雨と頭痛と優しい薬局

  1. ※可憐のお話。ショート。

 

鉛色の空

そろそろ雨が降るのだろう湿度の高い風

心なしか頭が重く、そして痛い。

昔からそうだった。
こういう日は薬を必要とする。
ママと同じ体質だから、同じ薬を。

花屋を通り過ぎると小さな古びた薬局があって、二代目の跡取りはわりとハンサムで愛想も良かった。
清四郎が調合してくれるまでは頻繁に足を運んでいたのだけど、今は時々ドリンク剤を買いにくるだけ。
月に2~3回の買い物。
それでも他のドラッグストアじゃなく、ここに来てしまうのは何故だろう。

昔ながらの愛らしいキャラクターが店の角に立っているから?
“くすり”と書かれた看板の横にある季節の鉢植えが、心を和ませてくれるから?

露に濡れた紫陽花。
青紫の美しいグラデーションが、薔薇の次に好き。

 

そう。あれはいつだったかしら。
わりと本気の失恋をした時、雨の中、名も知らぬ赤い花が優しく手招きしているように感じて、ついフラフラと入ってしまった。
何が欲しいわけでもなく、ただ無意識に。

店を継いだばかりの彼が、店に入ってきたあたしの顔色を見て、目を見開いたことを覚えている。
それほどまでに酷かったのだろう。
雨滴に濡れた頬はすっかり冷えていた。

「頭痛がするの。いつもの、ちょうだい。」

咄嗟に出た言葉。
半分は本当。
泣きすぎて少し頭が痛かった。

「今、飲んでいかれますか?」

「そうね…………そうするわ。」

ウォーターサーバーの水を紙コップで差しだした彼の手が一瞬、触れる。
大きくて温かそうな手。
うっすら見える青い血管がどこかエロティックだ。

二粒の錠剤と粉の胃薬を飲み下したあたしは、彼の視線を避けるよう慌てて背を向けた。
腫れた瞼なんて見られたくない。
どうせ化粧だって剥げてるに違いないんだから。

泣いて、喚いて、最後は負けた。
好きだった人には、大事な女が居たのだ。
あたしの方が若くて美人なのに。
あたしの方が彼を愛していたのに。
その幸せを放棄して、茨の道を駆けていってしまった。
ほんと、バカな男━━━

 

「明日は……晴れるみたいですよ。」

小さく、まるで独り言のように呟かれた言葉。
それはささくれ立った心に真っ直ぐ刺さり、じわじわ浸食する。
“そっか。明日は晴れるんだ。”……と窓の外を眺めると、鉛色の雲の向こうに光が溢れている気がして、ほんの少し痛みが和らいだ。

そして数十秒、同じ景色を共有したあたしたちは、またいつものように販売員と客として別れた。

あの時、彼の言葉は癒しの手となりあたしの背中をさすったのだと思う。

───温かい手。

こういう手が何よりの薬だと気付いたのはごく最近のことだ。

 

 

年季の入った扉を開けると、店内には微かにアロマの香りが漂う。
真っ直ぐレジカウンターへと向かい、いつもの美容ドリンクの名を口にしたところ、彼の後ろから小柄な女性がひょっこり顔を覗かせた。
野梨子よりも小さく、化粧っ気も感じられないが、比較的整った顔をしている。
真新しい白衣が大きいのか袖を大胆に捲りあげていた。

「すぐにご用意しますね。」

にっこり愛らしい笑顔。
彼のゆったりした動きとは真逆のテキパキ動く小さな身体。

「ねぇ聡クン、この間届いたサンプルどこだっけ?ほら美容液の。」

━━━“サトルくん”か。なるほど、ね。

「青い棚の二番目だよ。」

注がれる優しい視線は、聞かなくてもわかる関係性を示していた。
左手の薬指には銀色のリング。
まだどこかぎこちない。

紙袋に詰められたお高めのドリンク剤と試供品を手にしたあたしは、その時ようやく彼の視線が真っ直ぐこちらを向いている事を知る。

「頭痛、もしかしてひどいんですか?」

心配そうな目が、その穏やかな声が、何故か遠くに感じてしまうのは光る指輪の所為かもしれない。

「大丈夫よ。家に薬があるから。」

清四郎のよく効く薬が、ね。

「ありがとう。」

今までありがとう。
でももう此処にはきっとこないわ。
貴方の癒しが届かなくなってしまったから。

それに………こんな失恋気分、二度と味わいたくないから。

 

外に出ればその古い薬局は、ただの薬局と成り果て、以前のような誘惑は感じられなかった。

「さ、帰ったら薬を飲もう!」

明日がたとえ雨でも晴れでも、この頭痛とはさっさとおさらばしたい。

ついでに胸の痛みも消えてくれればいいのだけど。