悠理は寝室のベランダに立ち、夜空を見上げている。
星の美しさはここからでも充分確認できるが、展望台の方がより鮮明に見えることだろう。
今頃、二人はどんな会話をしているのか。気にならないと言えばウソになる 。
悠理は先ほど可憐に尋ねられたことを、苦い思いと共に思い出していた。
自分は清四郎のことをどう思っているのか。
もちろん友達として信頼している。それは間違いない事実だ。
では男としてどう思っているのか。
心の鍵を取り払えばどんな結果が待っているか、予想はついた。
だからこそ鍵をかけたままでいる。
悠理は清四郎へ心を投げ出せない。
好きだからこそ、貴重な友人を失いたくないのだ。
だいたい……彼の想いが永遠だと、どうやったら信じられる?
剣菱万作が母にしたように、土下座で懇願されれば、気持ちは揺らぐのだろうか?
かといってそんな姿はさすがに見たくない。
ただ………清四郎の本心が知りたいだけ。噓偽りない、そのまんまの心を教えてほしいだけ。
「あたいも厄介な女だよな……」
真結が登場してからというもの、悠理の心は毎日のように波立つ。
若くて可愛い頭脳明晰な少女。
野梨子よりも柔軟で、
野梨子よりも積極的で、
野梨子よりも色気があって………
何よりも一途な少女だ。
生まれてこの方ずっと清四郎の側にいた野梨子が魅録と結ばれ、彼の隣は空席。
もしそこへ真結が滑り込んできたら……それは誰が見てもお似合いと言うほかないだろう。
年頃の男なんて簡単に絆される。
体当たりで告白されたら、清四郎だってきっと………彼の気持ちが永遠のものだなんて信じられるはずがない。
「だいたい、マジであたいが好きなら、さっさとアプローチしてこいよ。わかんにくいんだよ!ったく!」
「では、そうさせてもらいます。」
空耳かと思いきや、いつの間にか寝室に立つ黒髪の青年。
あまりの驚きに悠理の心臓は鷲掴みにされ、数秒息が止まった。
「せ、清四郎?………なんでここに………」
「そろそろ決着をつけたくてね。おあつらえ向きにロマンチックな夜空まで広がっている。」
「あの子はどうしたんだよ?」
「美童にバトンタッチしてきました。失恋の傷は彼のような人間が癒すに限るでしょう?」
長い脚で数歩歩けば、悠理が立つベランダに辿りつくはずだ。
しかし清四郎はこの距離を保ったまま、呼吸を整えた。
その改まった態度は緊張感を与える。
「悠理、聞いてください。」
「な、何?」
「今から伝えることに嘘偽りはありません。それだけは信じてください。」
真っ直ぐな目に宿る心からの懇願。
悠理はごくりと喉を鳴らし、彼の目を見つめ続けた。
迫りくる歴史的瞬間。
鼓動は否が応でも高まる。
「わぁった………」
「僕は、おまえに恋をしています。馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、初めて会ったあの時からずっと。」
「よ、幼稚舎の?」
「ええ。プライドが邪魔してなかなか認めたくなかった。でも………」
「でも?」
自分の恥部を曝すことはさすがに気恥ずかしいと見える。
清四郎はほんの少し目を伏せた。
「結局、自分の想いに目を背けることは出来ないと悟ったんです。僕は悠理が好きで好きで仕方ないんだと……気付いたんです。」
一気に言い終えた後、清四郎は深く息を吐く。
けたたましい心音が耳の側で鳴り響くが、彼の胸は今、爽快感に満たされていた。
ようやく吐き出せた想い。
頭が真っ白になり、大量の酸素が吸い込まれていく。
縛られていた何かから解放されたのか、ようやく本来の自分を取り戻せたようだ。
「あたいを………好きだっていうんだな?」
「はい。」
悠理の反応はごくごく普通だった。
「おまえはあたいの性格、知ってるだろう?」
「おおよそは。」
その言葉の意味するところは清四郎とて分かっている。
「あたいは母ちゃん似だ。」
「ええ‥‥」
「浮気はもちろん、他の女に気持ちが移るなんてことも許せない。もし、そんなことになれば………」
背中を向けた悠理がバツが悪そうに息を吐く。
「地獄の果てまでおまえを追いかけちゃうかもしんない。……あたいはしつこいかんな。」
「望むところです。」
清四郎が残された数歩を踏み出すと同時、悠理もまた恐る恐る振り返った。
勢いのままに抱き寄せられ、彼の香りを鼻いっぱいに吸い込めば、凪いだ海風のように心地よかった。
この距離を許せるのは清四郎だけ。
過去、彼に包まれ慰められたことは数多くあり、そのたびに悠理の心は癒されてきた。
清四郎の胸だけが、悠理の拠り所なのだ。
「か、カノジョになるんだから、優しくしろよ?」
「ええ。」
「あたいはヤキモチ焼きだから変なことすんなよ?」
「問題ありません。」
「それと………」
腕の中からそっと見上げれば、清四郎の嬉しそうな表情と行き当たる。
「あたいも清四郎が好きだ……」
「!!!」
「…………と思う。」
断言出来ないのは目覚めたばかりだから。清四郎の想いを受け取り、ようやく自分が彼を大切にしていると気付いたのだ。
恋はここから……
花のように膨らむのもここからが本番。
「今はそれで充分です………悠理、ありがとう。」
二人の上に煌めく星空。
この上なくロマンチックなシチュエーションで、悠理はようやく胸の中の蟠りを消すことが出来た。
あの後、バトンタッチした美童は上手く慰めたらしい。
翌朝の真結はさほど傷ついた様子もなく、淡々と朝食を食べていた。
心の整理はついたのだろうか。
清四郎はチラっと視線を配るもこちらを向くこともなく、淹れたてのコナコーヒーを静かに飲み続けている。
「今日も暑いわねぇ。そうだ!悠理、このあと買い物に行かない?」
「別にいいけど。」
「可憐、済みませんが、僕と約束があるんですよ。」
「あ、あらそう。じゃあ仕方ないわね。真結ちゃん、一緒に行こうか?」
明らかに以前と違う雰囲気の二人を気遣って、可憐は真結を誘った。
「いえ、結構です。帰りのフライトを予約したので。」
「え??」
6人は驚く。
しかしその理由が清四郎にあることはそこにいる全員が解っていた。
「清四郎君、真結を空港まで送ってくれる?」
これが最後だから、と声に出さなくとも清四郎には伝わった。
「……分かりました。何時のフライトです?」
「10時半………」
「OK。朝食の後、支度をしてください。魅録、車を借りていいですか?」
「ああ、いいぜ。」
そんなやり取りを悠理だけは憮然と眺めている。
芽生えたばかりとはいえ、自分の恋人の位置に収まった男だ。
真結と二人きりになる清四郎など想像もしたくない。
ありもしない妄想が胸を締め付け、悠理は憤りを感じ始めた。
ギリッと奥歯を噛みしめ、真結を見つめると、その視線に気づいた少女は、怯えることもたじろぐこともなく、悠理を見据えた。
それが合図だったのかもしれない。
同じ男を想う女の闘いのゴング。
「清四郎!」
悠理は椅子から立ち上がると、バンっとテーブルを叩いた。
「もし、おまえがその子を送ってくっていうなら、昨夜の話は無しだ。」
自分でも驚くほど大声が出たが、そんな事はどうでもいい。真結との決別を今、ここで、はっきりと示してほしい。
それこそが悠理の心の叫びだった。
「……わかりました。言うとおりにしましょう。──ということで美童、よろしくお願いしますね。」
「え?また……僕?」
眉をへの字に変える金髪の王子様。可憐と魅録、そして野梨子はポカンと口を開けている。
一体今のやり取りにどういう意味が含まれているのか。皆目見当もつかない。
そんな間抜け面を晒す仲間たちに、清四郎はようやく正解を与えた。
「恋人の願いは聞き入れなくては、ね。」
片目を瞑るその姿。
4人は呆気にとられつつもようやく理解できたのか、恐る恐る真結を振り返った。
肩を震わせ、屈辱に耐えているのだろう。しかしその両目からは今にも涙が溢れそうになっている。
「そういうことです。」
最終通告を告げられた後、真結は唇を噛みしめ、清四郎を睨んだ。
「絶対に……絶対に後悔するから!真結の方がいい女になるって決まってるんだから!そのときになって惜しくなっても、知らないからね!!」
子供っぽい反撃。
しかし清四郎は何も答えず、うっすらと微笑む。
それでいい。
この経験を糧に成長すればいい。
いつか彼女も気付くことだろう。
これが本当の恋ではなかったことを。
美童が促し、真結は退場する。幼き頃から想い続けてきた積年の恋にさよならして。
「悠理、あんた………とうとう答えを出したのね。」
「ま、まあ………そういうことかな?」
「清四郎ったら、いつの間に………」
「野梨子は魅録との恋に忙しかったでしょう?タイミングがなかったんですよ。」
「清四郎……ほんとにいいのかよ。こんなじゃじゃ馬で。」
「そうですね………乗りこなすのも一つの楽しみってことで。」
小さな嫉妬、大きな喜び。
悠理は清四郎の即断に満足し、敗者の後ろ姿にほんの少しだけ罪悪感をおぼえた。
(ごめんな。でもあたいだって譲れない。清四郎は他には居ない男だから。)
「さて、悠理。今日はパラセーリングでもしましょうか。」
「え!?予約したの?」
「もちろん、昨夜の内に。」
「清四郎ちゃん、さいっこう!!!」
恋人の曇りなき笑顔を見て、清四郎はようやく心の底からハワイを楽しむ準備が整った。
夏はこれからが本番!
青い空
青い海
青い春
そして、何よりも楽しい恋が始まる!
(終)
~後日談~
失恋したての真結はしばらく臥せっていたものの、半年も経たずして学園で知り合った一人の男子生徒と運命的な恋に落ちる。
次期生徒会長に選出された彼は、どことなく清四郎に似ていて、潔癖な雰囲気を持つ青年だった。
違いといえば、真結に首ったけというところだろう。
高校生らしく距離を縮めた二人は、大学へ進学する前に婚約を決め、聖プレジデント学園のおしどりカップルと呼ばれるようになる。
そして青い夏の日──
真っ白な教会で誓いを立てる彼らを、有閑倶楽部の面々は心から祝福したそうな。