母と子(小話1)

「ねぇー!お腹空いたよ、ママ。」

「ん~?何時だ?………てか、二時じゃん。さっき飯食ったばっかだろ?」

「おやつ欲しい……」

「はぁ………悠馬はあたいに似ちゃったからなぁ。」

いつもの内線電話を手にしながら、自分もまた何が食べたいかを考える悠理。
子供を産む前より少なくなったものの、やはり人よりは旺盛な食欲を見せつける彼女は、四歳になったばかりの息子の食い意地を溜息で受け止める。

朝、昼、晩………しっかり食べさせているはずなのに、なぜこうも要求してくるのか。
自分の血を確実に継いだ我が子だからこそ、納得も出来るのだが………

「パンケーキ……そう、フルーツと生クリームたっぷりで。あ、マンゴーは絶対に添えてくれ。悠馬のイチゴミルクも一緒に。」

そう伝え終え、受話器を置くと、ソファに転がっていた息子は嬉々として母親に抱きついてきた。

「やったぁ!パンケーキ、大好き!!」

「いいか?清四郎には内緒だぞ?間食させすぎだって怒られるのはあたいなんだからな。」

「うん!」

返事だけは◎。
我が侭を通す性格もまた、悠理に似たのだろう。
サラサラの前髪を掻き上げ、おでこ同士をくっつけると、悠馬は愛らしい笑顔で応えてきた。
溢れんばかりの愛嬌は五代をはじめ、メイド達の心を虜にして止まない。

清四郎と悠理。
二人の遺伝子を継ぐ彼は、遠い将来、日本有数の剣菱財閥を担わなくてはならない運命の下にいた。
現在、会長補佐という立場に立つ清四郎は、幼い我が子に英才教育を与えようとしているが、いかんせん悠理がそれを拒否。
生きる知恵や精神力、そしてどんな時でも困らない体力を重視する為、夫の教育方針とは真っ向からぶつかってしまう。
夫婦喧嘩の原因の多くは、初めての子育てについてであった。

とはいえ、清四郎自身も勉強だけでは役に立たないことを経験上知っている。
忙しいさなか、道場に通い続ける彼は、時折悠馬を連れ、昔の自分と同じように心身の鍛練を積ませていた。
精神を鍛える事がどれほど大切か、身に沁みて解っているからだ。
もちろん男のプライドを守るためでもある。

「あ、こら!マンゴーはあたいんだぞ!」

「じゃ、半分こ?」

「…………わあったよ。半分こな。」

たとえ実父(万作)であれ、食べ物に関しては一歩も譲らない態度を見せていた悠理。
しかし人の親になってからというもの、随分とその勢いを落とした。
悠馬の愛くるしい瞳と、首を傾げたおねだりがそうさせるのか。
育つ母性に引きずられるかのように、彼の我侭を許容する。

「パパにもあげる?」

とはいえ息子は厳しい父に対する愛情も深い。
最後の一切れを食い入るように見つめながらも、我慢するその姿勢に、悠理は思わず吹き出してしまった。

「いいよ。悠馬が食え。だいたい清四郎はマンゴーよりメロンが好きだかんな。」

「そなの?」

「そ。」

可愛い息子の幼い気遣い。
誰にでも気に入られる要素はここにあるのだろう、と母は確信する。
清四郎もまた、厳しいながらも悠馬のあどけない可愛さを慈しんでいるのだ。

「でもさ、もしメロンがなくても、パパはママからのキスだけで大喜びだよね?」

「あ、あほ!なに言ってんだ!マセガキ!」

誰の入れ知恵なのか、悠馬は時々大人びた事を言う。
まだ幼稚部に通ってもいないのに。
恐らくは悪友たちの誰かが、顔を見せる度面白がって吹き込むのだ。

クシャクシャ。
息子の柔らかな髪を掻きまぜた悠理は、口の端に付いたパンケーキを指先で掴んだ。

髪質は母親似。
知的な眉は父親譲り。
輝くような玉肌と人を惑わす美貌は、この先の彼の人生を恵まれたものにするのだろうか?

大きな翼を広げ飛び立つその世界を想像し、母はそっとほくそ笑む。

’ま、どっちにしろ、退屈な人生だけはまっぴらだよな’

艶やかな果実を大きな口に放り込む悠馬。
その幸せな顔を永遠に見続けたいと思う悠理であった。