恋はままならず〜惑い〜

発芽から続く)


 

カチカチカチ……

枕元のクラシカルな時計がやたら五月蝿く聞こえるのも、思考が、とある一方向を向き、神経が研ぎ澄まされているから。

いつもならグルメや旅行、夜遊びのことでシッチャカメッチャカな悠理だが、今は流石にそれどころではない。

魅録に帰ると告げたあと、タクシーを拾い、一目散に自宅へと帰ってきたが、胸の鼓動は整わぬまま。

汗だくの服を脱ぎ、シャワールームで頭を冷やし、用意されたボトルの水を一気に飲んだとて、心落ち着くことはなかった。

一人には大きすぎるベッドへとダイブし、灯りもつけずに時計の音を聞く。規則正しいその音に心音を合わせ、悠理はようやくさっきまでの焦りにも似た感情を落ち着かせることが出来た。

しかし……

あたいが………清四郎を好き?

いやいや、無いだろ。

でも説明がつかない。

あの女と二人並んで歩く光景は不愉快だった。

夢の中の清四郎も歯痒かった。

なんで?

あたいらは友達で、きっとそんな関係にはならないだろう、と油断していた。

もし、なるとしたら清四郎と野梨子。あの二人なら、互いの価値観に見合った交際が楽しめるはず……。

悠理の思考が一旦停止する。

本当にそうなのか?

相手が野梨子だと本当に何も思わないのか?

完璧なお姫様に寄り添う、完璧な男。

清四郎の大きな手

清四郎の優しくも皮肉な声

清四郎の暖かな眼差し

清四郎の………頼りになる腕

「わわわわわわっ!!」

想像するとそれら全てが自分に与えられてきたもので………悠理はどれほど彼に甘えてきたかを気付かされた。

「やばい!!あたいやばいって……」

魅録にだって同じようなことをしてたはずなのに、今振り返ってみるとその思いは違い……

「うそだろ……。あたい、ほんとに清四郎のこと……」

かあっと血が上る頭。と同時に、再び鼓動が高鳴る。

「ま、待て……待ってくれよ……これはヤバいって……。そりゃ好きだけど……好きだけどさぁ!!違うだろ!」

手当たり次第枕を投げつけ、興奮する頭を冷やそうとするが、結局どうにも治まらず、悠理はとうとう泣き出してしまった。

「なんでだよ……あんな男、好きになっちゃダメじゃんか……。あたいは……あたいは……自由でいたいのに………」

恋や愛に縛られない人生を望む彼女が、落ちてはいけない相手に落ちてしまう。

それこそが神の悪戯というべき恋愛の不思議。

一度自覚すれば、膨らみ続ける想いに縛られ、どんどん深みへ沈んでゆく。

手の届かぬ相手なら尚更のこと。

“叶わぬ”と潔く諦めることが出来たなら、どれほど楽だろうか。

「やだ!やだよ……助けて……せ……」

そこまで言って、また清四郎を頼ろうとしている自分に気付く。もはや誤魔化しきれないほど依存しているのだと判り、悠理は力なく腕を落とした。

「清四郎は……あたいを好きになんてならない。きっと………絶対に…………」

自分に言い聞かせるような台詞。それは心臓にナイフを突き立てられたように痛んだ。

打算的な男の選ぶ女は

それなりに美しく、

ほどよく聡明で、

限りなく控えめで、

自分に利益をもたらす相手──

「はは、そりゃそーだよな。父ちゃんの後釜狙ってたくらいだもん。あたいはオマケくらいの感覚だったろうし……」

またしても零れる涙。

自分があの時受けた屈辱が、どれほど深い傷となり根付いていたのかを改めて知る。

───どうすりゃいい?

単純で愚かな自分に出来る防御策。心を押し殺し、逃げ道を模索するには?

「達也………」

どうしてそんな事を思いついたのかはわからない。

しかし悠理はそれほどまでに混乱し、清四郎への恋心を封印したいと願ったのだ。

人の想いを利用するなんて、ゲスの極みだと分かっている。

けれど、達也の誘いに乗っかり、清四郎への想いを断ち切ることが出来れば、きっといつもの関係に戻れる。

そしてまたいつも通り楽しく、心地よく、悠理の望むような世界に飛び立っていける。

利己的過ぎる考え方だが、悠理にとってそれが最善の道に見えたのだろう。

ひとまずの答えに納得し、深く大きな息を吐いた彼女は、ようやく穏やかな眠りへと落ちていった。


 

そして朝はくる。

登校すると学園はいつも通りの光景で、ロータリーは送迎車で大混雑。

「ごきげんよう」と上品な挨拶が交わされている。

名輪を残し、車から出て歩き始めた悠理の背後には、清四郎と野梨子が肩を並べ微笑み合う姿があった。それもまた見慣れた光景で、悠理は挨拶の為、口を開こうとするも……

「!!」

……声が出ない。

渇いた唇が張り付いたように開かない。

けたたましい動悸が始まる。

なんということだろう。

これは異常事態だ。

咄嗟に出来る事といえば、彼らに気付かれる前に立ち去ること。

薄い鞄を抱え、悠理は猛ダッシュで校門を目指した。

「あら……あの後ろ姿、悠理じゃありませんこと?」

「………そうですね。何を急いでるんだか……。」

残念なことに、清四郎の優れた視力は悠理がこちらを確認していたことを捉えていたが、逃げるように立ち去った理由までもは思い当たらず………

「どうせ腹でも壊してるんでしょう。」

尤もらしい原因を述べるにとどめた。

 

この頃から、悠理は部室を訪れる頻度を減らし、清四郎との距離を置くようになる。

怪我をした女生徒は日に日に回復を見せたため、清四郎と歩く姿もほぼ見なくなった。

悠理だけが……気付かされた想いに抗おうとしていたのだ。

その日の夜──

前回と同じ店に呼び出された達也は、嬉しそうな顔を見せ、悠理を窺う。

「悠理さん……ほんとにいいんすか?」

「ああ……」

「やった!!俺、絶対自慢しちゃいそー!」

悠理が事前に彼へと送ったメール。そこには………

「いいよ、付き合おうか。」

その一文だけが綴られていた。

心を伴わぬ男女交際。

そんな雨も降らぬ砂漠のような道へ、一歩踏み出そうとする悠理だった。