始まりの夜(ショート)

いつもなら、おなかがすいたと喚くだろう彼女も、さすがに今夜ばかりは借りてきた猫のようにおとなしい。

互いの気持ちに気付いたのは高校三年の冬……

それから幾度となくぶつかり合い、傷つけあい、現実逃避を繰り返したが、一年経った頃、素直な気持ちを伝えることで何とか着地点を見出した。

“譲れない想い“

それだけが二人の距離を縮め、それだけが二人の未来を決定づけた。

自らの立ち位置を自覚しているからこそ、冗談では済まされない。

少なくとも僕は。

屈託なく笑う彼女の横顔に、かけがえのない価値をみつけたのはいつだったか。

遠い昔

それはもう思い出せないほど遠い……

尊いほど白き世界の中で、極彩色を放つ奔放な娘。

あの頃の自分はまっすぐ前を向くことだけを考えていた。

ただひたすらにまっすぐ、美しさは正しい世界にのみ存在すると信じていた。

けれど……

破天荒ではちゃめちゃで、どんなルールにも縛られない彼女が、僕の道を大きく切り開いたんだ。

そしてそれは長い人生の中の分岐点。

今日という日まで、僕たちは多くのことを学び、経験し、糧としてきた。そしてついには、誰もが信じている、否、信じたいと願っている「あの感情」までをも芽生えさせてしまった。

「清四郎、そろそろ行こうぜ!」

「そうですね。」

冷えた空気を切り裂くような声に、目の前の夜景が滲む。

「・・・・逃げなくていいんですか?」

そう言いながら暖かい手袋に包まれた華奢な手を握る僕に、はなから逃がすつもりはないのだけど……

「逃げる必要なんてないだろ。………ここまで来たんだから」

どこか誇らしげに笑う彼女は、昔と同じ度胸で目の前に立っているのだ。

「そういうところが好きですよ。」

いつか言ったセリフだと気付いたのは数瞬あとのこと。

「知ってるさ………」

それは獣の瞳。

挑戦的で美しく、この世の全てを掴むことができるただ一つの存在。

そんな彼女がしなやかに顔を近づけてくると、僕は覚悟をもって瞼を閉じた。