それは彼らが仲良くなる少し前のこと──
中学3年生……本来、受験勉強に邁進している時期なのだが、聖プレジデント学園に通う生徒にそんな焦りは見当たらない。ほとんど学生が幼稚舎からのエスカレーターに乗り込み、おそらくは大学部までその箱から降りることはないだろう。
剣菱悠理もその内の一人で、両親の温かな庇護の下、学園の一員となった。
娘の気性を嫌と言うほど理解している彼らは事あるごとに寄付金を積み、娘が不自由の無いよう気を配ってきた。
お陰で些細な(?)トラブル……主に喧嘩は、教師たちのはからいによって、うまい具合にもみ消されてきたのだ。
そんな環境で育ち続けた彼女が、我儘でないはずがない。
とはいえ……それなりの教育を受けているのだから、生意気であれ傍若無人であれ、人を無意味に傷つけるようなことはなく、一部のクラスメイトたち(女子)からは慕われていた。
行動こそ伴っていないが、見た目は麗人の域である。白い制服を着こなすスタイリッシュな彼女に、今日も黄色い歓声がかけられている。
「悠理!この間はありがとう!」
「かっこよかったーー!その辺の男子より頼りになったよ!」
金持ち学校のシンボルともいえる制服で、街の徘徊は至極危険である。
土曜の午後、本屋を目指していた彼女たち。突如現れたナンパ師の執拗な誘いに困惑し、なんとか振り切ったものの、今度は三人組の男達に財布の中身を出せと言われる、危機的状況に陥っていた。
通りを歩く男たちは見て見ぬふりをするだけ。
そこで救世主となったのが悠理だった。風のように現れ、雷のごとく怒り、繰り出される見事な蹴りは悪漢どもを地面に伏せさせた。
その後、三人は謝罪し、許してくれと懇願する。顔の知れた剣菱悠理に歯向かおうなどと、思えるはずもなかったのだ。
「ねぇ、今日は一緒にカフェしよう?」
「御礼も兼ねて、何でも奢っちゃう。」
彼女たちの誘いを断る理由などない。
「何でも!?行く行く!!」
悠理は飛び跳ねて喜んだ。
授業が終わり、皆仲良く目指す先は、最近オープンしたばかりのアメリカンカフェだった。プレジデントの生徒はあまり立ち寄らない場所だが、密かに気になっている女生徒は多かったらしい。店内はまさにアメリカ!といった内装で、大きな星条旗が掲げられている。テーブルも広く、ソファ席は六人ほど座れるようになっていた。
カウガールを彷彿とさせるスタッフの制服はとにかく可愛い。採用の条件はとにかくスタイルなのだろう。青と赤のジャケットに包まれた豊満なボディ、長い脚をより魅力的に見せるミニ丈スカート、首元の細いリボンチョーカーはあざとさを感じるほどキュートなアイテムだった。
「スペシャルバーガー3つ!あ、ポテト増やしてくれる?あとイチゴシェイクも特大で!」
悠理にとってこの店の内観や制服などどうでもいいこと。メニューにじっくり目を通し、誰よりも先に注文した。ちなみに他の皆は飲み物だけである。
「にしても、悠理ってかっこいいよねぇ……。」
「ほんとほんと。クラスの男子なんて子どもにしか見えないもん。」
思春期真っ盛りの女子達。本来なら真っ当な恋バナをしている年頃だが、適当な相手が見当たらず、結局無害な悠理を引き合いに出すしかない。
「菊正宗くんもかっこいいけど……ほら、白鹿さんがくっついてるから。」
「そうそう!あの二人は鉄板だよねぇ。さすがに割り込めないっていうか……。」
「白鹿さんって中等部に上がってから、毎日のようにラブレターもらってるんでしょ?男子はライバルが菊正宗くんだって分かんないのかしら〜。」
『愚かよねぇ』と笑う彼女たちもまた、”菊正宗清四郎“を狙ったりしない。それこそ現代の大和撫子相手に勝ち目はないからだ。
「私は悠理のほうが美人だと思うけど?」
そんなお世辞を言われたとて、嬉しくもなんともない。美人であろうがなかろうが、中学生活に支障はないわけだし、たとえ顔に傷をつけても、頓着しない性格の持ち主だ。
悪友の魅録に至っては、男に化けさせ、ナンパ要員にしてくる始末。悠理は自分の外見がどう評価されてるかなんて、本当にどうでもよかったのだ。
「あら?もしかして……生徒会長じゃない?」
一人の女子が指をさしそう告げると、全員が一斉に窓の外へ視線を移した。
なんだかんだで気になるのだろう。嬉々として目を輝かせている。
「あ〜、やっぱり白鹿さんと一緒ね。」
「相変わらず仲良しだわぁ〜。」
「まだ付き合ってないってほんとかしら……。うちの学園、男女交際に関してはそこまで厳しくないと思うんだけど。」
「何言ってんのよ。あの子、本物のお嬢様だもん……。きっと体裁が悪いんじゃない?」
そんな雑談を聞き流していると、悠理が注文したメニューが続々と運ばれてきた。
「いっただきまーす!!」
たっぷりのレタスに真っ赤なトマト、ジューシーなパテ。
すべてが完璧で旨そうなハンバーガーだったが、悠理はそれらを口に含む前、皆が眺めている方へそれとなく目を向ける。
そこにはいつもと同じ、お雛様とお内裏様のような二人が寄り添っていて、強い風に髪が乱れる野梨子を気遣う姿も。
(ふん……珍しくもなんともないや。あいつらは金魚のフンだかんな。どこへ行くにも一緒なんだろ。)
胸の内で憎まれ口を叩き、念願のハンバーガーにかぶりつく。それは想像より遥かに美味しく、焼きめのついた香ばしいパテが絶品だった。ソースもピリッと刺激的で好みである。
「んまい!」
思わず声をあげるも、皆は清四郎達を肴に、お喋りの真っ最中。
(何がそんなに楽しいんだか…)
再びチラと見れば、偶然だろうか、清四郎がこちらに気付き、にっこり微笑んだ。
色めき立つ女子たち。何故か手を振る者すらいる。
(なんだ……この空気は……)
構わず大口を開け、二口目を噛じる悠理。口の周りがソースだらけになろうと、彼女は気にしたりしない。
しかし清四郎はそんな野生児を面白そうに見つめ、あろうことかカフェの窓まで近付いて来るではないか。
「え、え!?」
「なに!?どーしたの!?」
意味もわからず喜ぶ女子たち。悠理はその黄色い声に辟易していた。
(ちぇ、折角のバーガーが不味くなる)
辿り着いた清四郎はガラス越しに悠理を指差すと、次に自分の口をトントンと叩き、合図を送る。
「あ?なんだよ……」
「きゃ!悠理ったら……口のまわり、ベタベタじゃない。」
「ほんと!」
「もう!女の子なのに!」
隣の女子が甲斐甲斐しくお手拭きを差し出し、世話を焼く。
「サンキュ……」
「それにしても菊正宗くんって、目がいいのねぇ。」
「わざわざ知らせにきてくれるなんて、優しいわー!」
そんなことより悠理は恐ろしかった。清四郎から少し離れた場所に佇む野梨子の視線が、槍のように突き刺さってくるからだ。
「ケッ!お節介め。」と吐き捨てるも、真面目な生徒会長はにっこり笑顔で立ち去ってゆく。
そして野梨子と再び合流し、肩を揃えて街の中へと消えていった。
「ごっそさん!」
ペロッと平らげた悠理を除き、かしましい女子たちはまだ清四郎の話を続けている。
「あたい帰るよ。ほんと奢りでいいの?」
「もちろん。」
「もう帰っちゃうの?」
「残念……!悠理またね!」
彼女たちの側にいたら、嫌な情報ばかり耳に届く。これ以上は堪えられない。
「はぁ……大人しく帰るか。」
しかし……
「よぉ!暇そうだな。」
店を出て数メートルのところで、バイクに乗った魅録に声をかけられた。
「魅録!ナイスタイミング!」
「乗るか?」
「決まってらい!」
真っ白な制服で躊躇なく跨がり、彼に貰ったヘルメットを被る。轟音をたて走り出すと、それはもう気持ちいい風が体全体を通り抜け、さっきまでの不快な気持ちは流れ去っていった。
「………金魚の糞、か。」
目を瞑れば、まぶたに浮かぶ二人の姿。因縁の相手と認識してきたその片割れが気になり始めたのはいつのことだったか。
それは──
彼の背が高くなり、
肩幅が広くなり、
喉仏が見え始めた頃……
急な雨に降られ、ゲームセンターからタクシー乗り場までダッシュしようと覚悟を決めていた時、どこからともなく現れた菊正宗清四郎が傘を差し出したのだ。
「い、いらねぇよ。」
「あげるとは言ってないけど?貸すだけです。」
半ば強引に押し付けられた黒くて大きな傘。持ち手には律儀に『菊正宗』と書かれてあり、ヤツの手の温もりが伝わってきた。
当の本人は雨の中を走り去り、すっかり見えなくなっている。
あの時感じたむず痒い思い。
彼から与えられた不意の優しさに悠理の心は揺れた。
「あちゃぁ……雨降ってきたなぁ。」
ヘルメットにパラパラと音を立てて当たる雨粒。制服もまた小さな雨染みを作っていく。
大通りを曲がろうとしたところで、相合い傘をさす二人の男女を見つけ、悠理は息をのんだ。
可愛らしいピンクの小さな雨傘。
寄り添うように歩く彼らを横目に、グッと唇を噛む。
「けっ!傘くらい持っとけよ。」
またしてもこみ上げてくる不快感。その正体を突き止めることなく、煙草臭い背中にしがみつく。
今はここがいい。
どこよりも自分らしく居れる場所。
何も考えず、楽な呼吸をして、楽しむだけの場所。
「悠理!ひとまず俺ん家で雨宿りしてくか?」
「もっちろん!」
悠理はそう答え、一度だけ背後を振り返る。
どんどん離れていく二人。
しかし片方の男は真っ直ぐにこちらを見つめていた。
(…………バーカ。お似合いだよ、おまえら)
そんな昔の苦い思い出。
彼らの距離はまだ遠い。