────ちぇ。このパーティはハズレだな。
立食パーティとは名ばかりで、腹の足しにもならないカナッペや、見た目だけ綺麗なサラダばかり。
唯一、豊富に揃えられたワインも大して美味くはなく、悠理の顔は静かに曇っていった。
ケチで有名な某企業の親善パーティ。
夫の付き添いでやって来た為、いつもの調子で食べまくるわけにもいかない。
周りには当然知られている顔だが、こっちは全くと言っていいほど知り合いがおらず、悠理は手持ち無沙汰でグラスを舐めるしかなかった。
───はぁ~あ。あいつはあいつでどっか行っちゃうし。詰まんない。
ラグジュアリーな外資系ホテルで行われている為、居心地は悪くない。
しかし何よりも期待した食事は最低限のもので、悠理が不機嫌になるのも当然である。
────帰りたいけど、帰れない。
夫婦で公の場に出るようになって三年の月日が経つ。
大学在籍中に婚約し、卒業と共に結婚。
学生の間に恐ろしいまでの実力をつけた男は、剣菱の後継者候補としてその頭角をメキメキと現していった。
今や押しも押されもせぬヤングエグゼクティブ。
凛々しい容貌と切れのあるトークで、連日メディアに引っ張りだこ。
昨年に至っては、アメリカ経済誌のトップを飾るまでとなっていた。
明日は珍しく休日の清四郎。
「どうせ飲むんでしょう?部屋を取っておきましたから、気兼ねせず楽しんでくださいね。」と言い残し、名も知らぬおっさんどもの間へ消えてゆく。
その後ろ姿は自信に満ち溢れていて、思わず見惚れてしまうほどだ。
────無駄に色気付きやがって。
学生時代よりよほど肩幅が大きくなった夫に、悠理はすっかり勝利を諦めることにした。
意地やプライドが無駄だと思わせるほどの鍛え方をした男。
悠理はそんな男に惚れてしまい、女となった。
それは悔しくもあったけれど、何故か納得させられる部分も多くて、今は彼の懐に収まっていることが幸せに直結している。
好きで、好きで───毎日その想いがふくらみ続けている不思議。
出掛ける時、すがりつきたくなるような切なさがこみ上げ、それを口にする代わり、キスを強請る。
清四郎は直ぐに応えてくれるけれど、きっと悠理の本心には気づいていないはず。
頭の中は仕事だらけ。
“一日24hじゃ足りない”と言い切るほど、彼は忙しかった。
────今日は久々に二人でゆっくり出来るかも。
そう思いやって来たが、どうやら難しそうだ。
清四郎に群がる男たちは、少しでも有益な情報を聞き出そうと躍起になっていて、おそらくはこの後、上のラウンジに場所を変え、夜通し話すつもりだろう。
スイートルームで一人寝する自分を想像し、悠理は背中を震わせる。
そんな目に遭うのなら、自宅の寝室の方がよほどマシだ。
────やっぱ、名輪呼んで帰ろ。
そう決断し、夫へ一言告げるべく足を踏み出す。
しかし向かった先で見たものは、男たちを取り囲むよう集まる、煌びやかに着飾った女たち。
どの女も清四郎へのあからさまな視線を隠そうとしない。
じっとりと媚びた目が胸焼けするほど気持ち悪かった。
だが、こんな光景は日常茶飯事。
清四郎が男女問わずモテることを、悠理は大昔から知っている。
そして、他との間に張り巡らせたバリアをけして崩そうとしないことも、知っているのだ。
そのピリッとした空気感へ踏み込んでいく輩は少ない。
たまに命知らずな奴もいるが、手酷いしっぺ返しをされ意気消沈。
そつのない笑顔ながらもその防御壁は厚く、限られた人間しか“素”の彼を知ることは出来ない。
悠理は空のワイングラスをボーイに渡し、その輪の中へ踏み込んでゆく。
自身では頓着していないが、悠理はこの年になって、恐ろしいまでの色気を放つようになっていた。
男たちが振り返る。
女たちが目を瞠る。
細い首にかかる柔らかな髪が、嗅いだことのない高貴な匂いを纏わせている。
「清四郎。」
「悠理?」
「あたい、やっぱ帰るよ。ゆっくり楽しんできて。」
「え!?」
「大丈夫、真っ直ぐ帰るからさ。」
ヒラヒラと手を翳し、踵を返す悠理。
にこやかに談笑していた清四郎の顔色が、一瞬にして曇る。
そして───
呼び止める多くの客達を振り切るように、彼は妻の後を追いかけた。
足早に、残る人々への謝罪もなく、ただひたすらに妻を追う。
「悠理!」
「なに?」
「部屋にいきましょう。」
「いや、でも………」
「いいんです。行きましょう。」
ロビーを横切り、スイート専用エレベーターに乗った瞬間、清四郎は苛立つようにネクタイを緩めた。
その行為があまりにも荒々しくて、悠理は怯え、肩を竦める。
「な、なんだよ?」
「見ましたか?彼らの顔。全員がおまえに釘付けだ。」
「は?」
「僕がどれだけ輪の中心にいても無駄なんですよね。おまえの魅力には………勝てない。」
「な、何言ってんだよ。あんだけ女に注目されといて!おまえなんて美童顔負けの女誑しじゃんか!」
自虐的に呟く夫など、見たことがない。
悠理はこわばったその横顔にじれったさを感じ、強く詰った。
しかし清四郎は表情を変えず、ゆっくりと見下ろしてくる。
酷薄な笑みすら浮かべて。
「人誑しはどっちだ?男女関係なく惹き付けて、骨抜きにしているのはおまえだろう?」
「な、なら、こんなとこ連れてこなきゃいいじゃん!」
「それは無理です。剣菱は家族経営で成り立ってる。──夫婦仲が悪いなんて噂、立てられたくはない。それに………」
「それに?」
一瞬の間。
その僅かな時間で、清四郎はいつもの優しい夫へと戻る。
「自慢したい気持ちもあるんですよ。とびっきりの美人を妻に持つ男は、どんなステイタスより羨ましがられますから。」
「はぁ??」
「そんなもんです………僕なんて。」
ちょっとだけ照れた顔は、いつものクールなビジネスマンとはほど遠い。
悠理は思わず吹き出し、その逞しい腕にしがみついた。
「それって、ジレンマ?」
「え、ええ。確かにジレンマです。」
「…………可愛い奴!」
最上階に到着したエレベーターの中で、二人は待ちきれないとばかりにキスを交わす。
夫のこんな一面を知り、あれだけ不満だったパーティも悪くなかったと思えるから不思議だ。
「ドレス、似合ってますよ。」
「ふふ………おまえの為だかんな。」
結婚して三年。
互いの全てを知るには、まだまだ時間がかかりそうだ。