だが、厳選されたフランス製ベッドの寝心地は悪くない。
ブラインドの隙間から東京の夜景が飛び込んでくるがそれをピシャリと下ろし、仄かなフットライトすら消した後、真っ暗闇の中、ごろりとベッドに転がった。
━━━━全く。自己管理がなってないな。
最近さぼりがちである寺の修行を思い出しながら、じわじわと眠りに落ちていく。
身体が鉛のように重い。
襲いくる寒気のせいからか、つい腕が妻の温もりを探してしまう。
━━━━悠理を抱き締めて寝たい。
あと小一時間もすれば叶うだろうその願いを胸に、半ば意識を失うかのように寝入ってしまった。
・
・
・
しっとりとした感触を感じた時、それを妻の唇だと誤解したまま、軽く口を開ける。
蠢く生暖かい舌が自分のものに絡み、巧みに舐め回す。
━━━━悠理?
誘惑を意味する積極的なキス。
果たしていつ、こんなキスを覚えたのか?
それでも無意識で応えてしまうのは男の悲しい性。
重い瞼を持ち上げ、必死で愛しい女を目に捉えようとした。
羽毛を感じさせるふわふわ髪と人形のような顏かんばせ。
それらを想定していたはずなのに、しかし目に飛び込んできたは、栗色の艶めいた前髪によく見知った顔。
慌てて身体を起こそうとするが、熱のせいか思うように脳の指令が行き届かない。
瞼を閉じていた女は、ゆっくりと瞳を露にし、それでも唇から離れようとはしなかった。
━━━菱友………君。
彼女から秋波を送られたことはない。
だからこそ安心して側に置いていたのだ。
しかし、今の状況はそれらが間違っていたことを意味する。
強引に吸い付いてくる彼女をようやく引き剥がした時、ふわり、妻とは違う甘い香りが鼻を掠めた。
「何を…………考えてるんです!」
いつの間につけられたのか、フットライトに照らされた陰影ある表情は決して悪びれてもいない上、照れた様子も見当たらない。
確信犯なのだろう。
艶のある唇をぺろりと舐めた彼女は、スローモーションの如く緩やかに口を開いた。
「初めてお会いした時から好きでした。」
衝撃の告白に、熱のせいではない眩暈がする。
人の目利きには自信があったはずなのに、それも今や総崩れだ。
「結婚する前に思い出が欲しかったんです。申し訳ありません。」
潔く立ち上がった彼女はいつものようにキリリと眉を引き締めた。
官能的なキスを仕掛けてきた女とは思えないほど、クールな表情で。
「奥さまがお迎えに来られるようです。そろそろご準備を━━━」
「もう来てるけど?」
細いドアの隙間から、妻の冷えた声が忍び込む。
それには彼女も驚き、冷や水を浴びせられたのだろう、ぎこちない動きでそちらを振り返った。
「お、奥さま……」
「あんた、良い度胸してんね。」
悠理が本気で怒っている。
普段感情のままに喚き散らす妻が、こうして押し殺した表情を見せる時は、怒りが格段に膨れ上がっている証拠なのだ。
「………も、申し訳ありません!………室長はなにも悪くないんです!」
「そりゃそうだろ。相手、病人じゃん。」
熱も吹っ飛ぶような事態に混乱している暇はなかった。
何とか身を起こし立ち上がった僕を、悠理が駆け寄り、支えてくれる。
「とにかく連れて帰るから。」
呆然と佇む秘書をすり抜け、エレベーターホールへと向かう。
ちらり、見下ろせば能面の如く真っ白な顔。
怒りの度合いが窺える。
チン
軽やかな音を合図にエレベーターへと乗り込むと、僕は悪寒に震える身体で悠理を背後から抱き締めた。
本当はキスがしたかったが、そんな直接的な行為は風邪を移してしまう。
それに…………
きっと悠理は求めていない。
他の女性に唇を奪われるといった失態を許すはずがない。
彼女への怒りだけでなく、未熟な僕への憤りが垣間見える。
それを考えれば考えるほど、熱を帯びた身が竦んだ。
しかし━━━
腕に収まったままの悠理はホロリ、涙を溢す。
予想外の出来事に唖然とした。
「あたい………なんであと三分早く来れなかったんだろ。」
「え?」
「ほんとは連絡もらう前から迎えに来るつもりだった。おまえ、朝から具合悪そうだったし、心配だったから。」
「………気付いてたんですか?」
「当たり前だろ?朝のキスもしてこないせぇしろなんか、おかしいに決まってる!」
「確かに………そうですね。」
意外と鋭い妻に驚く。
エレベーターは一階に到着したが、扉が開いてもなお、僕は悠理を離さなかった。
「済みません、油断してました。」
「…………おまえのせいじゃない。」
「いえ、僕にも責任があります。」
唇をシャツの袖で強く拭うと、堪らず、悠理を振り向かせる。
風邪が移ったって構わない!
キスがしたくて仕方なかった。
たとえ監視カメラの向こうから覗き見られようとも………その衝動からは逃げられない。
身動ぐ彼女を渾身の力で押さえ込み、十数時間ぶりの悠理を味わう。
たどたどしいキスが徐々に熱を帯び、僕の体温へと近付いてくる。
馴染んだ香りが、
馴染んだ吐息が、
病に冒されたはずの身体をどんどん昂らせる。
「ここで……無茶苦茶に抱きたいくらいだ!」
彼女の返事は必要ない。
熱に浮かされた男の台詞を真に受けているはずもないだろうから。
もちろん、それは僕の本心であったが……さすがに実行に移せる体力は無かった。
・
・
・
それから約8時間もの間。
僕は熱に苦しんだ。
妻の甲斐甲斐しい看病は夜が明けるまで行われ、いつ目覚めても快適なパジャマに着替えさせられていた。
頭痛は治まり、少しだけ重く感じる頭を持ち上げる。
まるで猫の様に丸まった悠理は、ベッドの端でころりと眠ってた。
手には体温計を握り締めたままで・・・・。
優しい存在。
誰よりも愛しい女だ。
彼女をシーツの中に引き入れ、もう一眠りしようと覚悟する。
今日は仕事などしたくない。
このまま、この柔らかい身体に癒されながら、一日を過ごしたかった。
そしてその願いが叶い、優しい笑顔を見せる悠理に心からの感謝を告げたのが一週間前のこと。
だからまさか、彼女の怒りが復活し、その矛先がこのような形で向けられるなどと、想像もしていなかったのだ。
・
・
・
「悠理……許してくれたんじゃなかったんですか?」
「誰がんなこと言った?」
攻撃的な瞳を輝かせる彼女に戸惑う。
仲良く風呂に入った後、少しの寝酒を嗜み、ベッドへと横たわった僕を、悠理は驚くほど手際よく縛り上げた。
最初は何かのゲームかと思っていた為、大人しくされるがままに身を委ねていたのだが………。
強く結わえられたロープが手首に痛みを与え始めたとき、何かが違うと、その異変に気づいた。
悠理の目は決して笑ってはいない。
口元の穏やかな笑みは、むしろぞくぞくするほど扇情的で、女の業を感じさせるほど蠱惑的だった。
そうして彼女は僕への憤りを、ぶつけ始めたのだ。
「せぇしろちゃんに今夜はお仕置きしちゃうんだい。」
軽い口調ながらも表情は冱え冱えとしている。
うっとりするほどの美しさだが、置かれた状況が状況なだけに、呆けている暇はなかった。
いつの間に用意したのか、彼女は細い紐を手に僕の下腹部へと顔を近づけていく。
それがゴム製で出来たものだと知ったのは直後のこと。
これまたどこで学んだんだ!?と思うほど手際よく根元を縛った悠理は、嬉しそうにその状態を見つめる。
元々極限まで勃起していたそれに巻かれたとて、大きさはさほど変わらない。
ただこの先、彼女が与えようとしている責め苦を想像すれば、どうしても身体が震えてしまう。
「悠理……こんなこと、どこで知ったんです?」
「ん?エロ雑誌だよ。」
「そんなものを読んで……欲求不満な人妻にしたつもりはありませんよ?」
「ばーか。あくまでお仕置きなんだってば。でも……物知りなせーしろちゃんなら知ってるよな。これがどんだけ苦しいものかって……」
ゴム紐に括られた箇所を強く握られ、思わず声が洩れてしまう。
悠理はその上から何度も扱き上げながら、射精感を促そうとした。
「い、いたい……痛いです!」
「痛い?」
すぐに止められた手は先走りに濡れている。
それをピンク色の舌で舐め取る姿はあまりにも淫靡。
今すぐにでも暴発しそうなほどやらしかった。
「じゃ……これは?」
上目遣いで屈んだ悠理のふるんと揺れる胸が局部に触れる。
まさか…………!!
という思いが実現したのはその直後。
彼女は股間に聳えたソレをまだまだ幼い、しかし美しい胸の谷間でゆっくりと挟み込んだ。
更に両手を使い、たどたどしい動きを見せつける。
「あ……ぁ………ゆうり……駄目だ……そんなこと……」
小さい肉の感触よりも、その淫らな姿にこそ激しい眩暈を覚える。
官能的に揺らめく情景。
否応なく高まる射精感。
グロテスクな男茎が彼女の胸に擦られ、ドクドクと音を立てながらマグマを溜め込んでいる。
「……ゆうり!!もう……やめてくれ!!」
まさしく拷問であった。
イキたいのにイけない。
直ぐにでも吐き出したい欲求が、寸でのところで堰きとめられている。
ぬるぬるとした体液で谷間を汚す背徳。
彼女も必死なのだろう。
寄せられた胸は見たことがないほど変形していた。
頭がクラクラする。
可愛くて、愛しくて。
そんな悠理を思う存分貫き、悲鳴をあげさせたくて仕方ない。
硬くそそり勃つ肉茎が濡れた壺を求め、憐れなほど腫れ上がっている。
「ゆうり!!お願いだ…………!」
迸る叫びに、彼女はようやく身を起こしペニスから胸を離した。
しかし決して解放するつもりはないらしい。
次に見せた行動はある程度予測できたものだったが、それが実行された時、とうとう頭がスパークした。
悠理が屹立したそこへと腰を下ろしてゆく。
じわじわと、わざとらしい、緩慢なスピードで。
彼女の膣道は恐ろしく気持ち良い為、すぐにその刺激が射精感を促す。
もしかすると少しずつ漏れ出しているのかもしれない。
ぬちゃぬちゃと隠猥な音を響かせながら、彼女は腰の上で踊り始める。
「あ……かたぃ………せぇしろ………」
当然だ。
感じたことがないほどの興奮が覆い尽くし、温かい粘膜と更なる悠理の痴態に血管が切れてしまいそうになる。
体液に濡れた幼い胸を、悠理は自ら揉みしだき、僕へと見せつける。
苦行。
苦悶。
そして最高の悦楽。
「なんて………ことを…………!」
苦しむ僕を見て彼女は楽しんでいる。
悦ぶ僕を見て、より一層激しさを増す腰使い。
「せぇしろぉ………イキタイ?」
━━━━あぁ、イキタイ。イキタイ、悠理。
涙目になっていたのかもしれない。
挑戦的な瞳が少しだけ緩んだ。
コクコクと頷けば、彼女は繋がった場所でぐちゃぐちゃになっている紐を器用にするりと解いた。
瞬間、駈け昇る精液。
突き抜けるエクスタシー。
不自由な身ながらも背中をのた打たせ、悠理の中へと全てを吐き出した。
・
・
・
その後、彼女は手に結ばれた紐も取り払い、激しく僕を求めた。
それに応えぬはずもない。
文字通り無茶苦茶に抱いてやった。
色んな角度から責め立て、どれほど泣き喚いても貫き続けた。
放出したままのドーパミンが本能を剥き出しにしているからか。
いつ気絶してもおかしくはない激しさに、しかし悠理はまるで食らいつくかのように耐え続けた。
「悠理っ!」
「せいしろっ!」
彼女はきっと壊れない。
その確信が、僕を更なる獣へと変化させる。
噛みつくようにキスをして、
食い千切るように愛撫して、
悠理の不満や不安を全て消し去ってやる。
・・・・
全力でセックスしたのは久々だった。
全身がガクガクするほど力を出しきった。
僕たちは汗だくのまま眠りに落ちて行く。
目覚めた時、彼女はいつものような笑顔を見せてくれるだろうか?
もう、やりきれない怒りからは解放されているだろうか?
この決して甘くはないボディトークが功を奏していることを願い、僕は静かに瞼を閉じた。