チョコレートよりもずっと

※甘さ控えめバレンタイン作品

 


「チョコレートは要りません。」
「…………えっ?」
二月十四日
世の女子(中には男子)がピンク色の甘ったるい世界に浸るバレンタインデーがやってきた。
聖プレジデント学園では基本、チョコレートの持ち込みを禁止しているはずなのだが、今更なにを言っても無駄だろうと教師陣も容認しているのが現実だ。
今のご時世、いきすぎた校則も善し悪しなのだろう。
生徒たちのコントロールは特に難しい課題だ。
この時期、誰よりも注目を浴びるのが“金髪碧眼の貴公子”、美童である。
山のようなチョコレートやプレゼントに囲まれるのはもはや恒例となっていて、女生徒たちはこの日の為に必死に準備する。
手渡して、にっこり微笑んでもらえれば、気分は天国。
しかし健気な少女たちの憧れを一身に受ける彼は、未だ本気の恋を知らないでいた。
つい先日も百戦錬磨の人妻をデートに誘い、掌で転がされてきたところである。

ここにもう一人。
これまた無垢な女生徒たちの心をとらえて離さないのが、剣菱悠理だ。
中性的でスポーツ万能な彼女を、夢見る少女達が王子様に見立てるのも無理はない。
何せ相手は同じく女子。
安心安全。
気性こそ荒い彼女だが、巷で何かあったとき、この上なく頼りになる存在だ。
こんな二人が人気を二分する中、男子生徒に本気の想いを寄せられることが多いのは、生徒会長の清四郎である。
ストイックな容姿と明晰な頭脳。
武術に関しては人間国宝のお墨付き。
多少性格に難あれど、男の憧れを全て兼ね備えた人物であることは今更言うまでもないだろう。
もちろん本人は至ってノーマルで、むしろ同性愛者からの絡みは敬遠したいのが本音だ。
なよなよした男は特に苦手。
あからさまなアプローチには暴力をもって抵抗する事も多かった。
「いいじゃない。男と試してみても。違う世界が開けるかもしれないでしょ?」
半ば投げやりな、どちらかといえばトゲのあるコメントを口にしたのは、失恋したての可憐だ。
バレンタインデーを前に、二枚目起業家とロマンチックなデートの約束をしていたのだが、実は婚約者がいたという、何ともお粗末なオチだった。
相変わらずの男運の無さに、もはや誰も慰めようとはしない。
下手な慰めは火に油を注ぐだけである。
ムッと口角を下げる清四郎に見向きもせず、可憐は鏡に映った自分のどこが悪かったのか、悩ましげに検証していた。
どこからどうみても美人で、抜かりはない。
色っぽいホクロと唇に惑わされる男の多いこと。
それなのに・・・・・あの男は婚約者を優先したのだ。
悔しさがマグマのようにこみ上げてくる。
「そんな世界、僕には必要ありませんよ。なにが楽しくて男となんか………」
可憐の言葉は黙って聞き流せるものではない。
清四郎は氷河の如く冷えた声で返答した。
しかし・・・・
「ふーん。あっそう。あたしにとっちゃ、あんたと悠理の付き合いは、男同士のそれとほとんど変わんないと思うけど?」
「はっ……!?」
想定外の指摘に憤る清四郎。
綺麗な眉が眉間に皺を作った。
そう。
清四郎と悠理は交際二週間の初々しいカップルなのだ。
愛の告白は清四郎から。
普段甘い言葉一つ言わない男が、一体どう口説き落としたのかは不明だが、とにかく悠理はそれにOKを出した。
しかしそれからも特に変わった様子は見られず、いつものように小突いたり、じゃれ合ったりの繰り返しだった。
悠理に色気など見あたらず、清四郎のイヤミが別段減ったようにも思わない。
誰がどう見ても、いつもの二人。
「だいたい、女にしかモテない悠理と男にモテるあんたがカップルだなんて、ほんとお笑い草だわよ。」
毒を吐き続ける友人を止めようと、野梨子が香り豊かな紅茶を差し出すも、可憐は口を閉じようとしない。
「どーせあれでしょ?デートっていっても雲海和尚の“道場”で、それらしい場所なんか行ってないでしょ?チョコだって貰う予定もないだろうし。それでよくもまあ男女交際だなんて言えるわよね。」
「可憐!言い過ぎですわよ。」
さすがに注意した野梨子であったが、可憐にとって今回の失恋が相当な痛手だったこともよく知っている為、それ以上強くも言えない。
不機嫌になった清四郎の顔色を見ながら、彼が好む上質なキリマンジャロを淹れるくらいしか、この空気を和らげる手だてはないように思えた。
そこへ━━━━
「ちょっとー、誰かドア開けてよー。」
「どけっ、美童。あたいのが重いんだぞ!」
騒がしい仲間の登場に、張りつめた空気が瞬間、緩む。
野梨子が開けてやると、大きな箱や袋をわんさか手に抱えた渦中の二人が、ぜぇぜぇ息を切らしながら入ってきた。
どう見繕っても、例年より遙かに多い。
恐らくは卒業を控えている為だろう。
見送る生徒たちの気合いが違う。
無造作に置かれた贈り物から放たれる、濃厚な甘い香り。
中にはどうみてもホールケーキだろう箱も数点混ざっていた。
服やマフラー、ぬいぐるみといった付属物たちは、少しでも側に置いてほしいという乙女心の表れ。
「ほんと、モテるって困っちゃうよね。」
「その顔、“困ってる”って顔じゃありませんわよ。」
だらしない友人の口元を指摘した野梨子であったが、毎度のこと故、それ以上深堀りはしない。
ロマンティックな香水が染み込んだラブレター達をテーブルの端に追いやると、「紅茶でも淹れましょうか?」と涼しげに尋ねた。
「いいね。僕、ミルクティがいいな。」
「蜂蜜は?」
「もちろん。」
「野梨子、あたいにもたっぷり!!」
不機嫌だった可憐と清四郎は、目の前に積まれた大量のチョコを見て気が削がれたらしい。
お互い珈琲を啜ると、軽い溜息を吐き、ひんやりしたバトルを終わらせた。
「せーしろー、おまえもいっぱいチョコ貰ってただろ?」
強請るような仕草で擦り寄って来る恋人の魂胆は見え見えである。
清四郎は傍らに置いてあった二つの紙袋を持ち上げると、「ほら。」と当然のように差し出した。
「えへ。いいの?」
「よく言いますよ。強奪するつもりだったくせに。」
遠慮なく腕を広げ受け取った悠理は満足そうに笑う。
持つべき者は、“気前の良い恋人”とでも思っているのだろう。
彼女にとって美味しい餌を与えてくれる人間全てが善人であり、何よりも信頼出来る存在なのだから。
「悠理。」
「んぁ?」
睫毛を念入りに整えていた可憐が、リップに濡れた艶やかな唇を開く。
「あんたは清四郎にチョコあげたりしないの?」
「………………………え?」
可憐の指摘に硬直した悠理は、その時初めて気が付いたのだ。
自分と清四郎は恋人同士であり、何よりもこのイベントに参加すべき立場であることを。
「ふーん。その調子だと、思いもつかなかったみたいね。そんなんで恋人って言えるのかしら。」
毒を吐く相手をチェンジした可憐だったが、結局は清四郎をも苛めているのである。
気まずそうに互いの表情を窺う二人を見て、ふん、と鼻息を鳴らし、更にイヤミを続ける。
「今時中学生だって………ねぇ?ま、幼稚なあんたと、乙女心に理解のなさそうな清四郎だから、無理もないだろうけど………」
「可憐、そのくらいにしてあげなよ。焼き餅も度を過ぎると可愛くないよ。」
被せるように制止したのは美童だった。
可憐のささくれた心を見透かした上での台詞。
もちろん彼女の失恋の痛みは知っている。

眉を寄せた美童の鋭い言葉に、可憐はハッと目を瞠った。
目の前には出来立てホヤホヤのカップルが居たたまれない雰囲気で沈黙している。
特に悠理はさっきまでのほくほく顔を失い、顔色を白くしていた。
反論どころの話ではない。

ようやく自らの過ちを認識した可憐であったが━━━━
「あ、あたい…………帰る。」
「悠理、僕も帰りますよ。」
後味の悪い雰囲気を残したまま、二人は部室を後にし、残されたメンバー達はこれまた重苦しい空気を味わうこととなった。


「悠理。」
「………………。」
「悠理、こっちを向いてください。」
毎朝モーターショーが開かれるロータリー手前の中庭で、清四郎はようやく口を閉ざしたままの恋人へ優しく声をかけた。
立ち止まった悠理は口を閉ざしたまま、ぎこちなく振り向く。
身の置き場がない表情で。
「…………要りませんよ。」
意外な言葉に思わず見上げると、そこには穏やかな笑みで見下ろす清四郎の顔。
「チョコレートは要りません。」
「…………え?」
「おまえからは何よりも嬉しいモノを貰っていますから。」
それが何を指しているのか。
少しの間思案した悠理だったが、答えは出なかった。
むしろ・・・・
「あたいのほうが、貰ってばっかだけど?」
「物ではありません。」
きっぱりそう言って、清四郎は悠理の胸辺りを指さす。
「男女交際など興味も無かったおまえが、僕の気持ちには応えてくれたでしょう?その心が何よりも嬉しい。どれだけお金を積んでも買えない代物ですから。」
とてもじゃないが、打算と計算にまみれた男の台詞とは思えなかった。
悠理は目をパチクリさせながら、頬を赤らめる。
清四郎の言葉に愛を感じたから。
「で、でも、可憐の言う通り……あたいらは何も変わってない気がするじょ?チョコだって忘れてたし………」
「また来年がありますよ。再来年もその後もずっと………。いつか悠理が覚えていたら、その時に下さい。それに…………」
「それに?」
にっこり笑う清四郎が悠理の耳に口を寄せてくる。
「チョコレートよりも甘い物はこの世にたくさんありますからね。折を見てきちんと貰うつもりです。」
「???」
悠理の恋人という立場を手に入れた清四郎にとって、今はまだその浮ついた気分に浸る時期であった。
可憐のイヤミにはカチンときたが、関係を進める事、焦る必要もない。
この先一生共にする相手が出来たのだ。(少なくとも清四郎にとってはその覚悟がある)
ゆっくり、のんびり、マイペースに、悠理の心を絡め取っていけばいいだけの話。
━━━━まぁ、“恋人の立場”を意識させる効果はありましたけどね。
ほんの少しだけ可憐に感謝しつつ、清四郎は悠理の頭を優しく叩いた。
「さ、お迎えが来ましたよ。どこかカフェにでも立ち寄りましょうか?チョコレートパフェなんてどうです?」
「わっ!いくいく!」
喜ぶ恋人の子供っぽい笑顔がたまらなく可愛い。
清四郎は無意識で手を繋いでくる悠理に温かいものを感じつつ、
━━━━━さりとて、我慢にも限界がありますけどね
と胸の中でごちた。


「可憐もさ、失恋の度にそんなに傷ついてたらキリがないよ。一通り泣いたんだろう?」
美童の言葉は尤もだ。
しかし可憐にとって今回のバレンタインデーはかなり気合いが入っていた。
何度も試作したチョコレートを母親に試食させ、完全なるお墨付きを得ている。
お高めのエステにも通い、肌磨きも完璧だったのに。
「なーんかね。あの子達を見てると焦れったいのよ。何の障害もなくて、お互いを真っ直ぐに見てるだけで幸せになれるんですもの。羨ましくもなるでしょ?」
「あら、障害が無いかどうかなんて解りませんわ。この先、清四郎にライバルが現れるかもしれないでしょう?」
「野梨子、あんたね………誰よりも清四郎至上主義のくせに、よく言えたもんだわ。あの男に勝てる奴がそこら辺に居ると思う?」
「確かにそれは…………。でも何の問題も起こらない交際なんてあるのかしら?」
野梨子の言葉に美童が笑う。
「もちろん、何かしらあるだろうね。でも僕は確信してるんだよ。」
「「確信?」」
「あいつらはどんな事があっても、お互い以上の存在を見つけられないって現実をさ。」
納得と理解。
二人の美女は顔を見合わせ、くすっと笑う。
恐らくは美童の言う通りだろう。
いつかは悠理も成長し、照れながらチョコレートを手渡す日が来るかもしれない。
清四郎はそれを苦いコーヒーと共に、喜んで食べるに違いないのだ。
「ふん。これからのお楽しみってわけだな。」
無線機の修理に没頭していた魅録が最後に口を挟み、その話題は無事締めくくられた。
皆が望むことはただ一つ。
この先も続く、彼らの幸せ。