恋人?
婚約者?
どちらにせよ、友人の枠から離れた清四郎はとても優しくて、悠理は驚きを隠せない。
『いつものイヤミ臭い男はどこへ?』
少々不気味にも感じるが、優しくされることは当然嬉しいもので、彼女はすっかり心を預けていた。
そんな悠理に対し、清四郎の中では困難と思われていた恋を成就させた達成感とやらが、縦横無尽に駆け巡っている。
剣菱ももちろん大事だが、悠理はそれよりも遥かに大切な存在だ。
━━━きっと僕の手で幸せにしてみせる。
珍しく男気に溢れる清四郎であった。
悠理との三度目の夜を過ごした次の日、彼は帰国した万作夫妻へ、結納についての話を投げ掛けた。
「次の大安吉日で、如何でしょう?」
「問題ないだがや。」
「ええ、もちろんよ!清四郎ちゃんの
良いようにしてちょうだい。そういえばこの間、あの子の振り袖を新調したばかりなの!なんて良いタイミングなのかしら。」
かつてないテンションで盛り上がる夫婦。
前回とは違い、二人が両想いともなれば、憂いなど全く見当たらない。
菊正宗家も同様に、『今度こそは正式に』と意気込んでいる。
「お式はいつにしましょ!ね、悠理?」
「・・・・そ、卒業後に決まってんだろ!」
「式はともかく、この際、早めの入籍を望んでいます。」
「せーしろ!?」
「言ったでしょう?学生結婚など珍しくもないと。うかうかしていたら、邪魔者が現れないとも限りませんからね。」
「ぐっ………」
邪魔者━━━それは明らかに雅臣を指していた。
悠理が彼との話を伝えた時、清四郎のこめかみには血管が浮き上がり、あからさまに不機嫌な表情を見せつけてきた。
━━━しまった。
と思ったが後の祭り。
独占欲丸出しでベッドに連れ込まれ、朝までコース。
彼に、こんなにも直情的な部分が隠されていたとは、思いもしない。
━━━あたい、すぐ、妊娠しちゃいそう。
そんな予想はあながち間違っていないのだが、清四郎とて人の子。
口では何を言っても、大学をきちんと卒業するまで、子作りはお預けの予定だった。
そして蚊帳の外に放り出されていた仲間たちは当然、最大級の衝撃を受ける。
「「……………結婚、ですって?」」
剣菱邸に呼び出された四人は、あまりにも早いその展開に、とてもじゃないがついていけない。
五代と複数のメイド達がもてなす中、可憐と野梨子は口を揃えて問い詰めた。
「出来るだけ早い入籍を望んでいます。式は恐らく半年から一年後となるでしょうが。」
「ち、ち、ちょっと、待って!?あんたたち、その………いつの間に………」
「一週間前、正確には六日と五時間前に想いを確かめ合いました。」
度肝を抜かれ、目を丸くしていたのは男達も同じ。
魅録は怖々口を開く。
「…………それで、いいのか?悠理。」
ソファに深く腰掛け、それでも清四郎に握られた手から離れようとしない悠理は、赤く染まった顔で頷いた。
「………清四郎なら、いいかな、って。」
━━━あれほど拒否した男だろうが!!
思わず飛び出しそうになった言葉をグッと飲み込む。
どうやら超常現象ばりの出来事が二人に降りかかったらしい。
彼らはどこから見ても甘酸っぱいカップルで、互いに想い合っている事が手に取るように解った。
「でも………どうしてそんなに事を急いでるの?僕たちはまだ学生じゃないか。」
美童の言葉に皆が頷く。
その質問に答えたのはやはり悠理だった。
「あたいがさっさと子供生まなきゃ、剣菱が潰れちゃうんだって。」
「「「「はぁ??」」」」
ようやく事のあらすじを聞かされた四人は、それぞれが複雑な面持ちで唸る。
「………では、その武士とやら、清四郎の考えでは悠理の守護霊とおっしゃいますの?」
「恐らくは。」
「で、でも、ただの夢かもしれないでしょ?この子、ちょっとおかしいから。」
「なんだと!?あたいのどこがおかしいってんだ?」
可憐の言う通り、決してマトモではない悠理。
清四郎を含む五人は、彼女の反論に呆れ反った。
一旦逸れそうになった話を修正したのは魅録だ。
「まあ、おまえらが後悔しないのならいいんだけどよ。清四郎、大丈夫か?また剣菱に縛られちまうぜ?」
「覚悟しています。」
きっぱり言い切った男の表情に迷いはなさそうだ。
魅録は苦笑しつつも、取り出した煙草に火を点けた。
━━━確かに。悠理を扱えるのはこいつしかいねぇけどな。かといってまさか両想いになるとはねぇ。世の中、不思議なことだらけだぜ。
「………清四郎。」
混乱する可憐の横で、静かに切り出したのは野梨子だ。
「はい。」
「………悠理を大切に出来ますの?」
「もちろんです。」
「この先も野心に溺れることなく、愛してゆけますのね?」
「はい。」
「なら………私、祝福いたしますわ。」
泣き笑いの表情は、内に秘められた複雑な思いが引き出すもの。
そんな野梨子に続き、美童も言葉を投げ掛ける。
「悪くない選択だと思うよ。悠理と居れば、おまえはきっと間違った道を歩かないだろうからね。」
「そ、そうよね。あんた、たまに変な方向に向かっちゃいそうだから、二人一緒なら安心よ!」
清四郎は彼らの感想に驚きを隠せなかった。
自分はいつも的確な判断を下し、ほぼ完璧な人生を歩いてきたつもりだが、第三者から見ればどうやら不安定だったらしい。
━━━悠理と共に居ることで安定する?
それはもしかすると、恋なんかよりもずっと大きな収穫なのかもしれない。
「とにかくお幸せに。盛大な結婚式、楽しみにしてるわよ!」
・
・
仲間達との宴会が終わった後、清四郎は当然のように悠理の寝室に残った。
『結婚するまでケジメをつけなさい』と母に忠告されていたが、清四郎はどうしても悠理から離れたくなかった。
片時も離したくない、と言えば大袈裟かもしれないが、ひと度繋がってからというもの、彼は悠理の体に溺れ、そして一人寝の寂しさに耐えられないことを知った。
「………悠理、眠いんですか?」
あらゆるお酒を浴びるほど飲んだのだ。
いや、飲まされたのだ。
いくら酒豪とて、身体が言うことを聞かない。
「………なに?したいの?」
「…………愚問です。」
同じ量の酒を飲んでいても、清四郎に目立った変化は見当たらない。
強すぎる性欲は酔いを凌駕するらしい。
悠理は朧気な頭でそう思った。
衣服を脱がされ、彼もまたその美しい裸体を晒す。
なんと整った身体なのだろう。
つくべきところに見事な筋肉が存在し、割れた腹筋はどんな攻撃にも耐えられそうだ。
悠理は過去行った彼との決闘を思い出す。
━━━そういや、あたいの攻撃なんか屁のカッパだったよな。
敏捷性だけで清四郎を倒すことは出来ないと痛感し、しかし一矢報いることが出来たのは雲海和尚のおかげ。
━━━あん時………あたいも意地張ってたけど、もし好きだって告われてたらどうしたんだろ。
それでも、彼の想いから逃げ惑ったかもしれない。
悠理にとって清四郎はあくまでも友人だったから。
「………悠理?本当にイヤですか?」
「え?」
現実に引き戻された悠理は、清四郎の顔が目の前にまで近付いていることに気付く。
「無言だったから………イヤなのか、と。」
「あ、ううん。そうじゃない。ちょっと考え事してた。」
「結婚のこと?」
「昔のこと。」
「………僕を信用できませんか?」
「まさか!………まさか。いつだっておまえのことは信用してるよ。」
悠理は清四郎の逞しい首に腕を回すと、自ら身を乗り出し、軽く口づけた。
いつもは言えない台詞も酒の勢いか、するりと滑り出す。
「………好き。」
ポッと染まる頬。
清四郎の胸は感動の渦だ。
「…………僕は…………もっともっと好きだ。」
二人は重なり、深い夜へと向かった。
高揚する鼓動はいつしか同調し、大いなる快感を生み出す。
悠理は食べること以上の幸福感を知り、清四郎は知識欲に勝る欲望を彼女に抱いた。
足りないものを補い合える二人。
もちろん不安は付き物だけれど、月の無い夜は彼らにとても優しくて━━━互いの存在を強く感じながら、甘く爛れた行為に耽りゆく。
そして、夢も見ない夜が暫く続いた。
・
・
・
「本当に後悔しないんですか?」
結納を直前に迎えたその日。
所用で剣菱邸を訪れていた『有光 雅臣(ありみつ まさおみ)』は廊下ですれ違う令嬢にそう語りかけた。
「あんた………」
名前は失念したものの、顔ははっきりと覚えている。
自信に満ちた風格を備え、野心を隠そうともしない男。
そんな彼が、今現在兄の最も頼りになる片腕だった。
「お嬢さん、貴女はまだ若い。他の男と比べもしないで結婚を決めるなんて、愚かしいと思いませんか?」
目を瞠る悠理に彼は素早く近付くと
、力強い腕でその腰を抱き寄せ、壁際に押し付ける。
「アッ」という間もなかった。
「………私には実績がある。剣菱を成長させてきたという確固たる実績が、ね。」
「だ、だからなんだよ!」
「これから先も、世界一に伸し上げるだけの自信があるんですよ。貴女に贅沢な暮らしを保証するだけの自信が、ね。」
心を剥き出しにした黒い瞳が、悠理を突き刺す勢いで輝く。
それは飢えた獣のような強い輝きで、悠理は胸騒ぎを覚え、戦いた。
「は、放せよ!」
「私に一体何が足りないと言うんです?あぁ、彼は確か武道の達人で腕っぷしはかなりのものでしたね。でも果たしてそういう強さが必要ですか?」
言いながらも、悠理の腰は折れんばかりに抱き寄せられたまま。
男の圧倒的な力は彼女にとって慣れたものではなかった。
「それともベッドを試したい?こう見えてそれなりに場数は踏んでいます。きっと満足させてあげられますよ。」
近付く顔から背け、身を捩る。
足下から這い上がってくる震えに、悠理は戦慄を覚えた。
「や、やめろ!」
「ふ………じゃじゃ馬と呼ぶには惜しい美貌だ。この世は男一人じゃありません。色々試して、貴女が自分に相応しいと感じた男を選ぶべきです。」
つつ、と撫で上げられる背骨が性感帯であることを知ったのは二度目の夜だ。
清四郎の手は悠理の全てを暴き、開いてゆく。
自ら懇願するほど切ない快感も、気を失うほど強い刺激も、全部。
「どうやらなかなかに敏感なようですね。彼に開発されたのかな?」
ここは廊下だ。
メイドだって、五代だって通る場所だ。
こんな場面を見られたらとんでもない事態になる。
壁に押し付けられ、ガッチリと掴まれた腰は驚くほど自由が利かない。
股の間に入れられた脚が、更なる制限を加えている。
男は知っているのだ。
どうすれば女が従順になるか、を。
「さぁ、私を試しなさい。何なら今からでも貴女の寝室へ行きましょう………「随分と不愉快な光景ですね。」
悠理はその声に希望と絶望の両方を感じた。
「せ、清四郎!」
長い廊下の端から歩いてくる男は、恋人であり婚約者。
明日にでも結納を交わそうとしている相手だ。
冷ややかな声と同時、雅臣は自然に体勢を整えると、早足で駆け寄ってくる男を振り返る。
スーツの襟を正し、スラックスの皺を叩くと、先程までのギラついた目を伏せ、穏やかな微笑みをその顔に浮かべた。
「こんにちは。」
「どういうつもりです?貴方はもうチャンスを失った人間のはずですが?」
「チャンスを失った?ビジネスにおいて最後まで油断してはならないことくらい、優秀な君なら知っているでしょう?」
「彼女とのことをビジネスに置き換えるなど、有り得ませんよ。」
「そうかな?私には同じに感じるが。」
音が聞こえるほどの火花が散る中、悠理は慌てて清四郎の元へ駆け寄り、その腕にしがみつく。
「け、喧嘩すんなよ!」
「…………恋人に容赦なく触れられ、見過ごしていては男が廃ります。」
「や、やめろってば。」
清四郎から立ち上る殺意が、悠理には恐ろしかった。
彼の腕っぷしは確実に相手を仕留めてしまうだろう。
だが豊作の片腕をこんな些細なことで再起不能にさせては堪らない。
意を決した悠理は雅臣の方へ振り向くと、真正面に立ち、彼を軽く平手打ちにした。
「これで、この不愉快な一件は忘れてやる!あたいはあたいの意思で清四郎を選んだんだ。あんたにとやかく言われる筋合いはないね!」
「…………その決断に迷いはない、と?」
「ない!後悔するなんてことも絶対ない!この先どれだけ喧嘩しても、あたいは清四郎を手放さない!」
「それほどの想いがあるくせに、前回、何故婚約を蹴ったんだ。」
「………そ、それは、あたい達が………子供だったからだよ。」
言ってて恥ずかしくなるが、それは事実だった。
女として認められていないのに、結婚させられるだなんて、不名誉にもほどがある。
幼い意地は膨らみ続け、彼の思い通りになることへの拒否感はどうしても消え去らなかった。
「なるほど。………私には今も充分子供に見えますがね。ま、ここまで拒否されると流石に心が折れる。退散するとしますよ。」
「待て。」
清四郎の鋭い声が彼を引き留める。
「………二度と悠理に触れるな。貴方がどれほどの地位に居ようとも……僕は必ず排除して見せますよ。」
「残念だがそれは剣菱の為にならないだろうね。それに私は、君と仕事することを楽しみにしているのだから。」
「………。」
立ち去る雅臣をそれ以上引き留める事は出来なかった。
不安げに見つめてくる悠理のおでこを小突き、それでも安堵したかのように腕に抱く。
「…………どうして彼の手を振りほどかなかったんです。」
「だ、だって……結構強かったし、暴れたら………怪我させちゃうかもだし。」
「妙な気遣いを覚えましたね。それとも………彼に男を感じた?」
「!!」
図星ではあったが、悠理は渾身の力でそれを否定する。
「んなわけねぇだろ!」
「………どうかな?男を覚えたての頃は不安定ですからね。」
「バ、馬鹿やろ………」
振りかざした手は簡単に壁へと縫い止められ、清四郎の情熱的なキスが悠理の乱暴な口を塞いだ。
廊下を歩くメイドが小さく「キャ」と声をあげたが、清四郎は構わない。
喉の奥にまで達する舌が抵抗を封じ込め、悠理はとうとう、そのまま腰を抜かしてしまった。
「…………はぁ、はぁ………」
「………おまえはまだ知らないんですよ。」
「………へ?」
「これからは手加減無しの方向でいきましょう。僕の想いをその身体に徹底的に刻み付けてやりますよ。」
「ひっ!?」
・
・
・
100%以上の能力を出しきった清四郎は、死んだように眠る悠理を満足そうに見つめる。
あどけない寝顔は人形のように整っているけれど、彼が好ましく思うのはやはり感情豊かないつもの悠理だ。
「どれほどライバルが現れようとも、絶対に手放しませんよ。」
そんな決意を彼女の耳元で囁き、背中から抱き締めると、眠りは恐ろしく早く訪れた。
清四郎は夢の中。
田んぼ広がる長閑な景色を、ただ不思議そうに見渡す。
振り向けば古い民家の縁側には、二人分の湯呑みと共に饅頭がおいてあった。
導かれるように腰掛け、湯呑みを手にする。
しっくりとくるその手触りに、妙な懐かしさを覚えていると━━━
「お主…………剣菱を頼むぞ?」
不意に声をかけられ、危うく落としそうになる。
横には、先程まで居なかったはずの男が一人、すっかり茶を啜っていた。
その格好は彼女との会話の記憶にある。
「ま、さか……悠理の?」
「子は三人、もしくは四人。剣菱の行く末はその子等にかかっておる。」
一方的に聞かされる内容に清四郎はじっと耳を傾ける。
「どれほどの不況が訪れようとも、子供達が危機を乗り越えてくれるだろう。よいな、子は多く作れ。」
「はい。」
「それと………」
武士の格好をした守護霊は饅頭を頬張ったまま、清四郎を見据えた。
穏やかな、そして力強い視線。
真一文字に結ばれた唇が開いたとき、清四郎にも緊張が走る。
「よいな?浮気はするなよ。命がないからの。」
「………………はい。」
何かと思えば、ごく当たり前の忠告。
それだけを重々しく告げた武士はごろりと横になり、背伸びをした後、寛ぎ始めた。
二人して青い空を見つめる。
どこまでも澄んだ空気は、現代ではあまり見られぬ美しい自然の景色を清四郎の目に映してくれた。
━━━━剣菱にどのような恩があるのかはわかりませんが、感謝します。
そう心で呟き目を閉じる。
再び開いた時、いつもの見慣れた天蓋カーテンが彼の視界に飛び込んできた。
朝の清浄な空気の中、いつもより頭が軽く感じる。
隣を見れば、愛しい恋人はまだ深い眠りから目覚めないようだ。
「………剣菱ともども、おまえを守り続けますよ。」
彼女には聞こえないであろう覚悟をそっと告げ、清四郎はシャワールームへと向かい立ち上がった。
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それからの二人は━━━━
結納を交わした翌年の正月、皆が見守る中、無事入籍は果たされ、清四郎は剣菱姓を名乗ることとなった。
大学を卒業後、悠理は武士の言う通り、立て続けに子をもうけ、休む間もなく子育てに追われる羽目となる。
清四郎は当然剣菱本社に勤務。
その頭角をメキメキと現すが、いつも先をいく雅臣とはぶつかることも多く、しかし彼らの生み出す利益は誰も真似出来ないほどで…………。
豊作を含む三人は、僅か十年で剣菱を世界一に押し上げることが出来た。
そして二人が結婚して三十余年の時が過ぎ━━━
突如、未曾有の世界恐慌が日本を、無論、剣菱をも襲う。
しかしその時トップに立っていたのは四人の子供達。
悠理似で天才肌の長男と、リスク管理に長けた次男。
その下に産まれた双子の姉妹は世界中を飛び回り、ありとあらゆる手を使い、系列会社の危機を救った。
後に『天下無敵のカルテット』と称される彼らは、四人全員が強い霊感に恵まれ、母を見守る武士の存在をその目に映す。
「母さんの後ろから離れないね。」
「たまに父さんも感じてるみたいだよ。」
「誰よりも頼りになるナイトだわ。」
「ほんと、ママが羨ましい。」
そんな子供達の他愛ない会話を、やはりのんびりとした様子で眺め続ける守護霊であった。