清四郎が恋を自覚した切っ掛け。
(原作でもこんな始まり方じゃないかな・・・と妄想)
―――眠れない。
こんな日は、ベッドに入ってもなかなか眠りがついてこない。
清四郎はおもむろにサイドテーブルの明かりを灯した。
パジャマ姿の身を起こした後、読みかけの本を手にし、クッションを背中に挟む。
分厚めの本は難解な推理物だが、今はこれが丁度いい。
眠れない理由はただ一つ。
二十年もの間。
異性を好きになるという、ごくごく自然とも言える感情を一度も抱いたことがない男に、ようやく訪れた初恋の所為である。
清四郎は未経験ではない。
興味が湧くと直ぐにでも確かめたくなる性格故、早々に‘女’というものを知っていた。
数回試したソレは確かに面白いものだったが、その後にやってくる面倒事が、とてつもなく厄介に感じた。
――事後、女は優しくしないと不機嫌になる。
齢15で知り得た事実だ。
それからというもの、女性に対してある一定の距離を置くようになった。
かといって、男に走ったわけではない。
心頭滅却すればなんとやら―――
性欲を抑える術をすっかり身につけていたのだから。
他(た)が言うように、自分は恋などしないのだろう。
・・・と清四郎は思っていた。
そんなあやふやな感情に振り回されることは愚かであり、人生の半分を損するような気さえしていた。
とはいえ、人の恋愛を見ていると、たまに面白く感じる事もあったが、自分に置き換えてみることはやはり出来ない。
―――本来なら、大人しく傍観者で居るに限る。
可憐や美童あたりなら猛反対するだろう言葉を浮かべ、清四郎はページを捲った。
飛び込んでくる文字を目でなぞるが、結局は頭に響かず、再び本をサイドテーブルに押しやった。
両手を頭の後ろで組み、瞳を閉じると瞼に現れるは、一人の女。
幼き頃、自分を足蹴にした乱暴者。
価値観を覆す切っ掛けとなった衝撃的な出会い。
友人となった後も、事あるごとにトラブルに巻き込まれ、その都度周りに多大な迷惑をかける嵐のような存在。
―――悠理。
おまえは何故、僕にこんな感情を与えたんだ?
それはもしかすると、天の啓示のようなものだったのかもしれない。
大学部の学舎は、午後五時以降になるとめっきり人が減る。
その日、清四郎は教授に頼まれていた資料となりうる本を手に、悠理が在籍する国際教養学部へと足を運んだ。
人気の無い階段を上っていると、次第に争うような声が聞こえてくる。
それは耳慣れた声。
しかし珍しいことに、小さく押し殺したような声だった。
「……やだ、やめろよ!」
「なんで?俺みたいなのタイプじゃない?」
「そ、そういう訳じゃないけど、あたい………無理だって!」
「付き合ってみようよ。モノは試しだ。」
ゆっくりと踊り場を覗きこめば、そこにはやはり悠理が居た。
屈強な体つきの男に腕を掴まれ、壁に押し付けられながら………。
「そんな、気軽に言うなよ!」
「俺が気軽なんかじゃないって知ってるだろ?あんたのことは入学してからずっと目をつけてた。」
「・・・・・。」
珍しく男を拒否しきれていない様子の悠理。
それを見た清四郎の瞼が一気に熱くなる。
無意識に握りしめられた拳がギリギリと音をたてる。
―――何故、はっきりと断らないんだ!!
胸に渦巻く不快感。
悠理の手を掴んでいる男を、今すぐにでも放り投げてやりたい。
そんな野蛮な気持ちが湧き上がる。
「あんたが好きだ。俺のものになってくれ。」
「あっ……ち、ちょっと!」
筋肉質な腕に抱き締められた悠理の頬は赤く、決して本気で逃げ出そうとはしていない様子だ。
彼女の強さは折り紙つき。
無論、逃げ足の速さも……。
―――これ以上、見たくない。
そっと気配を殺しながら、清四郎は階段を下りた。
悶えるような怒りがこみ上げる。
それは瞬く間に身体中を覆いつくし、どろりとした負の感情が芽生えていく。
やはりあの場に戻って男を捩じ伏せなければ、という衝動めいた思いが胸を衝く。
しかし、万が一悠理も彼を好きなら?
自分は道化にしかならないだろう。
人の恋路を邪魔するなんてこと、プライドの高い男が出来るはずもなかった。
‘彼女’と‘恋’は、そう簡単には結び付かないものの、もし目覚めたというのなら友人として見守ってやるのが本来の在り方だ。
しかし………
――出来ない!そんなこと出来っこない!
あいつは僕だけのものだ。
他の男の腕でじゃれさせてたまるか。
あんな風に頬を染めて、言いなりになる姿なんか見たくない。
見たくなどなかったんだ。
清四郎の我儘ともいえる欲求は、徐々に膨れ上がってゆく。
ふと学舎を振り向けば、夕日に照らされ、まるで炎に包まれているかのように見えた。
そう、それは清四郎自身、生まれて初めて感じた嫉妬の炎そのもの。
ギリリと噛み締めた奥歯から血が滲むほど、その感情は大きいものだった。
かといって、どうしたらよいのか判らぬまま時は流れ、既にあの日から二週間が経過しようとしている。
悠理が男と付き合っているという噂はいまだ耳に届いていない。
隠し事の苦手な彼女のこと。
もし交際しているのなら、すぐに顔へと表れるだろう。
清四郎はあれから、悠理の一挙手一投足を舐めるように見つめていた。
そしてようやく自分の想いにも気付かされ、現在に至るのだ。
悠理の髪型が可愛い。
ふわふわと鳥のような髪が心地良い。
茶色がかった大きな瞳。
長い睫毛が縁取られ、小悪魔のように魅惑的に見える。
綺麗な鼻梁、整った唇は思わずかじりつきたくなるほど。
キメの細かい滑らかな頬。
そこに唇を寄せ、舐めしゃぶりたい。
悠理の存在全てが、封印してきた欲望を呼び覚ます。
あんな男に髪の毛一本たりともやれない。
身体の温もりも、質感も、全て自分のものにしたい。
甘く吐く息すら、僕のものに―――
そこまで考えて苦笑する。
―――何の為に鍛練してきたのやら。
自制心に関して並々ならぬ自信があった男。
目の前に主張し始めた下腹部を見つめ、溜め息を吐いた。
――また、こうだ。
夜な夜な、悠理を思い出すと、どうしてもこうなってしまう。
しかし、清四郎は自慰に耽らず、ナイトスタンドを消す。
一つの覚悟を胸にようやく眠りについた時、時計は午前3時を指し示していた。
次の日―――
いつものように大量の食料を手にした悠理が部屋へと現れた。
「あれ?清四郎ひとり?」
「ええ、皆はカフェテリアへ行ったようです。」
「ん?お前はいかないの?」
ドサッ
机に置かれたパンの数は到底一人前ではない。
非常食か?と思われるほどの膨大な量だ。
しかしそんなものには見慣れている。
椅子へと座り、早速袋を破り始めた悠理の背後へ、清四郎は静かに立った。
そして………そっとその腕を広げ、優しく抱き寄せる。
「えっ?」
「悠理、好きです。」
今まさに口に入れようとしていたパンは、机の上に転がり落ちた。
大好きなチョココロネを、悠理の悲しげな視線が追う。
「お前が好きだ。」
声はほんの少しだけ大きくなったが、微かに震えていた。
悠理は硬直したままゆっくり、深く息を吐くと、巻き付いた腕に頬を寄せた。
「――――あたいも、好き。」
「え?」
聞き間違えかと思い、清四郎は慌てて悠理を覗きこむ。
しかし悠理は頬を染め、そろりと清四郎を見上げた。
「好き――清四郎。」
さっきまでのあっけんからんとした雰囲気を一掃させ、艶めいた瞳を見せつける。
―――ぞくり
肌が粟立つ。
こんな風に見つめられるなんて思いもよらなかった。
「あたい、おまえが好きだって判ったんだ。」
「―――いつ?」
「この間、他のヤローに告白されたとき、すげぇ気持ち悪くて、抱きしめられたときも吐き気がした。
でも……」
悠理の目が揺らぐ。
「これが清四郎なら、きっと気持ちいいんだろうなって思った。」
その言葉はにわかに信じがたい。
だが、悠理は確かに頬を染め、照れたように笑っていた。
「………僕ならいいと?」
乾いた喉が張り付いて、声が掠れる。
「うん。こういうことされんの、魅録でもダメかもしんない。」
脳内で、ヒューズの様な何かが弾け跳んだ。
「悠理!!」
ガタン
椅子から抱えあげた悠理を、広がったパンを払い落とした机に押し倒す。
咄嗟にコロネを掴んだ彼女は流石だ。
「ち、ちょっと!」
「僕だけなんですね!?」
血走った目を見せる男をマジマジと見つめる。
「え?」
「本当に僕以外の男はダメなんですね?」
「あ………うん。たぶん。」
「‘多分’なんて許しません!絶対と答えなさい。」
あまりの迫力に悠理はコクコクと頷くほかない。
こんなにもギラギラとした様子の清四郎は初めてだ。
「ぜ、ぜったい。」
「あぁ・・・悠理。」
その言葉を聞いた清四郎の体を、まるで蒸気のような快感が駆け巡る。
恋をした男を満たした歓喜は、あまりにも深く果てしない・・・・・・
悠理は恍惚とした表情を見せる清四郎をつぶさに見守った。
「お、おまえはあたいのこと……本気で、その………好きなのか?悪戯とかじゃなく?」
「ふ。今から、思い知らせてやりましょう。嫌というほどね。」
途端に嫌な予感を感じ、握りしめていたチョココロネを清四郎の目の前に差し出す。
「駄目!!あたい、今すんごく腹が減ってるんだ。」
「おや、僕が何をするか理解しているんですか?」
「・・・・・・・どうせ、エッチなことだろ?」
清四郎の顔にはありありと描かれている。
「その通りですよ。」
「開き直んな!」
「じゃあ、食べながらでも良いです。僕もこっちをたっぷりと頂きますから。」
そろりと脚を撫でられ、悠理は喚く。
「あほーーー!何考えてんだ!!」
「だからエッチな事ですってば!」
開き直った清四郎は怖い物無しだった。
渾身の叫びも虚しく、悠理はパンを咥えながら、結局は食べ尽くされてしまう。
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「驚くほど美味ですね。なるほど、これは嵌まる気持ちも解るな。」
「な・・・何に?」
「お代りしてもいいですか?」
「!!!」
ようやく年相応の恋を手に入れた男は、その日から毎日のように悠理を求め、愛したそうな。
もちろんピロートークを惜しまずに・・・・。