unfading love(本編)

剣菱夫妻を乗せたジェット機が行方不明?剣菱の危機に悠理は?そして清四郎は?

その日はいつもと何ら変わりの無い日常だったように思う。

魅録はバイク雑誌を眺めながら煙草を吹かし、可憐は真剣な顔でネイルを指に施していた。
野梨子は囲碁の本を片手に玉露を啜っており、美童は男ながらにも枝毛のチェックをする。
悠理は・・・・これもいつもの光景なのだが、可憐が焼いて持ってきたアップルパイの半分を、ほぼ一人占めしていた。
パソコンを広げた僕は株価チャートをチェックしながらも、四半期ごとに発刊される経済誌にも目を通す。

そろそろ貯金額も纏まってきたところだ。
次に購入する銘柄を吟味せねば・・・。

そう思った直後だった。
魅録の携帯電話がけたたましい音を立てて鳴る。
その音が悲劇の幕開けの合図だとは、そこにいる全員が思いもしなかったことだろう。

剣菱財閥会長夫妻を乗せたプライベート機、太平洋沖にて消息不明。

魅録にもたらされた情報に、彼らは暫くの間、息をすることが出来なかった。
無論、僕も同じである。
隣に座っていた悠理が気絶し、僕の肩へともたれ掛かってきて初めて、そのことに気付いたくらいショックだったのだ。

魅録が苦々しい表情で立ち上がる。
それに皆が続いた。
僕は悠理をしっかりと支えながらも・・・・滅多に訪れない混乱に、激しく動揺していた。
しかし顔に出してはいけない。
皆の不安を煽ることになる。
そのことを踏まえた上で、奥歯を噛み締め、全員を見渡した。
僕の言葉を待っていると理解してはいたが、腕の中にいる悠理が気になって、なかなか発することが出来ない。

それを読み取ったのだろう。
野梨子が声をかけてくる。

「清四郎・・・・・・・」

震えるその声が呼び水となり、なんとか頭の回転速度が上がった。

「取り敢えず・・・・・時宗おじさんが待機している剣菱邸へ。美童、五代さんと共に豊作さんのフォローを。可憐と野梨子は悠理を連れて屋敷へ。僕と魅録も後から続きます。」

「どこへ行くんだ?」

魅録の声に動揺が見て取れる。
当然のことだ。

「知り合いのところですよ。セスナを二機持っている。すぐに動かせるよう手配します。」

「そっか・・・ヘリだと心許ないからな。まずは正確な位置を把握しないと・・・・話にならねえ。」

「その通りです。」

太平洋沖だって?
砂漠の中から宝石を探すようなものじゃないか。

せめて・・・・何かしらの脱出措置をとっていたなら・・・・
そして近くに小さな島でもあったなら・・・・
おじさんのことだ。
きっと生き延びる術を見つけるだろう。

可能性を捨てきれない僕は、必死で僅かな希望を手繰り寄せる。

「悠理!!大丈夫?」

可憐の悲痛な声が聞こえた。
野梨子はコップ一杯の水を差し出したが、悠理はそれを飲まず、僕を睨むよう見つめた。

「清四郎、あたいが探す。」

「悠理・・・・」

「あたいも連れてけ。そんですぐに出発だ。魅録は正確な情報を日本から教えてくれたら良い。GPS携帯は・・・飛行機乗りなら持ってるだろ?清四郎。」

僕は驚いた。
彼女がパニックに陥らず、冷静に事態を把握していることに・・・・。
そして前向きな姿勢で最大限の可能性を模索していることに・・・・。

悠理に諦めの二文字は似合わない。
大きな瞳に涙はなく、それが僕を勇気付けた。

「解った。すぐに出発できるよう交渉する。魅録、どこからでもいい。情報を掻き集めてくれ。」

「了解。」

「悠理、長丁場の可能性もある。覚悟はいいな?」

「わぁった。」

可憐と野梨子は不安な表情で僕達を見送る。

「二人は悠理の家で待機していてください。出来るだけこまめに連絡を入れますから。」

「わ、解ったわ。」

「気をつけて・・・・」

しかし・・・・・・・・・・・・・

必死の捜索は実を結ばず、結局のところ、夫妻を見つけることは出来なかった。
太平洋は広い。
残骸も見当たらない。
魅録の情報から丁寧に探ってはみたが、その辺りの島はほとんどが無人島。
万が一辿り着いていたら、おじさんのことだ。
たとえどんな事があっても諦めないだろう。
だがもし怪我を負って動けないとしたら・・・・・希望は徐々に絶望へと変わってしまう。

丸まる三週間。
セスナを使い、何度も往復した。
もちろんその海域を持つ国の救助隊や軍隊も出動し、隈なく探してくれた。

だが・・・・ジェット機の欠片は見つからない。
本当に太平洋沖に沈んだのかも定かではなくなってきた。

悠理は三週間で7キロ痩せた。
僕が定期的に健康診断をしているからこそ発覚した事だ。
元々鶏がらのような身体が、さらに細くなる。
豊作氏はそれを心配して、何度も自宅に留まるよう進言した。
しかし僕はそれに首を振り、悠理の好きな様にさせる。
彼女が納得するまで、何度でも付き合う・・・そう心に決めていたからだ。

一ヵ月が経過し、捜査打ち切りの報が届く。
仲間達は絶望の中でそれを聞いた。
悠理は青くなった顔を苦渋で歪ませる。
僕はその手をぎゅっと、力強く握りしめた。



「あたい、婚約させられるんだってな・・・・。さっき親戚のジジイが来てそう言ってた。」

「・・・・・・・・・そのようですな。」

「へへ・・・・。とうとう年貢の納め時かよ。ま、こんなあたいと結婚するヤツの方がよっぽど不幸だろうけどさ。」

乾いた笑いと卑屈な言葉。
ギリギリと胸が絞られる。
彼女に降りかかる現実は非情だ。
けれど・・・・・・

「諦めるんですか?おまえらしくもない。僕の時のように抗えばいいじゃないですか。」

悠理は軽く目を瞠った後、自嘲した。

「抵抗して?剣菱が分裂したら、どっちにしろあたいの暮らしは崩壊する。兄ちゃんもおんなじだ。」

「・・・・・・・・・・・・。」

彼女の言う通りだった。

直系である豊作氏を後継者に後押しする役員達は、実のところ少ない。
彼の決断力の低さは、グループ内でも頭痛の種だったからだ。
役員達が纏まらぬ意見を言い争っている中、台頭し始めたのは身を潜めていたはずの親族。
悠理に自分たちの息のかかった男をあてがい、私腹を肥やそうとする醜い連中たちだった。
しかもその男達、揃いも揃って『名家』の出である。
成り上がりの剣菱にとっては確かに「箔の付く」話であり、役員の中でも賛成する輩が出てきていた。

「それとも・・・・・・・・・・・・・・・・清四郎が助けてくれんの?」

僕を見る彼女の目は醒めていた。
らしくない、何かを諦め、達観したような瞳。
無性に苛々する。

「・・・・・・・・・僕の気持ちを知っていて、そんなことを言うんですか?」

「おまえは・・・・・・・・・あたいの悪いようにはしないだろ。」

その言葉は卑怯だ。
僕がどれほど彼女を大切に思っているか知った上で、試してくる。

「確かに、’友人’としてはそのつもりですがね。しかし’男’としてはどうかな。」

「・・・・・・・・どう、違うんだ?」

「それを知ったところでどうします?覚悟も無いくせに下手なことは口にしない方が良い。」

それを聞いた途端、悠理は一転して縋るような目を見せた。

「あたい・・・・嫌だ。知らない男なんかと結婚できない!したくないよ!!やだ・・・・怖い・・・」

「なら、僕とやり直しますか?」

こんな台詞を引き出させたのは彼女だ。
満を持した言葉に、悠理がホロリと涙を溢す。
一回り小さくなった身体からは、いつもの生気が感じられない。
直ぐにでも思い通りに啼かすことが出来そうだ。

そう・・・僕は悠理が好きなのだ。
最早愛しているといっても過言では無い。
気付いた時にはどっぷりと溺れていて、あの屈辱的な過去さえなければ、堂々と交際を申し込んでいただろう。
選択の余地が無い彼女を手に入れる為とはいえ、こんな卑怯じみた台詞を使わずに済んだはずだ。

「・・・・・・・・・・おまえ、それでいいのか?」

悠理はポソリと呟く。

「悠理こそ、僕で良いんですか?意外と他に、僕よりも強くてイイ男が現れるかもしれませんよ?」

「んなやつ・・・・・・・居ないってわかってるくせに!!!」

激高した彼女がクッションを投げつけてくる。
それを受け止め、再び投げようと上げた片手を無理矢理抑え込む。

「では決まりだ。後悔はさせません。剣菱は豊作さんと僕に任せてくれれば良い。おまえは・・・・・・・・」

「あたいは・・・・・?」

「僕のモノだ・・・・・・・一生、僕だけのモノだ。」

元々細い手首はさらに細くなっていた。
悠理の目からぶわっと涙が溢れ出す。
それを優しく啜りながら、初めてのキスを交わした。

契約。
密約。
誓約。

言葉など何でも良い。
これで悠理が手に入るのなら・・・・。

そうして僕は再び彼女の婚約者に収まった。
豊作氏を後継者に据え、そのサポートをするというポジションで。
一息吐いた彼もそれを強く望んでくれた為、結婚は高校卒業後、直ぐということに決まった。
やるべき仕事は山ほどある。
不穏分子を黙らせるには、確固たる地位を築き上げなくてはならない。
剣菱を守るということは、悠理を守ることに繋がる。

しかし僕はまだ諦めていないのだ。
あの夫婦が、いつもの呑気な笑顔で戻ってくることを・・・・・。

仲間達はどうしようも無い事態だと解り、複雑な表情ながらも応援してくれた。

「僕は・・・悠理の為、この身を一生捧げるつもりですよ。」

それは幼馴染みにだけ告げた覚悟。
彼女は唇を噛み締めながら、それでも「分かりましたわ」と答えた。
大きな瞳には疑問が浮かんでいる。

『それで・・・・悠理は一体どのような気持ちなのでしょう?』

悠理の気持ち?
そんなもの、分かりきっている。
彼女は僕を愛してなどいない。
自分の生活を守るため、必死で縋り付いてきただけだ。

だけどそれでもいい。
他の男になど渡すくらいなら、それでもいいんだ。

多くの荷物を抱え剣菱邸に移った時、事故から既に40日が経過していた。


しなければならないことは山程ある。
膨大な資料との格闘。
剣菱のコンピューターを駆使し、小さな綻びを探す。
やはり自動車部門が極端に弱い。
ここのところのアメリカでの業績が足を引っ張っていた。
しかし悪いことばかりではない。
会長不在の中、後継者として名を挙げた豊作氏を擁護する役員も徐々に増え始めていた。
全ては裏から根回しをした成果である。
まだ高校生でしかない僕が、経済界に取り入るのは難しい。
そこは勿論、人手を借りた。
万作おじさんの強固な人脈を存分に。
彼の人格に惚れている人間は山程存在する。
個人的な捜索に乗り出した資産家も少なからず居た。
これが剣菱万作の魅力なのだ。
僕には真似出来ない。
かといって卑屈になる必要はない。
僕は僕なりの方法で運営するだけだ。
昔と同じで自信もあった。
何よりも悠理が側にいる。
恋しい人がこの僕を頼っているのだ。
男として、俄然、力が漲るではないか。

悠理から笑顔が消えて二ヶ月。
体重の減少は止まったが、旺盛な食欲が復活した様子は見られない。
人並みの量を、さほど美味しくなさそうに口へと入れる。
まるで嘘のような光景だ。

悠理は家族………特に父親に依存していた。
甘えん坊で、年の離れた兄の所為もあり、基本我儘だ。
しかし、忽然と消えた両親を闇雲に探しているとき、彼女は一滴足りとも涙を溢さなかった。
何かに耐えるその姿。
痛々しさが、胸を打つ。
だが、彼女を止めることだけはしなかった。

納得の先に諦めがある。

そういう意味で、僕はまだ足掻いているのだろう。
豊作氏の許可のもと、悠理には内緒でいまだ捜索を続けている。
金に糸目などつけている余裕はない。
天真爛漫な笑顔を取り戻す為、どんなことでもしてやろうと考えていた。
その結果がもし不幸なものであったとしても・・・一つの区切りを与えてやらなくてはならない。
それは僕たちにもいえることだ。

高校卒業まで半年を切った。
当然、式は挙げない。
夫妻が行方不明の状況下で、それは不可能。
籍を入れるだけの心づもりで婚約を決めた。

‘僕婚約者’という存在は、周囲への牽制でもある。
悠理にこそこそと男をあてがおうとする薄汚い親族。
彼らの野心を砕く為、‘婚約’だけでは足りない。
これ以上、僅かな期待すら与えてはならないのだ。

「清四郎、きちんと寝てる?」

白皙の美少年を思わせる姿で、悠理は僕を窺う。
体重が落ちたせいか、より一層少年ぽさが増していた。

事故報道直後、剣菱家の混乱はひどかった。
高血圧を患っていた五代氏は昏倒し、うちの病院に入院させた。
今も慎重に経過を見守っている。
残された従業員の動揺は相当なもので━━━野梨子と可憐が協力し、苦労の末、事態を収拾したのだ。
美童の柔らかな呼び掛けも、メイド達の心を癒したのだろう。
プロ意識を取り戻した彼らは、日常の仕事を淡々とこなす。

「五時間は寝ていますよ。悠理こそどうです?」

愚問であったが問うてみる。
こうして共に食事をする朝の僅かな時間が、互いの近況を窺える唯一の機会だ。

「寝てる。クスリ無くても………眠れるようになった。」

「それはよかった。」

意識して穏やかに微笑めば、悠理はホッと力を抜く。
その様子が愛しくて、思わずこの腕に抱き締めたくなる。

あの日から、彼女に一切触れていない。
キスはあくまでも契約の証で、彼女から求めて来なければ、僕から出来るはずもない。

「せぇしろ、学校来ないからさ。皆、寂しがってるよ?」

「そう……ですね。もう少し落ち着いたら、また通います。」

━━━再び高校に通う。

そんな保証はどこにもない。
すべき事をやり遂げ、剣菱が再び落ち着きを取り戻すまで、この身を粉にして働かなくてはならないのだ。

事業に携わるにあたり、僕は二人の秘書を登用した。
一人は豊作氏の管理の為、もう一人は僕の手足となり働く有能な人材だ。
彼女はスタンフォード大学を首席で卒業した才女。
剣菱のアメリカ支社から急遽引き抜いた。
専門はマーケティングで、社内でも有名な堅物だった。
そのくらいでないと、男社会を生き抜けない。
堪能な語学力と鋭い洞察力。
仕事に関しては驚くほど柔軟な意見をぶつけてくる。
とても気に入っていた。
豊作氏を交え、夜遅くまで議論することも多く、一瞬だけでも辛さを忘れる事が出来る。

━━━━辛い?

一体、なにが?
剣菱夫婦の不在が?
膨大な仕事量が?

いや、違う。
悠理に触れられないことが、だ。

慰めるよう頭を撫でることも、優しく肩を抱き寄せることも、ここ最近はしていない。
一旦触れてしまうと、冷静で居られる自信が無いからだ。

与えられた部屋で仕事をしていると、悠理の寝室へと意識が飛ぶ。

押し入って、
抱き締めて、
思う存分、その唇を味わって、
目眩く恍惚感に身を投じたい。

一つ屋根の下。
扉の鍵は開けられている。

可能であるならば、彼女の憂いをこの手で取り払ってやりたい。
胸にぽっかりと空いた穴を、全ての情熱の塞いで、歓喜の涙を溢れさせてやりたい。
そう行動出来ないのは、僕に卑怯な部分が存在するからだ。
彼女の弱さにとことんつけこんでいるからだ。

もし━━━
もし、彼女から求めてくれたなら、どれほどの幸福感に酔いしれる事が出来るのか?

夜━━━
確かに僕は、12時を廻ったところで身を横たえる。
かといって、直ぐに眠れるわけがない。
悠理の気配を探りながら、ずくずくと疼く胸を押さえる。

『もう、寝たか?』

物音が聞こえない中、それでも起きていて欲しいと願う。
僕と同じように、気配を探っていて欲しいと願う。

友人の時よりも遠く感じる関係。
果たしてこれが正しい方法だったのか?

何度も自問していると、ようやく眠りへと誘われる。
激しい渇望を閉じ込める為、深い夢の中へと沈み込んでいく。

夢はあまり見ない性質だった。
しかしここに来てからというもの、毎晩のように魘される。
夢の中の僕は、泥濘の中で必死に懇願しているのだ。

悠理が欲しい、と。
悠理の愛が欲しい、と。

切ない悲鳴をあげながら、まるで駄々を捏ねる子供の如く、泣き喚く。

目覚めは当然最悪だ。
何とかしなくては、精神衛生上、問題が生じる。

━━━悠理。
僕もまた、救われない人間の一人なんですよ。

小さく自嘲する僕を、悠理は真っ直ぐに見つめる。
ガラス玉のようなその瞳に、光はまだ見当たらない。

悠理への気持ちに気付いたのは、婚約を解消して程なくだった。
もしかすると、手に入れられなかったものへの執着がそうさせたのかもしれない。
しかし僕は彼女から目が離せなかった。
手の届く所に居て欲しかった。
妻でじゃなくてもいい。
友人のままでいいから、ずっと隣で笑って欲しかったのだ。

野心に惑わされた僕に、彼女はいつもの態度で接してくれる。
まるで何事も無かったかのように・・・あどけなく、無邪気に、甘えてくる。

年季の入ったポーカーフェイスを、一生脱ぐことはないと感じていた。
しかし膨らみ続ける想いに蓋を被せることは容易ではない。
彼女に逃げられる事だけは、何としてでも避けたかった。

だが・・・いつの間にか、悠理は僕の気持ちに気付いていた。
時々、怯えたように目を逸らす。
そんな彼女を見れば、無性に胸を掻き毟りたくなり、己の未熟さを痛感させられた。

大丈夫・・・・逃げなくていい。
何もしないから・・・。

胸の中でそう何度も呟きながら、厚い仮面を被る。

好きだ・・・・・・
どうしようもないほど好きだ。

ギリギリと音を立て、こみ上げてくる感情。
それを解き放つには、一体どうしたら良かったのだろう。

悠理との距離を恐る恐る測りながら、一方で欲望を吐き出そうと必死に藻掻く。
心が分裂しそうだった。

もう限界だ・・・・そう感じ始めた矢先に起こった今回の事故。
悠理の承諾を得て、再び婚約者となった後も、胸はひび割れたままだ。

好きになって欲しい・・・

たった一言、懇願出来れば、もっと楽になれるのに・・・。

けれど僕はこれ以上の負担を、彼女にかけたくないのだ。

「何、考えてんの?」

気付いているのかもしれない。
敢えて、口にしないのかもしれない。
男の汚れた欲望とは全く無縁な存在なのだから・・・。

「好きです・・・・・・・・・」

気付けばポロリと口から零れていた。
決壊したダムのように・・・・心が溢れる。

「好きです・・・悠理・・・・・これ以上どうしたらいいのか・・・・僕にはわからないんだ。」

彼女は無言のまま、僕を見つめている。
責めるわけでもない。
困った様子でもない。
ただ、感情を映さない目で僕を見ている。

「おまえの笑顔を取り戻したい。・・・・それが一番の願いだ。」

違う!
そうじゃない!

僕にだけ見せてくれれば良いんだ。
僕にだけ・・・・以前のような溌剌とした笑顔を見せて欲しい。

口から出かかった言葉を渾身の力で飲み込む。
テーブルの上で握りしめた拳は真っ白に変色していた。

椅子から立ち上がった悠理は側に立ち、細い手を僕に重ねる。

「・・・・・・辛そうだな。」

「ああ・・・・・・辛い。おまえの側に居る事がこんなにも辛いなんて、想像もしなかった。」

歯ぎしりしながらそう告げれば、重ねられた手に力がこもった。

「あたい・・・・・・・・・どうしたらいい?」

決まっている。
決まってはいるが・・・・人の心を、強制など出来ない。

「・・・・・・・抱かせて下さい。悠理が僕のモノだと実感したいんです。」

「・・・・・・・・・・・・分かった。」

二つに重なった手は彼女の導きで、その幼さの残る小さな胸元へと誘いざなわれた。

「いいよ・・・・清四郎の好きにしても・・・・。」

ゴクリ・・・・・・・・

喉を流れる唾液がやけに熱い。

それは歓喜だったのだろうか?
それとも恐怖だったのか?

僕は軽くなった悠理を抱き上げると、直ぐ様、寝室へと向かった。


「せぇしろ・・・・・」

シャワーを浴びた僕を見つめるその目は、まるで迷い子のようだった。

’女’になったばかりの薄い身体は、しっとりと濡れている。
執拗なほど愛撫し、啼かせ続けた結果、彼女は意識を失うように眠ってしまったのだ。

「悠理も浴びますか・・・・?」

そう言って肩に触れた途端、悠理は驚くほど乱暴に僕へとしがみついてきた。

「なんで、居なくなるんだよ!!側に居ろよ!」

「ゆうり・・・・・・・・」

「おまえまで・・・おまえまで居なくなったら・・・・・・・・あたい、どうしたらいいんだよ・・・・・・・・・・」

久々に感じる彼女の激情。
それが嬉しくて仕方のない僕は、悠理を再び押し倒し、安心させるよう身体を密着させた。

「大丈夫。僕は・・・・僕だけはどこにも行きませんよ。ずっとおまえの側に居ます。」

涙が溢れるその瞳へ何度もキスを落とし、不安の海から救い出そうとする。
悠理は傷ついているのだ。
愛していた両親との別れが、普段からは想像出来ないほど繊細なガラスの心を、無残にもひび割れさせた。
寂しい、寂しいと全身で訴えながら、孤独の世界に取り残されたままでいる。

「・・・・・・絶対に?清四郎。あたい、許さないぞ?」

「何を?」

「他の女んとこに行ったりしたら、絶対に許さない・・・・・・・・・・・・」

「あり得ません。」

そう断言した後、恐れを抱く悠理を快楽の世界へと引き摺り込む。
想像していたよりも柔軟な身体へ、思う存分、欲望を突き立てる。
初めて結ばれた時、充分に潤んだはずのそこは、まるで彼女の心のように血を流した。

一筋の赤い鮮血。
割り開かれた身体。

僕に訪れたものは、やはり歓喜以外の何物でも無く・・・・その至福の瞬間を心おきなく味わった。
痛みに息を詰めたまま我慢する悠理が、あまりにも可愛く健気で、心が疼く。

いつものように、悪態を吐けばいいのに・・・。
いつものように、殴りかかってくれば良いのに・・・。
それでもおまえを離す事はないけれど・・・・・・・・・。

そう思いながら、僕は彼女の隅々まで味わい尽した。

夢の様な一時。
その麻薬のような魅力に呆気なく虜となった僕は、こうして再び悠理と繋がる。

挑むような目に、恐ろしく興奮する。
悔しそうに唇を噛みながら、それでも洩れ出てしまう喘ぎ。

「もっと・・・・声を聞かせてください。」

「あ・・・・あ・・・やぁ・・・・・・・・・」

「僕だけに聞かせてくれ・・・・・悠理の全部が知りたいんだ。」

「せぇ・・・しろ・・・・・・ん・・・・・ぁ・・・・!」

止まらない欲望が、彼女から切ない声を押し出す。
脳が焼き切れるほどの快楽。
僕は再び清らかな身体へと、灼熱のマグマを放った。





それからの日々は比較的安定していたように思う。
もちろん心の隙間が完全に埋められたわけでは無いけれど、悠理と身体を重ね合い、眠るようになってから、あの悪夢はさっぱり見なくなった。
不意に目が覚めても、隣から聞こえる安らかな呼吸に安堵し、再び眠りへと戻っていく。
悠理の希望通り、夜は必ず彼女の寝室で眠った。
肌をくっつけ合い、何かから身を守るように、しっかりと上掛けを被る。

優しい空間。
悠理の香りが存分に楽しめる空間だ。

その頃になると、彼女は薄く笑うようになっていた。
声をあげることはなかったが、柔らかく微笑むような笑顔を見せてくれる。
それだけでも僕の心は満たされ、悠理の望むことならば何でも叶えてやりたいという気分になる。

捜索の手を広げていたが、有力な情報は入ってこない。
さすがに僕の中でも小さな諦めが見え始めた。
豊作氏はそれでも中断することはなく、捜索を継続するよう僕に伝える。
彼の心中を考えると、ひどく胸が痛んだ。

「明日から一週間、アメリカに飛ぶ。本当は清四郎君にも来て欲しいが、悠理のこともあるだろう?僕一人で行くことにするよ。」

「分かりました。留守を預かります。」

「その代わり、君の秘書を借りても良いかな?」

「構いませんが・・・・何故?」

彼はそっと僕に近寄り、耳元で囁いた。

「悠理が気にしてるんだ、彼女の事。」

「・・・・・・・・・・・・・え?」

「君の側にずっといるだろ?それがご不満らしい。」

初めて知ったその事実に、頭をガンと殴られた気分がした。

・・・・・・・・・・悠理が嫉妬している?

それは明らかに女の嫉妬なのだろう。
恵まれた環境に生まれ育った彼女にとって、その感情を一体どう受け止めているのか。
僕は手放しには喜べない。

「清四郎君には本当に感謝している。悠理が少しずつ感情を取り戻してきていると分かったからね。さすがだよ。」

「いえ・・・・・・・いえ・・・とんでもない。僕は何も・・・・・・」

珍しく謙遜してしまったが、半分は本音だ。
むしろ僕こそが彼に感謝している。
「婚約者」として、彼女の側に置いてくれているのだ。
夫妻不在の今、彼は僕にとって親代わりでもある。
彼の許可があるからこそ、僕はここに存在出来るんだ。

「では、気を付けて行ってきて下さい。」

「ああ。あちらも多少の混乱は残っているだろうからね。頑張ってくるよ。」

そう言って彼は背中を向けた。
その時・・・・・・・・・・・

「豊作様!!お電話が!!」

慌てて飛び込んできたのは執事である五代さんの代理人。
まだ三十代の若き男だ。

「ん?誰から?」

「そ、それが・・・・・・旦那様と奥様が発見されたそうなんです!!」

彼と僕の時間が止まる。
最悪の事態を想定して・・・・・・・・・・・・

「お二人とも・・・・・・・・・・お二方とも・・・・・・・・・・・無事でらっしゃいます!!」

その悲鳴のような叫びに、再び時が動き始めた。
嗚呼・・・・・・・・・・・・・・悠理。
やっぱりおまえの両親だ。
おまえのその悪運の強さは、彼らから受け継がれている。
僕なんかが居なくても・・・・・・・・・おまえは自然界全てから守られているんだ。
力を失った僕の両脚が、絨毯に崩れ落ちる。
隣を見れば、彼らの息子は真っ直ぐに立ち尽くしていた。

剣菱家の強さ。

それは、僕たち凡人には無い、圧倒的な悪運だ。

 

剣菱万作の親友であるアラブの石油王。
彼が私費を遣い、捜索に当たってくれていた場所は、広い太平洋の中でも海賊が身を潜めていると噂される小さな島の集まりだった。
確かに剣菱のジェット機はエンジン不良の為、大きな海原に墜落する。
しかし万作夫妻はパイロットと共にパラシュートを身に着け、無事、ギリギリの脱出に成功していたのだ。
着水した場所はもちろん海のど真ん中。
ボートも無ければ、食料も無い。
浮き輪一つすら見当たらなかった。
さすがに命を諦めかけた彼らの前に、運良く(?)通りがかったのが海賊船。
今時の海賊はハイテク武装。
自動小銃や小型ロケットなどを乗せた高速艇で大海原を駆け抜けている。
通りかかる商船などに狙いを定め、金品を奪い生計を立てていた。

墜落した飛行機は潮の流れからか、どんどんと海溝に向け沈んでいく。
6000m以上の深さ。
悠理達がどれだけ捜しても見つかるはずがなかったのだ。

その海賊は地図にも載らない小さな島をアジトとしていた。
彼らは救助した「剣菱夫妻」を島へと連れて行くが、もちろん解放することは出来ない。
場所を知られるわけにはいかないからだ。
しかし比較的良心ある集団だったのだろう。
彼らは二人を殺害せず、軟禁した。
夫妻の強烈な個性は荒くれ者にとっても興味深く、その豪胆な性格は皆を和ませる。
そして、語学が堪能な万作は多くの話を語り聞かせた。
世界の不平等についても分かりやすく説き、彼らの疑問を解いていく。
もちろん日本でどのような騒ぎになっているかは想像出来たが、呑気な夫婦なこと。
焦る気持ちは全くない。
まさしくバカンス気分で島の生活を楽しんでいたのだ。
非常識な話であるが、彼ららしい。

ともあれ、二人は無事帰国の途に就く。
石油王と海賊の間で、どのような交渉が成されたのかは定かでないが、少なくとも満足のいく内容だったのだろう。

そしてそんな吉報に、悠理は腰を抜かして喜んだ。

「やっぱりな!!父ちゃんたちが死ぬわけないんだ!!」

以前のような笑顔を見せ、そして感極まったように号泣する。

━━━━━やはり悠理はこうでないと。

僕は心底ホッとしていた。
晴れ渡る夏の青空を思い起こさせる笑顔。
太陽の輝きがようやく戻る。

……と同時にやはり寂しさを感じてしまう。

━━━━彼女にとって僕の存在は? もう’不必要’ではないのか?

卑屈な心がむくむくと湧き上がり、気付けば衝動的に悠理の肩へと手をかけていた。

「もう、お役御免ですか?」

声が震える。

「え?」

目を点にして見つめてくる、その無垢な顔が辛い。

「僕の腕はもう要らない?」

自分でも女々しい台詞だと解っている。
縋っていたのはこちらの方。
悠理の弱味につけこんで、散々甘い汁を啜ってきたのだ。
あっさり切り捨てられたとて文句は言えない。

「な、何言ってんだよ!おまえ、どっかいくつもりか!?約束したじゃん!」

「それは………非常事態下における緊急避難措置のようなものではなかったんですか?」

「???」

よく解らないと首を傾げる拙い悠理を、僕は渾身の力で抱き締めた。

「好きです。おまえは僕をどう思ってる?教えてくれ。悠理の本音が知りたいんだ!」

息が出来ず暴れる彼女を、逃すまいとする。
男の力で、
暴力的とも言える力で、
捩じ伏せたかった。

脅してでも「好きだ」と言わせたい。
「僕なしでは生きていけない」と懇願させたい。

人の心は無理強い出来ないと分かっていても、彼女にだけはそれを強要したかった。

ぷはっ!
胸元から顔を上げ、酸素不足の金魚のように息をする悠理。
目が真っ赤に充血しているのは、先程の号泣の所為か?

「あのなぁ・・・・好きに決まってんだろ!!!バカ!!」

大きく酸素を吸い込んだ後、彼女は叫ぶ。

「好きでもない相手とは婚約もしないし、エッチもしない!あたいの性格知ってるくせに!」

アホだのバカだの言いながら背中を殴り付ける悠理を再び抱き締め、問う。

「僕の事が好きだから、身体を許したんですか?」

「あ、当たり前だい!」

「好きだから……………婚約した?僕を選んで?」

「だから、そうだってば!」

「そういうことはもっと早く言ってください。意地悪過ぎます………。」

「だ、だって……………」

瞬間、勢いを無くした彼女が、僕の胸をその細い指でぐりぐりと抉る。

「ほら、前ん時さ。あんなに嫌がってたくせに、今さら、’おまえのこと好きです’とか、こっ恥ずかしいじゃん?」

「あのねぇ……僕がおまえに惚れてるって知っていたでしょう!?」

「……………それ、本気なんだよな?」

「悠理こそ本気なんですか?」

脅すよう顔を近付ければ、彼女は頬を染め、可愛く照れて見せた。

「すっごく本気。おまえじゃないと……ヤダもん。」

鐘が大きく鳴り響く。
それはヴァチカンの鐘。
永遠を意味する祝福の音色。

「おじさん達が帰ってきたら、すぐに結婚式を挙げますよ!」

「え……??」

「早くおまえと夫婦になりたい。」

「あ、あたいら……高校……」

「特に問題ありません。」

僕は笑う。
心を解放し、愛を告げる。

悠理も笑う。
些細な憂いすら見当たらない、その朗らかな笑顔。

そして再び誓うのだ。
これからもずっと、悠理を守り続けることを。

永遠の幸せをこの手で彼女へと与えるために…………


後日談

剣菱邸にて。
百合子はお気に入りのダージリンを前にして、珍しく深い溜め息を吐いていた。
淡い色の紅茶にバラの蜂蜜を入れ、かき混ぜる。
いつもは年齢よりも若く見える美貌が、ここのところどうも冴えない。

あの事故から五ヶ月が経つ。

自分達が行方を眩ましていた間、娘はいつの間にか婚約し、あまつさえ子供まで授かっていた。
相手は誰よりも信頼のおける友人、菊正宗清四郎。
剣菱を守るため豊作の力になってくれたこと、 心労にやつれた娘を大切に慈しみ、支え、そして愛してくれた事には、言葉に出来ないほどの感謝を抱く。
以前から切望していた未来が、突如として目の前に開けたのである。
その歓喜の大きさは、先日行われた三日三晩のどんちゃん騒ぎに表れていた。

万作は近隣諸国から多くの友人を招き、娘の婚約と妊娠を盛大に祝った。
ありとあらゆる国の料理を並べ、贅を尽くした引き出物を用意する。
王族の結婚式よりも派手に執り行われた婚約パーティ。
少しふっくらとした悠理はいつも以上の食欲を見せ、清四郎は心配そうに寄り添っていた。

だが、そんな華やかな場に、菊正宗家の人々は顔を見せなかった。
百合子が複雑な心境に陥っているのは、清四郎の父親がひたすら申し訳ないと頭を下げてくることだ。

自慢だった息子の失態。
確かに婚約したとはいえ、いくらなんでも手が早すぎる。
高校生の身でありながら子供を作ってしまったことは、医者である父親にとって許しがたい事実。
普通ならば勘当ものである。

学会に出掛けても、周りからチクリと嫌味を言われる始末。
もちろん、そんな嫉妬は些細なことだ。
問題は、まだ成人すら迎えていない悠理を妊娠させてしまったこと。
彼女の未来を、息子の不手際で握り潰してしまったことだ。

剣菱一家の非常識さはかねてから知っている。
だが前回とは違い、両親の居ぬ間に婚約し、手を付け、孕ますなど言語道断。
いくら愛情があったとしても、むしろあるからこそ認められない事態だった。

百合子の深い溜息は、カップから立ちのぼる淡い湯気と共に消えていく。
親としてどう納得し、祝福してもらうか・・・彼女は珍しく計りかねていた。



しかし話は急展開する。
その日、意を決した修平は再び剣菱家に出向き、すっかり住人面した息子を徐(おもむろ)に殴ろうとした。
だがそこで悠理に立ち塞がれ、宙に浮いた拳を慌てて引っ込める。
鋭く目を光らせた彼女は、息子の前から一歩も退こうとはしない。
その迫力は無論母親譲りだ。

「いいんですよ、悠理。」

「なんでだよ!清四郎は別に殴られるようなことしてないじゃんか!」

牙を剥く悠理に修平は頭を下げる。

「悠理君……… うちの愚息が……本当に申し訳ない。まだ19歳なのに、本当は皆と一緒に大学にだって通いたかっただろう?」

しかし悠理は大きく首を振った。

「あたい勉強苦手だから、そんなのどっちでもいいんだい。それよりおっちゃん、喜んでよ!家族が一人増えるんだぞ?」

えへんと腰に手を当てた悠理は、僅かではあるがお腹が膨らみ始めている。
修平はそんな姿を医者の目でなく、一人の親として眩しそうに見つめた。
一時期とは違い、顔色がすこぶる良くなった少女の頬は、今やオレンジ色に輝いている。

幼い言動。
無垢な表情。

しかし、彼女はこれから間違いなく母親となるのだ。
修平は悠理の光り輝くパワーに気圧されながらも、常識的な謝罪を繰り返す。
清四郎はそんな父親の姿を見て、さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、唇を噛んだ。

「おっちゃん、もう怒んないで?これでいいんだって!確かに子供のことは予定外だったけど、早いか遅いかだけの問題だろ?おっちゃんにとって孫が出来るんだぞ?お願いだから喜んでよ!」

目を血走らせた悠理の訴えは、とうとう修平の気持ちを解きほぐす。
彼は、油断していた息子の頭をポカッと殴った後、「親として、夫として、きちんと責任を果たせ。剣菱さんに甘えてばかりいるなよ!」と厳しくも優しい親心を見せた。

ともあれ、結婚式は二週間後にまで迫っている。
花嫁のお腹が膨らみきらない内にドレスを着せなくては、と焦る百合子。
そんな彼女の意見が重用され、今回挙式に選ばれた場所はハワイ。
剣菱が建てた新しいホテルには立派なチャペルが付いている。
ヴァチカンと迷った末の選択。
もちろん宣伝も兼ねてのことだ。
剣菱の顔たる百合子に抜け目など無かった。

当初、飛行機の利用はトラウマになっているのでは?と思われたが、彼らにそのような繊細な神経は通っていない。
新たに作られた最新型のジャンボジェット機は、百合子の趣味に拍車がかかった内装となり、それはそれはご満悦の様子だ。
もちろん、パラシュート完備である・・・。

修平が万作夫妻に心からの謝罪をし、全てを受け入れ応援すると告げた夜。
清四郎は悠理の気持ちをもう一度確認していた。

「後悔、していませんか?」

「おまえなぁ・・・。」

呆れてそっぽを向こうとする恋人の顎を捉え、全てを見透かす双眸で覗き込む。

「僕に一生、縛られてもいいんですね?」

「縛られる・・って、なんかネガティブな言い方だよな。」

「結婚とはそういうものです。その上、僕たちは親になる。子供への責任からは逃れられませんよ?」

「ばーか!逃げるわけないだろ?とことん可愛がってやるつもりなんだから!」

鼻息荒く宣言する彼女に、清四郎はほっと息を吐く。

「僕は・・・・・すごく幸せなんです。こんなにも早くおまえと子供、両方を手に入れられた。おじさんたちの不幸な事故に乗じてしまったことだけは、申し訳ないが・・・・」

「おまえさぁ、ちょっと考えすぎ。こんなもん結果オーライだろ?あたいはおまえが好きだし、母ちゃん達もおまえが良いって言ってる。おっちゃんも納得してくれたし・・・それで万事OK!問題ないじゃんか!」

シンプルな思考。
それこそが悠理の長所である。
清四郎の罪悪感を根底から解放していく言葉に、彼自身もようやく全てに前向きとなった。

「誰よりも幸せになりましょうね。」

「うん!おまえとなら、ずっと・・・・・・・永遠に幸せだよ。」

二人は強く抱き合う。
互いの温もりだけを支えに小さく寄り添っていた時とは違い、今は心からの幸福感に深く酔いしれる。

その後、悠理は3000gの男の子を無事出産。
夫の勧めもあり、大学に通いながらの子育てに勤しんだという。

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~ちょっとだけおまけ~

結婚式の三次会の後、有閑倶楽部の残された面々は、夜の潮風を感じられるバーに身を寄せていた。
新婚夫婦は今頃、優しい初夜を迎えていることだろう。

「悠理・・・・綺麗だったわね。」

白ワインの入った可憐のグラスが傾く。

「ほんと目が眩むほど綺麗だったよ。」

美童はお世辞抜きで賞賛した。

「清四郎がやけに嬉しそうだったよな。」

ジントニックで喉を潤す魅録はにやりと笑う。

「鼻の下が伸びきっていましたもの。だいたい誓いのキスが長すぎますわ。」

絞りたてのオレンジジュースを手に、野梨子が憤る。

「ああ・・・ちょっと長かったよねぇ・・・神父さんも困り顔だったし。」

「あの男、本当にスケベだったのね。手が早いったらありゃしないわ。」

「まさか卒業まで我慢出来なかったなんて、やっこさんも焼きが回ったよな。」

魅録の言葉に賛同する仲間達。
とはいえ、悠理の幸せそうな表情に一つの曇りも無かった為、それが決して間違った選択で無かったと知る。

「清四郎が悠理を支えたんだよね・・・・・いつもみたいに。」

「ああ、あいつにしか出来ないことさ。」

「あの時の悠理に向き合えたのは清四郎だけですもの。少し感動しましたわ。」

「悠理のこと愛しちゃってんのよねぇ・・・ほんとに。」

「わかっちゃ居たけどな・・・」

悠理の心を救えるのは清四郎だけ。
彼の大きな腕は彼女の全てを受け止めることが出来るのだ。

「乾杯しようぜ。」

「何に?」

「俺たちの・・・’有閑倶楽部’の限りない未来に、さ。」

4人はそれぞれのグラスを合わせる。
今ここに居ない二人を思い、そして途切れることがない6人の絆を確信しながら・・・・。