未来への絆

RRRRRR………
・・・・・・・・ガシャン!
「うぅ…………ねむぃ…………」
夜遊びが日常化している悠理にとって、朝の目覚ましは何よりも不快な音だ。
容赦なく叩き落とされ、無惨な姿となったピンク色の時計は、母・百合子のパリ土産。
朝の清掃を担当するメイドが毎度こっそり修理に出していることを、悠理は知らない。
今日は大晦日。
脳味噌の少ない彼女ですら特別な日だと理解している。
早朝から忙しそうなメイド達は、きっと年越しに向けての準備に追われているのだろう。
ただいつになく人員が多い気もするのだが………………
トントン。
「お嬢様!お目覚めですか?」
「ん~・・今、起きたよ。」
返事を聞く前に飛び込んできたメイドは、手にした紅茶セットをやや乱暴にサイドテーブルへ置き、着替えを急かした。
「今から髪結いの主人がいらっしゃいます。ここに着物用の下着を置いておきますから、紅茶を飲む前に支度してください。」
「着物………うぇ~。面倒だなぁ。」
「なにを仰るんです。今日が何の日か覚えていますか?」
「大晦日だろ?……忘れてないけど?」
令嬢のいつも以上に跳ねた髪を困惑した表情で見つめるメイド。
それだけではない。
哀れみに近い感情が、その顔には含まれていた。
「まだ目が覚めていらっしゃらないようですね。大晦日だけじゃありませんよ。今日は大事な………」
「あっ!!!」
「そう……………ご自身の結納の日です。」
悠理の間抜けた顔を見て、深く溜息を吐くメイドの心情は察してあまりあるもの。
剣菱悠理 23才。
大学卒業を機に結婚予定の財閥令嬢である。

「悠理はまだなの?」
いつもはどっしり構えている百合子もこの日ばかりはソワソワしていた。
むしろ万作の方が落ち着いて見えるから不思議だ。
正式に剣菱の後継者となった豊作もまた、スーツに身を包み、髪をきっちり撫でつけている。
傍らには婚約者である可憐の姿。
そしてそんなチグハグともいえる家族を、野梨子と魅録が壁際に立ち、そっと見つめていた。
「美童もおせぇな。」
「雪で飛行機の到着が遅れているらしいんですの。」
「てか、結納ってこんな大勢で見守るもんなのか?」
「まぁ、魅録。わたくし今更、この家の変わったしきたりに驚いたりしませんわ。」
正月らしく華やかな松竹梅の着物は、野梨子がこの日を理由に誂えたものだ。
伸びた黒髪を結い上げ、扇形の鼈甲簪で飾っている。
すっかり大人びた雰囲気を醸し出す深窓の令嬢に、剣菱家の雇われ人達も一人残さず感嘆の溜息を吐いた。
それほどまでに見事な立ち姿。
当家の野性的なお嬢様とは大きく異なる。
「確かに。おっと………そろそろ清四郎達が来る頃じゃねぇか?」
「そうですわね。」
昨夜、学会があったロンドンから帰国したばかりの幼なじみは、ゆっくり眠れただろうか。
昔からのクセで、つい気にかけてしまう。
魅録と交際を始めてからも、そういうところが兄離れ出来ていないと揶揄される理由だ。
「嬢ちゃまの準備が出来ましたぞ!」
駆け込んできた五代の声に万作と百合子が立ち上がる。
百合子が苦労の末用意したこの世で一着しかない振り袖を、娘が上手く着こなせているか心配で仕方ないのだ。
しかし親の心配を余所に、悠理の艶姿はその場に居る人間を感嘆の海に放り込んだ。
いつもは無重力に広がる癖っ毛も、腕の立つ髪結い師によって上品に纏め上げられ、金駒刺繍で飾られた御所車に菊紋様の伝統的な振り袖はまさしく豪華絢爛。
敢えて渋めの赤にしたことで大人っぽさが加わり、格式の高さを感じる仕上がりとなっていた。
「まあまあ!」
「あら、いいじゃない!悠理、すごく似合ってるわよ。」
可憐は眩しそうに目を細める。
三ヶ月前に結納を交わした可憐と豊作の結婚式は悠理達と合同で行うこととなっていた。
百合子にとってこの上ない幸せである。
「やれやれ。孫にも衣装だな。」
「魅録ったら。」
野梨子がそう窘めたとき、タイミングを見計らったようにリビングの扉が開く。
本日のもう一人の主役、清四郎の到着だ。
「遅くなって済みません。」
背後には温厚な両親としっかり者の姉。三人とも落ち着いた和装での登場だ。
剣菱家とは真逆ながらも、両家は比較的相性がよく、今まで諍いなども起こらなかった。
無論、“剣菱”に逆らうほど愚かではない。
関係を円滑にさえすれば、旨味の方が圧倒的に多いからだ。
「清四郎、いかが?悠理の出来映えは。」
微笑みながら近付く野梨子に教えられるまでもなく、彼の目は婚約者の姿をじっと捉えていた。
着物姿は何度も目にしてきたが、今回は全てがパーフェクト。
あえての薄化粧もまた、素材そのものの美しさを際立たせている。
「………なかなかどうして………いいんじゃないですか?」
人前で褒めることに慣れておらず、清四郎は小さく咳払いしながら、シンプルに評価した。
普段は野生動物のような娘だが、やはり飛び抜けて美人なのだと思う。
もちろん生まれたままの姿が最高だと信じているが……………。

「せぇしろー!腹減ったから何か食おうぜ。」

空気を読まないところはいつもと同じ。

「悠理ったら。我慢した方がよろしくてよ。この振り袖一枚で家が買えるほどの価値があるのですし、汚したら大変ですわ。」
「げぇ………」
「ははは。こいつにゃもったいねぇシロモノだな。」
「ごもっとも。」
皆でいつものように笑い飛ばすも、実際にはよく似合っていたわけで…………
遅れてやってきた美童が青い目を丸くして賛辞の言葉を並べたのは、むしろ当然のことといえた。

無事、結納の議も終わり、全員で御馳走を食べ終わった後、清四郎は悠理を庭へと誘い出した。
東京都内とは思えない敷地の広さ。
腕利きの庭師が毎日、丹精込めて手入れをしている為、見応え抜群である。
「寒くないですか?」
「うん。」
汚すことを危惧し、ワンピースに着替えさせられた悠理は空にぽっかり浮かぶ月を見上げた。
酒をたらふく飲んだ為、寒さは感じない。
それは清四郎も同じだ。
「これで後は結婚するだけだよな。」
結納の意味をイマイチ分かっていないものの、結婚に向けて一歩踏み出したことは理解出来る。
くふっと笑みをこぼした悠理は清四郎の腕に自分のものを絡めた。
「そうですね。あと数ヶ月で夫婦になれる。」
「うれしい?」
「………当然でしょう?」
二人が交際を始めたのは大学二年の夏。
とあるアラブの資産家が悠理を一目で気に入り、百合子の暴走であわや婚約!というところまで話が進んだのだが、それを阻止したのが清四郎だった。
何せ相手は一回りも年が離れた男。
いくら金持ちでイケメンだろうと、悠理にとって納得いく話ではなかった。
しかし━━━━
「悠理、貴女も年頃なんだから、ボーイフレンドの一人や二人、私の前に連れてらっしゃい!それが嫌なら彼とお付き合いすること。わかったわね!」
暴君にも程がある。
しかし百合子は本気だった。
年のせいか、体力の衰えを感じるようになり、そうなると一刻も早く孫の顔が見たくて仕方ない。
焦りと不安を抱える中、そしてそれは密かに万作の願いでもあったのだ。
「せぇしろぉー!何とかしてくれぇ!」
当たり前のように泣きつく先はこの男。他に頼れる者などいない。
百合子に対して滅多に逆らうことのない清四郎が、しかしその時だけは真っ向から立ち向かった。
「おばさん、ご安心を。悠理は僕が最後まで面倒を引き受けますから。」
「それは一体、どういう意味かしら?」
「言葉通りの意味ですよ。」
大蛇のような迫力。視線だけで飲み込まれそうになる。
しかし負けず劣らず清四郎の目には強い本気が宿っていた。
ここで譲るわけにはいかない。
悠理への想いを募らせてきた男にとって、横からかっさらわれることだけは許せなかった。
 

十数秒に渡るにらみ合いの後、清四郎に軍配が上がり、溜息が広がる。
百合子は眉間を揉みながら、若き勇者をチロッと睨んだ。
 

「今度こそ、わたくしに可愛い孫を抱かせてくれるんでしょうね?」
「ご期待にそえるよう、努力します。」
そんなこんなで、本人そっちのけのまま話が進み、怒る悠理を苦労しながらも何とか口説き落とした清四郎。(約三ヶ月かかった)
元々気の合う二人ではなかったが、最後はいつもの調子で丸め込まれ、落ち着くところに落ち着いた。
ようするに━━━餌に釣られたのだ。
大学の勉強などチンプンカンプンな悠理が無事単位をとり続け、卒業を手にすることが出来た理由はそこにある。
それに加え、清四郎は恋人として完璧だった。
店選びからエスコートまで、悠理の気に障らぬよう、ことを運び続けた。
時にトラブルに巻き込まれても必ず助け出し、頼り甲斐のある男をアピール。
単純な悠理の心を巧みに捕らえ、虜にした。
悠理としても、ここまでされちゃ逃げる気を失う。
むしろ清四郎の良さを再確認し、わりと大きいはずの欠点を見逃すようになった。
そうなるともう、恋心が芽生え、育ち始める。
二年もの年月をかけ、周りが唖然とするほど甘いカップルに成長した。
百合子も想像だにしなかった展開に万作もほくほく顔である。
大学三年の頃。
大きな失恋をした可憐を、頼りないはずの豊作が運良くゲット。
彼らもまた順調に交際を進め、結婚の約束を果たした。
青天の霹靂ではあったが、皆は大いに祝福し、これで剣菱家は安泰だと喜んだ。
可憐としてもようやく大きな玉の輿を掴んだわけである。
揺らぎない幸せを前に、些細な不安(義父母)など大した事ではなかった。
「清四郎と夫婦になるって………なにが変わるんだろ?」
「うーん………堂々と子供を作れることですかね。」
「こ、子供!?」
「おばさんに約束しましたから。」
「えーーー?あたいらまだ二十代半ばだよ?若すぎるよ!」
不満を訴える婚約者の体を、清四郎の腕が抱き寄せる。
「無論、子は授かり物ですし、直ぐに出来るかなんてわかりません。でも………」
「でも?」
「おまえとの間に、より強い絆が生まれるのなら、出来るだけ早い方が嬉しいですね。」
見上げれば清四郎の微笑みはいつもよりずっと優しく、悠理の胸はキュンと締め付けられた。
そうか━━━━そうなんだ。
家族が増えるって、絆が増えることなんだ。
理解に乏しいはずの悠理も、その時ばかりは彼の意図を正しく汲み取った。
「…………いいよ。」
「え?」
「いつでもいい。あたいも母親になる覚悟………決めとくから。」 
「悠理…………」
清四郎の手がそっと悠理の顔を撫でる。
素直で単純で、いつも潔い恋人に感謝を添えて。
「ずっと、一緒にいましょう。夫婦として………家族として…………」
「うん!」
冷たい空気の中、大きな紅い月がそんな二人を優しい光で包み込んでいた。
結果として、結婚前に赤ちゃんが授かるのだが、それはそれで百合子達の狂喜乱舞を誘う。
新婚夫婦は早々に親となり、また一つの大きな絆を結んだ。
そしてたった数年の間に、剣菱ファミリーはそれぞれの子供達の声で賑わうのである。