※悠理視点
「ほら、これ。」
「何?」
「パリの小売業者が誤発注で在庫抱えて困ってたから、少し引き取ってきたんだ。会社の女子社員にも配るつもりなんだが、悠理も使うか?」
「へぇ。これって、ボディソープ?」
「ああ。割と人気らしいけど、僕にはさっぱり分からないな。おまえが要らないのなら、可憐ちゃんにでもあげればいいさ。」
そう言って兄貴から手渡された白いポンプのそれを、早速その夜に使ってみたところ、泡立ちも良く、香りも気に入ったので、無くなるまで使い続けることにした。
母ちゃんが選んでくる物よりも爽やかな感じがする。
ベッドに横たわってから眠るまでの時間が、短くなった気も───
こういうの…………なんて言うんだろ?
薔薇のようで薔薇じゃない。
ちょっと清々しい匂い。
あいつなら知ってるかな?
犬よりも鼻が効きそうな、あの男なら。
香りが変わると、朝のシャワーも何となく気分が良い。
全身に使えると、兄ちゃんから聞いたから、髪も全部これ一本。
楽ちん楽ちん。
クセっ毛も心なしかしっとり落ち着くような気がする。
とはいえ、昼になれば元通りなんだけどな。
可憐はいつもお気に入りの香水をつけていて、野梨子は花のようなお香の香り。
男のくせにいい香りがする美童はフランス産のオーデコロンだ。
魅録は言うに及ばずタバコ!
中学ん頃からずっと変わんないマルボロの匂い。
清四郎は…………石鹸?かな。
それとも柔軟剤?
夏場でもちっとも汗くさくなくて、糊の利いたシャツの匂いがしてる。
あいつらしい、清潔な匂いだと思う───
・
・
「あら。ディオールの新作が出たのね。誰かプレゼントしてくれないかしら。」
放課後の部室。
雑誌を捲りながら、独り言のように呟く可憐。
大方、化粧品かなんかだろう。
いつも取り巻きの男から貢がれているくせに、まだ足りないのか。
「可憐。帰りにデパートでも寄ってみませんこと?」
「そうねぇ。香水もそろそろ切れる頃だし………買いに行こうかしら。」
二人が和気藹々と放課後の予定を立てていると、恋人へのプレゼントを考えていた美童が「僕も一緒するよ」と口を挟んだ。
相変わらずマメな男。
どんだけ貢いでも、向こうにとっちゃ遊び相手でしかないのに………。
「悠理。今日の夜、族の飲み会あるけどどーする?」
「え?飲み会!?」
行く行く!といつもの調子で言いたかったのに、何故か喉に小骨が引っかかったような感じがして、口を蓋した。
「おい?」
「あ………うーん、今日は止めとく。」
「へぇ。珍しいこともあるもんだ。ま、気が変わったら途中からでも来いよ。」
「………うん。」
魅録がそそくさと部室から消えれば、後の三人も後を追いかけるように出て行った。
そうなると当然二人きり。
とはいえ清四郎とあたいじゃ会話が続くはずもなく、しょうがないからお菓子を口に運ぶ。
差し入れの煎餅を。
バリ、ポリ、パキン
静けさの中に響く間抜けな音。
何か話しかけて欲しいと思いつつも、勉強や成績のことはヤだなぁと気が沈む。
チラと横目で清四郎の顔を見れば、まじめな顔でパソコンを叩いていて、こちらに興味がないのは明白だった。
────やっぱ魅録と帰れば良かった、かも。
何とも言えない気持ちになるが、冷蔵庫にあるプリンを思い出し、立ち上がる。
清四郎の横を通り抜け、小さなキッチンへ。
────これ、食ったら帰ろ。あ、そーだ。この際、可憐が隠してるクッキーも食っちゃおっかな。
不満を食欲で解消しようとするのは昔からの“くせ”だ。
いくら暇だからって、清四郎に構ってほしいなんて言えるはずもないし、そんなの自分から『あたいはペットです!』って言ってるようなもんだろ?
あーやだやだ。
今日のあたい、やっぱり変だ。
なんとなくモヤモヤしながらソファに戻り、もそもそと口を動かしていると、いつの間にか清四郎が背後に立っていた。
「悠理。」
「ん?」
「最近………良い香りがしますね。ボディソープでも変えましたか?」
「え!?か、香り?」
やっぱ気付いてたのか!
まあ鼻の利く男だし、当然っちゃ当然。
こうやって反応されるのも悪くないな、うん。
「………以前は柑橘系だったでしょう?今は…………そうだな。ローズゼラニウム?」
「ローズ、ゼラニウム?………よくわかんない。でも、兄ちゃんのヨーロッパ土産だから、使ってるだけ。」
「良く似合ってますよ。」
柄でもない台詞を言いながら、なんでか首に近付いてくる。
────え?え?ナニゴト!!?近いよ、近すぎる!
スーーーッて分かりやすい音を立てて、匂いを嗅ぐ清四郎。
そんな奴の行動にこっちはプチパニックだ。
「な、なんだよ。いきなり………」
どもりながら尋ねれば、
「人には合う香りとそうでないものがありますからね。体臭にマッチした香りを使うのは大切です。」
いつものように冷静な答えが返ってくる。
ちぇ。少しは惑わされろよな。
「それって………あたいにはこれが合ってるってこと?」
さらに続く蘊蓄と、デリカシーの無い発言。
清四郎め…………ちょっとは美童を見習った方がいいぞ。
「悠理…………」
体温を感じるほど近くにいて、奴に名前を呼ばれれば、ドキドキしてしまうのはなんでだ?
魅録ならちっともそんなことないのに。
一体、どこが違うってんだ?
「な、なに?なんか今日のおまえ………変だよ!」
照れ隠しに喚くしかなくて、少し距離を開けようと離れるけど、清四郎は追うように身を寄せてくる。
なんだなんだ?
この、あたいたちらしくもない雰囲気は!?
すると奴の長い指が、おもむろに髪の毛を梳き始めた。
優しく、丁寧に────
それはタマやフクを撫でるような感覚で。
やっぱ、清四郎にとってあたいは“ペット”なのかな?
大食らいで下品で、迷惑をかけまくる動物。
人間扱いなんて、ろくにされたことがない。
「僕にとっておまえは可愛いペットです。多少金はかかりますがね。」
あ、やっぱりね。
その言葉を聞いて、何故か悔しくて、悲しくて、もどかしい苛立ちに攻撃性が高まる。
「ペットなんかじゃ───ヤダ!」
気付けば本音がポロリ、零れ出ていた。
ペットなんかじゃヤだ────
ペットなんかじゃ我慢できない!
からかわれるだけの存在なんて…………無理だよ。
「そう?………なら何がいい?」
それじゃ一体、何がいいんだろう。
清四郎の何になりたいんだろう?
頭を捻って考える。
のぞき込む男の顔はご機嫌で、自分でも気付いてない答えを見透かされてるようで悔しかった。
「…………悠理。僕の“何”になりたい?」
駄目押しのヒトコト。
ようやく解った一つの答え。
くそ!…………こんなの狡くないか?
火照った顔がどんどん熱を持つ。
涙目になりながらも清四郎の視線から逃げられない。
見えない檻に囚われた猿のようで、やっぱり“ペット”がお似合いなんじゃ?と思ってしまう。
でも…………
でも…………
今しかないよな?
甘く澄んだ香りに背中を押され、口から飛び出した言葉は、奴を確保するための必殺法。
「“世界で一番好きな女”───になりたい!」
そう。
世界一じゃなきゃダメだ。
ただの恋人なんて不確かなもんにはなりたくないかんな!
空まで突き抜けたような笑顔の後、清四郎はあたいを強く抱きしめた。
「いいでしょう。…………その答えが欲しかった。」
混ざり合う香りは極上のそれ。
悦びが駆け上がる中、あたいの胸はようやく落ち着きを取り戻した。